第8話「特訓」
ヤマワの助言は主に2つのことだった。
第1の助言は、地球人が置かれている状況についてだ。
地球にはまだ多くの主権国家が存在していたが、グローバル化の影響で国境は法的拘束力以外に意味をなさなくなっていた。経済は地球規模で影響を及ぼし合い、いずれの国にも似たような経済格差が生じていた。国家間の摩擦は影を潜め、代わりに貧富間の争いが世界各地で頻発していた。そして、その結果産み落とされた新形式のテロ行為が数年前から続発していた。
新形式とは富裕層を標的としたテロ行為だ。ただし殺害目的ではなく営利目的の場合が多い。具体的には富裕層の人物を襲ってその財産を奪い取り、それを貧困層に流すという行為だ。これらは組織的な犯罪ではなく、思想に感化した個人が同じ動機をもって実行する個別テロで、それらの思想に影響をうけた個人がまるで放射性物質の連鎖反応のように新たな犯罪者となっていった。そのため、国家警察がどれほど迅速に犯人を逮捕しても犯罪件数の減少には至っていない。タイカが遭遇した銀行強盗もその一部だ。
こういったテロ行為のやっかいなところは、当事者によって真逆の正義が存在することだ。富裕層にとっての悪は、貧困層にとっての善だった。
一昔前のヒーローたちは、別名「クライム・ファイター」ともいわれるように、事情に関わらずすべての犯罪行為に対処した。被害にあっているのは武器を持たない一般市民であったので、犯罪者がどんな事情を抱えていようとも、被害者にとってそれは一様に暴力だった。犯罪者に同情する一般市民がいない以上、ヒーローは遠慮することなくすべての犯罪者に挑めた。
しかし、現在は犯罪によって事情が異なる。私利私欲のために暴力に走る人間がいる一方で、本人は義賊のつもりで行動し、それを是とする一般市民がいる。そういう状況でヒーローたちは異なる正義の板挟みになるのだった。
第2の助言は、その情勢を踏まえた上でタイカの正義を明確にすることだった。
まず活動の動機や行動理念だが、それはヒーローによって違うので、いわゆる『決まりごと』みたいなものはない。バットマンのように自分の正体を隠して活動しているヒーローもいれば、アイアンマンのように正体を晒して活動する人もいる。スーパーマンは絶対的な正義を信じているが、スパイダーマンはヒーロー活動とその影響について常に葛藤する。大金持ちのヒーローもいれば働きながら活動するヒーローもいるし、戦隊のように組織に所属して活動するヒーローもいる。
ただし、ヒーローを描く上での大前提みたいなものはある。それはヒーローが必ず正義の側にいるということだ。一般市民がヒーローの行動に同調することで、「自分も正義の側にいる」と自覚できなければならない。犯罪者を懲らしめるのも、困っている人を助けるのも、最終的には一般市民の目に「正義が行われている」と映らなければならないのだ。
「君はどういう人を守りたいんだ?」
ローテーブルにおいてあるメモとペンを取りながら、ヤマワが問いかけた。タイカはしばらく考えた後で「悪事に対抗する力を持たない人たち」と答えた。
「それはつまり、貧困者ってこと?」
ヤマワがメモを取りながら言う。
「いや、というより出来事に対して無力な人たち」
「出来事?」
「うん。例えば武器で脅されている人がいたとして、その人が金持ちでも貧乏でも、その武器に対抗できなければ脅しに屈するしかないでしょ。そういう状況に置かれた人たちに加勢したい」
「つまり純粋なクライム・ファイターだね」
「まぁ、大抵は犯罪に巻き込まれた人が相手になるだろうね」
「こないだの銀行強盗の時みたいな状況になったら?」
「それはさっき君も言ったみたいに、動機がどうであれ無力な人たちがいる以上は加勢しないといけないと思うと、今は思ってる」
「うん。そうだろうね。じゃあ、君の行動理念は弱者救済だね。でも、この世界には色んな弱者がいるけど、弱者の定義はどうする?」
「定義?」
「そう。例えば貧困者も弱者のひとつだけど、彼らに加勢するということは、どこからかお金を持ってきて彼らに提供するの?」
「それじゃ銀行強盗と一緒にならない?」
「なるからこそ、最初に定義しとかないといけないんだよ。そうしないと、君の中で『弱者』が増殖するよ」
