夭鳥の目 8
目を覚ますと、古めかしい木目があった。昨夜の惨劇が嘘のように穏やかな日差しに目を細め、絵莉は身を起こした。
壁にはジャケットを頭からすっぽり被った甲斐がいる。眠っているらしく、ジャケットが上下していた。
その時、部屋の戸が開き、怪訝そうに青年が入ってくる。
「気が付きましたか、絵莉さん。良かった」
浴衣に身を包んだ椎羅が顔を覗き込んできたが、絵莉はすぐに後ずさった。
「あれ、は?」
訊くと彼はその場に立ち止まり、言いにくそうに口ごもる。
「あんた、黒田さんを見殺しにしたの?」
さらに問うと彼は弾かれたように顔を上げ、首を横に振った。
「ああするしか、なかったんです」
「ああするしかなかった? 何それ。あんたの狂った叔母さんのせいで黒田さんは犠牲になったんでしょ。ねぇ?」
体が重いせいで声に力が入らない。静かに怒気を放てば、椎羅は項垂れた。
「先に言っておきますけど、叔母の指示で黒田さんをここまで運んだわけじゃありませんからね。ただ、どっちにしろ叔母は僕の居場所を嗅ぎつける。それに、黒田さんは遅かれ早かれああなるのは決まっていましたよ」
「うるさい」
「彼もそれを受け入れていた。あの人は馬鹿じゃないから、薄々気づいてました。だったら、人のいない場所に連れてってくれと、そう言われて」
「うるさい、もう喋んな」
絵莉は椎羅の声を遮り、膝を抱えて俯いた。喉の奥に溜まった感情が溢れてくる。
「わ、私だって、助けられるなんて思ってないよ……」
声が震え、涙がこぼれた。
「あんなのに太刀打ちできないって、分かった。関係ない人まで巻き込んでさ、化物に復讐してやろうだなんて、できるわけない。でもさ、我慢ならないんだよ。こんなの、理不尽だよ……」
黒田のために泣いているのだろうか。両親の無念を思って泣いているのだろうか。自分が復讐できないからか。それももう分からず、ただただ感情に任せるしかなく、しゃくりあげた。椎羅は慰めるでもなく、無言でその場にいる。やがて衣擦れの音がし、彼が近くでしゃがんだのを察した。
「勝手に出ていってすみません」
掠れ声が聞こえる。
「見せたくなかったんです。あんな悲惨な状況を」
わずかに視線をずらすと椎羅の手が見えた。震えている。
「父さんも、あんな風に死んだんでしょ」
「……はい」
やや遅れて返事があり、椎羅の手が固く拳を握る。
「あの化物は、どこに行ったの?」
「陽が上る前にどこかへ飛んでいきました。今回は被害もあまりなくて……何かに呼ばれるようにどこかへ飛んで行ったんです」
絵莉は昨夜、甲斐が「トリ」だと言ったことを思い出した。あれはトリなのだ。自らの臓器が埋め込まれた誰かの元へ寄生し、孵化し、完全な存在に近づこうとしている。臓器のほとんどを取り戻したあれはいよいよ椎羅の目を狙うのだろうか。そうして〝目〟を取り戻したら、今度は何を生贄にするのだろう。もし、古巣ではなく別の場所へ転々とするならば、今度は多大な犠牲を払うことになるのだろうか。
「……何に呼ばれたのかな。椎羅くんはそこにいたのに」
彼の境遇を気遣う余裕はなく、絵莉は思ったことを口走る。それに対し、椎羅はなんとも返さず、居心地悪そうに唸るだけ。
「ししめ星羅があの化物を使って何かをしようとしているなら……人を殺す、とか。そういうことをするなら、どう止めればいいのかな」
「殺すんじゃない、と思います」
椎羅はゆっくりと迷うように言葉を放った。絵莉もゆっくりと顔を上げ、彼を見る。椎羅の顔は蒼白で、なんだかやつれて見えた。
「多分、あれを復活させる目的があるんです。その目的が、はっきり分かればいいけれど……まだ、材料が足りない」
「ってことは、見当はついてるの?」
急ぐように鋭く訊くも、椎羅は顔をしかめるだけだった。
「考えがあるなら言いなよ。でないと、またこんなことになっちゃうよ」
「絵莉さんが先走って叔母を殺さなきゃ言ってもいいですよ」
椎羅は打って変わって早口に言った。今度は絵莉が口をつぐむ。
彼は早い段階で絵莉の感情に気づいていた。思えば、彼は絵莉を手伝うと言ったが、自分の目的は明確に提示していなかった。だから勘違いしていた。自分たちは同じ目的で動いているのだと──そうではない。
椎羅ははじめから、自分の〝目〟に起きていることを調べている。そこに潜む叔母の目的が知りたいのだ。また、これは自分と叔母の問題だから、絵莉を付き合わせるつもりはない。そういうことなのだろう。
