第13話 啓蟄

 春が近づくといつも気後れしてしまう。

 生命が生まれ、成長する春。動物も、植物もそして人も。生命力溢れて輝かしく見えた。

 それに比べて私はどうだろう。何も変わっていない自分を見て憂鬱になる。


 大人はある一定の期間を過ぎると成長しなくなってしまう。ある程度自分という人間が決まってしまうからだ。

 子供の時は学年が1つ上がる、入学式や卒業式という節目になる行事のお陰で自分が成長していると実感することができた。それが無くなるとどうだろう。ただいたずらに年を取っているだけに思えてならない。

 さなぎから蝶へと姿を変えた芋虫の方が私よりも立派に、美しく生きているように見える。

 いつから桜を見てため息を吐くようになったんだろう。


(ああ。また季節が一巡したんだ)


 私は憂鬱な気持ちを振り切るようにぬるい空気の中を足早に歩いた。

 手袋やマフラーがいらなくなり、自分を覆っていたもの達が突然いなくなって心許なく思う。隠していた自分の見たくない部分があらわになるようで、心がそわそわした。


 あんなに「寒い冬が早く過ぎ去って欲しい」と思っていたのにいざ終わってしまうとどこか寂しさを感じる。私は結構わがままだ。


 町の中を歩いているとお店のショーウィンドウは桜で彩られとても華やかだった。黒いコートを着た自分が反射して見えると私は再びため息を吐く。春服のことすら考えていなかったしまだ朝は寒いのだ。暫く黒いコートは手放せそうにない。


 私はそっとショーウィンドウから離れると側にあった駐車場に寝そべる物体を見つけた。


「……猫?」


 思わず独り言を呟いたのは目の前に立派な猫が横たわっていたからだ。温かな日差しを体いっぱいに受けて目を細めている。驚いたのは野良猫とは思えない風貌をしていたからだ。

 薄くブラウンがかった長い毛並み、離れた大きな目に平べったい顔。どう見てもペルシャ猫だ。


 ペルシャ猫は自分の血統がどうとかそんなことお構いなしに日向ぼっこを楽しんでいる。近づいてみるとぐるぐると喉を鳴らす音が聞こえた。

 そういえば子供の時、友達の家で飼っていた猫もこんな感じでずっとゴロゴロしていなかったっけと思い出す。

 私は自然と猫のお腹に手を伸ばしていた。


「あったかい」


 ふわふわの毛と共に喉を鳴らす振動が私の掌全体に伝わってきてくすぐったい気持ちになる。

 

 生き物が進化と成長する春。猫と私だけは変わらない。


 何だかそれがとても面白く、愛おしく思えた。

 ペルシャ猫が鼈甲べっこう色をした瞳を開けて私を見てくれたので私も微笑んで見せる。

 私は黒いコートを脱いで片腕に掛けると春が訪れたばかりの世界を歩いた。

 帰ったら家にある春服でも漁ってみよう。

 



 

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