一
明け六つの境内。
毎朝の習慣になっている剣術の型の最後の一振りをして、からっぽになったまま空を見上げる。そのまま意識を開放すると、目を閉じても見える空の光景にしばらく身を委ねるのが好きだった。
好きだったけれど、今は違う。
四日前、エードラムが戻って来てから、この習慣は苦行に変わってしまった。
エードラムが言うところのやたらと知識と叫ぶうるさいおじいさんーーラウルがこの国にも精霊はいるから、それを五体捕まえる訓練から始める必要がある、と言うのだ。それが魔女になる第一歩だと。
見上げた空にゆっくりと広げていく意識を、いつもと違う角度から見る感覚で見えないものの気配を探っていく。けれども、今日も何も感じることはできなかった。
深く息を吐いて、いつの間にか強張っていたものをそっと下ろす。
『また、だめ?』
ふわふわと漂って来たエードラムが、気の抜けた声で話しかけてくる。
「まだだめだね」
いつの間にか落としていた木刀を拾って、日陰になっている石垣に腰を下ろした。朝とはいえ、夏の日差しは肌に痛い。
『まだ?』
「うん。感覚が掴めないというか、方法が違うというか?」
実は、精霊を見つけることには成功している。風の精霊で、名前を持たない中級の子をたまたま見つけていた。
エードラムが戻って来て、精霊の話を聞いた次の日。風の強い中外出をして戻って来たら、その子が私の髪のその銀の一束に隠れてついてきていた。
だから、不可能ではないはずなのだ。必ず方法はあるはず。まだ、それを見つけていないだけ。
『琳子、強欲だって言われない?』
いつものように呆れた口調で、エードラムが首をかしげる。
ラウルと違って、エードラムは精霊を探すことに興味はないらしい。
だって、僕らがいるでしょ?と言う。
僕らがいれば、琳子もアリスみたいになれるよ、って。
エードラムは、どこまでも偉大なる魔女アリス至上主義だ。
「諦めが悪いとはよく言われる、かな」
誰にとか、どういう時にとか、あまりしたくない話になりそうで、わざと興味がないように返す。
わかっている。
私の努力は人並みじゃ全然足りないってことくらい。そう思ってやってきたって、まだ目指す半分もできない。
「やっぱり、場所じゃないかな?」
色々誤魔化したくて、わざと大きな声で言ってみる。
『場所? 関係あるかな?』
相変わらず乗り気じゃない様子でふわふわ飛びながら、いい加減に返事をしてくる。
でも私にも、そう思う根拠がある。
たまたま見つけた風の中級精霊は、この神社の敷地に入るのを凄く嫌がっていた。
鳥居の手前で何度も髪を引っ張られて引き止められた。そして、鳥居をくぐることなく、名残惜しげに消えてしまった。
その後鳥居の外で何度か見かけたし、近寄っても来たけれど、一度も鳥居の中まで付いてくることはなかった。
「あると思うんだけど。エードラムのいたアイルランドには、聖域ってなかった?」
『あるよ』
「じゃあ、わかるかな? ここも糺の森って聖域の中なんだけど」
『そうだね、特別な場所ってことはわかるよ』
「それだけ?」
『うん。自然の力が満ちてて好きだよ』
話が噛み合わない。
この感覚のずれは、エードラムが上級精霊だから、かな?
どう言えばこの能天気に伝わるかな、と思案しかけた耳に、
『違うぞ。これが鈍感なんじゃ』
急に話し方が変わったエードラムの声。
「ラウル?」
『いかにも。娘、なかなか良いところに目をつけた』
ちょこんと膝に降りてきて、さてと、どこから出したのかわからない本を開いた。
『古今、儂らは自然の中のそれぞれに合った力を源として存在しておる。娘の言う通り、この場はこの土地の神の力が強い。そのままでは儂らに害を及ぼすほどにな。それ故、主アリスの保護を受けながら、未だ本来の姿になれぬ者もおる。それ程の力に、保護のない精霊が近づけぬのも道理。この場で精霊を探すより、精霊の好む場所を探ることこそ大事であろう』
一気に話し終えると、本を閉じる。
『質問はあるかね』
見上げられて、慌てて考える。ラウルは手のひらに乗るほどの大きさなのに、エードラムと違って逆らっちゃいけないような気迫がある。
「精霊の好む場所って、わかってるのでしょうか?」
『わからんな。儂の知識にはこの国は含まれておらんからの。じゃが、見当はつくであろう? 娘、あのグィーの下僕をどこで見つけた?』
グィーの下僕って、確かあの風の中級精霊のことだったはず。
あれは…
「鴨川の橋を渡った時に風が強くて。だぶん、その時だと」
『それでよい。この地のことは娘の方がよく知っておろう。考えよ。探れ。止まらぬ者にこそ幸は訪れる』
『そして、琳子には朝の客がやってくる』
にやっと笑う、これはエードラム。
「いたずら、しないでね」
たとえ相手にエードラムが見えていないとわかっていても、一度ひやひやさせられたことがある。
『僕が? するわけないよ』
精霊ってこんなのばかり?
とぼけた顔のエードラムを連れて、朝の客人を迎えるため木戸に向かった。
ーーーーーーーーー
【明け六つ】午前6時ごろ
【エードラム】ゲール語で光
【ラウル】ゲール語で図書館
【グィー】ゲール語で風
【魔女アリス】アリス・キテラ。1324年にアイルランドで初めて魔女として訴えられた人物。
※ゲール語は読みがネット上にないものもあるので、耳で聞いた音を書き起こしています。琳子も同じ状況だと思うので、琳子にはこう聞こえたってことでご容赦ください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます