第2話 秋分

 四畳半の畳の部屋にこぽこぽという湯を沸かす音が聞こえる。

 私はこの湯が沸く音が好きだ。

 風炉釜ふろがまのお湯を柄杓ひしゃくすくい抹茶の粉末が入った茶碗に入れる。


 茶筅ちゃせんという武士のまげのような道具を使ってお茶をてるのだがこれが難しい。茶道ではお茶をれることを点てると表現する。


 カシャカシャと茶筅を茶碗の中で上下に素早く動かす。

 美しいお茶を点てるには手首のスナップが重要だ。


 そんな特殊な動きをしていたせいか。遠くから視線を感じた。視線の先にはでっぷりとした猫がいる。


 名前はみーちゃん。三毛猫のメスだ。パッチワークのような柄がとても可愛らしい。かれこれ10年の付き合いになる。


 茶筅の動きをジーっと見ていた。猫は動くものを注視する習性がある。

 何だかお茶の先生に見られているようで緊張する。背筋を伸ばすとそんなのお構いなしでみーちゃんは大あくびをした。普段ぐうたらしているので忘れていたがみーちゃんも獣だ。立派な鋭い歯が見える。

 私はその姿を見てくすりと一人で笑った。


 さっきまでの熱視線は何だったのか。私の行動など興味がないように自分の毛並みを舐めて整え始めた。本当に自由奔放なんだから呆れてしまう。でもそんな自由さが羨ましい。


 茶筅を茶碗の中で「の」の字を描くように動かした後、ふわりと浮かせて茶碗の側に置く。

 お茶は薄緑色の泡をまとった。我ながら上手く点てることができたと思う。お茶の先生の「上手ね」という声が脳内に自動再生された。


「みーちゃん。上手く点てられたよ!」


 思わずみーちゃんに報告する。

 私の声に反応するのではなく、みーちゃんはどこか一点を見つめると一目散に駆け出した。


 虫でもみつけたのだろうか?

 みーちゃんが辿り着いた先は庭へと続く大きな窓だった。お客様を呼んでお点前てまえをするときは障子で窓を隠してしまうのだが今は明け放した状態だ。


「どうしたの?」


 私はじーっと窓の外を眺める貫禄たっぷりなみーちゃんの背中を追う。少ししゃがんでみーちゃんと同じ目線で窓の外を見ると……。


 ひらひらと葉が地面に落ちていた。


 風で不規則な動きをする落ち葉が地面に落ちたところをみーちゃんはたしっと猫パンチを食らわせる。勿論窓があるからガラスに手を当てることになってしまうのだが本人はそんなのお構いなしだ。


 小さな猫の手はクリームパンのような餃子ぎょうざのような……不思議な形をしている。5本の爪を収納しているとは思えないほどに愛らしい。


「ああ。落ち葉にじゃれていたのね」


 庭に植わっている桜の木が緑色からほのかに薄緑、オレンジっぽいグラデーションがかかった色に変わっているのに気が付いた。


「もう紅葉してるんだ……。秋だねみーちゃん」


 思いがけず秋を感じて私はしみじみとした気持ちになった。茶道をしていると季節というものをより深く感じることができる。というのもお茶道具やお菓子、お花は季節に合わせたものを準備するからだ。


 ここのところ抹茶が体にしみるように感じたのは季節が秋へと移り変わっているからかもしれない。


「来週お客様がいらっしゃるんだった。どんなお花とお菓子にしようかな……。モミジが描かれたお茶碗でも準備しよう」


 季節が変わるたびに過ぎ去った時間を思い出して物悲しくなることがある。しかし自然が変化する姿はやはり美しいと思うのだ。

 茶室や茶道具を秋の装いに変えお客様をお迎えすることにワクワクしてきたし、落ち葉にじゃれるみーちゃんを見て先ほどの物悲しさはどこかへ吹き飛んでしまった。


「これからの季節楽しみだね。みーちゃん」


 これから起こる楽しい出来事を教えてくれたみーちゃんにお礼を言う。ふかふかの背中を優しく撫でると喉を鳴らす振動が私の手に伝わって来た。







 

 


 

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