神子の命 6

 メギとははるか昔、平安時代に生まれた化物だ。子を産む前に死んだ女を鳥に喰わせたことで、その鳥に女の霊魂が取り憑いたという。メギは島民たちを襲っていたが、神として祀ることで事なきを得た。

 その後、島民たちは三日三晩寝ずに働くことができる能力を備えた。賊徒襲来の折、島民たちは賊徒を打ち負かした。そのことからいつしか彼らはメギを神として崇めるようになった。またメギの怒りに触れないよういくつかルールを設けた。

「そんな……なんて残酷な……」

 甲斐の説明をすべて聞いた絵莉は、漁船の中で絶句していた。

「絶海の孤島、独特な因習文化──これらは日本の各地どこにでもある。今もまだ残っているところもあろう。それほどに人と文化というのは切っても切れない呪いなんよ。だんだん廃れていきようけど、それでもまだまだ……伝説が独り歩きして、本来の意味を失っても信仰だけが続く。今回は、そんな信仰の末端が無知ゆえに引き起こした悲劇なんやろうな……」

 〝知らなかった〟では済まされないところまできている。もし、巨大な力を蓄えたメギがまた島から出たとしたら──

 絵莉は首を振った。その場合は、椎羅もメギに取り込まれていることになる。そんな結末にはさせない。

「どうやったら倒せるんですか? 椎羅くんを助けるにはどうしたら……」

「メギを椎羅くんから引き剥がし、また新しい肉体を用意するほかない」

 甲斐は苦々しく言った。その表情から、彼も最悪な事態を避けたいと思っているのだろうが、諦めも滲んでいる。

「そんなことしたら、また誰かが犠牲になる……犠牲を出さずにヤツを倒す方法はないの?」

「んなもんあったら、とっくの昔にやっとるって。島の連中がそうせんかったのは、倒す方法がないからよ」

 そう笑い飛ばすが、甲斐の表情はなおも硬い。絵莉が眉をひそめるので、甲斐はごほんと咳払いして静かに言った。

「洋江はきっと、浄化するつもりで島に火を放ったんやろう……」

「浄化……お祓いってこと?」

「簡単に言えばそうやな。メギは女の霊魂が鳥に移ってできたバケモン……だから炎で浄化しようとしたんやろう。ほら、お焚き上げって言うやろ? あれは寺社の篝火かがりびとか護摩焚ごまたきからきとるっちゃん。火には清めの力がある。おそらく、それを真似たかなんかして、島を焼いたんやな……あとは、連れ戻されんように」

「洋江は逃げたかったんだ……そんな恐ろしい島にいられるわけがないもんね……」

 想像する。自分の体がよく分からない神の御神体となることを知った少女の苦悩──それはとてつもない恐怖だったろう。明るい夢を抱いて、いつか島を出ることに憧れを持っていたかもしれない。それなのに、人生のすべてを神に捧げなくてはいけないのだ。

