酸鼻の極 4

 志々目椎羅、十四歳。隣県の県立中学校三年生。両親はおらず、母方の叔母と二人暮らし。自宅は司城の家から電車、徒歩で片道一時間半を要する。一週間分の食費をかき集めてやってきたと椎羅は言い、帰りの電車代は持っていない。

 本人の証言をあらかたメモし、司城はおもむろに立ち上がった。車に残していた資料を取りに行く。

 椎羅の言葉を信じるにはまだ材料が足りない。いくら中学生といえど、インターネットや図書館で調査することは可能であり、久留島玲香や足立隆治、河井節生の事件を知ることなど造作ないだろう。

 叔母の実態はまだ不明瞭だが、占いの結果で甥の目を潰すなどという常軌を逸した行動を取る人物──椎羅の言葉を信じるなら──がまともな占い師であるはずがないだろう。霊能力を売りにするようなインチキなのではないか。霊感商法のようなものだろうか。司城はオカルトを安易に信じるタイプではない。

 椎羅から聞いた話からキーワードを選び、インターネットで検索してみる。すぐにヒットしたのは『大宮のマダム・ししめ星羅』。九州の歓楽街で占い師として活動。その後、関東へ進出。占星術を用いて未来を見るという。ごくありふれた占い師だと思う。

 顔写真もすぐに出てきた。彫りの深い顔立ちを厚化粧で整えている。年齢は四十代後半くらいか。小顔と顔立ちがどことなく椎羅を思わせる。こうして名前と経歴があっさりヒットするくらいならこの界隈では名の知れた人物なのかもしれない。

 司城はすぐさまスマートフォンを出した。この手のことに詳しそうな知り合いに当たる。

「──よう、松崎。ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

『なんですか?』

 新聞社時代の後輩、松崎は無愛想に応じた。仕事と家族を天秤にかけた結果、家族をとった彼は三流雑誌に飛ばされ、ゴシップ記者をしている。当時、彼に味方しようと上司に掛け合う者はおらず、司城も〝見捨てた〟うちの一人だった。むしろ辞めるよう勧めていたほどだ。それでもなお連絡を取り、今は互いに情報源として利用し合っている。

「芸能人お抱えの占い師、片っ端からピックアップして送ってくれないか。いや実はさ、どうも今度の案件が大物俳優のスキャンダルネタに繋がりそうで──お前が知ってるのだけでいいから。もし釣れたら仕事流してやるよ──おう、じゃあな、よろしくー」

 なんとか話をつけて電話を切る。もちろん大物俳優のスキャンダルネタなどない。

 これで椎羅の身辺調査が捗るだろう。司城はノートパソコンの電源を落とし、資料を抱えた。部屋と車を何度か往復しているうちに、自転車のブレーキ音が聞こえてきた。髪の毛をハーフアップにした女子高生が自転車を押しながら車庫に入ってくる。

「ただいま」

 絵莉が怪訝そうに顔を覗き込んできた。

「おう」

「父さん、仕事は?」

「まだ終わらねぇ。あぁ、絵莉。客が来てるから相手してやってくれ」

 ダンボールを引っ張り出しながら投げやりに言うと、すぐさま絵莉が「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げた。

「あたしに依頼人の相手させるなんてどういうつもり? 仕事しろよ」

 近頃は口調が尖っており、とくに父親の服を一緒に洗うのが許せない年頃だ。可愛げの欠片もないが、学校では優等生として通っているので歯がゆくなる。

「うるせぇな。相手は中学生なんだ。お前の方が歳近いんだから。あぁ、そんでその子、今日はうちに泊まるから」

「はぁぁぁ?」

 絵莉はますます不機嫌あらわに目を剥いた。呆れた様子で自転車を停め、家に入っていく。しばらくして司城もようやく荷物をすべて運び終え、事務所に戻ると絵莉と椎羅が向き合って座っていた。言うことを聞くなら素直に聞けばいいものを。呆れていると、絵莉がさっそく父に対して目くじらを立てた。

