夭鳥の目 7

 ししめ星羅は九州の歓楽街で占い師をしていたことがある。関東に進出するもマイナーな占い師だ。そんな彼女の名前を出しても、サラリと思い当たる節があるところ、この甲斐丈伍を利用する価値はあると思った。

 絵莉は民宿の座敷へ行き、ストーブに当たりながら甲斐にこれまでの話をする。

「──んで、その椎羅くんとは連絡つかんの?」

 甲斐は眠たそうに訊いた。絵莉はスマートフォンを取り出して、連絡を入れてみる。しかし、椎羅のスマートフォンはつながらない。電波のない場所にいるか、電源を切っているのか。

「ダメです。こっちに来てからずっとこの調子」

「そっかぁ……まぁ、でも話聞いてる限りやと、彼は絵莉ちゃんのこと守りたいんやろ。それはほんとのことっちゃないかなー? 危険から遠ざけたい、お前は来んでいいってな。不器用な男の優しさってやつやん」

 そう言って足を投げ出してあっけらかんと言う。そんな甲斐に向かって、絵莉は嘲笑を飛ばした。

「信じられないですよ。私は自分が見たものだけしか信じない」

「ほーん、じゃあなんで約束させたん? 椎羅くんのこと信じたいから約束させたんやないと?」

 すかさず痛いところを突かれ、絵莉は舌打ちした。スマートフォンを上着のポケットに仕舞い、項垂れると甲斐は天井を見上げて笑った。

「とにかく無事にうたらさ、文句言ってやりゃいい。ビンタしてもいい。俺が許す」

 絵莉は返事をしなかった。それに対し、甲斐は「東京の女の子は冷たいなぁ」とぼやいた。立ち上がり、背伸びをするついでにあくびをする。絵莉はゆっくり顔を上げた。

「そんな暗い顔すんな。俺も師匠に話聞いてみるし。そのししめ星羅のこと、詳しく聞いとく」

「………」

「今日はもう寝よ。長旅で疲れとるやろ。明日朝イチで島行くんなら、はよ寝たほうがいい」

 そう言った瞬間だった。甲斐の顔つきが変わる。彼は表情を固くし、勢いよく振り返った。それと同時に民宿の電話が鳴り響く。時刻は午前零時頃。予約の電話にしては非常識な時間帯だ。

「何?」

 声をかけると、甲斐は絵莉の前に立ちふさがって様子を見た。すぐさま民宿の主人が電話を取りにやってくる。電話の内容はこの広間にまで届かない。

「……なんか一瞬、の強い気を感じた」

 甲斐が呟くように言う。

「でもすぐに消えた……なんやろ……不気味やな」

 そう言う彼のこめかみから冷や汗が浮かぶ。絵莉は中腰になり、ゆっくりと立ち上がった。

「鳥肌立つし。わけ分からん」

「甲斐さん、霊感あるんでしょ? 視えないの?」

「歳のせいか昔ほどはっきり視えんのよ。すまんな、ザコ霊能者で」

 甲斐は気丈に笑うが表情や視線は鋭く、一点だけを見つめていた。それはやはり広間の入り口からチラリと見える主人の背中だった。民宿の主人はしきりに首を傾げ、こくこく頷くと電話を切った。そして、パタパタとどこかへ駆けていく。と思ったら、玄関や窓の施錠を確認していた。広間にもやってくる。

「あぁ、お客さん。まだおったんやね。そろそろここ閉めますんで、はよ部屋に戻って。しばらく外にも出たらいかんけんね」

 やんわりと促すも、その声音には戸惑いがある。絵莉が口を開く前に甲斐が訊いた。

「なんかあったん?」

「さぁ……佐藤さんとこの養鶏場が何者かに襲われたらしく……なんか近隣住民には戸締まりをしっかりしといてくださいって。まぁ、向こうの笠山んことの話やし、野良犬でも出たんじゃないですかね」

「野良犬……ね」

 甲斐が含むように言う。そこには不信感を浮かべている。

「とにかくはよ部屋に戻ってください」

 そう言って主人が広間から追い出した。流れるように廊下へ出ると、主人は広間の大窓を開けて雨戸を閉め始めた。その様子を甲斐と絵莉は静かに見やり、顔を見合わせる。

「野良犬じゃないですよね?」

「そうやろね。野良犬が養鶏場襲ったからって、あんな不気味な気配、こっちまで降りてこんやろ」

 それについてはまったく共感できないのだが、ただならぬ気配であることはなんとなく分かった。絵莉はもう一度スマートフォンに電話を入れたが、すぐに留守番電話サービスに繋がってしまう。

「……もしかして、椎羅くんたちもまだ宝足島についてない、とか?」

 そう言ったのは甲斐だった。気まずそうに口を真一文字にし、絵莉の様子を覗う。

「この島で足止め食らって、どこかの民宿から抜け出して、その笠山って山の佐藤さんちの養鶏場を襲ってしまった、ってこと……?」

 訊くと甲斐は静かに頷いた。すぐさま絵莉は飛び出す。その腕を甲斐が掴んだが、勢いよく振り払う。引き戸を派手に開けると、民宿の主人がバタバタと追いかけてきた。

「ご主人、ごめん! すぐ帰るから、鍵かけんでね!」

 絵莉を追いかける甲斐が民宿の主人にそう叫ぶ声が聞こえたが、絵莉は構わず走った。

 笠山がどこにあるのか絵莉は知る由もなかったが、民宿から出て少し歩いた場所にあるコンビニで夜ふかしに興じる中学生ほどの少年四人を見つけ、山の場所を訊いた。

 どうやら港町から中心へ向かった山がそうらしい。この島は二つの山からなり、笠山は島の東側にある〝低い方の山〟だという。猿やイノシシが住む山は南側にあり、笠山には大型の野生動物はいないはずで、養鶏場や養豚場が多い。少年たちは民宿の主人とは打って変わって安穏とした様子だった。

