倉橋様が去った室内に、衣擦れの音。

 光誠様が部屋の隅に座り直して、目を閉じる。

 ここからは、お勤めの時間ということなのだろう。

 さて、何をしようか?

 とりあえず、父様に言われていたことをやらなければと立ち上がると、どこからか現れた童子が三つの円座を持って消えた。そしてまた現れると、式盤と机の置かれた畳を光誠様から隠すように几帳を整えて、丁寧にお辞儀をして消えていった。

 書庫の喧騒も、微かな物音も聞こえない静かな室内は、陰陽寮自体に張られた結界と、四隅の結界が作り出しているという。

 こんなに静かなのも落ち着かないが、集中が必要な占には願ってもない環境だ。

 天地が刻まれた式盤の上には筮竹、そして前もって預けていた私物の小袋。近頃の陰陽師は卜占に筮竹を使う者が多い。けれども私には筮竹は馴染まなかった。代わりに使うのは、自分で拾い集めた石。小さい頃、母様の代わりに世話をしてくれていた陰陽師見習いの伽奈かなさんから教えてもらったやり方だ。

 式盤の天地を整えて、盤面に小袋の中をそっと出す。爪ほどの大きさの石に印をつけた物五十個がからからと小さな山を作った。この中から、今から行う占に見合う石を選ぶ。占うのは、この部屋の安全について。結界を疑いまず最初に行う陰陽師の慣例だという。

 式盤の上で、ころころと石の山を手のひらで崩す。熱を持って感じる一つを除き、今度は盤面に広がった石から、意味を持って光る物を十個ほど寄せて、他の石を除く。

 式盤の中央、北斗七星の文曲星もんごくしょう廉貞星れんていしょうの間に最初の一石を置いて、寄せていた石を手のひらで包み、呪を唱えて盤面に落とす。それぞれの石が落とされて転がった先の盤面を読み占をするのだ。

 室内、室外の害意はない。均等に張られた結界は占を邪魔することもなく、綺麗だ。ただ、一つ異変があるとすれば、光誠様。占が示すのは混沌。これは、どういう?

 几帳で見えない光誠様を、そっと体を傾けて覗き見る。

 と、同じ様に身を乗り出してこちらを見つめる光誠様と目が合った。

 驚いて、見つめ合うこと、しばし。

「す、すまない!」

 目をそらした光誠様につられて、私も目をそらす。その視線の先には、石が転がる式盤。なるほど、混沌とはこれか。

「光誠様」

 几帳から顔を出し、話しかける。

「こちらでご覧になりますか?」

 所在なく俯いていた顔が、こちらを向く。

「いいのか?」

 少し戸惑う様子に、

「構いませんよ。いつも人前でやっていることですから」

 答えて、盤面が見やすいように畳に一人分の場所を作る。

 そろりと几帳の内側に入ってきた光誠様は、式盤をじっと見つめて、石かとつぶやき畳に座った。

「音が違ったので、何をしているのかと思ったんだが、石で占を?」

「はい。珍しいですよね。私も教えてくれた方の家門以外でこのやり方をする方を知りません」

「教えてくれた方とは?」

「光誠様もご存知ですよ。私の世話をしてくださっていた、伽奈さんです」

 真明兄様と同い年の伽奈さんは、輿入れする二十歳まで陰陽師の修行をしながら私の世話をしてくれていた。今は陰陽師として市井で占をしている。些細なことでも相談できる気安さと、確かな占で女人に人気の陰陽師だ。

「伽奈さんの家門は、五星ごせいか?」

 五星家は賀茂斎院に仕える女官の家系だ。そして、女系陰陽師の先駆けと言われている。

「教えてくださったお祖母様がそちらの出だ、と聞いてます」

「そうか、そこで繋がるのか」

 つぶやいて更に式盤を見つめる光誠様が、腕を組み、左の拳で顎をこんこんと叩く。あれは思案の構えだと、厚明兄様がよくからかっていた、それ。

 見覚えのあるその姿に、ようやく記憶の中の《みつたか兄様》と眼の前の光誠様が同じ人なのだと実感が湧く。

 ならば。

「光誠様」

 呼びかけると、眉をしかめて、それでもこちらを向いてくれる。

「この度は面倒なお役目を引き受けてくださり、改めて御礼申し上げます」

 頭を下げ、そして間髪入れずに、

「この数日、精霊に対してまいりましたが、私では力不足であることを痛感しております。ですので異国に詳しい光誠様のお知恵をお貸しいただきたいのです。ご助力いただけますでしょうか?」

 更に深く頭を下げる。すると、

「もちろん、協力させてもらいたい」

 生真面目に姿勢を正す光誠様に、確信する。

 この人は、何も変わっていない。あの頃のままの《みつたか兄様》なのだ、と。

「もとより、斎院様から琳子殿の補佐をするよう仰せつかっている。そもそもこのような異例の事態を起こしてしまったことは、私の責任。ただ、私の専門では今回のことにどれほど対応できるかはわからない。どれほどの力になれるか、わからないのだ」

