第7話「専門家」

 数ヶ月前のある日。

 亜空間研究所内のオープン・カフェでランチ後のコーヒーを飲んでいたタイカは、向かいに座ってタブレット端末をいじっているエリーを見ていた。飲み始めの頃はエリーの邪魔をしないようおとなしくしていたタイカも、いよいよ暇をもてあますようになって、エリーの気を引くために口を開いた。

「地球の衛星ってさ、考えてみれば特殊だよね。惑星に対してあんなに大きな衛星も珍しいよ。まるで兄弟みたいじゃない?」

 エリーは顔を上げることもなく「そう?」と答えた。

 タイカは諦めずに続ける。

「でもまぁ、大きくて当然か。もともとは木星の衛星だったんだもんね。僕が不思議なのは、あれほどの質量をよく地球の引力で捕獲できたなって思ってさ」

 エリーはさきほどと同じ調子で「そうね」と言ったが、その内容を理解した途端に顔を上げた。

「は?」

「いや、どうやって地球はあんな大質量の天体を捕獲できたのかなっと思って…」

「違う、その前よ。なんて言ったの?」

「だから、月ってもともと木星の衛星だったんでしょ? それがなにかの拍子に弾き飛ばされて地球の軌道に乗ったって…」

「月ってあの月?」

 エリーは青空を指差して言った。その方向には月がうっすらと浮かんでいた。

「そうそう」

「誰がそんなこと言ったのよ」

「クリス・ヘイワード」

 その人名を聞いてすべてを理解したエリーは、大きなため息をついてうなだれた。

「あのね、前から言ってるでしょ。あいつはアメリカ研究チームの中でも一番ふざけた性格してるんだから、そのまま信じちゃだめじゃない」

「じゃあデタラメ?」

「あたりまえでしょ。高速で移動している月のような質量を、地球の引力で捕獲できるわけないじゃない。っていうか、あなた科学者でしょ。よくそんな話信じたわね」

「だから、不思議に思ったって…」

「不思議に思うのと嘘を見抜くのは違うわよ。だいたいクリスは天文学者じゃなくて化学者でしょ。そういうことはちゃんと専門家に尋ねるものよ」

「いや、尋ねたんじゃなくてクリスの方から言ってきたんだよ」

「うるさい。言い訳すんな」


 現在。

 沖縄本島と浜比嘉島を結ぶ、海を埋め立てて作られた人口道路。その途中に、売店やレストランを備えたサービスエリアがある。

 そこはタイカが地球初上陸を果たした記念すべき場所だった。

 当日は日の出直後の早朝だったが、今は夕暮れで太陽はすでに西の山陰に沈んでしまい、オレンジの残光だけが山の稜線に残っていた。

 輝かしいヒーローデビューだったはずの初仕事が失敗し、意気消沈したまま銀行を逃れたタイカは、しばらく上空をさまよった後で、吸い寄せられるように初心の地へ舞い降りた。

 防波堤に座り込み、打ち寄せる波に視線を落としたまま必死で思考を巡らせていた。スーパーヒーローとして何を主体に活動すべきか。誰の側に立つべきか。そういったことがテーマだった。エリーとの記憶もその過程で蘇ったものだ。

 やがてタイカは立ち上がり、エマニを呼んだ。

「エマニ。スーパーヒーローの専門家がいないかネットで検索してみて」

 エマニは応答音で答えると、すぐに網膜ディスプレイを開いて検索結果を表示した。

 その中に「スーパーヒーロー・プライベート・ミュージアム」というサイトが検索結果の最上位に掲載されていた。

 サイトを開くと古今東西のあらゆるヒーローが網羅された情報ページの他に、サイト管理者のプロフィールページを見つけた。

 ミュージアムの責任者は「山和蒼汰」という人物で、個人投資家の傍らスーパーヒーロー関連の品物を独自で収集し、私設ミュージアムで展示しているとのことだった。

 タイカは所在地ページでミュージアムの場所を確認すると、反重力リアクターを起動して東京へ向かった。

 

 秋葉原。半世紀以上も日本のサブカルチャーを牽引してきた街。

 そこに集う人々が蓄積してきた知識は、世界中のどの地域も並ぶことが叶わない孤高の聖地だ。

 上空から人通りのない路地に降り立ったタイカは、網膜ディスプレイに開いた地図を頼りにミュージアムを目指した。すでに陽が落ちているにも関わらず、道は人で溢れていた。無秩序に動き回る壁のような人の流れに、タイカはしばし途方に暮れた。

