十二
炎の壁は、闇を喰らって一瞬で消えた。
『黙れと言ったぞ、術師!!』
怪異の闇が、半身を起こして棒を持った光誠様に向かう。
「リトライ」
棒の先に光の輪ができ、炎の壁が今度は光誠様と怪異をさえぎる。
その隙になんとか立ち上がって、光誠様は続けて術を使った。
「フロウ、ムーブ、スラウンド」
玉砂利が浮き上がり、怪異を取り囲んで包み隠す。
「ロック」
怪異を囲んだ玉砂利の円が、凝縮され小さな玉なる。
「ファイヤーランス!」
空中に無数の炎の槍が玉砂利の塊に突き刺さり、中から炎が上がった。
これが異国の術。それは、とても綺麗で強くて、悔しかった。
『彼、凄いね。僕も魔術師はそんなに知らないけど、術が簡潔で早い。あれは、オリジナルかな?』
エードラムの言葉も、悔しい。
まだ痛むのか、歩きづらそうに光誠様がこちらに来る。
その堅い表情に、彼の意志が固いことがわかる。
「君は、本当に弱い。それはそんな君の手には余るものだ」
沓脱石の手前で立ち止まり、静かに話す。
事実は痛くて苦しい。防ぐ事しかできなかった私は、うつむいてそれを聞いた。
「もうわかっているようだから、俺のやったことは謝る。君をこんなことに巻き込むつもりはなかった。責任は俺にある。だから、《付喪神》を消しに来た。それを渡して欲しい」
差し出された手のひらを見ながら、エードラムがいる肩を指で触れる。さっき感じた、ほんわりと温かい感触。あれにもう一度触れたかった。
そんな私の思いを察してくれたのか、小さな温もりが指先を撫でてくれた。
だめだな、私は。結局、自分の弱さでなくいしてばかりだ。こうやってまた、味気ないことの繰り返しに戻る事しか考えられなくなってゆく。
そんな私の負の思いも察したのか、不意にエードラムの足に指をぽこりと蹴られた。
驚く私ににやりと笑うと、エードラムはぱたぱたと私の前、光誠様と向き合う位置に飛んできて、わざとらしく大きなため息とついてみせた。
『あのさ、さっきから琳子を弱いって言ってるけど、弱くないよ。君、わかってないなぁ』
何を言い出す?
光誠様も、怪訝な顔をしている。
『いいか、魔術師。この世には、お前の知らないことの方が多いって、わかってる? 強さの基準だって、色々あるんだ』
不機嫌に言い放つと、くるりと私を振り返った。
『琳子、これ、また髪につけて』
エードラムが、ずっと抱えていたリボンを私に差し出した。
ためらっていると、いいからほら、と持たされる。
「だめだ! 早くそれを渡すんだ!」
必死な言葉に、光誠様を見て、決意する。何もできないくせにと言われるのも、誰かの力に焦がれるのも、もうやめたい。エードラムの言う、強い私を信じたい。
総髪に、手探りでリボンを結ぶ。光誠様の言葉はもう聞かない。
「何をするの?」
エードラムの自信満々な顔に、強気で聞いてみる。
『強いところ見せようよ。大丈夫、君は特別だから』
楽しげなエードラムは、ぱたぱたと私の頭の回りを一周する。
「その特別って、なんなの?」
さっきから何度も繰り返される言葉。
『琳子が特別ってことだよ? だって、君、人では持てない物を持ってるだろ?』
さらりと言って、エードラムは私の右耳の裏の髪を撫でた。とたん、一房がが根本から毛先まで一気に元々の銀色に戻る。
それは、誰にも知られたくない私の秘密。
いつから、どうやって知った!?
