十六

「面をお上げください」

 女房の言葉に、そろりと顔を上げる。

 御簾の奥に見える白に縁取られた人影。その気配は確かにあの朔子様で間違いなかった。

 では、私の話を遮ったあの音も、朔子様? 何かの意図があるのだろうけれど、その真意がわからない。そもそもこの方が本当に賀茂斎院様ならば、私が仕えているのは朔子様と言うことだ。その上でここにいらっしゃるということは、私に対して何らかの裁決をするためとしか思えない。

 天子様の勅令に、賀茂斎院様の登場? 息をつめて、飲み込んで。事の大きさに、ますます苦しくなる。

 そもそも、精霊を式にしようなんて、私が思っていたことじゃない。光誠様のせいでやらされただけのこと。

 それにエードラム達が出てきた事だって、たまたま持っていたリボンに魔女アリスの思いが残っていただけのこと。

 こんなこと、私は望んでいなかった。なのに、なんで!

 なんで、こんなことばかり私に起きるのか!――と、投げてしまえれば、少しは楽なのだろうか。でも、できない。私は、私の今までを裏切りたくない。ほんの欠片でも、陰陽師と認められるものが私にあるなら、そのために努力してきた私を捨てたくない。

 御簾の奥、なにやら問答があった後、女房が脇に座り直した。

「このような立場では初めて名乗らせていただきます。賀茂斎院、朔子です」

 直接話し始めた朔子様に、皆の気配が張りつめる。

「御簾も上げてくださいとお願いしたのですが、体面などと益体もないことを気にする者がまだいるようです。直接お話をしたかったのですが、このままで失礼いたしますね。さて」

 砕けた口調が、急に厳しいものに変わる。

「詮議をと天子様が申したと伝えたはずですが、くだらぬ与太話をいつまで続けるのでしょうか? ここは、いつもの陰陽寮の検証の場ではありません。この陰陽師、橋元琳子が有害か無害かを決める場です」

 ぱちんと朔子様の檜扇が鳴らされる。

「異国のことなど直接は関係ないはずです。ただこう問えばいいだけではありませんか」

 すっと、朔子様の檜扇が私に向けられる。

「陰陽師橋元琳子、貴殿はこの異国の力、なんのために使う気か、と」

 真っ直ぐに。その問いかけに、私は戸惑った。

 なんのために、と問われれば、その答えはとうに決まっている。

 けれど、今の私にそれを言うことが許されるのだろうか。なにもかも中途半端なのに、こんなことを望んでいいのだろうか。

 すぐに答えられず、飲み込んだ言葉達が胸の中で暴れて、苦しい。

 思わずうつむいた頭に、そっと触れる感触。これは……

『琳子、ここからは先は試練だ。間違えず、己を信じなさい』

 優しい感触に、先読みの陰陽師の言葉を思い出す。

 見つめた先で、お祖父様は静かに目を閉じていた。でも、今感じたのはお祖父様の式だ。

 そうか。試練は、一度ではないのか。この精霊と係わること自体が試練なら、私は――

 大きく息を吸って、正面の御簾の奥にいる朔子様の目を見据える。

「賀茂斎院様。なんのためにと問われたならば、答えは一つしかございません」

 朔子様の檜扇がゆっくりと下ろされる。

「そもそも陰陽道とは、大陸より伝わった陰陽五行に、先達が内外の数多の技を加え練り上げた、この国の安泰を担うためものです。この異国の力もまた、もたらされた新たな技の一つ。まだ未熟ではありますが、私は陰陽師です。この国の陰陽師としてある以上、この身が持つ力はすべてこの日の本の安泰のためにあります。私のこの新たな力もそのために使えるよう精進したく思っております」

 静まる中、反応はそれぞれ。姫陰陽師と揶揄されるくらいだもの。こんなことくらいは覚悟していた。でも、あの夜、決めたのだ。私は、エードラムの教えてくれた強い私を信じたい。信じていると、胸を張って言い続けたい。あの力を使える私を手に入れたい。

 だからどうか、こんな望みを持つことを許して欲しい。

 土御門様が、御簾越しに女房と話しをし、振り返る。

「では、採決をさせていただきます。橋元琳子への勅令に否の者は」

 すっと、一人が土御門様へと体の向きを変え、礼をした。

「おそれながら。この者は陰陽師としては力不足。このような者を陰陽師とすること自体、そもそも間違ってはおりませんか?」

 嘲笑を含む言葉に、思わず同意してしまう。そんなこと、私が一番わかっている。さて、これに賛同する方々は? 今までは直接こんな批判を聞く機会なんかなかったから、逆に興味が湧いてしまう。ああ、違う。これは気が昂ぶっているのだ。

 数名が動くかすかな気配。けれど、賛同者が名乗り出る前に、朔子様が黙らせてしまった。

「まったく、その通りです。そう思うのであれば、お前が導けばいいでしょう。幸いなことに、この者は厳密には陰陽師ではありません。十二神将を呼び、異国の精霊をも従えさせた者を導ける覚悟があるのならば、存分に鍛えて欲しいものです」

 危険人物。改めて自分の立場を実感する。しかも、危険度が上がっている。

 朔子様の言葉に礼をして、その人は本来の場所へと座を戻した。

「他に、否の者はおりますでしょうか」

 土御門様の問いかけへの返答は、静寂。

「では、勅令を伝えます」

 胸元に入れていた奉書をひろげ、土御門様が読み上げる。

「橋元琳子の籍を陰陽寮に置き、陰陽寮にて陰陽生の任に付くことを命じる」

 一気に冷えた思考が、じわじわと熱を持つ。

 陰陽寮。陰陽生。やっと、始められる。

 歓迎されているとは言い難い雰囲気の中、それでも嬉しいと思ってしまう。

 指の先まで綺麗に揃えて、拝命いたしますと礼をしようとしたとき、朔子様の声が割り込んだ。

「加えて、この橋元琳子は今上天皇の叔母である環子女王の娘であり、この賀茂斎院媛宮朔子が後見に付く娘です。なので、特別な呼称で呼んでいただきましょう」

 楽しげな声が、ほんの一息ほどの間を取った。

「姫陰陽師」

 鈴の音が、それを告げる。

 思わず下げかけていた頭を上げて、御簾の奥の奥を見ようとしてしまう。が、見ることなど叶うわけがない。

「その志、まっとうすることです。見ていますよ、琳子」

 周りのどよめきが歪んで聞こえる中、朔子様の声だけが鮮明に聞こえる。

 握りしめた手をなんとか開いて、つめていた息を吐き出す。

 意図はわからない。けれど、もうどうだっていい。私は、前に進むのだ。

 ぐっとお腹に力を入れて、震えないように声にも力を込め、ゆっくりと頭を下げる。

「謹んで、拝命いたします」



 文久二年(一八六二年)九月。

 こうして私は、姫陰陽師になった。

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姫陰陽師、なる! 野之ひと葉 @nono1yo

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