神子の命 7
炎の中に、人と同等の大きさの鳥がいた。真っ赤なそのトリは炎の勢いに抗えず、苦しむように咆哮する。焦げ落ちる羽。焼け爛れる肉。異臭が鼻をつく。地獄と表すのにふさわしい光景だった。
絵莉はその場に座り込み、涙を流した。
甲斐と風見は呆然と立ちすくむ。
やがてトリの目が落ち、炎に溶かされていった。ひどく耳障りで、体の感覚を奪うような恐ろしい叫びがさんざめく。すべてを喰らった化け物の嘆きだろうか。それとも、犠牲になった人間たちの歓声だろうか。
──これでやっと終わる。
そんなことを心の片隅のどこかでふと思い、絵莉は業火を眺め続けた。
しばらくして炎は燃やすものを失い、自然と鎮火していった。
焼け跡には、なんの痕跡も残されておらず、まるで何もなかったかのように燻っている。
絵莉はおもむろにジャケットのポケットからタバコを取り出した。
その横では風見がようやく口を開く。
「……彼女の名は、なんだったのだろう」
彼女──椎羅の実母。その亡骸も残されてはいない。あのトリがすべて喰らった。
「もうおらん以上は知る術がないですね」
甲斐は冷たく言った。
「ともかく、あの女がしでかしたことは許されない。多くの犠牲者を生み出した。本当なら助かる命だったはずなのに理不尽に奪われた……ふさわしい最期だったんじゃないですかね」
風見は押し黙った。その場にしゃがみ、長い息をつく。
一方、絵莉は燃え殻にタバコを押し付け、火をつけた。その様子を見た甲斐が「おい」とたしなめるが、聞く耳を持たずに吸口を咥える。
その煙を吸い込み、ふぅっと空へと吐き出した。せめて彼が安らかに眠れるように──
「甲斐さん」
ふいに出した声が掠れていたので、絵莉は咳払いした。タバコを燻らせたまま静かに言う。
「ちょっと行きたいとこあるんで、連れてってもらえますか?」
***
絵莉は甲斐に案内してもらい『中洲占いバー、バイオレット』へ向かった。風見も連れて行く。
黒いカウンターと紫色の装飾品がゴテゴテと飾られた狭い空間。普段は酒を提供するが、客の要望があれば占いをするといったサービスが売りのバーである。
占い師ケイコはグラスを磨いていた。店のベルが鳴ったと同時に彼女は「いらっしゃい」と笑顔で顔を向けてきたが、来店者の顔を見て表情を曇らせた。
「よぉ、ケイコさん」
「なんよ。またアンタね? 最近、よう来よるばってん、ちゃんと仕事しとっとかいな」
強めの博多弁が飛び出す。甲斐は苦笑いを向けるだけで、陽気な返事はできないようだった。
ケイコは怪訝そうに甲斐の背後にいる絵莉と風見に目を向けた。
「そちらは?」
「あぁ、ほら、前話した絵莉ちゃん。んで、大学の准教授、風見先生」
「ふーん。珍しいお友達やね」
ケイコはやれやれといった様子で笑みを浮かべると、磨いていたグラスと布巾を置いた。そんな彼女の前に絵莉はすっと歩み寄り、カウンターの丸椅子に座った。台座が高いので足がつかない。
「先日はどうも、情報提供をありがとうございました。ケイコさん」
「ふふっ、お役に立てたなら良かったわぁ」
ケイコは愛想よく笑った。風見と甲斐は背後にあるバイオレットカラーのソファに腰掛ける。全員の神妙な顔つきに、ケイコは「あらやだ」と戯けたように笑った。
「なんなん、みんなして。不気味やねぇ」
そんな彼女に絵莉は静かな口調で問いかけた。
「あなたは、ししめ星羅──帯刀福子さんのお師匠さんですよね?」
「えぇ、そうよ。福子ちゃんね、あの子はすごくいい目を持っとったんよぉ。今まで会った中でいっちばん強い力やった。でも亡くなったんやってねぇ。そこの甲斐くんから聞いたとよ。残念ねぇ」
ケイコは切なそうに苦笑いした。
「それ、本当に福子さんでしたか?」
絵莉が鋭く訊く。その瞬間、ケイコは笑みを消したが、すぐ不思議そうに「なして?」と首を傾げた。
「福子さんには力なんてありませんでした。それは事実でしょう。それなのに、なんの力も持っていない彼女のことをどうしてそう評価するんですか? そして、ししめ星羅は二人だったことをどうして隠したんですか?」
帯刀福子のこと──ここに来るまでの間、あの女から発せられた真実を風見から聞いた。しかし、そこで絵莉は引っ掛かりを覚えたのだ。
福子が占い師として活動していたのは、あの女の力を借りていたからだ。それなのに、ケイコは甲斐に〝もう一人の妹〟の存在を明かさず、あたかも福子が愛弟子であるかのように教えた。
甲斐はその後、福子の霊を呼び〝もう一人の妹〟の存在を明らかにした。ここに事実のズレを感じる。
「師匠というより、あなたは洋江さんと福子さんの後見人、ですよね。志々目家から頼まれたので、引き受けることにした。けれど、そこには洋江と福子だけではなく、もう一人の少女がいた。それは、あなたが恐れ、あの島に追いやった実の娘──そうですよね? 志々目
絵莉の鋭い言葉に、甲斐と風見が息を呑む。対し、彼女は一瞬、無表情になったかと思えばすぐに相好を崩した。
「よう分かったねぇ」
絵莉は背筋の毛がゾワリと逆立つような悍ましさを感じた。
