第三章 天賜の肉

天賜の肉 1

『黒田さん、お伝えしたいことがあります。ただ、これは絵莉さんには言わないでほしいんです』

 絵莉には言えない。だからこれまでずっと、彼女とは接触しないようにしていた。しかし、それも限界だと悟ったのは、黒田が彼女に出会ったのを視たからだ。

 想定通り、彼女は父の死の真相を暴こうとしていた。かつての司城のように、彼女もまた復讐を考えていた。

 しかし、あの頃とは状況が違う。彼女を遠ざけたい一心で、嘘をつかざるを得なかった。

 椎羅は警察の事情聴取を滞りなく済ませ、東京へ戻る飛行機の中で今までの出来事を思い返していた。

 黒田は一人でやってきた椎羅を不審に思っていたが、その理由を聞いて驚愕していた。

『僕の母は志々目洋江といいます。黒田さんの夢に出てくるヒロエだと思います。また僕の叔母の名前は福子。ししめ星羅の本名です』

 それから椎羅はこれまでのことと、自分の目的について洗いざらい話した。

『僕が叔母に引き取られて、父は死んだと聞かされていましたが……実は生きてたんです。群馬の志々目家へ行って知りました。父は地元の病院に入院しており、精神状態が酷く、僕を見ても無反応ですが……彼が廃人になる前に書き記していた手紙を引き取ってきました』

 絵莉に会う前のことだ。父、志々目圭介けいすけの行方を追うために群馬の志々目家に向かったが、家はすでに解体され、広大な土地にはアパートが建てられていた。地域住民の話によれば、志々目家は数年前に火事となり、生存者がほとんどいなかったという。不幸中の幸いか、父の圭介だけは一命をとりとめたものの長く病院で入院生活をしている。父に会いに何度か通っても見向きされないので、一日を棒に振ることがしばしばだった。

 だが、ある日、見舞いに来た際、看護師から一通の手紙を渡された。

『それがこれです』

 薄い茶封筒に何通もの便箋が折りたたまれて入っているそれを、黒田は怪訝そうに開いて見た。

『そこには、僕の母と叔母のことが書かれています。島を焼き、逃げたという洋江と福子の話です。黒田さんが見た夢と一致しています』

『確かに一致するな。でも、どうしてこれを俺だけに見せるんだ。それこそ司城に見せるべきじゃないか?』

『絵莉さんは、自分の父親の仇を討ちたいんだと思います。そうなれば、おそらく仇は僕の両親であり叔母です。でも、父と叔母を殺されるわけにはいかないんです』

『身内だからな』

 黒田はフンと鼻を鳴らした。

『身内ですけど、彼らを家族だとは思ってません。死のうがどうなろうが勝手ですが、その前に僕は自分のことを知りたい。僕たちがどうして化物になる臓器を埋め込まれているのか、その目的はなんなのか──母と叔母が故郷を捨てたきっかけが、今と繋がるはずなんです』

 その言葉に押されるように黒田は納得した。その後、黒田の希望ですぐ宝足島を目指したが──生憎の悪天候で島を渡ることはできなかった。

 さらに黒田の症状が悪化した。思えば、黒田が島へ行こうと言い出した時からすでに彼は正気ではなかったのかもしれない。

 泊まっていた民宿からいなくなった黒田を追うと、彼は養鶏場の鶏を襲っていた。椎羅が駆けつけた頃には正気ではなかった。白源則子と同じ状況だった。

『かあさんが呼んでる』

 はっきりした発音ではなく聞き取れなかったが、彼がしきりにそう叫んで鶏の羽を毟り、絞め殺す様は異常そのものだった。

 しかし、こんなことを警察に話したところで椎羅まで異常者扱いされるのがオチだ。仕方なく、椎羅はあらかじめ考えていたストーリーをでっち上げ、警察を説き伏せた。

 昔からそうだった。自分がそうになる。

 だが、思い通りにいかないのは叔母だけだった。叔母は昔から椎羅の言葉を一つも信用しない。

『何もかもが思い通りにいくと思ったら大間違いよ』

 幾度となくそう言われた。しかし、どれだけ存在を否定されようとも、自分を信じることだけは忘れなかった。そう思い込めば、いくら死にそうな目に遭っても死ぬことはなかった。

