木戸の中に紗和さんを招き入れて、何をするかというと、手合わせをするのだ。

 この地が平安と呼ばれていたころ陰陽師が宮廷で重用されるようになると、政に邪魔な陰陽師を殺そうと狙う者が出てきた。その対抗策として武術を身につけるのが習わしとなったという。

 橋元の家族でも、お祖父様と真明兄様は剣術を、父様と厚明兄様は柔術を得意としている。

 私も六つの頃からいくつかの武術を体験し、選んだのは剣術。ただ、お祖父様と真明兄様とは違う流派――母方の輝時叔父様が教えてくれた実践重視の流派で剣術を身につけてきた。今や道場の中でも、負ける者は片手で足りてしまうほどだ。

 そんな実践の剣が、紗和さんの二刀流に負けてしまったのは、衝撃だった。

 二刀流は多数相手の防戦の剣というのが常だ。けれど緩急で間合いを外し、小柄なことで下から突き上げてくる剣の冴えは、防戦の二刀流ではなかった。

 この人ともっと剣を交えてみたいと思った。けれど他流派同士が気安く使える場所は多くない。なので咄嗟に思いついた家の庭に誘ってしまった。

 今思うと、武家のお嬢様になんて無礼な、とわかる。けれど、紗和さんは少し驚いただけで、ふわりと笑ってくれた。

 以来、晴れた明け六つの頃は、紗和さんを待つのが習慣となっている。

 いくつも種類を揃えた木刀から好みのものを選んでいると、

『また剣術?』

 大人しくしていてくれたエードラムが呆れて話しかけてきた。

「そうだよ」

 紗和さんが木刀を選び終えて側にいないのを確かめて、私は小声で答えた。

『楽しそうだね』

 ぜんぜん楽しくなさそうなエードラムに、笑ってしまう。

「いいから黙って見てて。紗和さんは凄い剣士なんだから」

 私の憧れの人、なんだから。

 もし、陰陽師になる必要がなかったなら、剣を極めてみたかった。紗和さんのような剣客になりたかった。

 選ばなかったもう一つの道のはてにいる人。少しでも追いつきたい人。

 だから、こうして剣を交えることが出来る時間は私にとってとても大切な時間だ。

 ふわふわと漂うエードラムが上空に登っていってしまった。それでも淡い光が見えるのは、少しは興味があるのかも?

 紗和さんはいつもの打刀うちがたなを模した木刀を構えて、呼吸を整えている。

 私もいつもの太刀たちを模した木刀を、紗和さんの木刀と切っ先が触れないぎりぎりの距離で構えた。

 気配に、紗和さんが目を開けて帯刀の位置に木刀を持つ。

 倣って私も太刀を腰に佩く位置に木刀を持った。

 互いに数歩下がり、礼をする。

 そして、抜刀の後の構え。

 紗和さんは中段。

 私は、向かい合う剣の切っ先に吸い寄せられるように、中段。

 静寂の中間合いを保ったまま、すり足で動く。隙はない。まだ。

 紗和さんとの手合いで決めていることは三つ。

 ひとつは、怪我をしないこと。

 ひとつは、本気で打ち合うこと。

 ならばここは、動く!

 剣先を左右に揺らし、右に隙を作る。

 紗和さんなら、この隙を狙うことはないはず。

 剣を払って突くか、鍔迫り合いつばぜりあいに持ち込むか。

 紗和さんが動く。一気に距離を詰められ、木刀を弾かれる。そのまま飛び込む様に逆袈裟に木刀が空を切る。

 ひゅっと鳴った音に、咄嗟に一歩引いて間合いを取る。でも崩してしまった体制からは次は躱せない。

 どうするか!?

 けれど、紗和さんからの追撃はなく、正眼の構えの向こう、楽しげに笑われてしまう。

 試すような脅しをかけてくるのもいつも通り。

 深呼吸をして、上段、右肩に担ぐように木刀を構えた。

 紗和さんが小柄なことを活かす下からの攻撃を得意とするなら、私は背の高さと手足の長さを生かした可動域の広さが持ち味。

 気合を声にし、一歩を滑り込むように大きくとって、二歩目で紗和さんの懐に飛び込む。同時に構えていた木刀を振り下ろす。が、弾かれた。

 逃げる木刀を体ごと引き戻し、もう一度。けれど紗和さんの木刀に絡め取られてしまう。

 鍔迫り合いの向こう、紗和さんが声を上げる。打って来ると構えた木刀に、思った以上の衝撃。かんかんと打ち合う音が続き、また静寂。

 二歩離れた距離で、お互い息を整える。

 一本を取るには、二手目で確実に決めなければだめだ。

 再度上段に木刀を構える。

 紗和さんは下段。ここからの攻撃が一番怖い。

 ならば、こちらから潰せばいい。

 そう思って一歩目を出そうとしたその目の前を、すっと横切る撫子の残像。

 えっと思った時には、紗和さんの木刀に脇腹を突かれていた。

「はい、一本」

 にこりと笑って、紗和さんが宣言する。

 決まりごとの最後は、なんでもあり。

 普段なら咎められる様なことも、実戦ではあるかもしれない。だから、二人の手合わせでは思いついたことはなんだってやってみることにしている。

 こんなことを試す機会が普段ないこともそうだけれど、武士が暴れる危険な街になってしまった京で、守る手段を持っているなら、守ることが務め。そう、紗和さんが提案してくれたから。