 洋江の絶望を推し量るには心の容量が足りない。絵莉は目の前に浮かぶ孤島を見つめた。

「もうすぐ島に着く。風見先生がきっと椎羅くんを連れ戻してくれるはず」

 甲斐は絵莉を励ますように言ったが、彼の目にはすでに諦めがある。絵莉は返事をせず、いまだ軋む体に呻きながら立ち上がった。

「ねぇ……」

 前方の山に真っ赤な火花が飛ぶ。

「あの山って、火山とかないですよね?」

 漁船の操縦士に訊く。

「ないよ。あそこは資源が少ないけんな、なーんにもない島よ」

 操縦士の男は無愛想に答えた。

「でも、あそこに火花が」

 絵莉の声にかぶせるようにして、甲斐が叫んだ。

「いかん! 椎羅くん、またおんなじことやる気やぞ!」

 その予感は的中した。山の麓から炎が燃え上がる。

 操縦士は島から遠ざかろうと旋回した。

「ダメ、行って! お願い!」

「でも、危ないって……」

「お願いです! あそこにまだ人がいるんです!」

 絵莉は必死になって訴えた。操縦士は渋る。その時、甲斐が男の胸ぐらを掴んだ。

「いいけん、島まで運べ! あんた、あそこにおる人らを見殺しにする気か!」

 激しい剣幕でまくしたてると、舵取りの男はおどおどと船を島の方向へ戻した。船着き場ギリギリまでくると、甲斐が飛び出す。絵莉も続いて飛んだ。先に降りた甲斐が絵莉を受け止め、すぐさま二人は走り出す。

 火の手はまだ弱いものの、どこが燃えているのか特定できるほどに火柱が立っていた。


 ***


「無駄ですよ」

 旧帯刀家の草木が燃え上がる。持ってきていたオイルを撒いた、その中央に女が佇む。火を放った椎羅を真正面に見据え、冷笑を浮かべている。

「そんなことをしてもメギ様はあなたの中で生きてるんです。何度だって同じことをして蘇らせます」

 女は手にトリの像を持っていた。片手で握られるほどの小さな像は真っ赤に染まっている。それを彼女は愛しそうに撫でている。

「最後にまだ聞いてないことがあったな」

 椎羅は炎の外から彼女を睨みつけながら言った。

「志々目家を焼いたこと、福子を殺した理由はなんだ?」

 父、圭介の末路。そして福子の頭部らしきものが旧自宅の地下で転がっていたこと。

 一体何がどうして、そうなったのか想像がつかない。

 女は狂ったように笑った。くの字に曲げ、また鳥の啼声のような笑いを上げる。

「そうでしたね。志々目家は洋江がメギ様となってしまった時に、彼女を殺そうとしたんです。結果、洋江は脳死しました。それが不幸中の幸いで、私と福子は洋江が始末される前に志々目家を潰そうと考えました。圭介が生き残ってしまったのは想定外でしたが、まぁ、入院中の彼をおかしくさせることはできましたね。ほんの少し、怖い思いをさせただけです」

 そして、像を掲げて見せた。

「この像は私が作ったんです。メギ様の姿を忠実に再現しています。これ、何でできていると思います?」

 見当もつかない。

「ふふっ、洋江の骨です」

 彼女は像に頬ずりした。

「大腿骨を使いました。よく出来てるでしょう?」

 椎羅は呆れて言葉が出なかった。彼女の信仰心は常軌を逸している。理解し難い。

「でも、福子は途中でやめたんです。あなたのことが怖くなったんでしょうね。私の目を盗んであなたを何度か殺そうとしていました。福子は姉を殺してからおかしくなっていました。だから、白源則子に殺してもらおうと思いまして……あぁ、四年半前のことですね。幸運にもあなたが白源則子を見つけてくださったから、それが果たせました」

「は……」

 驚愕の声が口をついて出る。

「それから死んだあの人を地下室に閉じ込めて、私は福子に成りすましました。あなたを見届けなくてはいけませんでしたから」

 福子が地下室の椅子に座っていたのを見たことがある。その記憶が曖昧だ。その意味はなんなのだろう。だんだん思考が鈍っていく中、なんとか答えを探り当てる。

「まさか、僕にそう思い込ませようとしたのは……」

「はい、あなたは自分で記憶を消したんですよ。悲惨な死に方でしたし……あれを見た時のあなたはかなり混乱していました。司城さんが死んだ後でしたしね……だから、忘れなさいと言ったんです」

 彼女の言葉は本当だろうか。裏付けるものはない。けれど、自分の記憶がところどころ抜けている部分を補うには納得のいく真実でもある。

 昔からそうだった。自分がそう思い込めば、思ったとおりになる。嘘ではなくなる。事実を言葉で捻じ曲げることができる。

「私の誤算は田端侑希くんでした。まさかあなたでさえ感知できていなかった臓器がまだ残っていたなんて……私はあの子を探すためにあなたの側を離れなくてはいけなくなったんです。でもまぁ、なんとか事なきを得ましたね」

