光が見えた途端、足下の感触が砂利になった。暗くて狭い通路をほんの数歩進んだだけで、私は別の場所にいた。

 明るさに白くなった視界が戻ると、四角い青空が見えた。白い玉砂利の庭だろうか? 正面の御簾越しには何人かの人の気配が微かに。息が苦しく感じるのは、向けられる気が強いからだ。

「小野光誠様、参りした」

 御簾の前に控えた女房の声に、その微かな気配すらぴたりと止まった。

 すっと、光誠様が砂利の上に用意された毛氈に膝を折って座り、指をついて礼をする。

 慌てて倣う。童子が変わらずにこにこしながら私に倣う。

「参内、ご苦労でした。早速見分させてもらいます」

 強い男の声。参内ってことは、ここは塀の中――禁中だ。

 本当に来てしまった。思わず握りしめた手のひらに、爪が痛い。

「御意。札と珠をそちらに」

 光誠様の言葉に、女房の一人が盆を持って来る。この女房には童子が見えているようで、童子に向かって盆を差し出した。目の前に盆が差し出されれば、普通はこれに乗せるのだろうとわかるはずだけれど、童子にはわからないらしい。興味がないのかまた私を見てにこにこしてしまう。

「札と珠をここへ置くよう」

 見かねて光誠様が指示を出してもだめ。

 何とかしなければと慌てて童子に教えようと伸ばした手へ、童子が袂の珠を近づけて来る。

 これって触っていいの?と思ったのと、「やめろ!」「だめだ!」「琳子!」の声が重なる。

 けれど、時すでに遅し。

 指先にちょんと触れた暖かなものは、次の瞬間光の粒となって弾けて、きつく閉じた目を開けた時には、私の指先を握る小さな小さな童子の姿に変わっていた。

 混乱で、思考が止まる。

 目に映るのは、手を繋いでいた童子が消えていること。代わって、こちらもにこにこと私を見ている指の先の五寸ほど童子が、舞の胡蝶こちょう迦陵頻かりょうびんの様な姿で、背の羽は本当にはたはたと動いていること。

「琳子! お前はなんてことを!!」

 血の気が引いて、冷たい汗を感じていると、聞きなれた父様の怒声が御簾の方から聞こえ、その人が姿を表す。

 いつもの怒り顔に、すっと何かが抜けていく。

「あ……私は」

「誠に申し訳ございません!」

 けれどそれも、さっと平伏した光誠様の切羽詰まった声にまた現実に戻される。

 慌てて頭を下げようとすると、

「もう、よいでしょう」

 女の柔らかい、楽しげな鈴の音のような言葉が御簾の奥から聞こえてきた。

「橋元、それ以上困らせては、大事な娘が泣き出してしまうでしょう? 光誠も面をおあげなさい。娘一人を皆で困らせてどうしようというの?」

 ころころと転がる言葉が、張りつめた気配を消してゆく。

 ゆっくりとすべての御簾が上げられて、奥の御方の姿が見えるようになった。

 父様と、陰陽の頭の土御門様、もう一人黒い洋装の男。控える女房が数人。そして、それより二段高い御座の、薄い紗で霞む御姿から目が離せなくなる。

 古の禁中、物語の源氏の君が愛したのはこんな姫だったのでは、と思う本当の姫君がそこにいた。

 たおやかに脇息にもたれ、幾重にも重ねた着物には豊かな白い髪が美しい紋様を添え、桧扇で口許を隠されていても、薄い墨色に見える目がゆったりと微笑んでいる。

 禁中の事はそんなに詳しくはないから、この方がどんな身分の方なのかはわからない。おそらくそれなりに妙齢なのだと思う。けれど、穏やかな華を持つ姫君。そしてそれ以上に、およそ人の持ち得る類ではない強い力を感じる。おそらくあの御簾や紗は、これを隠すものでもあるのだろう。

 きゅっと、指先が握られる。小さな童子が困った顔で私を見上げていた。

「頭の古い者ばかりで難儀をさせますね、橋元の娘陰陽師。わたくしは、朔子さくこ。あまり無理も効かないので、このままでお話をしてもらえるかしら?」

 ひらりと桧扇を揺らし、小首を傾げる。

 なぜだろう。その声に懐かしさを感じる。どこかで、お会いした事があっただろうか?

 とはいえ、親しみやすい御方なのだろうけど、これほどの御方にかしこまらない対応でいいんだろうか?

 困る私の視界のすみで、父様も困り顔で小さくうなづいている。

 ならばと気圧されるのをぐっとお腹に力を入れて堪えて、震えないように声にも力を込めた。

「橋元琳子です。私は、いいので、どうかそのままで」

 頭を下げると、ふっと圧が軽くなった。驚いて顔を上げると、

「頭の古い者ばかり。困ったものね」

 扇で口元を隠されて、土御門様をそっと見られる。

 なるほど。試されている訳だ。腹の底に不快が蠢く。

 まだ指先を握りしめている小さな童子。これが私の式なら、守るのが私の義務だ。たとえ、半人前以下の陰陽師だとしても。

「土御門。任せます」

 朔子様に礼をして、土御門様が膝を進める。

「橋元琳子、その異形についての子細をお話しください」

 覚悟は決めて来た。

 さて、何をどこまで話していいのか。

 ぐるり周りを見回して、私は慎重に口を開いた。

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