 弱気な言葉に今の状況の難しさを再認識させられる。けれど、興味も湧いてくる。

「専門が違うのですか?」

「ああ。私が使うのは魔術で、精霊の力を借りて魔女が使うのは魔法だ」

「魔術と、魔法」

「詳しく言うなら、魔術は魔力で発現する力だ。魔力は術師が個々に持っているもので、術式を介して魔力を行使する。術式は…こういう物がある」

 机に用意されていた紙を光誠様が取り出した懐剣ほどの長さの棒でなぞると、光の線で丸と三角のような図形が現れた。

「これは生命と草のルーンで書かれた術式になる。これに魔力を流すと」

 床に置いた紙に、棒を向ける。

「ウェイク」

 紙の上に小さな草原ができた。

「魔力を多くすれば、この部屋を森にすることも可能だ。逆に小さくすれば、一本だけ草を生やす事もできる」

「呪符のようなものですか?」

「現象をあらかじめ指定して、発現させるという意味では似ている。だが、呪符や式札は魔法に近い気がする。あれは何らかの契約の元に使われる力だ。魔術は術者の熟練度が全てだ」

 魔法は精霊との契約が力の元。それなら、確かに多くの精霊を見つけることが必要かもしれない。

 けれどそれがこの国で可能なのだろうか?

「聞きたいことがあります。今、契約した精霊から、この国にいる精霊を五体捕まえるように言われているのですが、精霊がいる場所の見当がつかなくて困っています。光誠様は精霊を見かけたこと、ありますか?」

 斎宮様の元に連れて行かれた時、光誠様はエードラムと話していた。私以外で精霊を認識でき、異国の知識を持っているなら、ひょっとしたら?

「それは、かなり難しいのでは…」

『琳子、それはこいつに聞いても無駄だよ』

 渋い表情の光誠様の眼前に、不意に現れたのは、エードラム。

「エル! どうやって入ったの!」

 ここの結界が確かなことはさっき占で確かめた。

 だからアリスのリボンがない私の元には、もしエードラムが来ようとしてもたどり着けないだろうと思っていたのに。

『そんなの簡単だよ。琳子、力を何かに使ったよね。君の力はこの国では異質だからすぐわかった。だから、それを辿ってきたら、この魔術師の術が邪魔してきてさ。でも、見失わないでここまできたの、褒めてくれる?』

 満面の笑みのエードラム。

 でもこれは、褒めることなのだろうか?

 困って光誠様を見れば、エードラムの向こう、更に渋い顔でエードラムを睨みつけている。

 つまりこれは、まずい状況なのでは?

 というか、結界が破られているということは、非常事態なのでは?

 どう対応しようか、必死で考える横で、エードラムがぱたぱたと飛び回る。

『それにしても琳子、まだそんな簡単なことで迷ってたの? 言ったよね、探しすなんて無駄だよって』

 え? どういうこと?

「そんなこと、一言も聞いてないけど?」

『言ったよ。場所なんて関係ないって』

 あれは、そういう意味なんだろうか?

『あと、この魔術師に精霊のこと聞いたって無駄だからやめた方がいい』

 肩に止まったエードラムが、嫌悪を隠すことなく光誠様を指さした。

『こいつが魔術師なのに精霊を見て、話せるってことは、こいつが《精霊の籠せいれいのかご》を持ってるからだ』

 エードラムの言葉に、光誠様が目を眇める。

『《精霊の籠》は、魔女の才能がないものでも精霊を見て、話すことができる魔術具だ。琳子、魔術しか使わない魔術師が、精霊を求めるのはなんでだと思う?』

「え? なんで?」

「精霊を捕らえるため、ですよ」

 疑問で返してしまった問への答えは、光誠様。

 襟元から細い鎖を出すと、その先に付いている文字盤ごと掲げてみせる。

「精霊、お前が言うのはこれだろ?」

『そう、それ。そんな物持ち歩くヤツの前に、わざわざ出ていく精霊なんかいるわけない』

 不穏な雰囲気に、それが良い使われ方をしないものだと察せられる。

「そうだとして、どうして今になってこれを気にする? 今までも気づいていたんじゃないのか?」

『だって、あんたは琳子の敵だったじゃないか。敵なら、いざとなったら僕らでどうしようと構わないだろ? なのにあんたは琳子の味方だとか言うしさ。そんなもの持ち歩いて味方とか、ありえないってわかってるんだろ、魔術師』

 ますます険悪になっていく二人にどうすればいいかわからなくなりながらも、エードラムの言葉に驚く。

 いい加減で突拍子もなくて、正直苦手だと思っていたエードラムが、私のことでこんな態度をとってくれるんだと、少し嬉しくなる。

『琳子、精霊を捕まえた魔術師は、自分の魔力を増やすために精霊を殺すんだよ。コイツだって』

 とはいえ、そんな怖い話は聞きたくない。

 どうしようと思っていると、

「I haven't done it!(私はそんなことはやっていない!)」

 光誠様が異国の言葉で叫んだ。

『Really? Is there any evidence?(へー。じゃあ、証明してみせてよ)』

 エードラムも異国の言葉で返す。

 そこからは、私の知らない言葉の応酬が続く。

 仕方がないので、私は言い合いに背を向け、五十の石を式盤に戻し、言われてもいない占を黙々とこなし記録をつけることに集中する。

 占に没頭して、しばらく。

 いつしか怒鳴り合いは鳴りを潜め、振り返ると一人と一精霊は部屋の隅に移動して、頭を突き合わせて話し込んでいた。

 エードラムの足が、楽しげにはたはたと動いている。

 今はまだわからないことだらけでも、案外うまくいくのかもと、なんだかそんな気がしてきた。


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【琳子の占】本来の陰陽師の卜占「六壬神課(りくじんしんか)」に、「リソマンシー(石占い)」を合体させた物をイメージしている。

【懐剣】長さは12〜15cmくらい。

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