夭鳥の目 3

 白源則子の死の瞬間を椎羅は視ていた。彼女はがんじがらめに拘束され、厳重に網が張り巡らされた特殊な部屋に閉じ込められていた。それはなんだか猛獣の舎のようであり、その中で彼女は唐突に息絶えた。死んだことにすぐ気づけないほど、呆気なく死んだ。

 白源則子の家族は世間的にバッシングされ、当時小学生だった末孫は引きこもりになっているらしい。そんなプライベートを一切無視した記事が週刊誌にいまだ掲載され続けている。

 白源則子が殺したのは五人だった。老人二人、職員二人、そして入居希望者家族一人──司城の死はそうした扱いを受けたが、司城の身元や遺族に関する記事はなく、もっぱら世間は施設利用者と職員の対立を煽るような記事が世間にウケた。それから『過酷な生活を強いられる利用者の逆襲』という見出しが出たことで事件は『職員からの虐待を訴えた施設利用者による暴走』なのだと世の中に浸透した。『白源則子は高齢者の味方である』と彼女を擁護する記事も出回ったが、真相は謎のまま風化しようとしている。

「というのも、誰もあの状況を理解してないからです。ただ、あの施設が利用者に虐待をしていたという証言が出たので、そういうストーリーにしたんでしょう」

 バスの中で椎羅は静かに話した。窓際に座る絵莉は外を眺めながらぼんやりと返す。

「あれ書いたの、松崎さんらしいよ。父さんの後輩」

「あぁ、はい。僕が頼んだんです。あのニュースが報道された時に電話しました。って」

 その答えに、絵莉は目を見開いて首を回した。椎羅を見る。彼は真正面をただ真っ直ぐに見つめており、こちらの驚きにさして興味がなさそうだった。

「……匿名の電話って君だったのか」

 当時、被害者である父のことを根掘り葉掘り聞く記者は少なかった。その後すぐ祖父母の家へ引き取られ家にこもる生活をしていたから、マスコミがこないのだろうと思っていたが、仕事で松崎と話をすることも度々あり、そこで偶然聞いたのが『匿名の電話があったから司城を記事にしなかった』というものだった。

「松崎さん、あの記事のおかげで出世したんだよな……匿名電話のおかげだって言ってたよ。でなきゃ、すぐに父さんをこき下ろす記事を書いただろうね、あの人。ははは」

 絵莉はクマだらけな松崎の顔を思い出しながら薄く笑った。松崎は司城を恨んでいた。新聞社時代は司城の小間使いみたいなこともやらされていたと絵莉に愚痴をこぼすことがしばしばある。そんなことを話せば、椎羅は「へぇ」と興味なさそうに相槌を打った。

「なんで口止めしたの?」

 訊くと彼は居心地悪そうに腕を組んでシートにもたれた。顔を覗き込む。椎羅は嫌そうに少し脇へズレた。それでもしつこく顔を覗き込めば、彼は観念したように口を開いた。

「絵莉さんを、マスコミから守るため、です」

 その言葉はなんとなく想定内だったので、絵莉はニヤリと笑って元に居直った。

「やだ、超イケメン」

 たっぷり冷やかしてやると、彼はそっぽを向いた。


 冬の海は灰色に濁っており、荒々しく波がうねる。刺すように鋭い切れ味の横風に煽られながら二人は、その人物がいるマンションに辿り着いた。絵莉はあらかじめ持たされている合鍵でオートロックを開けた。

 エレベーターで五階まで上がる間、あまりの寒さに口をきくのが億劫だった二人は終始無言だった。椎羅はここまでの道のりで「どこへ行くのか」と一度も聞きはしなかった。五〇三と書かれた部屋の前まで来て、ようやく絵莉は彼に問う。