「なんで私に〝手伝う〟って言ったの?」
訊くと彼は迷うように唸った。
「それは……絵莉さんを守らなきゃいけないから」
「頼んでない」
「僕は頼まれてるんですよ、司城さんに」
その口調はやや苛立ちを含んでいる。一方、絵莉は父の名が出てきたことで面食らった。
「父さん?」
「はい。絵莉さんに何もないようにって。だから、僕はあなたをこの件から遠ざけたかった。でも、もし司城さんみたいに調べるのなら守ろうと思った。
真っ直ぐな強い双眸が絵莉を捉える。その黒い瞳から逃げられず、絵莉はただただ口をあんぐり開けて呆けた。
沈黙が漂う。秒針が回るにつれ、沈黙は気まずい空気と変化していき、絵莉はゆるゆると膝に額を乗せた。
「……ねぇ、もう口挟んでいい?」
空気に耐えられなかったのか、壁際で眠っていたはずの甲斐が割り込む。
「どうぞ」
椎羅が正座したまま振り向き、彼を見る。絵莉は視線だけを甲斐に向けて促した。
「話を戻すけど、被害は少なかったって、この島の人らは無事なんやろうな? 佐藤さんは?」
「無事です。あの時、僕は異変に気づいた佐藤さんを連れて隠れていました。黒田さんは我を忘れ、養鶏場の鶏を襲いました。その後、あのトリが現れたんです」
「なるほど……佐藤さんは野良犬注意報を麓の知人だけに連絡しよったわけか。その後、惨状に立ち会って君が守っていたと」
甲斐の言葉に椎羅は深く頷いた。
「まぁ、それならいい……あ、でも人は死んでるか。んだよ、後味わりぃな……」
「僕は佐藤さんと一緒に警察に行ってきます。そろそろ本土から警察が来るでしょうから……絵莉さんは別の便で戻ってください。東京で会いましょう」
そう締めくくると椎羅は立ち上がった。
「用が終わったら戻ります。その前に連絡は入れるので。待っててください」
さり際に彼は念を押す。その様子を甲斐がじぃっと黙って見ているので、絵莉は枕をぶん投げた。見事、甲斐の顔面に命中したが、椎羅の姿はもう消えていた。
***
ようやく体調が戻っても、まだ食欲はない。汁物だけを胃に流しこんで、絵莉は甲斐と一緒に福岡の港へフェリーで戻った。昨日通ったばかりのターミナルがなぜか懐かしく思え、絵莉は港へ降り立った後も名残惜しく海の向こうを眺める。
やがてバイクを降ろした甲斐が最後に降り立ち、絵莉の元へやってきた。
「せっかくの旅行、台無しになりましたね」
潮風を受けながら言うと、甲斐はサングラスの奥の目を細めて笑った。
「うんにゃ。そもそも首突っ込んだのは俺やし、君は気にせんでいいよ。それより、関わった以上は俺も最後まで見届けさせてもらうけんな。なんなら宝足島に行ってこよっか? 東京から行くよか早かろ」
ふざけた調子で言う彼に、絵莉は呆れて笑った。
「どうしてそこまでしてくれるんです? 会ったばかりなのに」
すると彼は片眉を上げた。少し考え、口を開きかけるも閉じる。大方、ふざけようとしたのだろうが考え直したらしい。
「……真面目に言えば、興味かな。でも、それ以上に俺にも正義感ってやつがある。それに俺が絵莉ちゃんの立場やったら助けてほしいもん」
その言葉は絵莉の心にサクッと突き刺さった。善意で動く彼のことを誤解し、遠ざけようとしたことを悔やむ。
「なんか、すみません。本当に、いろいろと」
しどろもどろに言うと、甲斐はうるさそうに手を振った。
「あーあー、やめて。そんな湿気た顔すんな」
しかし、なんと返せばいいか分からず戸惑う。そんな絵莉に、甲斐はこれみよがしに溜息を落とし、ニカッと笑ってみせた。
「んじゃ、また連絡するけん。気をつけて帰れな」
バイクに跨り、甲斐は颯爽とその場から走り去っていった。その残像をしばらく見つめる。
飛行機に乗って東京へ帰る。それまでにまだ時間は残っているが、ともかく極度に疲労が全身に回っており、ほとぼりが冷めるまでぼうっと海を眺めた。
背後では誰かのスマートフォンから流れるテレビニュースの音がある。
『速報です。行方不明になっていた都内高校の男子生徒のものと見られる遺体が発見されました──』
女性アナウンサーの緊迫した声も今は耳に届かない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます