第10話 大寒
寒さは動物を弱らせる。それは人間も例外じゃない。
冬眠する動物がいるぐらいだから、人間だって冬眠したらいいのに。有給休暇ならぬ冬眠休暇を作って欲しい。
そんな下らない思考ができるのも今日、私が有給休暇を取得しているからである。折角の休みだというのに寒さのせいで思考も体も停止していた。
暖かい日だったら旅行だの、外食だの色々と行動できただろうに。化粧もせず、ぼさぼさの髪の毛、眼鏡がずり落ちている姿はとてもじゃないが人に見せられない。
これも寒さのせいだろう……。自分の手入れをすることすら億劫だ。
「今日はお休みなんだから、いいでしょう!ねえ、さくら」
私の足元にちょこんと座る、灰色の毛玉に声を掛ける。自分の名前に反応して、さくらは両耳をぴんっと立てた。ビー玉みたいな緑色の瞳をこちらに向ける。
「今日も可愛いかよ!よしよし」
私は屈んでさくらの右頬の口元のあたりを人差し指で撫でてやる。さくらはよく口元をこすりつけてくるからだ。
さくらは手抜きの私とは違い、ダークグレーの毛並みが美しい。スタイルも良いと思う。猫界でどんなスタイルがモテるとか分からないけど人間の私からしてみれば引き締まった体は良く見える。
メイクなんかしなくてもアイラインでも引いてるかのように目元がくっきりとしているし、目が大きかった。
ああ。私も猫になりたい。さくらのような美猫に!なんて思う日もある。
休日を迎える度に手持無沙汰な自分に虚しさを覚えた。暇だからこんな下らないことばかり考えてしまうのだ。
そうだ。趣味だ!新しい趣味を開拓すればいいんだ!私はさくらを撫でるのを止めるとさくらは不満そうな鳴き声を出す。
寒い季節に習い事始めると上達するという話を聞いたことがある。剣道の
でも何を始める?何も思いつかない。
ふと窓を見ると空から白い何かが降ってくるのが見えた。
「え……雪?やだー。明日会社行く時大変じゃん!」
私は思わず声を上げた。どうりで朝からエアコンの暖房が欠かせないわけだ。私に続いて、さくらもテーブルの上に飛び乗ると窓の外を見た。
緑色の瞳をまん丸にして空から降ってくる物体に夢中になっている。
「さくら、あんたそんなにびっくりしなくても。去年も見たでしょー?」
私はさくらの真剣な眼差しに思わず笑った。
雪に喜べなくなったのはいつからだろう。この年齢になると電車の運行状況を憂うことしかできなくなってしまった。
多分、人は年齢を重ねるほど新鮮な気持ちで喜ぶことができなくなるのだと思う。そりゃあそうだ。大体のことは経験してしまうから、世の中の事象に慣れてしまうのだ。
だけど毎年新鮮な表情をしてくれるさくらを見ていると改めて雪もいいものかもしれないと思い直すことができる。そうだよ。電車のことさえなければ雪って神秘的で綺麗じゃない。
私はさくらが雪に見惚れている間に郵便受けを確認することにした。
「さっむーい」
大きい独り言を言いながらポストに手を掛ける。案の定、広告が
私は無言で地面に落ちた広告を拾い集める。
「ん?」
その中で目を惹いたのは「茶道教室 生徒募集」の広告だ。それを見るなり私は直感でこれだ!と思った。
「さくら、私。茶道始めるわ。ほら、三毛猫のイラストが可愛いでしょう?」
私は帰ってくるなりさくらに報告した。しかしさくらは私に構うことなくずっと雪を眺めている。人の話を聞かないのはいつものことだ。
私もさくらと空から降ってくる粉雪を見つめる。なんだかこれから楽しくなってきそうだ。
始まりの雪は久しぶりに私の心を震わせた。冬眠なんてしてる暇ないかもしれない。
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