「父さんったら信じらんない。ジュースとかお菓子くらい出してあげたらいいのに。ねぇ、椎羅くん」

「すっかり馴染んでるじゃねぇか」

 絵莉が用意したのか、卓にはナッツ缶が置いてあった。司城が酒のアテに度々摘んでいるナッツを椎羅がパクパクと口に運んでいる。

「おい、絵莉……よりによってそれを出すか」

 脱力気味に言うと、絵莉は勝ち誇ったように笑った。

「お腹すいてるでしょ、ご飯何食べたい?」

「あー、今日は肉がいいな」

「父さんに聞いてない。椎羅くん、何食べたい? 今日泊まるんでしょ?」

 絵莉に冷たくあしらわれ、司城はやれやれと首を振った。ともかくお子様たちを事務所から追い出して仕事を再開させたい。

「ほら、それ持ってっていいから出てけ」

 手で追い払い、二人をリビングへ追い立てる。椎羅の世話は絵莉に任せるとして、司城はさっそくデスクに座って資料をあさった。


 河井が残した資料は、久留島玲香事件と中野区一家殺人事件の新聞記事、憶測を並べた週刊誌の記事のほか、被疑者、遺族の家族や周辺から引き出した音声データまである。しかしそのどれもが司城とともに調べ上げた情報で、真新しいものは見つからない。

 久留島玲香、当時二十五歳。生まれつき心臓に疾患を持っており、十九歳の時にドナーが見つかり移植手術を受ける。大人しく、臆病な性格で友達も少ないが大学生となってからは病状も嘘みたいに快復し社交的になる。柴田征太とは大学で知り合い、好意を抱くも告白ができずにいたと彼女の友人から証言を得ている。それから柴田に執着するようになり、犯行に及んだ。

 その三年後にまた事件が起こる。

 足立隆治、当時五十九歳。寡黙で人付き合いが苦手。長年、海産物加工会社の事務職勤務。趣味はギャンブルで密かに借金も作っていた。定年前に肺を患い、移植手術を受ける。その後はギャンブルをきっぱり辞め、レジャーにのめり込む。妻の方が立場が上だったためか、たびたび妻の激しい罵倒が聞こえていたと近隣住民が証言している。妻と成人した息子、その妻と子がいた。犯行に及んだのは息子一家と節分をした後、妻と口論になり家族全員を殺害。全員を海へ沈めた後、自らも海へ飛び込んだ。当時は心中事件として取り上げられていたが、すべて隆治の犯行であることが判明し、死亡後に被疑者は書類送検された。

 この二件の犯人に共通するのは「移植手術をした後、人が変わったようになった」ということ。また足立の件は河井が持ちかけたものだった。司城は久留島の件しか興味がなかったが、河井の強い説得で足立の件も調べた。そして河井の死──彼もまた久留島、足立と似たような経緯を辿っている。この三件に繋がりを感じる者はまずいないだろう。発生時期もまちまちで周期的ではない。何かが裏に潜んでいて、被疑者たちを唆したのだろうか。河井は「他にもいる」と言っていた。それは移植手術を行った医者が真犯人だとほのめかしていたのだろうか。

 司城は椅子に背をくっつけて思案した。深く息を吐き、改めて資料をあさる。ノートパソコンに移したフォルダの中に一件、見覚えのない名前がある。

「クロダ」と名付けられたそれをクリックすると、そこには一件のテキストフォルダが入っていた。


 夕飯が出来上がったと絵莉が呼びに来たのでダイニングへ行く。カウンターキッチンとダイニングテーブル、テレビが敷き詰められたような空間に増えた少年の姿がどうにも異様だった。ビーフシチューとサラダが並べられ、ブイヨンの香りが漂っている。

「さぁ、いっぱい食べてね。おかわりたくさんあるよー」

 絵莉がニコニコ笑って椎羅に言う。司城はそんな娘を呆れて見やる。

「随分気に入られたな」

 椎羅の向かい側に座り、冷やかすように言えば彼は曖昧に笑う。眠たそうな二重まぶたはクールな印象を受け、天真爛漫とは言えない控えめな感情表現をする。あまり気にして彼を見ていなかったが、整った顔立ちであることを改めて感じた。

「ほら、食べて食べて」

 絵莉がエプロンを取ってテーブルにつく。司城もスプーンを取って食べ始めた。すると、すかさず絵莉の手が司城の手の甲を叩いた。

「いったっ」

「いただきます言って! ほんと行儀悪いんだから!」

 するとその様子を見ていた椎羅が慌ててスプーンから手を離し、両手を合わせた。だが、絵莉は椎羅の慌てぶりを見ておらず、父の素行の悪さを咎めるので一生懸命だ。

 司城はやりきれず、渋々手を合わせてシチューをかきこんだ。

 夕食を終えると、椎羅は絵莉にしっかり「ごちそうさまでした、おいしかったです」と感謝を述べる。絵莉はまんざらでもなく「椎羅くんが寝るところ準備するね!」と甲斐甲斐しく二階へ走っていった。その隙に、司城は椎羅に話しかける。

