酸鼻の極 6
「ピンク色のポロシャツに赤いエプロンが視えた」と椎羅が言うので、片っ端からその制服を採用している介護施設を探した。車で移動しながら一つ一つの施設を伺う。しかし市内だけでも八十以上の施設があり、とても一日で回りきれるほどではない。市外という可能性もある。虱潰しに当たるのは非効率だ。
絵莉が帰ってくる時間まで二人で探したが該当する施設は見つからなかった。仕方なく夕飯ができる間、司城と椎羅は事務所に閉じこもる。
「あれからなんか視えたか?」
「いえ、何も……ごめんなさい」
椎羅は押し黙ってしまった。一方、司城は思案する。
「何か他にもヒントがありゃあな……せめて場所さえ絞れたら……」
とは言え、椎羅の言動をまだ完全に信用したわけではない。もし彼の言動が虚言だとしたらすべて徒労に終わる。
「あぁ、クソ。せめてこっちからアクセスできたらいいのになぁ」
つい愚痴っぽくこぼすと、椎羅が反応した。
「アクセス?」
「君の目とやらは一方的に受信してるんだろ。えーっと、スマホみたいにさ。電波を受信するのと同じ要領で、誰かの視点を君が受信しているわけ。だったらこっちからも行けるんじゃねぇかと思ったんだが……」
苦笑を浮かべて冗談めかしてみるも、椎羅の表情は真剣だった。
「やってみます」
そう言って彼は目を閉じて深呼吸し、ゆっくり開眼した。しばらく椎羅はそのままの体勢でじっとしている。司城は腕組みして椎羅の様子を見守った。
しかし、一分も経たないうちに椎羅は集中を切った。息も止めていたのか、荒く呼吸し目をシパシパさせる。
「ダメです。僕からはできないかもしれない」
「だろうな……ま、期待してないから大丈夫だよ。気にすんな」
軽く笑い飛ばすも、椎羅はバツが悪そうに俯いた。
その後、どうやら彼は夕食時もアクセスを試みているらしく、呼びかけても返事をしないことがあった。椎羅なりに努力しているようだが、余計なことを言わなきゃ良かったと地味に後悔した。
もし、椎羅の言う通りにまた誰かが奇妙な殺戮衝動を抱えて事件を起こしたとしたら、この現象は一体なんなのだろうか。
司城は河井が残した資料を眺めながら仮説を立てた。
臓器移植を受けた者たち──すべて同じ人物からの提供を受けた者たちだけが記憶転移によって殺戮衝動を持ち、自分を殺人鬼だと錯覚している。河井の言う「何かに乗っ取られた」という感覚がそれを示している。
しかし、不可解なのはそれが同時には起きないということだ。同じタイミングで移植手術を受ければ、わずかな誤差はあれど同じタイミングで衝動を持つはずではないか。何故、一人ずつ順番に異変が起きるのか。
司城は手元に置いていた手帳をめくった。河井の手術日は今からおよそ七年前。次に椎羅の手術日を計算する。
「──同じ?」
次に久留島、足立の手術日を探る。慌ててファイルをめくる。
「……やっぱり、こいつらもか」
全員が同じ年に移植手術を受けていた。久留島は心臓、足立は肺、河井は膵臓と腎臓、椎羅は角膜。同じ人物から提供を受けたと考えられないこともない。また全員、居住地がすべて五十キロメートル圏内である。
司城は関東周辺の地図を卓に広げた。河井が移植手術を受けた総合病院から五十キロメートル圏内に当たる場所をペンで囲む。なんとなく的が絞れてきたような気がし、司城はゴクリと唾を飲んだ。その圏内にある介護施設は大小合わせて三十ほど。もし、その施設の入居者に臓器移植を受けている者がいるなら──
ノートパソコンを開き、病院のホームページから医療連携している施設を探す。いくつかの医療機関のほか、ケアセンターや法人グループが出てきた。そこからさらに候補を絞っていく。
「……ここだ」
パステルピンクを基調としたホームページにたどり着く。『いきいきホーム
司城は事務所を飛び出した。洗面所で歯を磨いていた椎羅と鉢合わせる。
「椎羅、場所が分かったぞ」
勢いよく飛び出したからか椎羅は驚いて歯ブラシを落とした。
「ホントですか!」
「あぁ、明日行ってみよう」
力強く言うと、椎羅も大きく頷いた。
一筋の光明が差した気分だ。泡だらけの口を見せる椎羅を茶化すように笑い、その後は明日に備えて早めに就寝した。
一連の事件は本当に関係があるのか、すべての答えに繋がる手がかりが得られるかもしれない。
***
翌日、二人は朝食もそこそこに家を出た。助手席で椎羅は相変わらずアクセスを試みているようで、声をかけても反応が薄かった。
『いきいきホーム咲楽庵』は都会からわずかに離れた住宅地の一角にある。近所には図書館やスポーツジムがある以外は比較的静かな場所だ。
あらかじめ施設に連絡を入れ、家族の施設入居を希望する息子と孫を装い、施設内へ入った。やわらかな木目の廊下と白い壁が清潔感を与える。応接間に通され、いくつかの説明を受ける。柔和な笑みを浮かべる面長の男と面談する中で、椎羅はそわそわと落ち着かない。
「お前、ちょっと外に出てなさい」
司城はいかにも息子をたしなめる父のように振る舞い、応接間から追い出した。作戦を開始する。
椎羅が施設内を回り、視点とリンクする人物を探す。うまく見つかればいいのだが。
しばらく、施設の説明をのらりくらりと受け流していると、スマートフォンに着信があった。椎羅からだ。
「もしもし? あぁ、そう。うん。分かった……すみません、また改めて検討させていただきます」
司城は愛想よく笑った。スタッフも「そうですね」と話をまとめる。渡されたパンフレットを持って「それでは」と和やかに応接間を出ると、椎羅が脇のベンチに座っていた。
