五
光が見えた途端、足下の感触が砂利になった。暗くて狭い通路をほんの数歩進んだだけで、私は別の場所にいた。
明るさに白くなった視界が戻ると、四角い青空が見えた。白い玉砂利の庭だろうか? 正面の御簾越しには何人かの人の気配が微かに。息が苦しく感じるのは、向けられる気が強いからだ。
「小野光誠様、参りした」
御簾の前に控えた女房の声に、その微かな気配すらぴたりと止まった。
すっと、光誠様が砂利の上に用意された毛氈に膝を折って座り、指をついて礼をする。
慌てて倣う。童子が変わらずにこにこしながら私に倣う。
「参内、ご苦労でした。早速見分させてもらいます」
強い男の声。参内ってことは、ここは塀の中――禁中だ。
本当に来てしまった。思わず握りしめた手のひらに、爪が痛い。
「御意。札と珠をそちらに」
光誠様の言葉に、女房の一人が盆を持って来る。この女房には童子が見えているようで、童子に向かって盆を差し出した。目の前に盆が差し出されれば、普通はこれに乗せるのだろうとわかるはずだけれど、童子にはわからないらしい。興味がないのかまた私を見てにこにこしてしまう。
「札と珠をここへ置くよう」
見かねて光誠様が指示を出してもだめ。
何とかしなければと慌てて童子に教えようと伸ばした手へ、童子が袂の珠を近づけて来る。
これって触っていいの?と思ったのと、「やめろ!」「だめだ!」「琳子!」の声が重なる。
けれど、時すでに遅し。
指先にちょんと触れた暖かなものは、次の瞬間光の粒となって弾けて、きつく閉じた目を開けた時には、私の指先を握る小さな小さな童子の姿に変わっていた。
混乱で、思考が止まる。
目に映るのは、手を繋いでいた童子が消えていること。代わって、こちらもにこにこと私を見ている指の先の五寸ほど童子が、舞の
「琳子! お前はなんてことを!!」
血の気が引いて、冷たい汗を感じていると、聞きなれた父様の怒声が御簾の方から聞こえ、その人が姿を表す。
いつもの怒り顔に、すっと何かが抜けていく。
「あ……私は」
「誠に申し訳ございません!」
けれどそれも、さっと平伏した光誠様の切羽詰まった声にまた現実に戻される。
慌てて頭を下げようとすると、
「もう、よいでしょう」
女の柔らかい、楽しげな鈴の音のような言葉が御簾の奥から聞こえてきた。
「橋元、それ以上困らせては、大事な娘が泣き出してしまうでしょう? 光誠も面をおあげなさい。娘一人を皆で困らせてどうしようというの?」
ころころと転がる言葉が、張りつめた気配を消してゆく。
ゆっくりとすべての御簾が上げられて、奥の御方の姿が見えるようになった。
父様と、陰陽の頭の土御門様、もう一人黒い洋装の男。控える女房が数人。そして、それより二段高い御座の、薄い紗で霞む御姿から目が離せなくなる。
古の禁中、物語の源氏の君が愛したのはこんな姫だったのでは、と思う本当の姫君がそこにいた。
たおやかに脇息にもたれ、幾重にも重ねた着物には豊かな白い髪が美しい紋様を添え、桧扇で口許を隠されていても、薄い墨色に見える目がゆったりと微笑んでいる。
禁中の事はそんなに詳しくはないから、この方がどんな身分の方なのかはわからない。おそらくそれなりに妙齢なのだと思う。けれど、穏やかな華を持つ姫君。そしてそれ以上に、およそ人の持ち得る類ではない強い力を感じる。おそらくあの御簾や紗は、これを隠すものでもあるのだろう。
きゅっと、指先が握られる。小さな童子が困った顔で私を見上げていた。
「頭の古い者ばかりで難儀をさせますね、橋元の娘陰陽師。わたくしは、
ひらりと桧扇を揺らし、小首を傾げる。
なぜだろう。その声に懐かしさを感じる。どこかで、お会いした事があっただろうか?
とはいえ、親しみやすい御方なのだろうけど、これほどの御方にかしこまらない対応でいいんだろうか?
困る私の視界のすみで、父様も困り顔で小さくうなづいている。
ならばと気圧されるのをぐっとお腹に力を入れて堪えて、震えないように声にも力を込めた。
「橋元琳子です。私は、いいので、どうかそのままで」
頭を下げると、ふっと圧が軽くなった。驚いて顔を上げると、
「頭の古い者ばかり。困ったものね」
扇で口元を隠されて、土御門様をそっと見られる。
なるほど。試されている訳だ。腹の底に不快が蠢く。
まだ指先を握りしめている小さな童子。これが私の式なら、守るのが私の義務だ。たとえ、半人前以下の陰陽師だとしても。
「土御門。任せます」
朔子様に礼をして、土御門様が膝を進める。
「橋元琳子、その異形についての子細をお話しください」
覚悟は決めて来た。
さて、何をどこまで話していいのか。
ぐるり周りを見回して、私は慎重に口を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます