天賜の肉 3
街灯の光でその姿が顕になる。モッズコートを着たその人物は、フードをすっぽりかぶっており、顔が分からない。十代から二十代前半の青年か。背丈と靴の大きさからそう判断する。
「そうなんだろ、七人目」
椎羅の問いに、相手は何も答えなかった。様子を覗い、ゆっくり歩み寄ろうとしてくる。しかし突如、足を踏み出した格好のまま止まった。
「絵莉さん。向こうは今、動けないはずです。逃げてください」
「えっ」
とっさのことで理解が追いつかない。椎羅はじっと相手を見据えながら、なおも言う。
「早く。そう長くは持ちません」
絵莉は自力で立ち上がり、道の向こうへ駆け出した。ここをまっすぐ行けば大通りに出る。大通りに行けば犯人も追ってはこれないかも──しかし、相手は化物が乗り移った殺人犯である。大通りに出ればさらなる被害を生むかもしれない。
絵莉は進行方向を変えた。十字路の脇道へ潜り込み、来た道を睨む。
何も持たない椎羅がどうやって刃物を持つ相手と渡り合うのか。思えば、白源則子の時も黒田道香の時もその場面を見たことがない。しかし、彼はいつもその中心にいる。それは化物を祀る一族の末裔だからなのだろうか。
道を進む。辺りは不気味なほど静かだ。
電柱に身を潜め、先ほどの横断歩道まで進む。椎羅の背中が見える。彼は相手から奪ったのか、刃物を持っていた。
「椎羅くん……」
思わず声をかけながら近づくと、彼は冷たい目で振り返った。
「絵莉さん。戻ってきたんですか」
「え、うん。ついさっき……もうあいついないし、どうやってそれを」
訊くと、彼は刃物に目を落とした。
「僕が視界を奪うと、相手は理性を取り戻します。彼もまた正気に戻って、刃物を放り出して逃げました」
淡々と言う。そんな彼の様子を、絵莉は怪訝に見つめた。
「顔は見たの?」
「はい」
「その子、どんな顔して椎羅くんを見てた?」
絵莉は鋭く問う。彼は刃物を持つ手をピクリと動かし、顔を上げた。
「椎羅くんの顔を見て、自分が何をしようとしたのか分かってたのか訊いてるんだよ。正気を取り戻した、だけじゃ分かんない。故意に近づいた可能性もある」
「そう……ですね」
「別に私は怒ってるわけじゃないんだ。君が究極に会話が下手くそだってのは分かってるよ。んで、どうなの? どういう反応だった?」
苦笑しながら言うと、椎羅は安心したように表情を緩めた。そして道の向こう側を見つめながら言う。
「最初は驚いてました。我に返ったような表情だったけど、すぐに真顔に戻って何か呟きました。聞こえなかったけど。それから、これを捨てて走って消えたんです」
「黒田さんみたいに進行してた感じはある?」
「いや、まだ日が浅いのかも」
「オーケー。んじゃ、明日からその少年を探してみよう。椎羅くんは引き続き、アクセスしてみて」
「分かりました」
それから二人は事件現場へは行かず、家に戻った。その際、椎羅にアクセスさせて少年の居場所を探っていた。もし近くにいるようなら接触を避けたい。なんとか遠回りせずに済んだが、近所に住んでいる可能性がある以上、油断はできない。
「──考えたんだけどさ」
家に戻ってすぐ、絵莉は言った。
「向こうはどうして私たちを狙ったんだろう?」
「……どういう意味です?」
椎羅が訊く。首を傾げ、眉をひそめている。絵莉はブーツを脱ぎながら返した。
「人を殺すのが目的なら大通りに行けばいい。でも、わざわざ人のいない場所で刃物を持って現れた。おかしいよね。私たちがあそこにいるのを知っていたみたいだ……正気じゃないはず、なのに……」
椎羅はゴクリと唾を飲んだ。一方、絵莉は落ち着き払って続ける。
「要するにその少年は、人を選んで殺そうとしているんだと思う」
「僕らを狙っていたということですか?」
「そう」
絵莉はあっけらかんと言い放った。すると、椎羅は空いている方の手で額を抑えた。
「なるほど……そういうことか」
