夭鳥の目 2

 椎羅は無言のまま絵莉を家の中へ招き入れた。フードを取って髪をクシャクシャ掻きながら暖炉に薪を焼べる。

 部屋のぬくもりに触れたことで、急激に全身の冷えを感じた絵莉はくしゃみを一つして暖炉の前にしゃがんだ。並んでみると椎羅は困惑気味に絵莉から離れてキッチンへ向かう。ヤカンで湯を沸かし始めた。

「いやー、こんなとこに引きこもっちゃってさぁー。随分探したんだよ?」

 軽快な口調で言うも、彼は返事をしない。

 絵莉は仕方なく部屋の中を見渡した。ここは宿泊用のコテージらしく、ある程度の家具家電が揃っている。リビングは暖色のペイズリー柄があしらわれた絨毯を敷いており、ソファも革張りで重厚感がある。どこまでが椎羅の私物かは分からない。ロフトへ続くはしごに彼の服が無造作にかかっている以外は綺麗に整理整頓されているようだった。

 椎羅はマグカップを二つ持って戻ってきた。ブラックコーヒーだ。

「ほぉ、ブラック飲めるようになったんだねぇ」

 茶化すように言い、ソファに座ると椎羅は俯き加減で向かいの椅子に座った。

「でね、スマホ返してってば」

「……返してどうするつもりですか」

 ようやく口をきく彼の声は一段と低く冷たい。

「遺族の手に戻すのが常識でしょ。それに父さんの形見だ。取り返しにくるに決まってんじゃん」

 怯むことなく答えると、彼はため息をついて椅子から降り、ロフトのはしごを登った。しばらく待つと椎羅はビニル袋に入れたスマートフォンを持って降りてきた。しかし素直に渡すはずもなく、彼はその場で手に持ったまま言う。

「これは僕が司城さんに託されたものです。絵莉さんに返すのは当然ですけど、これがないと僕が困る」

「父さんに託された、ねぇ……なんで父さんは私じゃなくあんたに託したんだろ?」

 絵莉はフンと鼻を鳴らした。

 父の遺留品を引き取った際、スマートフォンが足りないことに気がついた。父は仕事用と家族用でスマートフォンを使い分けている。絵莉はあの中に、母の結婚指輪が通されたペンダントを見つけた。あの時のことを思い出しかけ、思考を止める。

 足を組み直し、椎羅を見つめながら言った。

「調べたんだよ。全部調べた。あんたが中学高校で孤立していたことも、叔母の星羅が失踪中なのも、その後、あんたがここで一人でこもっていることも、父さんと事件を調べていたことも、変な目の能力を持っているということも。全部知ってる」

 一息に言うと、椎羅は目を伏せた。

「そこまで知ってるなら、これ以上話すことはないでしょう」

「いーや、あるね。大アリなんだよ。私もあんたたちが調べていた事件を調べてるんだ」

 その言葉に、椎羅は顔を上げて絵莉を凝視する。

「父さんを殺した白源則子がどうしてあんな化物になったのか、それ以前にお母さんが久留島玲香から殺されたことに関係があったことだとか、その化物があんたの中でも生きているのかもしれないとか。何一つ事件は解決してないんだ。私の家族をめちゃくちゃにしたその真相を私は知る権利がある」

「その真相を知ってどうするんですか? 復讐でもしますか? 被疑者は全員死んでますけど」

 椎羅が鼻で笑った。そのふてぶてしさに、四年半前とのギャップを感じる。彼もまた苦労してきたのだろうが、今の絵莉にとっては知ったことではない。口を開きかけるも椎羅が遮った。

司城さんあのひともそうだった。知ってどうするんだ。司城さんたちを殺した犯人は全員死んでいる。白源もそうです。あのあと一年は頑張って生きてたけど、判決が出る前に死んだ……それはもう悲惨な死に方でしたよ。あの人は化物のまま死んでしまった」

 まるですべてその場で見てきたかのような口ぶりだが、椎羅の場合は本当に見てきたものなのだろう。その目がならば。

 絵莉は立ち上がり、椎羅の手にあるスマートフォンに手を伸ばした。それを彼は素早くかわす。

「いいから返せ。あんたには何もできない。ただ視ているだけなんだから」

 ふつふつと怒りが湧く。彼はただ視ているだけだ。安全な場所で高みの見物をしているだけだ。あの時もそうだったのだろう。

「父さんが死んだのは、あんたのせい?」

 訊くと、彼は眉をひそめて口を結んだ。苦々しい顔つきになり、すかさず絵莉はテーブルに足を乗せ、彼の襟首を掴んだ。

「あんたが見殺しにしたの? それともあんたをかばって父さんは死んだの? あんたの変な〝目〟に振り回されて、そのせいで殺されたの?」

 今でも思う。父があの事件に振り回されなければ、死ぬことはなかったのではないか。母の事件に執着しなければ自分を置いて死ぬこともなかったのでは。あんな酷い死に方をすることはなかったのでは。自分がもっと早く大人になっていれば父まで失うことは──