 それにしても、

「琳ちゃん、これで四回目ね」

 終わりの礼をしてすぐ、紗和さんが指摘してくる。確かにこの手に惑わされるのはこれで四回目。木刀を右手だけに持ち替えた紗和さんに、空になった左手で動き出した瞬間の視線を誘導される。それをわかっていても、対応できない。悔しいけれど、紗和さんの技量があっての陽動だ。

 とにかくこの人の太刀筋は速い。 

「猛省しますので、もう一本お願いします!」

 深々と頭を下げる。

「はい。次は取ってね」

 数歩の間を開けて、紗和さんが木刀を腰に戻す。

 倣って、また礼から始める。

 その後、三度手合わせして、一回は一本を取れた。

 取らせてもらった、ような一本だったけれど。

 用意していたお茶を出して、日陰で休む。

 紗和さんが来たら言わなければいけないことがあった。

 陰陽寮への出仕のこと。

 陰陽師であることを、私は公にはしていない。極秘と言うわけではないが、陰陽師の中で知られているだけでいいと思っている。

 公にできるほど、自分がちゃんとできていないと思うから。

「紗和さん、ごめんなさいが、あるんです」

 今日の手合の反省を一通りしてから、切り出す。

「他の神社からお願いされて、行かなきゃ行けなくなって、朝こうして会えることも減りそうで」

「巫女さんのお役目? 琳ちゃんの奉納舞素敵だったものね。そういうのなの?」

「そういうのも、あるかもしれません」

 ないと思うけれど、そこは曖昧にさせておく。

「そうか。琳ちゃんもお勤めか」

 紗和さんはつぶやくと、空を見上げて、目を細めた。

「私も、そろそろ役目に戻らないと、かな」

 言い聞かせるような、問いかけるような。

 諦めて郷に帰ってしまうのかと、聞きそうになった。けれど、

「琳ちゃん」

 紗和さんはいつものようにふわりと笑った。

「寂しくなるけど、お役目は大事よ。また、時間が合えばよろしくね」

「それは、もちろん!」

 まだまだ紗和さんから学びたいことは多い。

 前のめりに相槌を打つと、紗和さんの相好がさらに崩れる。

「ありがとう、琳ちゃん」 

「私の方こそ、ありがとうございます」

 今日もまた、京の街で人探しをするという紗和さんを木戸まで送る。

「今日はどこを探すんですか?」

「鴨川の東に行ってみようと思ってるの」

「土佐や尾張の藩邸のある辺りですか? あの辺りは危って」

「寺田屋の件以降、尊王攘夷の武士が集まっていることは知ってるわ。でも、もしかしたらその中にって、最近はそんなことばかり考えてしまって」

 紗和さんが、懐剣を握りしめる。

「見つからないのではなくて、見つけられない事になっていないか。そんなことばかり考えてしまって」

 うつむいた姿に映るのは、苦悩と疲れ。

 いつもはそんな素振りも見せない紗和さんの奥底の思いに、ふと魔が差す。請われぬ行いするべからず。お祖父様から言い聞かされている陰陽師の禁忌をほんの少しだけ破ってしまうかもしれないけれど、紗和さんの了承さえ得られれば。

「…おまじない、しますか?」

 不安げな表情のまま、紗和さんが顔を上げた。

「おまじない?」

「そう、失せ物が見つかるおまじない。この神社の秘密のおまじないです」

 曇っていた顔が、少しほころぶ。

 そう、紗和さんには笑っていて欲しい。だから、少しだけ。ほんの真似事くらいなら、きっと大丈夫。

「琳ちゃんのおまじないなら、効きそうね」

「じゃあ、こちらを向いて。私がおまじないを唱えたら、探す人のことを思いながら復唱してください」

 辰巳――伊勢神宮の方角に向かせ、隣に並ぶ。初めに二礼、そして二拍手。気休めほどの呪いを唱える。

「天照大御神様、御使いの八咫烏が菊理媛神様のご縁が結んだ紗和さんの思い人への案内をするよう、お願いいたします」

 最後に一礼。

「ありがとう、琳ちゃん。なんだか見つかりそうな気がするわ」

 その笑顔に安堵して、いつかの手合わせの約束を再度交わしてその日は別れた。

 胸の奥に少しのざわめきが残ったけれど、紗和さんが笑顔になってくれたから、きっとこれでいいはず。

 きっと、大丈夫。大丈夫。


ーーーーーーーーーー


【打刀】刃長は60㎝以上、刀身の反りが浅いのが特徴の刀剣で腰の帯に差すもの。室町時代後期より徒戦向けに作られ、武士が使用した。

【太刀】刃長がだいたい60 cm以上で、太刀緒を用いて腰から下げるもの。神話などに登場するのはこちら。

【寺田屋の件】文久2年4月23日の薩摩藩志士粛清事件。

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