夭鳥の目 4

【8月18日 女は肩までの黒髪。ストレート。うす顔だが美人。セーラー服を着用。】

【8月21日 またあの女が出てきた。海で遊ぶ少女たち。楽しそうに笑う。穏やかな記憶のようだが、なぜかあの少女だけ遊びに参加しない。】

【8月22日 彼女はグループの中で飛び抜けて背が高く、年長者の様子だった。姉だろうか。しかしどれも顔が似ていないので幼馴染か。】

【8月25日 どうやら彼女は島に住んでいるらしい。ようやく言葉を聞くことができた。それまで無声映画のようだった。名前はヒロエ。年下の少女はフクコ。ヒロエとフクコは仲がいい。フクコが「ヒロエちゃん」と呼ぶのが印象的。フクコ……大きな目、痩せすぎ、よく笑う。中学生くらい。】

【8月30日 どうやら自分も夢の中で彼女たちと一緒にいる様子で、さながら視聴者から演者へとランクが変わったような気分。ヒロエは島を案内すると約束して去った。】

【9月1日 ヒロエに会う。自分の体は今バラバラで、不完全な状態とのこと。ヒロエたちが遊び場にする場所は海岸であり、入り江に洞窟がある。その反対側が本土へ行く連絡船などがある港。島の周囲には、ガードレールの代わりに注連縄のようなものがかかっている。異様である。】

【9月2日 ヒロエに教えてもらう。ヒロエの目を持つ男の子がいる。その子を探していると。またヒロエは誰かを殺害する計画を立てている様子だった。やめたほうがいいと忠告したが聞き入れられなかった。】

【9月10日 久しぶりに眠ったのでヒロエに会う。彼女は「あの人たちを殺さなきゃ」と言う。「あの人たち」とは誰だ?】

【9月26日 思えば眠らなくなって長い時間が経った。飢餓感もある。生肉が食いたい。食えないと思うと余計に食いたい。ヒロエには会えなかった。もう「あの人たち」を殺してしまったのだろうか?】

【9月27日 最近、眠っているのかいないのか分からないことがある。おまけに最近は妙な場面を見ることがある。ヒロエの視界である。彼女の視線の先はいつも燃えている。大規模な火事か。】

【10月3日 真っ黒な波に揺られている。背後では黒煙が上がる。炎がじゃくじゃくと木材を喰む音が鼓膜を突き抜ける。生々しい惨劇が現実のものだと実感していく。そうか、ついにやったんだな。】

【10月6日 あの人たちを殺さなければいけなかった。どうしようもなかった。あの子に抑えられるはずがない。だってあの子は力を持たずに生まれた哀れな子供。●●様に選ばれなかったから。たったそれだけのことだった。】

【10月10日 島から本土へ向かう。私は働く。私達は私達の人生を生きる。もう「あの人たち」に支配されず、振り回されずに生きていく。】

【10月11日 ヒロエが書いたのだろうか。なんだか取り憑かれたみたいだ。それならば、自分も殺人鬼になってしまうのだろうか。生肉、すなわち人肉を欲しているのではないか。そう思えて仕方がない。】

【10月13日 彼女の記憶は振り出しに戻ってしまった。「あの人たち」を殺そうとしている。】

【12月14日 三度目の振り出し。】

【12月15日 なぜか無性に潮風に当たりたいと思う。ヒロエのせいだ。ヒロエが海を恋しがる。】

【12月30日 四度目の振り出し。】


 自宅に戻った絵莉と椎羅は黙々と黒田のノートを読んでいた。それ以降、ページは白紙だった。つまり、それ以降黒田は睡眠を取っていないのだと考えられる。

 絵莉と椎羅はじっくり読み、ノートを閉じて一息ついた。

 風がガタガタと窓を激しく叩き、絵莉はふいに外に目をやる。

「絵莉さん」

 椎羅が言う。

「どうして黒田さんに会おうと思ったんですか?」

「うーん」

 タバコの箱を爪で叩きながら絵莉は言葉を考える。

「まず、君の居場所を探そうとあれこれ調べてたら見つけたんだよ。父さんが河井さんに託されたメモをね。多分、父さんのことだから黒田さんのところへ行くつもりだったと思うんだ。それに、もしすでに黒田さんとコンタクトが取れていたなら何か話を聞けるかもと思って」

 しかし、父は黒田に会う前に死んだ。

「黒田さんに話を聞いて、椎羅くんのことを知って、居場所を突き止めて今に至るって感じだな。いやいや、探偵ってさ地道な作業の繰り返しで嫌になっちゃうね。その間にも依頼はくるしさ」

「依頼、受けてるんですね」

 椎羅がわずかに興味を示した。絵莉はタバコを出して彼にアイコンタクトを送る。「どうぞ」と言うように頷くので、絵莉はすぐさま火をつけた。

「まー、いろいろね。ペットの捜索、人探し、人生相談、浮気調査などなど。場数を踏んで、人間の裏側を知って、おかげで心は荒んでボロボロ。ついでに内臓もボロボロ。薬とタバコでかなりやられてんだろうな。ははは」

 絵莉は煙を吐いて苦笑した。そうして〝内臓〟からふと連想する。久留島、足立、河井、白源、黒田。

「健康になりたくて手術したのに、その臓器が実は化物に変身しちゃうヤバいもので、あの人たちの人生を狂わせた……なんて残酷な話だろうか」

 椎羅は神妙な面持ちで黙りこくっている。絵莉は深く煙を吸い、吐いたついでに言葉も吐く。

「だってね、あの人たちはみんな過去に何か罪を犯したわけじゃない。そりゃ性格に難ありだったかもしれないよ。久留島なんてかなりのメンヘラちゃんだったみたいだし? 足立も借金あったし、家族仲は良くなかった。河井さんも仕事人間だし。でも、白源はそうじゃなかった」