「誰の家か分かる?」

「黒田香道さんの家、ですよね」

「ほーう。よく分かったね」

「そりゃ、白源則子のが黒田さんですからね」

 椎羅は簡潔に答えた。やはり彼はすべて視えているのだろう。絵莉は頷いてインターホンを鳴らした。

「普段は淡々としてて大人しいのにキレた時はネチネチ言うタイプの教師いたじゃん? あんな感じの人だよ」

 玄関が開くまで、絵莉は小馬鹿に笑いながら言った。

 すると数秒後、玄関を細く開ける中年男性の目がギョロリとこちらを見た。

「やっと来たか。遅いぞ」

「すみませんねぇ、黒田さん。この子ったら山奥に引きこもってたから」

 絵莉は馴れ馴れしく笑いながら言い、ドアを大きく開けた。

 黒田は皮とわずかな毛髪をつけたかのような骸骨じみた見た目だが、年齢は六十八歳であり同年代の男性に比べて老けて見える。彼は足を引きずりながら後ずさり、二人を部屋へ招き入れた。

 黒田家はストーブが焚かれており、あっという間にコートが邪魔になるほど蒸し暑い。リビングとダイニング、部屋が二つほどあるのか、ざっと見積もって2LDKの家である。ベランダからは海原が臨め、今は荒波が鮮明に見える。

「黒田さんは一人でここに引越してきたんだよ」

 マフラーを外しながら絵莉が言うと、キッチンでよたよた動く黒田がそっけなく返事した。

「そうだよ。妻と子供は置いてきた」

 彼は不機嫌そうに鼻を鳴らして、小さな缶コーヒーを三本持ってきた。常温だ。

 椎羅はコートを脱いでいる。黒田がダイニングテーブルに座ってから二人も腰掛けた。絵莉がさっそくコーヒーを開ける。

「いやいや、やっと会えたなぁ。君が最後の一人なんだろ?」

 黒田が椎羅を見ながら言う。

「はい」

 椎羅が答えると、黒田は口角を引きつらせて笑った。コーヒーを開けずに指を組んで唇を舐める。

「司城、君はどこまでを彼に話したんだ?」

「黒田さんが話したいって言うから連れてきただけですよ」

 絵莉が言うと黒田はやれやれと首を振った。「使えねぇな」とぼやく声に絵莉は眉を動かすも何も言い返さずにいた。

「そうだな……じゃあ、久しぶりに長話でもするか」

 そう切り出すと黒田は長い息を吐いた。

「俺は元教師だ。県立の高校で社会を教えていた。今とはまったく違うが、かなり大柄だったんだ。暴飲暴食が趣味みたいなところがあったが、病気になってから一気に体がボロボロになってな。移植したんだ。もう十一年も前になる」

 椎羅は相槌もなくただ静かに耳を傾けている。黒田は缶コーヒーを開けながら続けた。

「そもそも大手術でな。助かる見込みもないし、術後も生きてられるか分からなかったんだよ。それが不思議と順調にいって、なんとか生きてるが……」

 彼は言葉を切り、コーヒーを含んだ。

「二年前だな。異変が起きたのは。無性にが食いたくなったんだ。俺は大食らいだったが生物なまものは受け付けないから不思議に思ったよ。それから夢を見るようになった。知らない女が出てくる夢だ」

 その話は河井節生が言っていたことと重なる。しかし河井の場合は食事の趣向が変わったわけではなく、人を殺したい願望が湧いたというものだった。

「病気になってからは食事制限もしているが、そもそも生肉は食うもんじゃない。医者も原因が分からんときたものだ。医者がダメなら坊主だなと思って寺に通い始めた。それでアドバイスをもらって日記をつけることにしたんだよ」

 そう言って彼は足元に置いていたのか、大学ノートの束をテーブルに置いた。絵莉は頬杖をついている。椎羅は微動だにしない。黒田はノートを開けとばかりに一冊目を指差した。