 すでにメギとして完成しかけていた田端侑希。彼の破壊が目的で、彼女は密かに探していたのだろう。だから目の前から姿を消した。そして、彼女が見つけるよりも先に侑希が椎羅たちの前に現れた。

「彼は、福子のことを知っていた。僕と視界を共有できるから……じゃあ、彼は白源の記憶から福子の死体を覚えていたと……」

「そこまでは存じませんが……なんにせよ、あなたが見つけやすいように、メギ様がそうしたんです」

 最終宿主である自分は、メギが探し続けていた御神体だ。ゆえに、白源も黒田も田端も異常な速さでメギに侵食されたのだ。

 骨が軋み、その場に立っているのも難しくなってきた。もう一刻の猶予はない。

「……それじゃあ、もうやり残したことはないな」

 椎羅はポツリと呟いた。それが女に聴こえていたかどうかは気にしない。

 炎が地面を舐める。女は炎に怯えるどころか愉快そうにこちらを見つめ続けるだけで大した脅威にはなり得ない。

 彼女の目的は、メギが住まうための島を復興すること。彼女はこの島で過ごしたひとときに救われ、盲目的に島を愛し、メギを慈しんでいる。メギが死なないと思い込んでいる。

 洋江と福子の敗因は無知だったことだ。それ以外に説明しようがない。炎で清めるには、自身を清める必要があったのだ。

 その前に、この妄執に満ちた女を排除しなければまた同じことが繰り返される。島の秘密はすべてここで始末をつける。

 椎羅は炎の中へ飛び込んだ。そして、驚く女の前に立ち、彼女の手を取って引っ張る。

「僕を産んでくれてありがとう、

 すると、彼女は両目を見開いた。その目で、彼女は何を捉えただろう。

「な……あ、あなた、何を……」

「何って、僕はあなたに感謝してるんだ。お母さん」

「やめなさい」

「どうして?」

 女が身をよじらして逃げようとする。しかし、離しはしない。

「やめて、そんなことしたら……椎羅……っ」

 メギは母という存在を許さない。憎んでいる。ゆえに、その存在を明らかにしてはいけない。母と呼んではいけない。

 椎羅は彼女の目に映る自分の姿を見た。そこにはドロドロとした血で象られた羽毛がびっしりと顔中に張り付いている。自分が自分の姿ではなくなる。そんな感覚が回るも、彼女の手を決して離しはしない。

 女の体に炎がまとわりつく。それでも。不思議と怖くない。それは彼女が実の母親だからというわけではなく、これでようやく終わりにできるという安心感だった。

「椎羅くん!」

 背後から声がする。振り返ると、絵莉がこちらへ駆け寄ってきていた。

「絵莉さん……」

 最後にひと目見たかったその顔が今、ここにある。ただ、彼女との約束を果たすことができない。それだけが心残りだ。

「さようなら」

 遠のく意識の中、椎羅はそれだけ告げた。

 手を伸ばす彼女だが、炎が勢いよく燃え上がり、近づけない。

 炎と共に悲鳴が上がる。燃え盛る炎は、まるで化物の啼声のごとき甲高い音を上げる。

 メギが女の体を飲み込む。バキバキと骨を折り、炎に抗おうと女の体を貪る。それはもう人の形を為してはいなかった。

 しかし、椎羅は自分にあてがわれたのが目で良かったと思った。

 すべてを見届けた上で死にたい。できることなら、生きる道を選びたかった。絵莉に出会って、自分も普通の生活ができるのだと期待した。わずかだったが、人として生きることができて嬉しかった。愛なんて大それたものは分からないけれど、彼女を思う気持ちはきっと本物だっただろう。それは自分の中に渦巻く彼らのものではないとはっきり言える。

 絵莉の顔を見て死ねるなら、本望だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る