牛車は御所の郁芳門いくほうもんで止まった。ここからは歩いて陰陽寮に向う。

 門の中は、外と同様に真っ直ぐな道で区切られた町のよう。

 入ってきた門から伸びる道をそのまま道なりに歩き二つ目の角を北に向かうと陰陽寮と中務省を囲む塀が見えてくる。その奥に見えるのが禁裏を囲む塀だ。

 陰陽寮の門は南に面していて、今日の門番は前回騒ぎを起こしてしまった時と同じ人。今回は光誠様が取次をしてくれたので、すぐに入ることができた。

 陰陽寮は屋根の上に天文台のある二階建てのような外観をしている。それを見られるのは、《見る目を持っている人》だけだけれど。そうでない人には、普通の屋根に見える呪がかけられている。この天文台では、天文生てんもんのしょうが戌刻と寅刻に星を読む。

 入口は門からゆるく曲がった道の先。そこを入ると、簀子縁すのこえんが左右に伸びている。本来なら簀子縁に沿ってひさしの間の蔀が並ぶのだろうけど、ここでは一面壁になっており、裏は陰陽博士と陰陽生が学ぶ膨大な書庫となっている。ここには各部屋への入口はない。入るには許可を持つ誰かに付き添ってもらわなければいけない。入口のないこの壁が、中の秘密を守っているのだ。

 光誠様が入ってすぐの壁に木製の式札をかざし、呪と唱える。すると、半間分の壁が消えて、どこかの部屋へとつながった。

「琳子殿、こちらへ」

 言われるまま中へ入ると、そこは意外に明るい部屋だった。

 天文台が建つ大きな中庭に面した廂の間二間分の広さの部屋には、陰陽師が使う道具一式、几帳と机。そこに私と、同じく消えた壁から入ってきた光誠様、そして、壁からにじみ出るように現れたもう一人。

「早くの出仕、ご苦労です。久しぶりですね、琳子さん」

「おはようございます。ご無沙汰しております、倉橋様」

 迎えてくれたのは陰陽助おんみょうのすけの倉橋様。うちの神社で巫女をされていた透子様とご結婚された公家様で、以前からの顔見知りだ。

「先日の出仕は難儀でしたね」

「はい。何事もなく行くとは思うなと、父からも言われていた通りでした」

「お陰でこちらの調整も捗りましたよ。媛宮様が後見の姫の一点張りで、強引に決められましたから。さて」

 倉橋様が扇を鳴らすと、式の童子が円座を並べてくれる。

「琳子さん、小野殿。確認事項がいくつかあります。立ち話もなんですから、座ってください」

 勧められて、倉橋様と向かい合って座る。光誠様は少し離れて座った。

「ここに来る間で聞いていると思いますが、琳子さんの身分は斎院様の姫君となっております。なので陰陽寮の役人と同様に働いてもらうことはできません。ですが、貴方の希望は大方叶うと思いますよ」

 それはさっき光誠様から聞いていたので、頷いて承諾の意思を伝える。

「具体的には、どんな?」

「まずは仕事の内容ですね。陰陽寮の仕事をすることはできなくなってしまいましたが、その代わり、斎院様の代理として陰陽寮の全てに関わることが出来ます。もちろん、斎院様が望まれれば極秘事項への関与も可能です。陰陽寮の陰陽師の職務も、斎院様に報告するための検証という形で、好きにしていただいてかまいません」

 なんだかそれって…

「逆に私にとっては好都合の様に感じられるのですが」

「そうですね。ただ、何事にも程度があります。出過ぎることはもちろん心象が悪くなるおそれがあります。当然、斎院様を言い訳に好き勝手はできません。けれど何もしないことは貴方の本位ではないでしょう?」 

「はい」

「そこで、小野殿に調整役として貴方についていただくことにしました」

 倉橋様が光誠様に視線を移す。

「小野殿。賀茂斎院からの監視者と言う立場で、陰陽寮は貴殿の指示に従うことを受け入れました。ですが貴殿もここではまだ異端の認識を拭えていないことは十分に考慮していただきたい。陰陽寮は貴殿同様斎院様の庇護を受ける者が多くおりますが、近頃はそうでない者も増えてまいりました。慎重に行動されるよう、お願いいたします」