 きっと亡き母が自分を守っているはずだ。母には不思議な力があったから──

 一方で、叔母の占いは信じていない。しかし彼女もまた不思議な力を持っているのかもしれないと思い至ったのはつい最近のことである。

 ししめ星羅──福子は化物の復活を目論んでいる。

 父の手紙にあった一文だ。福子が化物を野に放った。それを反対した志々目家を黙らせるために、福子が志々目家を焼いた。自分は福子に殺されかけた。すべては島へ帰るために化物の復活が必要なのだと。そのために洋江を殺したのだと。


【俺はあいつらに騙された】


 最後の文はミミズがのたくったような文字で、読み取りにくいものだった。彼はそこで力尽きたのだろう。ケロイドだらけの全身はかつての面影がない。何も言わず、ただ呼吸だけしている生き物──死んだも同然だと思った。

 父の言葉が本当なら、叔母はこうなることを待ち望んでいたのだと推測する。

 そして、叔母の力によって移植者たちが化物に乗っ取られ、事件を起こしているのだ。化物を使役するような何かを持っているに違いない。

 ただ、これは叔母が失踪する前──正確には司城が死んだ後あたりから感じていることだ。

 それまで福子は椎羅のことを虫けら同然の扱いをしていたにも関わらず、まるで何かに乗っ取られたかのように態度が激変した。あれきり福子から理不尽な罵倒や暴力を受けることはなかったが、むしろ不気味で、これが何を意味するのかは分からない。

 こんなことを絵莉に言えるわけがなかった。信じてもらえるとは思っていないが、万が一信じてくれた場合、彼女は叔母を殺すか、元凶そのもののような母の息子である自分を殺すだろう。絵莉を犯罪者にしたくはない。また、自分も今むざむざ死ぬわけにいかない。

 ──絵莉さん、すみません。

 思わず心の奥で呟いた。

 椎羅は言葉で人の行動や思考を捻じ曲げることができる。それをあの日、彼女を確信した。


 羽田空港に到着する頃には十九時を回っていた。今から行けば夜には立川の司城探偵事務所に戻れるだろう。絵莉に話さなければいけないことが山程ある。

 事はまだ何一つ終わっていない。

 自分で最後のはずだった。自分で最後なら、このまま消えるつもりではあったのだが状況が一変した。あのトリがどこかへ去った理由──それは、まだ取り戻すべき肉が他にもあるということ。

 まだいる。

 化物の臓器を持った人間は、まだ、いる。


 ***


『ししめ星羅──本名、帯刀福子。出身地は不明……まぁでも、その福子って名前の時点でお察しやろうが、彼女は宝足島の生存者だ』

 甲斐からの電話は椎羅が司城探偵事務所に戻ってすぐだった。スマートフォンをスピーカーに切り替えて、椎羅にも聞こえるようにし、絵莉は神妙な面持ちで報告を聞く。

『んで、姉の名前が帯刀洋江。福岡へやってきてしばらく一緒に過ごしとったっぽい。なんでも二人は本土の親戚から住む場所を与えられとったらしいねぇ。その後、洋江はその親戚と婚約しててさ。その婚約者が志々目圭介。椎羅くんのお父さん』

 絵莉はちらっと椎羅を見た。彼は表情を固くし、微動だにしない。

『島が火事になった話はケイコさんも聞いとったね。結婚する前の洋江はしばらくこっちで働いとった。飲食とか水商売とか。福子はケイコさんが面倒見ててな、素質があったらしいけん占い師に育てたと』

「それで、洋江は志々目と結婚して椎羅くんを産んだ……けど別居した?」

『……うん』

 甲斐は言葉を濁した。

『ケイコさんは福子からいろいろ話を聞いとったけど、肝心のそこはよう分からんとって』

「どうして?」

『実は式の日取りが決まった翌日から連絡取れんくなってな……まさか洋江が死んでたとはケイコさんも知らんかったってよ』

 絵莉はため息をついた。椎羅は自分のスマートフォンを見つめている。黒田の夢に出てきた洋江と福子が椎羅の関係者だと判明したのに、彼はまったく動じていない。絵莉は頭を掻きあげながら話を進めた。

「そのケイコさん? の言葉、どれだけ信用できるんですか?」

 探るように言うと、スピーカーの奥が急にガヤガヤとうるさくなった。なんだか揉めている様子だ。しばらくして甲斐が声を張り上げて言った。

『大丈夫! ケイコさんは中洲のマダムって呼ばれててさ、占いの的中率一〇〇パーセント! 神秘のパワーであなたの心を覗きます……って、ここまで言わすな。なんか胡散臭いセールスみたいになっとるやん』