「食事はきちんとしているつもりなのに日に日に飢餓感が増す。どんどん痩せる。原因はなんなのか……そうしたら夢にが出てきて言った」

 椎羅がノートを開く。

【あの人たちを殺さなければいけない】

「あの人たち……?」

 椎羅が訊く。その問いに黒田も不思議そうな顔をした。

「君はまだを夢に見ないのか?」

「まだ……です」

 椎羅は考えるように慎重な声音で答えた。一方、黒田は天井を仰いだ。

「そうか、まだか……それとも〝目〟なら、おかしくなることはないのかね」

 独り言のように呟く黒田。彼は自嘲気味に笑いながらまたも呟いた。

「君が制止してくれているおかげで、俺は正気でいられるんだろう。君の目とリンクしているなんて気持ち悪いけどな」

 椎羅の目とリンクしていると気がついたのは二年前のことだ。河井のメモにあった黒田の居場所を突き止めた絵莉は黒田本人からその話を聞いた。その当時の彼はまだ自身に宿った異常に不安を覚えていた頃であり、見た目も巨漢だった。たった二年で人を変えてしまうほどの飢餓感というのは想像を絶するものだろうが、久留島や足立、河井、白源とは違う理性が残っていた。それが移植した臓器のせいか、黒田の意思によるものかは定かではない。黒田本人もよく分かっていないのだ。

 そもそも河井はなぜ黒田に目をつけたのか──あの当時に同じ病院で臓器移植を受けた人物、しかも心臓、肺、腎臓、膵臓、小腸以外の臓器である肝臓移植者は黒田しか該当しなかった。それだけで河井が睨んでいた『あの女』の臓器である確証はなかったが、現にこうして不思議な現象に悩まされているので断定していいだろうと絵莉は考えている。

 ある日、黒田は起きている間に白昼夢を見ることがあった。それが何度も起こり、ノートの文字を読むことができた。そうして視界を共有し、言葉を交わすことに成功した。

「絵莉さんのお父さんに言われてからずっと練習してたんです。僕の〝目〟が次の人にアクセスできるかどうか。成功しましたね」

 椎羅が言い、黒田はまた口を引きつらせて笑った。それを横目に絵莉はつまらなそうに言った。

「それなのにあんたは黒田さんに会いに行こうとしなかったじゃん」

「まぁ、僕もありますから。それに抑制ができればいいんです。不思議と視界を共有している間は正気でいられるみたいだから会う必要まではないかなと」

 椎羅の言葉に黒田は頷いた。

 すると絵莉は真面目な声で言った。

「でもさー、何か会った時は不安じゃん。いっそ一緒に住んだら? そうすりゃ、化物に取り憑かれた者同士うまく共生できるでしょ」

「馬鹿言うな」

「冗談ですよ、冗談。あははは」

 食い気味に断る黒田に絵莉は苦笑した。

「ともかく、今分かってるのは『あの女』の標的は黒田さんで五人目ということ。椎羅くんの目があればなんとか正気でいられること」

「あとは『あの女』=臓器提供者であること。僕で最後だということ。ですね」

 絵莉の言葉を椎羅が引き継ぐ。黒田は椅子にもたれた。

「そういうことだな……ったく、とんでもないもんを体に入れられたもんだ。本当に俺も久留島や白源みたいな大罪人になるのか……」

「そうならないようになんとかしましょ」

 絵莉が締めると、黒田は渇いた声で笑った。

「ちなみに、どうして椎羅くんで最後だって断定できるの?」

 絵莉が訊く。すると、椎羅と黒田は顔を見合わせた。

「一人の人間から提供できる臓器がすべて出尽くしてるからです。心臓、肺、腎臓、膵臓、小腸、肝臓、角膜。それぞれ当てはまります」

 椎羅の言葉と同時に黒田はノートに鉛筆で書き留めた。

「しかもこれは移植手術した順でもある。そうだろ」

 黒田の問いに椎羅が頷く。絵莉はノートを覗き込んだ。


 ①心臓→久留島玲香

 ②肺→足立隆治

 ③腎臓・膵臓→河井節生

 ④小腸→白源則子

 ⑤肝臓→黒田香道

 ⑥角膜→志々目椎羅


「なぁるほど」

 そう楽観的な声で納得し、ポンと手を打った。

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