「うるさくてすまんね」

「いえ、楽しい人ですね、絵莉さん」

「まぁな……」

 答えながら、ふと母親が死んでふさぎ込んでいた娘の姿を思い出す。遺族の会へ絵莉をつれて行き、たくさんの人の涙を見た彼女は帰り際にこう言った。

『私、みんなが泣かないような世界にしたい。泣いてる誰かを助けたい。そんな大人になる』

 当時、小五の娘の言葉は純粋そのもので、復讐にのめり込んでいた自分の心をわずかに溶かした。絵莉のためにこの事件の裏を暴きたい。だが、その先はどうしたらいいのか。もし、裏に巨大な組織が潜んでいたとして、その諸悪の根源をこの手で裁くのだろうか。そんなことをして絵莉や美鶴は喜ぶのだろうか。

「司城さん」

 椎羅の声にハッとする。

「君は、黒田という人物を知っているか?」

 問うと椎羅は首を横に振った。

「黒田香道こうどう。六十三歳の男。元教師」

「いえ、全然。その人が何か関係あるんですか?」

 椎羅は不安そうに言った。どうやら本当に知らないようだ。司城は苦笑した。

「河井が残したファイルに入っていたんだが……知らないならいいや」

 ごまかすように咳払いし、後を続ける。

「君の目は何かしらの法則性によって事件被疑者とリンクしているんだろう。うまく説明できんが……まぁ、霊能力ってやつなのかね」

 すると、椎羅は苦々しく俯いた。

「僕の目はどうしてそんな人達とリンクしているんだろう……」

「これは仮説だが、君たちに共通するのは移植手術を受けたことだ。みんな手術後に異常行動を起こして死んでいる。久留島も足立も、河井も」

「河井さんはすべて分かっていたんでしょうか?」

「いや……すべてじゃないな。ただ、あいつは『他にもいる』と言っていた。それが君なのかもしれないが、まだいる可能性もある」

 そう言って司城は椎羅を見つめた。この少年も人が変わったように殺戮衝動のようなもの起こしてしまうのだろうか。だが、そんなことが本当にあり得るのか。これではまるで移植手術を受けた者たちすべてが化物に作り変えられた殺人兵器ではないか。そこまで考え、司城は頭を振った。バカバカしい。

「事件を未然に防ぐことって、できるんでしょうか」

 椎羅がポツリと訊く。司城は凝視した。

「なんだって?」

「僕のこの目で事件を防ぐんです。次の事件を。まだいるんなら、もしかしたらこの目で視ることができるかもしれない」

 少年の瞳は純粋だった。その目がかつての絵莉と重なる。

「でも、次がいつ起きるか分かんねぇだろ。それに、次は君が……」

 言いかけて止まる。もし、次に事件を起こすのが椎羅だったら──自分も娘も無事では済まない。

「そうですね……次は僕が誰かを殺すかもしれない、ですよね。河井さんが亡くなったばかりだし」

 椎羅が悲しそうに項垂れる。司城は言葉に詰まった。しかし、沈鬱な気持ちはすぐに払拭される。

「今なんて言った?」

「え?」

「河井さんが亡くなったばかりだし、ってなんだ? その含みのある言い方、他にも何か知ってんのか?」

 肩をつかんで訊くと、椎羅は驚いて目を泳がせた。

「えぇっと、僕の目はその、順番通りに視えていくんです」

「順番通り?」

「はい。久留島さん、足立さん、河井さんという順番に。事件が起きた順番です。その衝動はきっと一人ずつ順番に起きるんだと、僕はそう思ってます」

 司城は手を離した。少年を見下ろす。一方、椎羅は項垂れたままだった。

「……絵莉に何かあったら」

 少年のつむじに向かって低く呟く。

「ただじゃおかない。いいな」

「……はい。でも、もしそんなことが起きたら、司城さん、僕を殺してください」

 顔を上げる椎羅の目は強い覚悟を持っていた。たちまち司城はバツが悪くなる。

 中学生の子供相手に何を言っているんだろう。こんなことを言わせるなんて、大人げないにも程がある。溜息をつき、椎羅の頭に手を置いた。

「悪かった。絶対なんとかする。だから、何か視えたらすぐに俺に言え。いいな?」

「はい」

 すべてを信じたわけではない。そもそも善人が起こす謎の殺人衝動など理解不能だ。それが連鎖しているという可能性も説明がつかない。だが、調べてみて損はないだろう。

 すると、『お風呂が湧きました』と間の抜けた音声が二人の間に割り込んだ。

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