第19話 芒種

 予報通り、下校時間に雨が降って来た。いつもより余裕のある僕は折り畳み傘を差し上げ、街と空を見る。今日は部活動も塾も休みなんだ。

 家に戻ってスマホ片手にゴロゴロするところだが今日の僕は違う。


 どこか寄り道でもするか、という気分でいる。勿論学校で寄り道は推奨していない。まっすぐ家に帰りなさいということだがそんなものは無視だ。

 そう思うと僕は無性にワクワクしてきた。

 さあ、どこへ向かおうかな?どうせなら行ったことのない所が良いなと思う。


 家とは真逆の方角に歩みを進める。いつもと違う景色に僕は新鮮な気持ちになった。方角を変えただけで、地図上で見れば何てことの無い距離だ。

 初めて見る景色にふと、思う。


 僕って狭い世界の中を生きてるんだな。

 何故か毎日同じ通学路を選び歩いている。安全だし、それが一番時間のかからないルートだから当然だろう。それが『通学路』というものだ。

 よくよく考えてみれば僕の一日の行動範囲は極めて狭い。学校と家と塾、それと友達の家……。地図上で小さな円を描けるぐらいに僕のいる世界はちっさい。何だか急に虚しくなってきたな……。

 どうせならもっと大きな円を描きたいものだ。今のうちに新規ルートでも開拓しておくか。


 僕は靴下に水がしみこむのも構わず歩みを進めた。

 地下に続く怪しい喫茶店とか、見かけたことない系列のコンビニを見つけてはテンションが上がる。そうか、道を逆に行くだけでもこんなに世界は変わるのか。

 やがて大通りに出ると、僕は心の中で声を上げた。


紫陽花あじさいだ!)


 雨のせいで灰色がかっていた景色に鮮やかな色彩が現れた。

 歩道の脇に紫陽花が植えられた通り、『紫陽花通り』に出たらしい。久しぶりに花を見て綺麗だなと思った。ああそういえば。紫陽花の花だと思ってる部分は花じゃなくて、がくか。理科の授業でそんなような話を聞いたのを思い出す。

 紫陽花の花はどこだっけ?なんて思いながら紫陽花を睨んでいると……。


「みゃおん」

「わっ⁉」


 突然、紫陽花の下から泣き声が聞こえてきて僕は思わず声を上げた。しゃがんでみると、灰色地の黒い縞模様が入った猫が座っていたのだ。紫陽花の傘で雨宿りとはなかなかいいセンスをしている。僕の傘なんて黒だぞ。


 僕は猫の顎の下を人差し指で擦ってやる。野良猫はうにゃとか変な声を出して目を細めた。満更でもないらしい。野良猫の行動範囲はきっと僕よりも広いんだろうな、なんて思った。


「お前は僕よりも円が大きいんだろうな」


 やがて野良猫は体をしならせて紫陽花の下から這い出た。


「あ。雨、止んでる」


 僕はゆっくりと折り畳み傘を下におろす。灰色の世界に光が差し込み始めた。同時に肌にべたつく暑さがまとわりつく。

 黒い縞模様の猫は僕の家と反対の方角を真っすぐに歩いて行く。そして一瞬だけ此方を振り返った。

 僕は……どうする? 

 

「まだ少しだけ先に進んでみるか」


 野良猫のひん曲がった尻尾を追って、僕も走り出す。



 



 

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