「ねぇ、話が見えないんだけど……甲斐さん、今どこにいるんですか?」

『あ? 俺のホームよ。ケイコさんのバー。今、ポスター見せられて喋っとる』

「………」

 絵莉は想像した。甲斐が以前『師匠』と呼んでいたと思しきケイコのバーで話を聞き、信用できるかどうかの話をした途端にケイコが憤慨し、ポスターを無理やり見せられ、無理やりキャッチコピーを言わされている。そんな映像が浮かぶと同時に椎羅が静かに「あった」と言った。

「中洲占いバー、バイオレット」

 何をしているのかと思いきや、椎羅はスマートフォンで甲斐の位置を特定していた。それからすぐに占い師ケイコを探り当てる。鏡餅のような愛嬌たっぷりのふくよかな女性の写真がにこやかにこちらへ笑いかけていた。経歴はししめ星羅のものと似たりよったりである。

「まぁ、情報源としていただきます。ご協力ありがとうございました」

『ありがとー、ケイコさんも満足しとるわ』

「そりゃようございました」

 絵莉は冷たく言った。

「じゃ、また何か分かったらよろしくお願いします。報酬は出すんで。期待はしないでほしいですが」

『別にそんなんいいよ。俺の趣味なんやし。他にも帯刀姉妹の痕跡を辿ってみるね』

 そう言って彼は少し言葉を切った。絵莉はもう電話を切ろうとしたが、それを遮るように甲斐の声が続いた。

『椎羅くん』

 突然の名指しに、絵莉だけでなく椎羅も戸惑った。一歩遅れて椎羅が「はい」と答えると、甲斐は躊躇うように訊いた。

『君のお母さんは本当に洋江さん?』

 その重々しい問いから、椎羅の複雑な生い立ちを感じ取っているのだろうと察した。しかし、椎羅は間髪を容れずに答えた。

「はい。志々目洋江です」

『……なるほど。分かった。ありがとー』

 今度は慌ただしく返す甲斐は『じゃーね』と言った瞬間、電話を切った。

 絵莉はスマートフォンをつまみ上げ、ひっくり返した。

「それで、椎羅くん」

「はい」

「さっきの話、合ってる?」

「全部合ってます。多分。僕が生まれる以前のことは断言できませんが」

 素直に答える椎羅に、絵莉は「おや」と眉を持ち上げた。

「ここまで調べられたら、誤魔化しようがないですよ」

「それもそうか。んじゃあ、私に黙ってることを洗いざらい話しなさい」

「また事情聴取か……勘弁してください」

 椎羅は肩を落とした。目元に疲労感を浮かべているが、まだ休ませるわけにはいかない。

「甲斐さんが言ってた『君のお母さんは』ってさ、なんなの?」

「さぁ……」

 椎羅は困惑気味に目を泳がせた。絵莉は思いつきを口にした。

「洋江の子供じゃない可能性があるってことよね……? まさか、福子の子供だったり?」

「………」

 椎羅は腕を組んだ。そして、やや考えた後そっけなく言う。

「なるほど。父と叔母が不倫していたかもしれないわけですし。戸籍上は僕と洋江は親子だったんですけどね」

 そう一息に言う彼の表情や声音に苛立ちが混じっている。絵莉はなだめるように苦笑した。

「まぁまぁ、そんな怒って言わなくてもいいじゃない。いくら叔母さんのことが嫌いだからって」

「……そうですね。恐れとか恨みとか、今までのことを思い返すとどうにも冷静でいられなくなるようです。無意識に」

 そう静かに言う椎羅。絵莉はキッチンへ行き、グラスを二つ持ってダイニングテーブルに戻った。常温のペットボトルの茶を注ぎ、椎羅に渡す。

「叔母さんにされたこと、話してみなよ」

 絵莉は彼をじっと見つめた。今の椎羅ならきっと話してくれる。そんな気がする。

 椎羅は躊躇うようだったが、黒田の件を思い出したのか意を決するようにグラスの茶を飲み干した。一息つき、唸る。

「……その前にまず、母の……洋江のことを話します」

 覚えてる限りのことだけですが。そう前置きをし、彼は思い出すように遠い目をして話し始めた。

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