 椎羅は絵莉の手をやんわり掴んだ。冷たい指の感触に驚き、絵莉は思わず手を引っ込めようとしたが椎羅の手が離さない。

「八つ当たりして気が済むなら何をしてもいいですよ。でも、そんなことをしてもあなたのお父さんとお母さんは還ってこない」

「………」

「絵莉さん。あなたの目的はなんですか? こんなところまで来て真実を知る意味は? それが復讐心からくるものなら手を引くべきです。でなきゃ、あなたまで死にますよ」

 掴まれた手から伝う冷たさに背筋が凍る。怒りで沸いた脳が冷まされていくようで、絵莉は力を抜いた。

「……それ、どういう意味?」

「そのままの意味です。この件からは手を引いたほうがいい。およそ人の力でどうにかなるレベルの話じゃないから」

「じゃあ本当に化物の仕業だって言いたいわけ?」

 嘲笑混じりに訊くと彼は真剣に頷いた。対し、絵莉は困惑した。この〝目〟に騙されて父は死んだのかもしれない。そんな疑念がずっと頭にあったせいか冷静でいられなくなる。どうにか苛立ちを抑えようと黙り込んだ。

 椎羅は絵莉の手をゆっくり離し、一歩引いて言った。

「確かに僕はあの日、何もできなかった。それでも司城さんを助けたかった。でも力がない。あなたもお父さんの亡骸を見たなら分かるはずです」

「………」

「まるで頭を突いて脳を食い破るような凄まじい力です。何に襲われているのかも分からなかった。ただ何かに襲われる司城さんを見ているしかできなかった……」

 当時のことを思い出したのか、彼の顔色がだんだん悪くなっていく。こめかみには冷や汗を浮かべており、彼はその場に座り込んだ。一方、絵莉も父の亡骸を思い出して胃の中がもんどり打つ感覚に陥っていた。ぐっと堪えるもしばらく互いに口がきけなくなる。

 沈黙が続いた。

 絵莉はまだ彼への疑念を晴らすことはできなかったが、父の死を間近で見ている彼の憔悴ぶりに、ほんのわずかな同情を抱いた。

 椎羅は後悔している。考えてみれば当時中学三年生の彼にできることなんて何もない。それでも救えなかったことを激しく悔いている。

 絵莉は息を吸って吐き気を抑えた。恐る恐る口を開く。

「……知ってどうするって」

「え?」

 椎羅が顔を上げる。絵莉は彼の前でしゃがみ、目線を合わせて言った。

「真実を知ってどうするって、そう言ったよね」

 今までただ漠然と誓っていた。真実を知る。その欲求の源がはっきりしない。でも、椎羅に訊かれて改めて考えた。知りたい欲求──それは、

「父さんがやり残したことを私がやる。父さんたちが本当は何に殺されたのか、なんのために犠牲になったのか。それが、父さんとまともに向き合ってこなかった私の贖罪」

 きっと父もそうだったのだろう。真実を知りたいという欲求は、母への贖罪だったのだ。それまで母に向き合ってこなかった父ができる唯一のことだった。なんとなくそう感じる。

 すると、椎羅は怪訝そうな顔をした。

「意味が分からない」

「分かんなくていいよ。でも決めたことだからさ、あとは私に任せな」

 不敵に笑ってみせると、椎羅は目を丸くした。そして大きく息を吸って長く吐く。頭を乱暴に掻いて「うーん」と唸るので、絵莉は彼の頭を小突いた。

「なんだよー。私では務まらない? 女だからって見くびってる?」

「いや……そういうことはまったく……」

「じゃあ何?」

 詰め寄ると、椎羅は項垂れて言葉を考えていた。根気よく待つと、彼はまた溜息をついて言った。

「分かりました。でもあなた一人じゃ無理だ」

「おい、散々迷ってその言い方は」

「だからあなたの贖罪、手伝います」

 顔を上げる椎羅の目が真剣さを帯びる。絵莉は思わず噴き出した。

「……オーケー、分かった」

 一旦笑い出すとなかなか止まらない。涙まで出てくる始末で、絵莉は指で目尻を拭いながら言った。

「こうなったら最後まで付き合ってもらおう。その代わり、途中で降りたら殺すから。いいね?」

 その物騒な言葉に、椎羅は顔をしかめるも素直に頷いた。


 ***


 役場にアルバイトを辞める旨を伝え、受理されるまでに時間を要したので絵莉もしばらく彼のコテージに泊まっていた。その間に互いが持つ情報をすり合わせる。絵莉は父の事務所にあった資料をすべて読んだこと、椎羅はスマートフォンに詰まっていた司城が河井や他の知り合いへのメール、また画像フォルダ、音声データなどをすべてさらったこと。互いに情報の齟齬がないことが分かり、立川にある事務所まで戻ったのは三日後のことだった。

