十一
その日の夕食は、父様と二人でだった。
陰陽寮で歴権博士の任のある父様の歴は評判で、貴族の方からも個人的な依頼をいただくほど。なので、家にいてもずっと仕事をしている父様とはめったに顔を合わせる事はない。
しかも、いつもは神職の者、修行のため住み込んでいる者など十人以上で食べる広間で、父様と私の二人だけの食事など記憶にない。
いただきますと手を合わせ、箸を持つ。食べる音さえ立ててはいけないような、なんとも言えない静寂。
「今日は」
不意に、父様が話しかけてきた。
「はい!」
驚いて応えてしまう。畳一つ分ほどの距離で、父様がそれに驚いている。
しばらく二人で動けなくなって。
なんでこう、いつもうまくいかないのか。
「今日は、陰陽寮はどうだった」
なんとか話し出してくれた父様は、前回の惨事があったから心配してくれたのだろう。だから、こうして二人だけの夕食を用意してくれたのだと思う。
「今日は、大丈夫でした」
言ってから、足りな過ぎると思い、
「今日は、千早だったので楽でした。光誠様が随行者でいらしたのには驚きました。でも、色々と助けていただいたので、ありがたいと思いました。倉橋様ともお話しました。あ、部屋に入ってからは父様の言いつけ通り、結界を確認しました。陰陽寮の結界はとても緻密で、綺麗だと思いました。あとは、占をしたら、光誠様に珍しいって言われました。光誠様から魔術のことも聞きました。上午の議にも出ました。初めてで、こんな風にやるんだって、凄いなって、思って…」
思い出しながら話すと、また今日の占のことを考えてしまう。
「琳子、何があった?」
言葉が途切れた私に、父様が声をかけてくれる。
話し下手だからとあまり会話をしてくれないくせに、何かあればいつも一番に怒ってくるくせに、心配だと式を送ってきては驚かせるくせに。でも――だから、私が本当に困った時には一番に気がついてくれる。
前回だって迷惑をかけたのに、今回の事は陰陽師のことだから巻き込みたくないと思っているのに。
「ゆっくりでいいから、話せるなら話しなさい」
父様の精一杯の優しい声。それでも怒られてるみたいだけれど。
「…上午の議の前、占を試してみて、その結果が気になってしまって」
思い切って言葉にすると、案外素直に話せて安堵していたら。
「怖い占か?」
父様の言葉に、呆けてしまった。
それは、私がまだ占を始めたばかりの六つの頃に言っていた言葉。怖い占、楽しい占、嬉しい占、悲しい占。あの頃は、父様が家にいると嬉しくて、何でも報告に行っていた。そんな、自分でも忘れていたことを覚えているなんて。
父上は琳子のことになると面倒になる。
兄様達がよく笑いながら言っていたことを思い出す。
困らせることばかりの娘が面倒で言われていたのかもと思っていた。
でも、違うことなんだと、いつからかわかってはいた。それでも距離を縮めようとしなかったのは、私。きっと私は父様の望むような――母様みたいになれていないだめな娘だと思い込んでいたから。
箸を置いて、居住まいを正す。
「聞いてもらえますか。その、私が勝手に気に病んでいることなのですが」
こんな相談を父様にするのは初めてだ。今までは、真明兄様がいてくれたから、兄様にばかり相談していた。
それを、父様もわかっている。だから、居住まいを正して向き合ってくれる。
「構わない。話しなさい」
左京の占の違い。私が紗和さんを心配していること。火の気と水の気が接することで生まれる木の気が示す嫌な暗示のこと。
食事のことも忘れて、話し込んでしまった。
「思わぬところから蛇が出たか」
すべて聞き終わっても、父様は怒らなかった。
「ごめんなさい。以後は占も気をつけます」
「いや、大丈夫だ。誰も考え得なかったことがあぶり出された。そう思えばいい」
確かに結果は褒められたものだとしても、経緯はどうなんだろう。
やはり、だめなことをしてしまったとしか思えない。
「琳子、なぜ陰陽寮の陰陽師は六人もいると思う?」
うつむく私に、父様が問う。
「より確かな占を得るため、ですか?」
「いいや、あえて様々な占を得るためだ」
言い切る父様になぜと思う。
なぜ、そんな無駄なことを?
そんな私の思いが伝わったからか、父様は少し間を置いて話し始めた。
「陰陽寮の陰陽師の官位は従七位上だ。これは暦博士と同位だ。なのに、暦博士は一人。それより上位の陰陽博士、天文博士でさえ一人だ。確かな占をする者がいるのであれば、陰陽師も一人でいい。あとは学生を設ければいい。だが、陰陽師は六人。これは、占が不安定なものであるからの人数だ。その不安定な占でさえ、無駄なものと考えない、ということだ」
そういえば、と思い出す。
占を書き込む京の略図の横、意味があるのかわからないが文が添えられていた。
秋の実り多きことを願い。
その占は、左京の水の気を詳細に書き込んでいた。
陰陽師は請われて動くもの。けれど、陰陽寮はそれだけではないのかもしれない。請われているのはこの国の安寧ではあるけれど、それをどの様に占で見るかは陰陽師自身が判断していい、ということだろうか?
だから倉橋様は私に、何の占をするかは好きにして構わないと言ったのだろうか?
「琳子の占のように、思わぬことがあぶり出されることも、陰陽師の重要な役割だ。悔やむことなどない」
父様の言葉が、背中を押してくれる。
「私、この占を確かめたいと思っています。それって可能ですか」
「どのようにだ?」
「左京に行きます。あと、紗和さんと話します」
父様は少し考え込んで、
「占の確認は陰陽生がすることだ。が、琳子は《姫陰陽師》だ。自由にしていいのだろう」
「わかりました。明日光誠様に聞いてみます」
光誠様の名を出すと、嫌そうな顔をする。
あまり話題にしない方がいいかもしれない。
すっかり冷めてしまった夕食に箸を付けながらぽつぽつと話す。
初めてのことに話題が続かないが、厚明兄様の文――元気にしている事と、村垣様に聞いた出島での様子は父様も楽しそうに聞いてくれた。
エードラムのことでは再度渋い顔をされてしまった。
それでもこんな時間を持てたことが嬉しかった。
姫陰陽師、なる! 野之ひと葉 @nono1yo
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