「というと?」

「あの人はすごく気が弱くて、とにかく腰の低い人だったって。あんなことをするような人じゃありませんでした。何かの間違いです。彼女はとても大人しくて他人に馬鹿にされても笑っているお婆ちゃんでした……ってさ。そんな人を夜叉に変えちゃうんだから」

「………」

「ま、そういう人ほど腹の中では何考えてるか分かんないものだけどね。実は恨みつらみ溜まってました、とか。そういう人ほど精神疾患に罹ると人が変わったようになるし、認知症もあったみたいだし……でも」

 椎羅が口を開きかけたので絵莉が素早く言葉をつなぐ。

「君が見た白源はそういう類のものではなかったわけで。分かってるよ。父さんのあの死に方、どう考えてもおかしいし。まるで何かに食べられたかのような……」

 絵莉は口をつぐんだ。思い出さないようにする。

「なるほどなるほど……そのヒロエって女がなんらかの影響で死に、その臓器が提供された。ヒロエは島を焼いた異常者なんでしょ。それにしちゃ、みんな人間離れしすぎな暴れ方をしてるよね」

 言いながら思考がまとまる。絵莉の言葉に、椎羅は同調するように頷いた。

「ヒロエの故郷は島……その島から逃げ出した。何が彼女をそうさせたのか」

 すると、椎羅はノートを広げ、一文を指し示した。


【10月6日 あの人たちを殺さなければいけなかった。どうしようもなかった。あの子に抑えられるはずがない。だってあの子は力を持たずに生まれた哀れな子供。●●様に選ばれなかったから。たったそれだけのことだった。】


「この塗りつぶされた●●様というのが引っかかります」

「そうだね」

 絵莉はそっけなく返した。信仰や宗教などはあまり興味がない分野なので、考えることが億劫だ。しかし椎羅は話を広げようとする。

「島では何らかの信仰があったのでしょうか」

「あー、まぁ、あるだろうね……古くからの習わし。因習、か。神様として祀っているものが実は化物でした、みたいな? それを倒そうとしたけどヒロエの体に乗り移っていました的な?」

 絵莉は思いつきを口にした。突拍子もない。そんなことが本当にあるものか。化物になるというのも単なる比喩であり、本当はそうなるに至った精神の破壊、または病気などではないか。だからふざけて言ってみたのだが、椎羅の表情は真剣だった。

「あながち間違いではないかもしれません」

「えっ……」

「これは神様なのかもしれません。彼らには崇拝する神がいた。それを倒したけれど、神は化物となって甦ろうとしている。ヒロエはもともと人柱、もしくは御神体という可能性が……」

「待って待って。冗談で言ってんのに真に受けるなって」

 椎羅の言葉を遮る絵莉。タバコを灰皿でもみ消し、身を乗り出す。しかし、黒田のノートを見る限りではその説が濃厚のような気がしてきた。手のひらがじっとりと汗ばむ。

「白源さんの中で何かが育ち、それが。バラけていた臓器を取り戻して、完全な化物になろうとしている。そんな突拍子もないことが思い浮かびます」

「……仮にその線でいくとして、化物を完全復活させないためにはどうしたらいいんだよ」

 訊くと、椎羅は苦々しく顔をしかめた。言いにくいのか、考えているのか判然としない。絵莉は堪らず言葉を連ねた。

「だって、ヒロエが倒せなかった相手でしょ。今までの流れからして、自死も意味ないわけでさ」

「自死はそもそも、化物がさせたのかもしれない……」

 椎羅が低い声で言う。絵莉もまたその結論に至り、なぜか急にカタツムリを思い浮かべた。触覚部分が異様に太った奇形のカタツムリ──

「……カタツムリをトリに食べさせて殺す寄生虫、知ってる?」

 その問いに、椎羅は不意を突かれたように戸惑ったが、口を引きつらせながら答えた。

「ハリガネムシでしたっけ?」

「それはカマキリの寄生虫。カタツムリに寄生するのはロイコクロリディウム」

 静かに答えると、椎羅は「あぁ」と腑に落ちない様子で返事した。

「きっとその化物は、そういうのと同じなんだろうね」

 寄生した虫が宿主カタツムリを洗脳し最終宿主トリに食べさせる。最終宿主に辿り着くために中間宿主を経由しているのだ。

 それと同じく、今は亡き島の神が化物として甦るために人体を経由している。では、最後の一人となった場合、化物はどうなるのだろうか。

 絵莉は目の前の椎羅を見た。彼もやはり化物のようになってしまうのだろうか。思わず身震いし、タバコを出した。さっきまで吸っていたのに無意識に欲している。なんだろう。その自然な動作すら、今は何かに操作されているかのような不気味さを感じてしまう。己の意思でそうしているのか分からなくなる。

 椎羅はもっと深刻な顔つきだった。じっと見つめていたからか、彼も絵莉の視線に気が付き、口を開く。

「絵莉さん、変わりましたよね」

「え、何が?」

 唐突に話を変えられ、面食らう。対し、椎羅は淡々と続けた。

「昔はタバコ吸うようなタイプじゃなかったと思います」

 その言葉に絵莉はしばらく目を瞬かせ、苦々しく目をそらした。

「あぁ……まぁね。なんというか……鎧、かな」

 椎羅は答えなかった。ただ残念そうな目をして絵莉を見つめている。

「仕方ないじゃん。こうでもしないとやってけないんだわ」

 なんだかムキになり、タバコをケースに仕舞った。

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