天賜の肉 6

【東シナ海に浮かぶ島、宝足島。古くは九州と朝鮮半島を結ぶ中継地点だった。宝足島の語源は九州地方の方言である「たる」から来ているとされ、明確な由来は分かっていないが、その島には罪人が流れ着くことと都から離れているために朝廷や幕府の目が届かないことが由来する説がある。

 さて、この島は実に平成期まで独自の文化を持ち、発展と衰退を繰り返している。

 遡ること平安時代。およそ十世紀初頭。九州の離島は朝鮮半島から賊徒がたびたび襲来していたが、宝足島に至っては島民のほとんどは無傷であり、賊徒を討ちとっている。

 島民には恐るべき力を宿す者が多くいた。島の中心に、平安時代に建立された社が存在する。

 この地には「メギ」あるいは「メギドリ」と呼ばれる神の伝説が数多く残る。この「メギ」は古来より島民たちが信仰する女神である。「メギ」を「母」と祀り、超常的な霊力を得ていたという。賊徒を討ちとったのは、この霊力によるものと言われている。

 トリの妖怪といえば代表格となるのは産女うぶめ(または姑獲鳥こかくちょう)である。簡潔に説明すれば、産女は難産により亡くなった婦人が成仏できず幽霊となったものだ。また姑獲鳥とは日本各地に伝承があり、地方ごとにその性質が異なる。この姑獲鳥というのは西アジア、中央アジアを起源とし世界に散らばった伝説の亜流だと言われる。中国から日本へ伝わり、姑獲鳥と混同されるようになった。姑獲鳥は子を攫い、自分の子として養育する女岐じょきという神女のこと。また姑獲鳥は気に入った人間には幸福や大力を授ける。

 島の中心に建立されていた社には一部の壁にトリの羽に覆われた女神が描かれていた。この小さな島にも姑獲鳥伝説の亜流が存在し、神格化され現代に至るまで厚く信仰されている。】


 それは風見史郎が執筆した研究論文の一部だった。

 絵莉は送られたデータを読みながら呆気にとられ、無意識に呟いた。

「メギ……」

 黒田の夢日記を取り、ページをめくる。

【10月6日 (略)●様に選ばれなかったから。たったそれだけのことだった。】

 ──この塗りつぶされた●●様がその神様なのかもしれません。彼らには崇拝する神様がいた。それを倒したけれど、神は化物となって甦ろうとしている。

 椎羅の言葉を思い出し、その場に固まる。

「メギ様、か。このメギについて他にも分かればいいんだけど……」

 絵莉はノートパソコンでインターネットをつなぎ、試しに【メギ】と検索した。出てきたのは同名の植物だった。スクロールしていくも、宝足島の【メギ】については一切出てこない。

 仕方なくもう一件のデータを開いてみる。そこには、手書きの文章をコピーしたものがいくつか入っていた。

「鳥葬……って、何?」

 絵莉はある一文に首を傾げた。すると椎羅がすかさず答える。

「えーっと、葬法の一つですね。チベットの葬法、でしょうか。亡くなった人の肉体を細かくして鳥に食べさせる……日本では法律で禁じられてますが、昔は行っている地域があったみたいです」

 調べたものをそのまま読んでいるのか、だんだん椎羅の声が小さくなっていく。絵莉は苦々しく顔をしかめた。

「なるほど……メギに似てる」

 人を喰らう化物──元は女神として祀られていた【メギ】。これらのキーワードが結びつくようだが、実態はまだ掴めない。

「これを調べたのって、その大学准教授、風見さんなんだよね……どうやって調べたんだろ」

 絵莉は甲斐の仕事に舌を巻いた。一方、椎羅は絵莉の独り言には反応を示さなかった。思案げに唸り、口を開く。

「……あの、絵莉さん」

「何、なんか分かった?」

「いえ……ちょっと、ついてきてほしいところがあるんですが」

「え? その前にこれを読んだ感想は? ないの? かなり有力な情報だと思うけど」

 絵莉は素っ頓狂な声を上げた。そんな絵莉の反応に構わず、椎羅は真剣な目で見つめてくる。

「この『メギ』について思い当たることがあるんです」

「何?」

 絵莉はパソコンを閉じて身を乗り出した。椎羅の顔色がこころなしか悪い。

「僕が住んでいた家に行きます。今はもう空き家なんですが。はっきり思い出したいことがあるので、直接行ってみたいんです」

 その言葉に絵莉はゴクリと唾を飲み込んだ。

 メギと帯刀姉妹の繋がりが見えてきたが、まだまだ分からないことがある。洋江と福子は何故島を滅ぼし、祀っていた女神を倒そうとしたのだろう。その答えがついに分かるのだろうか。分かったとして、邪神となったメギをどう倒せばいいのだろうか。

 絵莉と椎羅は無言のまま出かける支度をした。


 ***


「家の地下室にトリの像があった、気がします」

 電車に揺られる中、椎羅はぽつりと呟いた。乗客はまばらで、レールと車輪が擦れ合う音が響く。

「覚えてないの?」

「はっきりと思い出せないんです。でも、さっきデータを読んでから、僕はそれがなんなのか気になりました。あれがメギで、あのトリなら福子がしようとしていることはおそらく、島の復興なんじゃないかと」

