一
ずっと待ち望んでいた日の朝、目覚めた時の気分はとても良かった。きっと今日することは全部うまくいくと思えてしまうほど。
穏やかな晴れの日を占ったから、予定通りの青い空は理想通り。
早朝から頑張って掃除をした部屋は、蔀戸をすべて開けて清浄な風を行き渡らせた。丁寧に拭いた畳の香りが心地いい。
方角は迷ったけれど、それより欲しい《姿》に近い陽光を選んで、南東の明るい窓の下に文机を置いた。
思いを込めて磨ったから、墨も良い力が入って光る龍を宿したようにうねっている。
禊ぎで整えた心身にも少しでも縁を持ちたくて、いつもの総髪に飾ったのは元結ではなく、同じ土地から渡来した古いレース編みのリボン。母様の形見をこうして身につけるのは初めてだ。
最後に塩で結界を張って、傍らには愛刀の
準備はすべて整った。
文机の真新しい札に向かって、深呼吸をして、おろしたての筆を取る。
背筋を伸ばして、最初の一筆に集中する。
新しい式札を作る時の緊張感にはいつまでもたっても慣れなかった。でも今日は、やっと私の希望がかなうんだと思うと、楽しみでたまらない。
丁寧に手順を踏んで、決めていた印を書き上げる。
呼び出したいのは、目の前に広げたイギリスの絵本に描かれたようなかわいい精霊。私の式はどれもかわいくはないから、ぜひかわいいのが欲しい!
おいで、ここにおいで、私の所に!と強く念じて、猪目と十文字、晴明桔梗印を書いた式札に向かって印を結び、呪を唱える。
式札の上の陽光がゆらりと蠢く。ゆらゆらとありえるはずのない動きで踊る陽光が、式札に吸い込まれていく。
願っていた反応に、気持ちも踊る。
徐々に増す力が抵抗するのを自分の気で包みこんでいく。いつもと違う力の質が、ここにあるのが望んだものかもしれないとわくわくさせる。
それにしても、強い。
味わったことのない強い抵抗感に、気が乱れそうになる。負ける想像は失敗を呼び寄せる。それは許されない。集中を一段強くする。
でも、強い。
段々と戒めを強くしていっても、かなわないほどに膨れ上がる光の力。
捕らえなくては、絶対に!
(でも、なんで?)
ぽんっと、疑問が浮かぶ。
(なんのためにこれが欲しいの?)
この疑問はなんだろうと思う体の中を、ざらりと何かが通り抜けた。
途端、わきあがったものが私の気を巻き込んで、強い力となった光を強引に抑えこんだ。弾けた光が、結界を壊して部屋の外まであふれ出す。
何が起こったのか、わからない。
一瞬で勝手に事が進んで、収まってしまった。
なぜ?
呆然としていると、ばたばたと走ってくる音が近づいて、
「
御簾を巻き上げて、凄い形相でこま子が部屋に入ってきた。まだ十二だっていうのに、しっかり者の見習いは、最近ではすっかり私の監視役になってしまった。
何をって、なんだろう? 私は、何をしていたっけ?
戻らない思考に、意味のない言葉がこぼれる。
「えっと、あのね、これは――っん?」
どう説明すればいいのかと光が渦を巻いた室内を見渡して、その中心にある札の異変に気づいた。
何だろう、札の上に光が集まって、小さな珠ができている。
「……それ、なんです?」
こま子も気づいたのか、怖々と聞いてくる。
本当に、何だろう?
式とは違う、温かい感じ。
「おい、おこま、なんか派手に光ったけど……って、なんだこりゃ?」
禰宜の
札の上の珠は虹色に光りながら、部屋中に広がった光の粒をゆっくりと吸い寄せている。気配はなんだかほわほわと温かいけど、これは駄目だろうと思ってしまう程の強い力を感じる。
私には手におえない。だから――そうだ、呼ばなくちゃいけないんだ。
「ごめんね、こま子。お祖父様と父様、あと、
これで安心だと前のめりになる私に、
「え? 光誠様って……?」
なぜだろう、こま子が困っている。
「小野光誠兄様、こういう時はいつも来てもらってるでしょ?」
「いえ。そんなこと、一度もありませんが」
あれ? なんでこま子が知らないんだろう?
こま子はここに来てまだ一年だから、知らないのかな?
「こま子、洋装の小野様のことだよ。三月ほど前に、帰国のご挨拶に一度に来られただろ」
仁史さんに言われて、それならとうなずく。
「そう、その光誠兄様。こういうことは光誠兄様に聞かないと駄目だから」
いつも迷惑かけてて申し訳ないなと思うんだけど、下手に自分だけでなんとかしようとしても、後で怒られるのはわかってる。そう、いつも――って、いつ?
なぜか不思議そうに私を見る二人の目の前を、光の粒がふわふわと流れて行く。
「……わかりました。とりあえず皆様を急いでお呼びしますけど、後で私にもちゃんと説明してくださいね!」
こま子の声が耳に痛く響く。
説明って、何を? どう?
自分のことなのに、わからない。
最近ずっとこうだ。
これが変な事だってわかっているけど、ぼんやりとして、わからなくなる。
考えられなくなる。
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