十五
「橋元琳子様、お越しになりました」
通されたのは、やはり陰陽寮ではなかった。
賓客を迎えた際に滞在していただく御殿の大広間まで案内されて、思っていた以上の大事になっていることに覚悟を決める。
けれど御簾を上げて貰い、中に入って見渡せば、その覚悟も小さくなっていくようだった。
上座には御簾がかけられ、下座には左右に一列ずつ、合わせて十名が座っていた。その十名が皆――もちろん土御門様も光誠様も、お祖父様も父様も――束帯の正装だ。
慣れない長袴で、案内された場所まで行き、座る。息を正す。
「橋元琳子、参りました」
名乗って礼をする。
それに土御門様がうなずき、私と向かい合うよう座り直し、話し始める。
「先日この橋元琳子が異国の精霊を呼び出し、使役した件については皆様ご承知のことと存じます。これを鑑み、勅令が発せられました。また、この勅令の認識を違わず共有するようとの勅が併せて発せられております。さらに、勅令を施行する前に、陰陽寮にて精霊についての詮議をすること、その是非により、施行自体を我らが決めていいとのお言葉をいただいております。本日はそのためにお集まりいただきました」
勅令って事は、天子様の命が出たってことだ。
本当の大事になってしまったことに、息がつまり、体の芯はすっと冷える。
ずっと考えていたのは、あの夜光誠様が言っていたこと。エードラムを付喪神としたのは方便だったこと。事が安易に扱われるようなことではないこと。あの時あの提案に乗っていた方が良かったのでは?、と何度も考えた。
十二神将の時とは違う。あの時は子供で、無自覚で、結果この京を救ったから制約付で許された。
でも、今の私は陰陽師だ。その上で、ある程度の自覚を持って、無謀な事を勝手にやった。責任は取らなければならない。
今の土御門様の言い様は、付喪神の方便を前提としているものではなかった。これは、本当のことの審議の場なのだ。この場にお祖父様や父様もいるということは、私一人のことでは済まないと言うことで、橋元の家にも係わることなのかもと思うと、檜扇を握る手に力が入る。
「まずは源明様。件の精霊をここに」
土御門様の言葉に、お祖父様の背後から女房が現れる。その腕に抱えるのは、封印された文箱。
「開封いたします」
大広間が更に静かになる。
封印の札が破られると同時に燃えて消え、文箱の蓋が金の光に押されて自然に開いた。ざわりと、体の中がざわめくのは、私の特別のせい。
「橋元琳子、中身をあらためてください」
土御門様の指示に、女房が文箱を私の手の届かない場所で、そっと傾ける。
中には、見慣れぬ紋様で封じられた絵本とリボン。私が書いた式札の上で揺れながら光る珠。布にくるまれて眠るエードラム。
「精霊とそれにまつわる物はこれですべてですか」
問いかけに、「いいえ」と答える。ここで事実を黙っても何にもならない。
私の答えに、皆の視線が私に向かう。
「精霊が、目覚めのきっかけは私だと言いました。私が精霊との古い契約を持っているからだと。なので、私自身もまつわる物です」
隠し事は凶事を招く。
「わかりました」
土御門様が穏やかにうなずく。
「源明様と光誠、これらついてわかることを教えください」
「では私から、そのリボンについて」
お祖父様が、名乗りを上げる。
「リボンが作られたのは、イギリスであろうと思われます。後水尾天皇へ徳川和子様がご入内された際、出島にいたイギリスの大使殿から贈られた祝いの品の一つだったと伺っております。そこに精霊が宿っていることを知る者がいたかはわかりませんが、それから二百年以上の間、その品は和子様のお子様の宮様に引き継がれ、やがて斎王様、斎院様に引き継がれていったそうです。そして環子様が橋元に御降嫁された際、朔子様よりのお守りとしてお持ちになられました。その後は朔子様のお許しがございましたので、琳子へ母の形見として持たせておりました」
昔イギリスからやってきたレース編みのリボンと母様が言っていたとは聞いていたけれど、ここまで詳しい話は初めて聞いた。
その後、光誠様が先日の夜と同じく、精霊が神に等しい力を持っていると説明し、お祖父様がそれに賛同した。
また、お祖父様が私の式札をまねて精霊を呼び出そうとしてもできなかったことも報告された。
「では、橋元琳子。あの夜の精霊との詳細を教えてください。また、このリボンに何かを感じたことがあるのかも、教えていただけますか」
土御門様から話を振られて、思わず光誠様を見てしまう。無言の問いに、光誠様が返事をくれた。
「すべて、皆様ご承知です」
つまり、何を話してもかまわないということなのだろう。本当は、私の知らない事まで周知されているのかもと不快にも思う。でも、当事者である私の言葉に作為を持たせないための処置なら仕方ないとわかってもいる。なら、思ったこと、知っていることをそのままに。それが自分の不甲斐なさであったとしても、まだ少しだけ気が楽だ。
「まず、お伝えします。私が式としてその精霊を使役することはできません。その精霊が言うには、複数の精霊がリボンの中にはいて、私が捕らえることができたのはほんの一部だそうです。それも、彼らの法則でなければ使役はかなわず、今の私にはその法則はわかっておりません」
室内がざわめく。
「ですが、術は使っていた。どうやったのです」
土御門様が少し身を乗り出す様に聞いてくる。
「リンク、と精霊は言いました。私と、そのリボンの元々の持ち主だった魔女とに間にリンク――繋がりがあると。だから、魔女の使っていた術が使えると。それが、あの夜の術です」
「魔女、とは?」
答えられず、光誠様に助けを請う。
「僭越ですが、私からご説明いたします。魔女とは、イギリスなどの異国における識者です。医術や天文等の知識を有し、人々を助けた者のことです」
「術師ではなく、識者であると?」
「はい。しかし、中には精霊や悪魔――怪異と契約し、強大な力を持った者も居たと言われています。そのリボンの持ち主も、そのような魔女だったのでしょう」
「光誠、あなたが感じたあの夜の術は、あなたが使う異国の術と同じものでしたか?」
「まったく同じものではありませんでした。ですが、あのような術を使う者に、イギリスにいた間で会ったことはあります。彼女も魔女と呼ばれる一族の出身でした」
また、室内が静かにざわめく。
「わかりました。では橋元琳子、その繋がりとはどういうものですか?」
「……」
右耳裏の髪の一房。染めて隠している私の秘密。今までは不用意に話してはいけない、悟られてはいけないと言われてきた。でも、今回はそれも隠す事ではないと私は判断した。
「……特別と、精霊は言いました。私が、異国の古い契約を持っていて、精霊にも、魔女にも繋がる者だと。リボンを付けると力を感じます。体の中をざわざわと巡る強い力です。精霊は魔女の力だと言っていました。それを、あの術の時に精霊の助けをかりて使いました。リボンと共にその媒体となっているのが、この銀の髪――」
ぱんっ、と物を打つ音に、言葉が途切れた。何が起こったかわからないまま、静まりかえった大広間に告知の声が響く。
「賀茂斎院、媛宮朔子内親王様、御入室にございます」
広間がいっせいに頭を下げる。
急なことに、頭の中がついていけない。
賀茂斎院の内親王様が実在していたこと。それがあの朔子様だと言うこと。
私の話を遮ったこの場面で、その朔子様がいらっしゃること。
頭を下げて、衣擦れの音を聞きながら、また増えてしまった疑問につめていた息が苦しくなってきたのを感じていた。
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