「いや、でも、それは待って、絵莉ちゃん」
甲斐が立ち上がる。
「だって、志々目家は福子とあの女が……」
「それは志々目家の本家のことです。でも、あの女の両親は本家の人間じゃない。洋江と福子がどうしてしばらくこの地で生活していたのか、それは彼女が世話をしていたからですよ。つまり、馨子さんは志々目家の分家であり、あの女の母親なのだと、私はそう思いました」
甲斐は脱力気味にソファへ戻った。風見は渋面をつくり、絵莉の背中越しに志々目馨子を見つめる。
「あなたはどうして、実の娘をあの島に引き渡したんですか。自分の子供なのに、平気だったんですか?」
風見の非難めいた問いに、馨子はクスリと笑って応じた。
「実の子供でも嫌いなものは嫌いなのよ。愛情を注げない子供だった。あの子は、とても恐ろしいから」
彼女の言葉から訛りが消えた。これが馨子の本当の姿なのだろう。彼女の笑みがあまりにも穏やかなので、絵莉も甲斐も押し黙っていた。
「私の母の兄も不思議な力を持っていたんですって。とても不気味でね。だって、言葉だけで虫や生き物を殺すことができたんだそうよ。だから母は兄のことを恐れていた。次は私が殺されるんじゃないかって怯えて暮らしていたんだと散々聞かされた。そして私にも不気味な子供が生まれた。あの子は私の内臓が本当にあるのか調べたかったんですって。実の娘から無邪気に腹を裂かれそうになったのよ……ねぇ、どうやって愛せるっていうの?」
風見は言葉をなくした。
一方、絵莉は馨子を責める言葉が見つからずにいた。甲斐も同様だろう。
「全部、あの島が悪いのよ。志々目家はね、あの島から脱出した人たちの中で唯一、島と一族を取りまとめる役目があった。本家の人たちもあの島のことを疎ましく思っていたでしょうね。できるなら関係を切りたかった。だから、洋江ちゃんたちが島を焼いたと聞いた時は解放された気分だったわ。あぁ、やっと終わったって……でも、あの子が残っていたし、あろうことか化け物も持ち帰ってきた」
「だからなんですか?」
絵莉が遮る。
「だから、あなたは自分の娘に島へ帰るよう仕向けたんですか?」
その言葉に、甲斐があっと息を呑む。おそらく風見も同じだろう。
洋江の中にいる化け物を分解し、椎羅に継がせる。その方法を編み出したのは、福子でもあの女でもない。十分な知識を持たない島の末裔たちが思いつくはずがない。志々目家は帯刀家とも深い繋がりがある。対処法や信仰の継続を知っていても不思議ではない。
「私は助言をしただけよ」
馨子は澄まして答えた。その態度に、絵莉は怒りを覚えた。
「ただメギを封じるだけでは、実の娘を島へ追いやることができない。だから、こんな回りくどい方法を教えたんですか」
「そうねぇ。だって、まさか生きてるなんて思わなかったんだもの。でも、幸いしたのはあの子が私のことを覚えてなかったこと……いや、どうだか。分かっていたかもしれないわね。ただ、あの子は島へ帰りたがっていたし、私はあの子を島へ戻したかった。不思議なものね、母娘って変なところがそっくりで」
そう言って彼女は場違いなほど甲高く笑った。
絵莉は息をつき、椅子から降り、これまでのことを思い返す。
母の死から随分と長い時間が経った。その間に父も死んだ。椎羅も失った。この結末に虚しさしか覚えない。
「あ、ねぇ。あの子は死んだのかしら?」
馨子が問う。
「娘さんだけでなくその息子、あなたの孫も死にましたよ」
冷たく吐き捨てると、馨子は笑いを引っ込めた。
「そう……」と小さく呟く。その意図は分からない。安堵だろうか。それとも彼女にも罪悪感の一欠片くらいはあるのだろうか。
しかし、絵莉はもう問いただす気はなく、店の戸を開けた。甲斐と風見が慌てて腰を浮かす。
最後に一瞥し、バーを後にした。
「ねぇ、甲斐さん」
絵莉はぼんやりと空を眺めながら声をかける。傍にいた甲斐は我に返ったように「ん?」と聞き返す。
「ししめ星羅っていう名前、誰がつけたの?」
なんとなく訊いてみるも、答えは思い浮かんでいる。甲斐は先ほどの衝撃的な事実を浴びたせいか口が重たい。やがて逡巡した後、彼はいつもの調子で返した。
「ケイコさん、やね」
「そっか……」
馨子が〝星羅〟と名付けたのは、福子ではなく実の娘に宛てたものだったのかもしれない。そもそも、彼女の名前こそが〝星羅〟だったのかもしれない。
志々目星羅。それがあの女の名前。
娘を疎ましく思う一方、彼女たちを占い師として育てたのは、娘が持つ力を恐れつつも認めていたからなのだろう。それが馨子にもあったかもしれないほんのわずかな親心であることを願うばかりだ。
親心と言えば、洋江は椎羅のことを愛していた。それがメギの性質によることからなのだろうが、それでもそこに本物の愛情があったのだと信じたい。
「そうでもしないと、浮かばれないよ」
絵莉は水っぽくなった鼻をすすった。
その後、風見と別れ、絵莉は甲斐と一緒に東京へ戻った。
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