「なんでぶつからずに歩けるんだ?」

 普通の声量で愚痴っても、行き交う人々は誰も気にすることなくタイカの前を通り過ぎた。まるで他人など存在しないかのように、それぞれの目的に向かって縦横無尽に歩いて行く。

 タイカはため息をつくと、不器用に人を避けながら歩き始めた。慣れない街をエマニのナビゲートで歩き続けること20分、路地の奥にある5階建ての古いビルにたどり着いた。

 エレベーターはない。薄暗い階段を3階まで歩き、色あせた塗装に覆われた鉄製のドアの前に立った。ドアにはプラスチックのプレートが貼られていて、手書きの文字で次のように書かれていた。


 SUPERHERO PRIVATE MUSEUM


 ドア脇の壁にはカメラ付きのドアホンがあり、その下には次のような文言が書かれた紙が張ってあった。

「鍵がかかっているので、御用の方は呼び出しボタンを押してください」

 タイカはマスクを起動してから、ドアホンの呼び出しベルを押した。

 スピーカーから聞こえた第一声は男のため息だった。

「あのねぇ、そんな格好で来られても、うちで取り扱ってるのは名の通った本物のヒーローだけだから。自作の売り込みなら出版社かテレビ局に行ってくれる?」

 タイカはしばらく唖然としていたが、持てる知識を駆使して男の言わんとしていることを理解すると、ドアホンに顔を近づけて答えた。

「確かに名は通ってないけど、一応本物だよ」

 すると、今度は男の笑い声が響いた。

「名の通ってない本物ってなんだよ」

 タイカはわざと声に出して「エマニ、マスク収納。但し皮膚組織再生プロセスはキャンセル」と命じた。

 カメラの目の前でマスクが液化して顔の微細毛管に収納されると、タイカはあらわになった機械の顔でニヤっと微笑んだ。

 しばらくの静寂の後、通路に響いたのはドアロックが解除される音だった。


 ドアを開けて中に入ると、いきなり目の前に背の高い本棚の列が立ちふさがった。棚の列は一様に部屋の奥へ伸びていて、その隙間は人間が一人通れる程度の広さしかなかった。

 部屋の奥を覗くと、大きめのデスクに窓を背にして座っている人影が見えた。年の頃は20代後半から30代。分厚い眼鏡の奥に光るふたつの目が、瞬きもせずにじっとタイカに注がれている。

「ミスター・ヤマワ?」とタイカが尋ねると、ヤマワは「そうだけど、あんた誰?」と言った。

「実はスーパーヒーローのことで聞きたいことがあって。専門家をネットで検索したら、あなたの名前が一番多かったもので」

 タイカがそう言うと、ヤマワは手招きした。

 タイカは通路を抜けて部屋の奥へ向かう。歩きながら両側の棚を交互に見る。床から天井まで伸びる木製の棚には、これまで世に出てきたスーパーヒーローに関する多種多様な品が整然と並べられていた。フィギュア、書籍、雑誌などなど。小さなフィギュア達は、まるで通路をゆく人間を監視するかのように、横一列に並んで視線をこちらに向けている。

 部屋の3分の2を過ぎたところで棚の列が途切れ、奥の開けた空間には窓際のデスクとソファセットが置かれていた。

 ヤマワはタイカにソファに座るよう促し、自分もデスクを立ってタイカの向かいに座った。二人の視線が相対する。

「こんばんは。突然すみません。僕はタイカと言います。実は今スーパーヒーローをしてるんだけど、どうもうまくいかなくて」

「『してるんだけど』って、実際に活動してるってこと?」

「まぁ、駆け出しだけど」

「その格好で?」

「もちろん」

「さっきのあの機械みたいな顔はなに?」

「う〜ん。まぁいわゆる極秘技術」

「…。あっそう。じゃあこっちも何も教えてあげない」

 ヤマワは腕組みをしてソファの背にもたれかかった。

「えーっ?」

「そりゃそうでしょ。僕みたいなヒーロー・フリークが君に興味を示さないと思う? この世はすべてギブ・アンド・テイクで成り立ってるんだよ」

「でも、正体がバレるとまずいんだよね」

「それは心配無用。顧客の情報が世間に漏れることはないよ。それに事情を知ったほうが適切なアドバイスができるっていうもんだよ」

 落ち着き払ったヤマワの微笑に、タイカも思わず納得してしまう。確かに自分の能力を知った上でアドバイスしてもらったほうが、適当にでっち上げた状況に対するものより理にかなっている。