「君たち、はよ帰りぃよ」

 絵莉に追いついた甲斐が息を切らして少年たちに言う。彼らは口だけでは元気な返事をするが一向に動こうとしなかった。

 笠山ではカラスがバサバサと羽音を響かせ、上空へ飛び出していく。その様子を見つめながら絵莉はまた山の方面へ走った。息を切らして坂を登る。景色が住宅と段々畑だけになっていく。真っ暗な坂に街灯はわずかしかない。絵莉は必死に登ったが、足はすぐに限界を感じている。

 その時、背後から軽量のエンジン音が聞こえてきた。バイクに乗った甲斐だった。

「後ろ、乗れ!」

 そう言ってヘルメットを渡してくる。絵莉は迷いなく受け取り、ヘルメットを被って甲斐の後ろに乗った。エンジンを蒸かし、バイクは音を立てて山道を一気に登っていく。右手に佐藤養鶏場の看板が薄暗がりの中に浮かび、絵莉が指し示す。甲斐は減速した。対向車のない静かな山道である。

「……ヤバい」

 フルフェイスの下からくぐもった低い声がしたと同時に絵莉はヘルメットを取った。

「もうここでいいです。ありがとうございました!」

「あ、ちょっ、絵莉ちゃん!」

 バイクから降りて駆け出そうとする絵莉に、甲斐は必死な様子で呼び止めた。

「ヤバいって。さっきからずっと呻き声がしよるんやけど。ありゃ絶対野良犬やないって」

「分かってますよ」

 素早く返し、道路を渡る。養鶏場は藪の中にあり、坂を登らなくてはならない。甲斐の言う呻き声は微かに聞こえてくる。居ても立っても居られず、歩調が早まっていく。霊感などなくても肌は粟立ち、心臓の鼓動が速くなる。

 ガサガサと雑な足音が混ざり、勢いよく振り返ると険しい顔つきの甲斐が追いついてきていた。

「別についてこなくていいのに……」

 思わず呟くと、彼は「一人で行かせられっか」と怒ったように囁いた。

「先に言っとくけど、俺はお祓いなんてもんはできんけんな。相手の強さによるけど、視えるようやったら回避する手助けはしちゃる」

「強ければよく視えるの?」

「五分五分かな……」

 開けた場所に出てすぐ、甲斐の声がスッと夜闇に消えていき、呼吸も止まった。

 先頭に立つ甲斐が先にそれを見る。次に絵莉の目がそれを捉える。

 何か、黒い塊が宙を飛んだ。静寂の中、獰猛な殺気が立ち込め、闇の中に姿を表す。

 脈。無数の血管が細い壺のような形状を象っただけの姿が存在する。

 血飛沫。闇にほとばしるそれは墨のようでもあったが、無数の血管のせいで黒い飛沫が血であると悟れた。小屋の真ん前で縛られた男の首がない。では、先ほど宙に舞ったのは首か。

 ぐちゃぐちゃと肉をついばむ音がする。首を突くは、散々弄り回した挙げ句に放り投げた。

 二人の前に転がる首。それが黒田であると認識した瞬間、絵莉はその場に崩れた。

 甲斐は怯みそうになりつつも一歩踏み出した。そんな彼のジャケットを思わず掴もうとした。しかし、絵莉の手は空を掴んだ。

「なんなん、あれ……」

 やっとの思いで出た甲斐の言葉も絵莉の耳には届かない。

 視界に映るおぞましい光景をただただ眺めるしかできない。

 血管の物体が動く。黒田の体を突き回し、肉を喰らい歓喜する。それは脈が激しく波打ったからそう思えただけだったが、まさにその物体は歓喜していた。

「あっ……」

 絵莉の脳裏に父の死体がよぎる。涙が溢れる。嗚咽を漏らし、細い腕で体を支えることができずに地に伏して泣く。

 あんな風に父は死んだのだ。あの化物に殺された。あの化物に取り憑かれた女に、母は殺された。あの化物さえ、あの化物さえいなければ家族は今も続いていたはずなのに。

 絵莉は土を握り、重たい体に鞭打って上体を起こした。怒りが湧き、全身の血が逆流していく。無意識にその場へ飛び出していた。

「返せ……っ! 私の家族を返せっ! この化物ぉっ!」

 声を上げて喚くも、それは気に留めることなく黒田を貪った。その背後にある小屋から二つの目があった。絵莉をまっすぐ捉え、驚愕している。もしくはこの現状に打ちひしがれる表情だろうか。椎羅は全身に血を浴び、息を殺して行く末を見つめていた。

 甲斐が絵莉を引き寄せ、藪の中へ身を潜める。

「やだ! 離して! あいつが、私の家族を……!」

 しかし、その慟哭は強い力で遮られた。

「騒ぐな。あんなのに襲われたら一溜りもない」

 甲斐が忠告するも絵莉は聞く耳を持たずにもがいた。息ができなくなる。それでも全身を巡る憎しみの熱は沈められず、彼の手の甲を引っ掻いたり首を振ったりと暴れた。しかし、甲斐の力に及ぶことはない。

「あんな、なんやろ。か……あんなもん、どう対処したら……あんなんと戦えるわけがない」

 おそらく彼の目にははっきりと姿が視えているのだろう。

 トリ。

 そうはっきり言ったのが聞こえるも、絵莉の意識は沈むように落ちた。

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