「島の復興……滅ぼしたのは福子なのに?」

「洋江に言われてついてきただけなのかもしれません。洋江は島の人たちを憎んでいたそうですし、常識的な人間だった……僕が覚えている母はそういう人です」

 しかし、絵莉にはその言葉が信用できなかった。

 洋江は椎羅の母であり、幸福の象徴である。ほとんど願望に近いもののように思えたが、彼の思い出を否定できるはずがなく反論はやめた。

「なるほど……島を滅ぼしたはいいけれど、本土での生活に馴染めなくなった福子は姉を裏切った。そう考えているわけだ、君は」

「はい」

 それならば、椎羅の母である洋江が志々目家の離れに住んでいたという事実も納得がいく。

 志々目家では跡継ぎの圭介が妻ではなく福子を選んだ、あるいは不義理に心を痛めた洋江が自らすすんで離れに身を置いたのである。福子は姉を貶めるためだけに圭介を利用した。そして、福子は圭介もろとも志々目家までも潰した──と推測できる。

 しかし、洋江が常識人であるという点は納得がいかない。島を焼くような女だ。まともな精神ではない。もしくは、そうせざるを得なかった事実でもあるのか。

 また、福子が島を復興するためにメギを復活させる意図が見えてこない。神が復活したからといって、死んだ人間は二度と戻ってこないというのに。

 絵莉は窓の外を見た。ここずっと曇り空が続いているせいか、町はどんよりと空気が重たい。

 一時間近く電車に揺られ、駅から歩いて椎羅が住んでいた家の跡地まで行く。その道すがら、絵莉は甲斐に電話を入れていた。

 しかし、

「っかしーな。全然出ないんだけど、あの人」

「仕事ですかね?」

 椎羅も不思議そうに首をかしげる。

 甲斐の本業はトラック運転手だ。もしかしたら今頃は運転中かもしれない。

「それでもさ、データ送ってくるだけ送ってなんの連絡もない。どうなってんだよ、あのおっさん」

 メールには本文がなく、PDFファイルをそのまま添付したものが送られてきたのだ。詳しい話を聞きたいのに連絡がつかない。違和感を覚えるも、その前に苛立ちが募る。

 絵莉はイライラと電話を切った。

「まぁ、こんだけ着信があればさすがに返してくれるでしょ」

「ですね……あ、こっちです」

 角を曲がり、狭い道路を通る。遠くに中学校らしき建物が見えた。

 静かな住宅が並ぶ町並みは、なんだか立川の事務所と似ている。確か、この近くに旧河井の家がある。父が死んだ後、事件を調べる際に訪ねたらすでにもぬけの殻だった。あの後、河井の妻と娘たちは引っ越しした。数々の爪痕を残し、多くの人を狂わせたこの事件の悲惨さを改めて感じる。

 やがて、椎羅は一軒の大きな屋敷の前で立ち止まった。『売家』と書かれたプレートが貼られた塀の向こうには真四角の家がある。駐車場、一階、二階、三階、屋上を順番に眺め、絵莉は「おぉ……」と情けない声を漏らした。

「おいおい、君、こんな豪邸に住んでたのか……」

「中古らしいですよ」

「中古でもすごいよ……君さ、うちのボロ家と比べてみ? どう考えてもこの中古は中古じゃないよ」

「さっきから何を言ってるんですか、絵莉さん」

 椎羅は心底呆れたような声で言う。絵莉も自分が何を言っているのか分からなくなった。

「まぁ、いいわ……で、何か思い出せそう?」

 訊くと、椎羅は目を閉じた。しばらく無言が続く。

「……小学校高学年くらいになると、よく地下室に閉じ込められていたんです。そこに像があったはず」

 彼は眉をひそめ、記憶の糸を手繰り寄せる。やがて椎羅は目をゆっくり開くと、おもむろに駐車場へ入った。絵莉も慌てて後をついていく。

「勝手に入っていいのかい」

「大丈夫でしょ。誰も見てない」

 軽く言い、椎羅はそのまま裏庭へ向かった。少し荒れた芝はややぬかるんでいる。裏手にはステンレスの勝手口があるが、椎羅はドアには目もくれず芝の一角で立ち止まった。足元には黒い鉄製の蓋みたいなものがある。取っ手をつまみ出し、勢いよく引く。

「んっ……硬い」

 それから彼は袖をまくって踏ん張った。いつもは涼しい顔つきの彼だが、珍しく顔を真っ赤にさせて重い扉を持ち上げる。ある程度持ち上がったところで、絵莉も支えた。

 ようやく扉が開き、コンクリートの階段が姿を表した。

「秘密の入り口だ!」

 絵莉は感心した声を上げた。椎羅は手をパンパン払い、階段を降りていく。絵莉も続いて地下室へ潜った。

 スマートフォンのライトをつけ、中を見渡す。階段の先には狭い廊下があったが、すぐに開けた場所へ入る。

「本当にここに像があったの?」

 絵莉は堪らず訊いた。地上も寒いが、地下室は一気に気温が低くなり、体温がどんどん奪われていくようだった。真っ暗なので不気味さも漂う。

 椎羅は辺りを見回した。

「はい、ありました。昔ここで、福子が林と一緒にいて……」

 彼の声が途切れる。

「椅子……に、座ってた」

 何か思い出したのか、彼の声はわずかに上ずる。

「どうしたの? 大丈夫?」

 なんだか様子がおかしい。絵莉は椎羅の腕を掴もうとした。しかし、それは腕ではなかったらしく、ズルリとバランスを崩して足元へ落ちていく。

「う、わっ」

 悲鳴を上げて飛び退き、絵莉はそれにライトを向けた。「え?」と声が漏れるも、耳に届いてこない。椎羅は壁に手をつき、こちらには反応を示さない。

 絵莉は思わず後ずさった。

「椎羅くん!」

 やっとの思いで声を上げると、彼はようやく振り返る。

「ねぇ、これ……」

 足元を照らして見せる。そこには白骨化した人間の頭蓋骨が転がっていた。

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