 タイカは「わかった」と言って、マスクを収納した後で人間の姿に戻した。

 その過程を見守るヤマワが息を呑む。

 タイカは順を追って説明し始めた。自分はエフェル星から来た異星人であること。幼少期にサイボーグ化したこと。地球に来た目的は地球人の亜空間研究を監視すること。沖縄の亜空間研究所で研究員をしながら、監視任務を続けていたこと。しかし、数日前に突然アメリカの軍事衛星から攻撃を受け、自宅と恋人を失ったこと。その敵討ちのために軍事衛星を破壊したこと。そのためにアメリカから追われる身になったこと。異星のテクノロジーを持つ自分が、監視任務が終わるまでどうやって過ごすか考えた末、スーパーヒーローというものを知ったこと。ところがいざ人助けを始めてみると、歓迎されたりされなかったりして、自分は誰のためにどんな活動をすれば良いのかわからなくなったこと。

 ヤマワにわからなくなった理由を問われ、銀行強盗に介入した際の経験も話した。

 腕組みをしたまま静かに話を聞いていたヤマワは、まるで呼吸を忘れていたかのように、一度だけ大きな深呼吸をした。

「そうか、異星人か。地球もいよいよそういう時代に突入したか。まぁ、亜空間が発見されて久しいし、今更驚きもしないけどね。

ちなみに、スーパーヒーローって一般的には尋常じゃない特殊能力をもってるわけだけど、君の場合はどんなものなの? 例えばパワーとか武器とか」

「身体の特徴でいうと、量子特異点がエネルギー源だからほぼ無尽蔵だね。ただエネルギーを動力に変える部品、ジェネレーターっていうんだけど、それは機械だから最大出力と稼働時間に限界がある。パワーはこないだ確かめた限りでは、沈没した大型タンカーを持ち上げられる。重力と反重力を扱えるので空も飛べるし、武器は主に重力子弾だけど、バージョンアップはできるよ」

「それはまた豪勢な能力だね」

「でしょ。だからこそ、それを活かしたいんだよ。異星のテクノロジーを持つ僕じゃないとできないことだからね。でも、それが人の役に立つ時もあれば、余計なお世話になった時もあって、その見極めがわからないんだ」

「等しくみんなの役に立ちたいってこと?」

「そうだね」

「なるほど。でもね、誰からも等しく感謝されるってことはありえないよ。これはスーパーヒーローだからっていう問題じゃなく、多様性の宿命みたいなものだよ。集団の意見が最初から完全一致することはないし、集団の構成員が増えれば増えるほど、一致する確率は少なくなる。それはたぶん、君の星でも同じだと思うよ。極端な話、人の数だけ受け取り方も変わるんだよ」

「でも、それがわからないと手を貸すべきかどうか迷わない?」

「だからこそ、既存のスーパーヒーローには行動理念ってのがあるんだよ。例えばスーパーマンやアイアンマンは国の意向や法律に逆らってまで行動することはないけど、バットマンやキャプテン・アメリカは独自の正義感で動く…とかね。ただ、ヒーローは基本的にわかりやすいもんだよ。だいたいみんなに共通しているのは、強者が弱者に危害を加えようとしている場合に介入するってことだね」

「でも、銀行強盗の時は弱者である人質が異議を唱えたんだよ」

「確かに彼らは更に弱者の貧困者を代弁していたって言い方もできるけど、その場だけのことを考えれば、武装強盗から人質を開放する方が先決だからね。君が介入したおかげで、少なくとも死者やけが人は出なかったわけだから。その場の事情から派生することまで考えてたら、それこそ君の言うとおり何もできないよ」

「じゃあ、気にするなってこと?」

「スーパーヒーローも人の子だからね。そりゃ悩みもするし迷いもするよ。自分に特殊能力があるからこそ、その責任の重さを痛感するわけさ。だって、スーパーマンなんてその気になれば一人で地球を征服できるわけだからね。自分が道を踏み外すと取り返しがつかないという、一種の恐怖心みたいなものを感じてるはずだよ。でも、人の子である以上、経験を積んで自分を成長させるプロセスを避けることはできない。だから、君の疑問ももっともなことだし、その答えを見つけるのが君の義務っていうことでもある」

 タイカも腕組みをして考え込んだ。

「そうかぁ。自分で答えを探さないといけないのか」

 うつむいたまましみじみとつぶやくタイカを見て、ヤマワは親近感を得たように微笑んだ。

「とりあえず、一般市民が置かれてる現状を説明するよ。強盗事件がいい例で、他のヒーロー達が生きた時代に比べれば現代は少し特殊だからね。その上で、君の行動理念を考えよう」

 ヤマワがそう言うと、タイカは開けた道を拝み見るように顔を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る