「ご忠告、いたみいります」

 お互い少し険のある物言いなのは、実際は色々と問題が多いからなのだろう。

 光誠様への忠告だけれど、それはそのまま私への忠告だ。事実、私の存在は面倒なのだろう。そして、光誠様の存在も大差ないようだ。

 その後の話はまさに確認事項。

 まずは、今いる部屋が私が割り当てられた部屋であり、ここにあるものは自由に使って構わないが、持ち込むことはできないこと。

 陰陽師は六人で役割を分担する――四つの方位の占に、禁裏を中心とした京の占、天子様の占――のだけれど、七人目の私が入ったからといって今までの六人でのやり方を変更はしないこと。

 何の占をするかは私が判断して構わないが、毎日の上午の議での報告はすること。

 出仕は陰陽寮の規定に関係なく、自由にしていいこと。

 必ず牛車で出仕すること。

 いついかなる時も光誠様を同伴し、判断を仰ぐこと。

 など。

 そして最後に、倉橋様は私に言明した。

「琳子さん、私は貴方が陰陽寮に属することに反対です」

 思ってもいなかった言葉に、驚く。

「これは透子も同じ意見です」

 そして、それに続く言葉に唇を噛む。

 倉橋様は、九歳の私が起こした事件を知ってもなお、態度を変えずにいてくれた一人だった。

 透子様は御婚礼までの四年をうちの神社で過ごされて、修行で弱音を吐く私を慰めてくれた人だ。

 私のことをわかってもらえていると思っていた二人に否定されたことが、悲しくて悔しい。

「琳子さん、私達は貴方の努力を知っています。悔しい思いをしてきたことも、逃げ出したいと思うようなことを耐えてきたことも知っています。だからこそ、もうこれ以上貴方が苦しむのを見たくはないのです」

 言葉は、ゆっくり諭す様。

「もう、十分ではないのですか? 貴方は十分頑張った。十二神将がもう呼べないのは、あの時限りに力だったということでもいいのではないですか? 貴方の頑張りを知りもせず揶揄する者など、どうでもいいではありませんか。そんな下らない考えを持つ者がいる陰陽寮に出仕などして、更に辛い思いなどしなくいていいのではありませんか?」

 言われて、悲しくて、悔しい。けれど、そう考えなかったことがなかったとは言えない。

 逃げるための言い訳なら、百も千も考えた。

 それでも私が納得できなかった。

「倉橋様、ありがとうございます。私自身のことをそこまで考えていただけるとは、思ってもおりませんでした」

 頭を下げて礼をする。そして、できる限り楽しげに笑って、真っ直ぐに倉橋様を見つめた。

「大丈夫です。私は、私を信じると決めたんです。たとえ九歳の時のあの力がもう使えなくても、私は私の出来る限りで頑張ると決めたんです」

 心の中で、紗和さんの言葉が蘇る。

 ――力があるのなら、それを正しく使うことこそ人がこの世にあることの意義なんだと思う。

 私もそう思う。

「今までの私にできなかったことが、これからできるのだとしたら、私は私が手にした力を正しく使いたい。そのために陰陽寮にいる必要があるのなら、苦労などなんの問題にもなりません」

 倉橋様は私をじっくりと見つめて、そして、静かに笑った。

「貴方は、環子様に似たのですね」

 母様の名前が出てきたことに、問い返そうと思ったけれど、もう倉橋様は私ではなく光誠様に話しかけていた。

「小野殿、琳子姫のこと、くれぐれも頼みます。これがこの方の本心で望みならば、それを守るのも貴殿の役目。私はこれ以上の関与は叶いませんので」

 光誠様がうなづくのを確認すると、倉橋様は私に頭を下げた。

「琳子姫、私はこれにて退室させていただきます。以降何かあればそこの小野光誠をお使いください。上午の議にてお待ちいたしております」

 斎院様の姫君へ挨拶をしたその姿が、ぼやけていく。

「あの、透子様にも、ありがとうとお伝えください。私は大丈夫ですと」

 姿が消える寸前、倉橋様がいつもの笑顔を見せてくれた。

 円座に残った人形に、私は再度頭を下げた。

 大丈夫。ここにはこうやって、私を気遣ってくれる人もいるのだから。

 きっと、大丈夫。大丈夫。


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【郁芳門(いくほうもん)】平安京大内裏の外郭十二門のひとつ。

【戌刻】午後7〜9時

【寅刻】午前3〜5時

【簀子・廂】寝殿造の名称。簀子は濡れ縁、廂は濡れ縁に沿って並ぶ小部屋。小部屋に囲まれた奥に寝殿(主殿)がある。陰陽寮では寝殿部分が中庭になっている(もちろん想像)。

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