「青木さん、残念がってたね」

 事務所に戻るなり、絵莉は意地悪に言った。青木は役場に務める女性職員だ。定年間近でいかにもお局然とした佇まいであり、彼女は絵莉を睨みつけていた。椎羅を奪いにきた女狐だとでも言いたげだったので強く印象に残る。

「あの人、自分の仕事が増えるから嫌がってただけですよ」

 椎羅が少ない荷物を玄関に置きながら言う。

「そうなの? てっきり若い男の子がいなくなって寂しいのかと。いるだけで職場が潤うもんじゃん。あれはそういう目だったけどなぁ」

「そんなわけないです」

 椎羅はきっぱり言い捨てた。そして、家に入ると同時に家の匂いを嗅いでいた。懐かしむような仕草だった。

「ねぇ、なんであんなとこにいたのさ? 事件を追うのに、あんな静かな田舎にいても不便なだけでしょ」

 絵莉は暖房を入れながら訊く。ようやくリビングへ入った椎羅は頭を掻いて面倒そうに言った。

「調べたなら分かるんじゃないですか?」

「うわ、ふてぶてしいー……分かってるよ。あそこ、君のお父さんの田舎でしょ」

「はい」

 椎羅はその場に突っ立ったままでいる。絵莉は椅子に座るよう促し、自分はキッチンへ向かった。コーヒーを用意する。マグカップに湯を注ぎ、ダイニングテーブルに運ぶと椎羅は険しい顔つきで話し始めた。

「僕はあの地域で生まれ育ったんですが、記憶がはっきりしなくて……母と二人で狭い部屋に住んでたんですが、どうやらそこは父の実家の敷地内だったんです」

「何それ」

「おそらく家庭内別居みたいなことがあったのかも……何せ、広い屋敷でしたからね。あの地域ではそこそこの地主でした。両親がどうしてそんな暮らし方をしていたのかが分からなかったので改めて調べようと。でも志々目家はすでになくなっていました」

「ふぅん……確かにそいつは奇妙だ。でも、それと何が関係あるの?」

 椎羅が調べていることがいまいち見えない。絵莉は首を傾げて促した。

「僕は自分の目がどうしてこうなったのか調べてるんです。だから親戚や周辺をまず調べていました。そこで思ったんですが、父は叔母と不倫していたんじゃないかって」

「えぇ?」

 絵莉は思わず素っ頓狂な声を上げた。椎羅は自嘲気味に笑っている。

「いやいやいや、笑い事じゃないよ。どういうこと?」

「僕も薄っすらとしか覚えてないんです……ただ、僕の叔母は父の実家に住んでいました。どうして夫婦なはずの母と離れて暮らしているのに、叔母と同居していたんでしょう。疑いたくもなります」

「はぁ……とんでもない三角関係。泥沼かよ」

 絵莉は天井を仰いだ。

「なるほど。父に見捨てられた母と子。その母が死に、子だけ残されたから叔母さんに引き取られ、疎まれる……なーんか聞いてると、叔母さんの方がお母さんより立場が上っぽいし……でも子に罪はないじゃんな」

 そう言って絵莉は正面に直り、コーヒーを飲んだ。湯を入れすぎたか、インスタントコーヒーの味が薄い。

「僕に教えたがらないのも無理ないです。育ててやってるんだから感謝しろとでも思ってたんじゃないですかね」

 そう言うと椎羅は鼻で笑い、暗い目でコーヒーを見つめていた。

 ししめ星羅と椎羅の関係は昔と変わりないようだ。そんな彼女は椎羅が高校を卒業した二年前に失踪している。

「叔母さん、急に消えたの?」

 訊くと、彼は顔を上げた。無表情で答える。

「はい、本当に急でした。連絡が取れなくなったと秘書の林さんが言ってて」

「林さんって、あの人……小切手持ってきた、シュッとしたお姉さん?」

 椎羅の荷物を取りに来た秘書を思い出す。椎羅は無言で首肯した。

「彼女もいなくなったんです」

 椎羅は端的に言った。

「叔母を探しに行くと言って消えました。だから僕も街を離れたんです」

 絵莉は訝しげに彼を見つめた。椎羅はマグカップを覗き込んでいる。何を考えているのかは分からない。

 二人はしばらく沈黙した。薄いコーヒーだが、飲み干した頃には指先の冷えがなくなっている。

「何から始めますか?」

 椎羅も同じタイミングで飲み干したのか唐突に訊く。

「あ、そうそう、君に会ってほしい人がいるんだ」

 その言葉に、椎羅は不審そうに目を細めた。

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