「帰るぞ」
声をかけると、彼は従順に立ち上がりついてくる。横並びになったと同時に小声で訊いた。
「どうだった?」
「それらしき人はいました。けど、穏やかで優しそうなおばあさんです。名前はシロゲンノリコさん」
「シロゲン? 字はどう書く?」
「色の白に源。法則の則に子供の子」
椎羅の言葉に司城は首を捻った。訊いてもなんと読むのか見当がつかない。それに、相手が分かったとしても本人との接触が難しそうだ。椎羅が見たのはちょうど白源則子がスタッフに車椅子を押してもらい、談話室から部屋へ戻るところだったらしい。部屋は個室で、親族とスタッフしか入ることができないようだ。
「部屋を見ていたらスタッフさんに睨まれました」
椎羅は落胆しながら言った。
「孫だと偽るにはリスキーだしな……なんとか本人から話を聞けたらいいんだが。しかし身元は分かったわけだし、ゆっくり調べていこうぜ」
励ますように言うも、椎羅はいじけているのか返事をしなかった。司城はやれやれと首を振り、車まで戻る。
その時、駐車場に黒ずくめの女が一人立っているのに気がついた。大きなサングラスで目元を隠しているが、その風貌はなんだか見覚えがある。女もこちらに気が付き、ハイヒールを鳴らして近づいた。ようやく椎羅も顔を上げ、あっと声を漏らす。
「どうも、はじめまして。甥がお世話になったようで」
「……ししめ星羅、さん?」
訊くと、彼女は「えぇ」と涼しい声を返して椎羅を見た。
「帰りますよ。家出なんてみっともないわ。もうすぐ受験だっていうのに」
穏やかな口調ながら一切の情が感じられない。椎羅はその場に固まったままで、まるで身動きを封じられたかのようだ。司城は彼の前に立ち、ししめ星羅を見下ろした。
「すみません。椎羅くんからいろいろ聞いたんですよ……わざわざうちの事務所を探して駆け込んできたんです」
「司城探偵事務所、でしたかしら。最近の探偵さんは託児所も請け負っておられるんですねぇ」
彼女の口から嫌味が飛び出す。司城はすぐさま表情を歪め、言い返そうと口を開いたが星羅に遮られた。
「司城賢明さん、あなた本当にこの子の言うことを真に受けてるんですか? この子ねぇ、昔から私の真似をするんです。でもなんの力もないわ。ただの虚言癖なんです」
淀みない言葉だった。口にはいくらか自信がある司城だが、彼女がまとうオーラに圧されてしまう。それに、
──どうして俺の名を知っている?
「それともなんでしょう? この子の言葉を真に受けてあちこち連れ回してるんですか? 振り回されているのか振り回してるのか……困りますねぇ。ともかく保護者は私ですので……そうですねぇ、今すぐ通報してもいいんですのよ」
彼女はスマートフォンを取り出した。その時、背後の椎羅が司城の前に飛び出す。
「叔母さん、ごめんなさい。帰ります」
「おい、椎羅」
それこそ向こうの思うツボだぞ。言いかけるも椎羅を引き留める術が見つからない。
一方、この場を支配するししめ星羅は満足げににっこり笑い、スマートフォンをハンドバッグに仕舞った。
「いいでしょう。では、司城さん。あとでまたご連絡いたしますね。この子がお宅で飲み食いした分のお金、その他もろもろはお支払いいたします。あぁ、荷物はあとでうちの者が取りに伺いますのでそのままにしておいてください」
そう言い、星羅は椎羅の手首を掴んでその場を去った。二人は施設の外に停まっていた黒のバンに乗り込んで消える。司城はその後ろを呆然と見つめた。
***
翌朝、星羅の言う通り彼女の秘書という女がやって来て椎羅の荷物をすべて引き取って行った。依頼料や雑費を合わせても見合わないほどの額が記入された小切手を渡されたが釈然としない。それは絵莉も同じらしかった。
「あんまりよく分かんないけどさ、あの子の叔母さんってヤバいんじゃないの? それなのにあっさり引き渡すなんて、父さんは意気地なしだよ」
「子供は気にしなくていいんだよ」それしか言いようがなく、司城は事務所にこもる。
この小切手は口止め料なのだろう。卓に放り、椅子に座って天井を仰いだ。
せっかく何か掴めそうだったのに、また振り出しに戻ったことへの落胆が強い。
椎羅は本当に力を持っているのだろうか。まだ確信に至るほどの大きな事件が起きていないので確かめようがない。叔母のししめ星羅に受けた仕打ちも今となっては嘘か本当か分からなくなっている。司城は額を揉んだ。
そもそもししめ星羅は何故、椎羅の行方を知りながら二日も泳がせていたのだろうか。
ただ、彼女の言動に潜むからくりは単純なもので、椎羅のスマートフォンにGPSをつけていればすべて分かることだろう。この事務所のことも事前に調べた上で満を持しての登場。タイミングを見計らっていたとしか思えない。あの場では怯んでしまったが、よく考えれば簡単なことだった。だが残念なことに、あの得体の知れない女の顔からは何も読み取れなかった。
──この子ねぇ、昔から私の真似をするんです。でもなんの力もないわ。ただの虚言癖なんです。
椎羅の言動に嘘はなかったはずだ──が、そう思うのはほんのひととき彼と過ごしたことで産まれた私情でしかない。
散らかしたままの資料とファイルを見やる。本来、自分が成すべきことを思い出し、司城は溜息をついてジージャンを羽織った。
美鶴が死ぬに至った本当の理由を知る。そのためにはなんだって利用する。
司城は再び『咲楽庵』へ向かった。
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