猫の季節

ねむるこ

第1話  白露


 目覚まし時計の音で私は目が覚めた。


 ミノムシのように布団にくるまっていることに気が付く。日中の暑さはまだ残っているものの季節は確実に秋へと近づいているのだと思い知らされた。


 ああ恐ろしい!私は時の流れの早さに身震いすると日課のランニングをするためにベッドから飛び起きた。


 早朝の河川敷に人は少ない。私と同じようなランナーか犬の散歩をしているおじいさんがいるぐらいだ。

 澄み切った空気の中、水辺を走るのは気持ちがよかった。


 口に入ってくる新鮮な朝の空気が私の体全体に行き渡っていくようだ。

 高鳴る心臓、空気を入れ替える肺、温まっていく手足。走ることで私は私の体が今日も生きているのだと実感する。そう考えた後で少し大袈裟かも、なんて考えて一人で小さく笑った。

 

 暫く川沿いに走っていくと草むらが揺れ動くのが見えた。私は立ち止まってそれが何なのか目を凝らす。

 

 黒とオレンジ色があちこち体にちりばめられたサビ柄の猫が草むらに座っていたのだ。私の存在に気が付くことなく何かに夢中になっている。


 草を食べている……というより舐めていたのだ。


 どうしてだろう。私は自分の近くに生えている草に視線を落とす。

 

 ああ。草についていた水滴を舐めていたんだ。


 私は猫の行動に納得した後ですぐに疑問を抱いた。昨日雨は降っていないはずなのにどうして草は雨に濡れているんだろう。


「あの子はまた朝露を飲んでるね」


  隣から突然声がして私は思わず「うわっ」と情けない声を上げてしまった。後からじわじわと声を上げたことへの恥ずかしさが込み上げてくる。


 そのせいでサビ柄の猫は葉を舐めるのを止め、鋭い眼差しで此方を見た。

 ごめんなさい……。邪魔するつもりはなかったんだ。私は心の中でサビ柄の猫に謝った。


 私の隣に突然現れたのはおばあさんだった。手にはビニール袋と掃除用のトングが握られていることから河川敷の掃除をしていたのだろう。ランニングする時によく見かける方かもしれない。言葉を交わしたのは今日が初めてだ。


「朝露……ですか?」

「そう。若い人は分からないかしら。昼と夜の気温差が大きいと葉っぱに水が付くのよ。結露みたいなもの」

「へえ……。だから葉っぱが濡れてたんだ……」


 私は葉っぱが雨でも無いのに濡れている謎を解明すると一人で頷いた。結露なんてもっと先の現象だと思っていたのに。目の前に突如として現れた季節の変わり目に私はため息を吐いた。


「もう秋なんだな……」

「そうよ。1年なんてあっという間なんだから」


 おばあさんがそう言って楽しそうに笑った。

 私達の賑やかさに興ざめしたのか。サビ柄の猫は一瞬だけ冷ややかな視線を向け、とっとっとっ、という音が聞こえてきそうな足取りで私達の目の前から立ち去った。


 私はあの猫の名前を「秋」と名づけた。私が心の中で勝手に決めただけである。


 秋の訪れを教えてくれた猫。この道を毎朝走っていればいつかまた会えるかもしれない。

 

 私はおばあさんに頭を下げて再び走り始めた。

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