「なるほど。僕が想定しているのは犯罪に対する無力だけど…」
タイカはそこで言葉を切ると、少しの間考え込んだ。
「でも、目の前に餓死しかけてる子供がいたら、何もしないわけにはいかないよね、やっぱり」
「そこが君のヒーローとしての課題なんだろうね。でもまぁ、それに対する答えはすぐには出ないと思うよ」
「そんなものかな」
「そんなものだよ。さっきも言っただろ。ヒーローも人の子だよ」
そう言うと、ヤマワはメモにざっと目を通した。
「…ってことで、君の希望をまとめると『暴力に対して無力な人々』を救済するクライム・ファイターってことになるかな?」
「うん。突き詰めて言うとそういうことだね」
タイカがそう答えると、ヤマワは「わかった」と言って勢いよく立ち上がった。
「じゃあ行こうか」
タイカがヤマワを見上げる。
「どこへ?」
「定義に基づく特訓だよ。時間的にもまさにうってつけ」
ヤマワはワクワクする自分の気持ちを隠そうともせず、タイカを引っ張って深夜の街へ出かけていった。
ヤマワのスポーツカーに乗り込んで、2人は夜の首都高を走った
車内のスピーカーからは傍受した警察無線が途切れることなく鳴り響いている。タイカはエマニにSNSを監視させ、犯罪と思われる書き込みをピックアップしては網膜ディスプレイに表示していた。
首都高を降りて新宿に向かった2人は、開いている駐車場に車を止めると歌舞伎町に向かって歩き出した。
最初の現場を見つけたのはヤマワだった。彼は携帯端末から流れる警察無線をイヤホンで聞いていた。
「ここからすぐのビルに入ってる店で、客がホステスを人質にして暴れてるらしい」
細長いビルが林立する路地の一角に、問題のビルはあった。警察無線によれば現場は3階にある小さなスナックだ。
タイカとヤマワはエレベーターで3階に上がると、店名が掲げられているドアの前にやってきた。
「もしかして、中の様子を透視できるとか?」
「まぁ、ある程度は」
タイカが答える。
「すげぇ」と感嘆の声を上げるヤマワは、上着の内ポケットから自作の覆面を取り出して頭から被った。黒い布製で両目の箇所にサングラスのような色付きの半透明プラスチックが入っている。
「なにそれ?」とタイカが尋ねる。
「マスクだよ。万が一の時正体を隠すために持ち歩いてるんだ」
「…。君さぁ、訓練とか言ってるけど実は楽しんでるだけじゃないの?」
「それもあるけど、無料で助言してるんだからそれくらいの役得あってもいいだろう」
「まぁ。いいけど…」
タイカが眼球のセンサー種別をサーモグラフィーに変更して店内の様子を見る。
カウンターしかない小さな店内には、壁際のソファにホステスを羽交い締めたまま座り込む中年の男と、カウンターにうずくまって顔だけだしている和装の女性のシルエットがあった。中年男の右手には小型拳銃が握られているようだ。
「どう?」とヤマワ。
「なんとかなると思う」と答え、タイカはマスクを起動した。
「危険がないともいえないから、念のため君はここで待ってて」
タイカはヤマワに向かってそう言うと、店のドアを開けて中に入っていった。
店内にいた3人が、突然入ってきたタイカを見て目を丸くする。
タイカはすばやく中年男の銃に照準ロックすると、右手を伸ばして重力子弾を撃ち出した。男の手にある銃が大きな音を立ててはじけ飛ぶ。驚いたホステスが叫び声を上げて素早く男から離れた。
タイカはその動きに即応して、今度は反重力弾を男に撃ち込んだ。男は何の前触れもなくいきなりソファから弾き飛ばされ、壁で頭を打ってそのままソファの上に崩れ落ちた。
「お邪魔しました。あ、警察はもうすぐ来るそうです」
そう言って店を出ようとするタイカを、ヤマワが押しとどめる。
「ちょっとちょっと。一応犯人を拘束しといた方が良くない?」
「どうやって?」
「何か持ってないの? 麻酔弾とかスパイダーウェブみたいなやつ」
「そういうは持ってないね。収納するスペースもないし。まずかった?」
「まずくはないけど、花がないかなぁ…」
ヤマワはそう言いながら店内に入り、顔面蒼白で震えているママに向かって「何か紐みたいなものはないですか?」と言った。