『琳子、あれがまた襲ってくるよ』
エードラムが耳元で囁いた。
からからと、石の音がする。
庭の黒くすすけた玉砂利の塊が、少しずつ壊れている。
「光誠様、あれが!」
復活しそうと言う間もなく、こぼれた闇が光誠様を捕らえた。口をふさがれ、体を縛られ、その手から術に使っていた棒が落ちる。
じゃらりと玉砂利の塊を崩し、闇が立ち上がった。そこにはもう、朔子様の影はかけらもない。
『さあ、邪魔な男は捕らえた。この男、殺そうか? 嬲ろうか? お前はどうしたい?』
がさがさと甲高い声が、楽しげに問いかける。
『助けたいか? ああ、それなら交換だ。その力を、寄こせ!』
闇の一部が向かって来るのを、とっさに花椿を抜いて受ける。
間近に見た闇は強い淀み。なんの構えもなく受け止めた強い力は、両手で支えるだけで返せない。
「かけまくもかしこき
祝詞を唱え、刀身に息を吹きかけると、そこから銀色の光が太刀に広がり、力が宿る。
「かしこみかしこみももうす」
闇との均衡が崩れて、込める力で闇が押されていく。
もう少し、あと少し。柄を握る手に体ごとぐっと押し込むように力をのせ、振り切る。
払われた闇は庭の塊に戻り、甲高く鳴きながら蠢いた。
『消せないの?』
エードラムの問いに、
「これで精一杯!」
花椿を構えたまま答える。
『じゃあ、消そう』
「できるの!? どうやって!」
『説明より、やるよ』
不安がぬぐえないまま、それでも肝を据える。やると言うなら、やるしかない。
エードラムがリボンの端を持って、肩に立つ。
『いいかい、今から言うのはアリスの呪文だ。アリスと君には特別なリンクができてるから、アリスの力も借りれる』
リンクってなに?と思いながら、どこかで聞いたような、とも思う。
『その剣、琳子と馴染んでるから、杖の代わりにするよ。片手で持って、あれに向かってのばして』
言われるまま、光を消した花椿を闇の塊に向ける。
『続けて言って。そよぐ風草木を揺らし』
「そよぐ風草木を揺らし」
『猛る風世界を揺らす』
「猛る風世界を揺らす」
今朝、あの札の力を押さえ込んだ時と同じ力が、ざらりと体に入り込んでくる。そして、体の隅々まで行き渡っていく。
『揺れて払え、忌まわしきもの』
「揺れて払え、忌まわしきもの」
頭の中に、もう一つの声がする。言葉まではわからない、少し低い女性の声。これが、アリスの声? リンクってこと?
『凪をもたらせ』
「凪を、もたらせ」
視界が一瞬で金と銀の光で覆われた。
庭の木々、草花、池、石、土塀、瓦、大小の生き物たち。それらが金や銀の光る粒をまとって、私の力に呼応する。
全身に行き渡っていた力が導かれるまま花椿を持つ手のひらに向かって急激に流れていき、視界すべての光る粒を飲み込んで闇に向かって飛んでいく。
闇の塊が、光に覆われたのは刹那。急に闇の塊の下から風の渦が現れ、ごごごと音と立てるほどの強い渦になって闇を包んでいく。
『やだやだやだ!! 消えたくっ…』
そして、闇が叫ぶ声ごと包み終えると、ふっと消えた。
風の渦の余韻が、葉ずれの音として残るだけ。
庭にすすけた玉砂利の山があるだけ。
後は、静かな月光の庭があるだけ。
『上出来だね、琳子』
目に前の事が理解しきれなくて呆然としていると、エードラムの小さな手が頭を撫でた。
『見てごらんよ、綺麗だよ』
束ねていた髪が解かれる。巫女装束のために伸ばしている腰まである髪が、肩から胸元へとこぼれてくる。その色が、銀色?
「な、んで! え、これ……!?」
手で後ろ髪を集めて見ても、全部が銀色。あ、それとも目がおかしい? さっきの光の影響か、空中の光るもやが飛び交うのが見える。
『全部変わってるよ。精霊とつながったからね。鏡とかある?』
言われて、部屋の奥の手鏡をのぞき込む。けれど映る物が信じられなくて、明かりの下でもう一度鏡を見た。
映るのは、銀の髪に透ける程白い肌、青と緑が混ざる瞳の、私ではない私。
言葉が出ず、座り込む。
『だから君は特別って言ったでしょ』
エードラムが、目の前でにこにこと笑う。
『琳子は、二つの力を持ってるんだ。一つはこの国の神様とつながる力。もう一つが、君の中にあるとても古い契約で、僕らの国の精霊とつながる力。君はこっちの方が強いんだよ』
聞いたこともない話に、考えがついていかない。
『つまり、君は魔女の血筋だってこと。アリスの力だって使えるほどの、凄い魔女の素質があるってこと』
魔女?って、つまり、
「絵本にあった、精霊とかフェアリーとかを使役する、魔女?」
『そのとおり!』
ああ、だからか。
色々わからなくて混乱していたことの一つが、わかった。
あの絵本の光誠様の術でイギリスの事に興味を持ったのだろうけど、懐かしいと、戻りたいと気持ちが揺れたのは、このせいなのだ。
わからないことだらけでも、何か一つ腑に落ちただけで、気持ちが落ち着いた。
と、遠くから近づく足音がいくつか。
これだけ騒いだら、気づかれて当然で。
「エードラム、どうしよう……」
姿のこと、庭のこと、光誠様――は、消えた?
『とりあえず、剣しまったら? 後は、僕は知らない』
エードラムが満面の笑みで飛び回る。
ああ、そもそもエードラムをなんて説明したらいいんだろう。私だって、まだわからないことだらけなのに。
花椿を鞘に戻して、ころりと畳に寝転がる。
もう、なるようにしかならないよね。
疲れた。私ももう、限界。
そのまま、本当に意識がなくなってしまった。
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