何やらひらめいたらしい。絵莉はブーツを脱ぎ終え、ダイニングに入ると彼も後を追うようについてくる。同時に腰掛け、顔を見合わせた。
「僕は今まで一方的にアクセスしていると思っていましたが、どうやらそういうことじゃないんですね。今回はとくに」
七人目の少年は、椎羅の視界を介して故意に近づいてきた。あるいは、視覚以外の何かで椎羅の居場所を特定している。
今までの臓器を移植された者たちは正気じゃなく、化物に乗っ取られたように殺戮を行っていた。それは臓器の適合が良好であっても化物と適合していなかったせいなのかもしれない。
おそらく、その少年は化物に適合する人間──あるいは、化物の支配が完了しておりなおかつ受け入れている人間だ。
「前から疑問だったんです。僕だけがアクセスできる意味が分からなかった。でも、本当はみんなできたはずなんですよね。したくなかっただけで」
その言葉に、絵莉はハッと顔を上げた。
「じゃあ、みんなは抗っていたのかな……化物になってしまうのを嫌がっていた」
「そりゃそうですよ。誰だって化物になんかなりたくない」
椎羅が言い張る。彼は絵莉の言いたいことが掴めていないようだった。絵莉もまたうまく言葉が紡げず、後を濁す。
「……ともかく早く手を打ったほうがいいね」
絵莉の言葉に椎羅は深く頷き、テーブルに置いた刃物を苦々しく見つめた。
「そうですね。僕と接触した以上、叔母も察知しているだろうし……」
「そもそもさぁ、叔母さんはどうやって君の居場所を特定してるんだろう? 叔母さんも洋江と同じように能力を持ってるの?」
以前、椎羅はししめ星子にはなんの能力もないと言っていたことを思い出す。では、自分と同じただの人間が甥の居場所を特定し、化物の覚醒を促しているのはどう説明するのだろうか。その疑問が解消できない以上、考えが前に進まない。
椎羅は顎をつまんで慎重に言った。
「化物を呼び寄せるような力があるのかもしれない」
「そう言い切れる根拠は? なんの能力も持ってないんでしょ? 洋江も福子は何も持ってないって」
「………」
椎羅は黙り込んだ。答えが出ないのか、それとも何か隠しているのか、絵莉には判断できなかった。探るような目つきをしたからか、椎羅は慌てて言った。
「僕もまだ分かってないことがあるんです。あの島と化物の関係を調べないことにはまだなんとも……母も知らない叔母の力があったのかもしれないですし。それが分かれば、きっとすべてが分かるはずです」
どうやら本当に見当がつかないようだ。絵莉は椅子にもたれて「そうね」と脱力気味に言った。
「あ、そうだ。いろいろあって忘れてたんですが、黒田さんから預かってきたものが」
椎羅が思い出したように言い、ズボンのポケットを探る。すかさず絵莉はテーブルをトンと叩いて抗議した。
「おいこら、そういうのは先に出せよ!」
「すみません。七人目に気を取られてて……これです」
困ったように眉を下げながら彼はメモ用紙を引っ張り出した。
誰かの連絡先が書いてある。名は
「黒田さんの大学時代の同期です。今は考古学の准教授だそうで、島のことに詳しいかもしれません。黒田さんもこの方に話を聞こうと思っていたようですが会えず……」
「なるほど……」
絵莉は神妙に唸った。そして「ちょっと嫌だけど」と言いながらスマートフォンを出す。甲斐の番号を押してみるも、電話がつながらない。
「オッケー、分かった。後で改めてメールしてみる。そのへんは甲斐さんに頼もう。で、私たちは少年に接触し、そこに出てくるかもしれない福子を探す。次の犠牲者を出す前にね」
そう締めくくり、絵莉は大きく伸びをした。急に疲れがどっと押し寄せてくる。
「お風呂入ってくる……」
すると、椎羅は「分かりました」と言っていつものように目を閉じた。風呂から上がった頃には、七人目の詳細が分かっているだろう。そう考えながら絵莉はつかの間の休息に入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます