第17話 立夏

 普段よりも家族連れの多い街中。

 家族で食事に出るだけでも一苦労だ。どこの飲食店も行列ができ、会計するにも時間が掛かる。

 まだ外出して間もないのだが早くも疲れを感じていた。ああ……早く家に帰って寝転がりたい。録画した映画を消費したい……。


「パパ。あのお店見てくるから」


 化粧を施した妻が娘と息子の手を引きながら人だかりを指さす。

 飲食店の待ち時間中ぐずっていた子供達はいつの間にか機嫌を取り戻している。妻の両腕を引きちぎれんばかり引っ張っていた。


「ああ……。いってらっしゃい。そこのベンチで待ってるから」


 僕の情けない声に妻は答えることなく子供達と店に消えていく。妻の逞しい背中が映画で見た兵士のように見える。僕は敬礼して見送ることしかできなかった。

 体力無限大の子供達の相手をするのは楽な任務ではない。それをこなすことのできない自分に少しだけ罪悪感を抱く。


 妻の方が子供の扱いに慣れてるし下手に手を出さない方が良いんだ。いや、同僚なんて子供達にキャンプを教え込んだりしてるんだぞ?たかが買い物で何てざまだ……。


 ため息を吐きながらベンチに腰を下ろす。


「にゃお」

「わっ?何だ⁉」


 尻からくぐもった泣き声が聞こえてきて僕は慌てて腰を浮かした。

 

 ベンチには先客がいたのだ。僕に踏まれた怨みからか、グリーンアイが鋭く光っている。黒とグレーの縞模様をした大きな猫が丸くなっていたのだ。短いしっぽが不機嫌そうに上下に揺れている。


「ごめんなさい……」


 僕は取引先に対応するみたいにペコペコしながら反対側に座った。猫はその対応に満足したのか前足の上に顎を乗せる。


 まさかこんな所に猫がいるなんてな。僕はまじまじと猫を眺めた。

 やがて猫が急に何かを見つけたかのように顔を上げたのでつられて僕も同じ方角を見る。


(新緑だ……)


 猫が見ていたと思われるのは風で揺れる木の葉だった。強い日差しに当たって緑が眩しかった。久しぶりに木を見上げたかもしれない。


(葉ってこんなに綺麗だったんだなあ)


 暫く目の前の風景の美しさに見惚れていた。葉と葉の間から差し込む光、明るい緑と影になっている暗い緑のコントラスト。映画のワンシーンのようだ。

 ベンチのある場所は木陰になっていて快適だった。猫が好むのも頷ける。そんな僕らのもとに風が吹いた。土と木の香りを僕の鼻に運んでくる。


(これが風薫るということか)


 横を向くと猫のグリーンアイと視線があった。猫の横顔はどこか得意そうだ。

「な?いい場所だろう?」という低音の吹き替えが似合うだろうなと思った。

 

 周りの音が遠くに聞こえる。世界は猫と僕だけになった。


「あ!ねこちゃん!」


 世界をぶっ壊したのは怪獣……僕の子供達だ。

 猫はぼてっとベンチから降りると短いしっぽをピコピコさせながら何処かへ行ってしまった。


「あーあ。ねこちゃん、逃げちゃった」

「あんた達が大声出すからよ」


 子供達と妻の他愛もないやり取りを見て僕は自然と笑顔を浮かべる。


「猫さんが席を譲ってくれたんだよ。ほら、疲れたでしょう。座りな」


 三人が僕の隣に並んで座った。


「うわー綺麗!」

「すずしー!」

「本当。いつの間にこんな緑になったのね」


 僕らのもとに風が吹き抜ける。それは猫薫る五月の風だった。


 



 


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