ママがカウンターの下から恐る恐る差し出した荷造り用のビニール・テープを受取ると、ヤマワはソファで伸びている男の手足を手際よく縛り上げた。
「これでOK」
ヤマワはそう言って立ち上がると、ママにむかって「じゃあ」と片手を上げて店を出た。タイカはあわててその後を追おうとすると、後ろからホステスが小さな声で「ありがとう」と声をかけた。
タイカは振り返ってホステスに視線を向けるが、怯える彼女を見てしまうと、それ以上声をかけることができなかった。
やがてパトカーのサイレンを聞こえてきて、戻ってきたヤマワに「何やってんの?」と言われながら手を引かれて店を出た。
「彼女たち大丈夫かな」
階段を降りながらタイカが問いかけた。
「どういう意味?」
「考えすぎかもしれないけど、例えば僕が介入したことで、逆に助けた相手の立場が悪化することってない?」
ヤマワがタイカを見る。
「なんでそう思うの?」
「いや、さっきの女の子、助かったのにずっと怯えてたから」
「そりゃ武装した凶暴そうな男に脅されてたんだ。そう簡単に恐怖心はとれないよ」
「そんなもんかな」
「そんなもんだよ」
2人はその後も小さな暴力を見つけては介入していった。小さいとはいえその発生数はタイカが呆れるほどで、2人は夜が明けるまで東京の街を走り回った。情報源は主に警察無線で、酒に酔った中年に絡まれている若い女性のグループだったり、マンションの一室で繰り広げられるDVだったり、コンビニで発生した強盗騒ぎといった具合だ。時々すでに到着していた警察から不審者と間違われて追いかけられることもあったが、介入した事件はすべて犯人の制圧に成功していた。
その夜はヤマワの勧めで彼の自宅に数日滞在することにして、タイカは夜な夜なヒーローとしての振る舞い方を磨いていった。
大抵はヤマワを伴って彼の車で東京の街を徘徊したが、緊急の時だけタイカは空を飛び、ヤマワが後から車で駆けつけた。別行動をとった時は事件後の車内でタイカが成り行きを話して聞かせ、ヤマワは必要に応じて助言をした。
そんな特訓が1週間ほど続いた後、特訓を終えて家路に向かっていた車内で、かけっぱなしにしていた警察無線から武装強盗事件の発生を告げる怒号が響いた。
ヤマワはすぐさま車載テレビや携帯端末で情報収集を始めた。
それによると、事件は東京銀座で発生した。三原通りの両端を塞ぐように数台の大型トレーラーが停車し、重火器で武装した十数人の犯人たちが通り沿いの店舗を片っ端から襲っているとのことだった。
目撃者の通報をうけて警察が駆けつけたものの、防弾処理されたトレーラーの荷台の小さな窓から攻撃をうけ、近づくことさえできない有様だった。路地も屋上も武装した武装した犯人達に守られ、大通りは一瞬にして無法状態に陥った。
似たような大規模武装窃盗事件はヨーロッパやアメリカで何度か発生していたが、日本では一度も起きていなかった。マスコミは複数の人種が混ざった国際的な犯罪組織だと言っている。
「いよいよ日本でも始まったか」
テレビに見入るヤマワが言った。
「これも僕が遭遇した銀行強盗と同じパターン?」
タイカがと言うと、「それはまだわからない」と答えながら、車を路肩に止めた。
「中には義賊を装って私欲のために動く人間もいるからね」
「そう。で、なんで車止めるの?」
「僕は空飛べないからね。君は先に現場に行って、まず犯人たちがどんな行動とってるか見極めて」
「君は?」
「僕も行くけど、今回はちょっと長期戦になりそうだから、離れている間も君とコミュニケーション取る方法が必要かもしれない」
「僕の脳内に埋め込まれたサポート・コンピューターと、君の携帯端末を接続することはできるよ」
「映像のやり取りもできる?」
「うん」
「じゃあ、僕は君の行動をモニターするから、困ったことがあったら声かけて」
「わかった」
タイカは車を降りるが、すぐに車内のヤマワを覗き込んだ。
「とりあえず犯人の制圧が目的でいいんだよね」
「もちろん。理由がどうあれ連中のやってることは犯罪だよ」
「わかった」
タイカはそう言うと人影がない路地へ走った。
走りながらリアクターを起動して、タイカは未明の街の中へ飛び去って行った。
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