第11話 立春

「空が……明るい」


 仕事を終え、ふと空を見上げて驚いた。日が落ちるのが遅くなってきたようだ。つい最近まで会社を出ると真っ暗な空がお出迎えしていたというのに。

 ゆっくりとではあるが春が近づいて来ているようだ。

 とはいってもまだマフラーや手袋は欠かせない。私は北風に身を縮こませた。


「そうだ。ご飯買わないと……」


 私は軽くため息を吐く。今日は適当にスーパーのお惣菜で済ませよう。

 

「今日節分なんだ」


 スーパーの出入口に積まれた豆と鬼のお面を見て驚いた。

 大人になると季節のイベントを忘れる。仕事や家事、日々の生活に追われるせいだろうか。スーパーの催事を見て思い出すことが多い。

 子供の頃は学校やら家で季節のイベントを楽しむから季節を感じることができるのだろう。大人になった今、季節など感じる暇などない。ただ日々が過ぎていく。

 何だか私は急に虚しさを感じた。季節を感じる余裕というものがたまには必要かもしれない。


「それで恵方巻えほうまき?」

「そう。恵方巻」


 家に帰った私は夫……旦那。最近籍を入れたのであまりしっくりくる呼び方が分からないが夫に恵方巻を掲げて見せた。

 夫と共にノートパソコンの上で暖を取っていた小さな毛玉が私の方をじっと見た。

 半年前我が家にやって来た折れた耳が特徴的な子猫、きなこだった。スコティッシュ・フォールドという種類で、薄い茶色と濃い茶色のぶち柄をしている。薄い茶色の部分が多く、きなこの色っぽいことから「きなこ」と名付けたのだ。

 私は名前のセンスなどなかったので夫の直感により、きなこはきなこになった。

 生まれて二か月だというのにその動きは凄まじく、手に負えない。何度イヤフォンやコードが犠牲になったことか……。しかしそのふわふわの体、大きな瞳に免じて許してしまう。


「そ。たまには季節感あるものもいいでしょう」

「というか今日節分だったのか……。忘れてた」


 夫も私と同じ反応を見せて思わず笑ってしまった。

 私達が恵方巻を食べ始めた時、きなこがいつものように突然部屋を駆け回り始めた。自分の長いしっぽにじゃれついていたり、猫のおもちゃを取り出して一人で遊び始めた。


 きなこを止めようと思うのだが恵方巻を食べている間は黙っていなければならないのだ。私と夫はきなこの暴れっぷりを見逃してやる。


「やっと食べ終わった……。こら!きなこ!」


 私はきなこを探して部屋を歩き回った。暴れ出したかと思うと急に静かになる。

 すると夫が唇に指をあてて私を手招きした。私は何事かと思いながら夫に黙って近寄る。


「ほら。恵方猫えほうねこ


 夫が指さす先には……床に落ちた夫の上着の袖口から顔を覗かせるきなこの姿があった。筒状になっている袖に収まるその姿は恵方巻に見えなくもない。耳と体が見えない状態のきなこは猫ではない、奇妙な生き物に見える。

 夫のネーミングセンスの良さも相まって私は思わず声を出して笑った。


「本当だ。恵方猫だ」


 今日ばかりは生活の余裕、いや余韻を感じることができたと思う。


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