第3話「嵐の中へ」

 大気圏に突入する角度が浅かったのか、タイカは長い間摩擦熱の炎に包まれたまま、なかなか地上に近づけなかった。赤い尾をなびかせる彗星のように、地上に向かって頭から落ちていく。両目は開かれているが、どこにも焦点が合っていなかった。

 地上に降りたところでエリーはもういない。何かを失う経験は初めてではなかったが、存在以上のものを失ったのは今回が初めてだった。エリーの不在はタイカの未来を奪い取った。あのまま何もしなくても手に入れることができたはずの未来。二人で共に歩んでいく未来。それが一片のかけらも残さず消滅した。

 その代わりにやってきた未来は、暗黒の中にあった。視覚を奪われたまま未知の場所に放り込まれたようなものだ。不安がタイカの思考を埋め尽くし、希望が入り込む余地などまるでなかった。

 網膜ディスプレイにはコア・ジェネレーターのステータスがリアル・タイムで表示され、発熱量を示すグラフがオーバーロード寸前の危険域に達していた。ジェネレーターが停止してセーフモードに切り替わった場合、予備エネルギーはすべてエマニに回され、タイカ自身が身体をコントロールすることができなくなる。

 更にエネルギーを使い続けると、今度はスリープ・モードに切り替わって五感まで遮断され、エマニによって生命維持のみが稼働する仕組みになっていた。

 降り立つ先が陸地ならばたいして問題ではないが、海上に落ちてしまうと海流に乗ってどこへ流されるかわかったものではない。

 タイカはうんざりしたように小さなため息をついてから、新しいウィンドウを開いた。そのウィンドウには落下予想地点の地図と気象情報が表示されている。地図は日本の北部にある津軽海峡付近のもので、この地域は現在熱帯低気圧の真っ只中にあった。

 落下予想地点から一番近い陸地を探すと、そこから十キロほどのところに漁港があった。

「エマニ。残存エネルギーでここまで行けるか?」

「最低出力であれば可能です」

「到着予想時間は?」

「約60分です」

 飛ぶというより風に流されるという類のスピードだが、それでたどり着けるなら問題はない。どこかに身を隠せる場所を探してジェネレーターの回復をエマニに任せ、自分はしばしの眠りにつく。その後で琉球海溝のシャトルを目指すことにした。

 しかし、まずは減速しなければ。よけいなエネルギーを使わずに減速する方法はただひとつ。空気抵抗だ。真っ青な空の下、タイカは一筋の煙を引きながら雲海に突入した。


 雲の下はさっきまで通ってきた青空とはまるで違う、雨と風が吹き荒れる灰色の世界だ。

 タイカは手足を広げて減速を試みたが、減速はするものの風の影響をまともに受けて、身体は上下左右に回転しながらフラフラと落ちていった。

 これではまともに進めないと思ったタイカは、風の穏やかな雲の上に向かうため、再び反重力リアクターを起動した。推力を下方に向ける前に、安全確認のため眼下を見る。眼下は荒れ狂う海。タイカの視覚がその光景をとらえ、自動的に状況を分析する。

 すると、網膜ディスプレイに突如白い線で描かれた円が表示された。更にその円を示す小さな吹き出しが表示され、そこには「SHIP」の文字が浮かび上がると同時に、そこから30メートルほど離れたところが今度は青い円で囲まれ、吹き出しに「LIFE FORM」と表示された。

 タイカは眼球のズームレンズで海上を拡大表示してみた。確かに、白い円の中には小さな船が揺れていた。

 焦点を青い円に移動する。波間に小さな赤い点を見え隠れしている。タイカは更にズームする。

(人?)

 赤い帽子をかぶった中年の男が、荒れ狂う海の中でタイカに向かって手を振っている。なぜか笑顔で。

(遭難してるんじゃないのか?)

 それともあれは余裕の笑顔で、彼に手を貸す人間が近くにいるのか?

「エマニ。周囲に船か潜水艦がいるか?」

「ロックした船以外に船舶の類は確認できません」

 タイカは男に向かって降下を開始した。


 男に近づいていくと、彼の表情は笑顔と入れ替わるように形相が変わり、懸命に手を伸ばし始めた。日焼けしたシワだらけの顔で、目を大きく見開いて。

(やっぱり溺れてたんだ。気づいてよかった)

 男の真上に近づいたタイカは、彼の両脇に腕を入れるとそのまま海から引き出した。

 コア・ジェネレーターの残量を考えれば、このまま陸地に向かうしかない。しかし人間を抱えたままではあまり高度も取れない。タイカは仕方なく風の勢いが弱そうな箇所を目指して上昇を始めた。

 すると、タイカの下にぶら下がっている男が何か叫び始めたが、その言語はタイカがこれまで使用していた英語ではなく日本語だった。

「エマニ、言語野の外部記憶を日本語に切り替えて」

 エマニの応答音が切り替え終了を伝えると同時に、男の言っていることがイメージを伴ってタイカの脳に届き始めた。

 どうやら男は船に戻りたがっているらしい。

「あの船が必要なのか?」

 タイカが日本語で尋ねると、男は「あぁ! そうだ!」と頷きながら言った。

「わかった」

 タイカは答えると、コースを変更して船の上に降り立った。


 空中に浮かぶ必要はなくなったものの、まだジェネレーターの出力を落とせなかった。次は雨風と波を防がねばならない。

 タイカは向かい合わせた両手の中に低出力のフォース・フィールドを作り出すと、その表面積を広げて船を包んだ。雨風や波はフィールドに触れて弾き返され、内部は完全な凪になった。

 問題は残存エネルギーがいつまで持つかだが、ここまで来たら後戻りはできない。陸地に近づけばフィールドがなくてもなんとかなるだろう。

 船の操縦席に立った男が、不思議そうな顔をしてフォース・フィールドを指出し、これが一体なんなのか聞いてくる。

「これはバリヤーだよ」

「バリヤー? あんたいったい何者だ? その身体はなんだ? ロボットなのか?」

「まあ詳しくは言えないけど、実は今極秘技術の実験中なんだ。そういうわけだから、このことは誰にも言わないでね」

 その場しのぎの適当な回答に、男は目を丸くしてタイカを見つめた。

 その時、男を救助する際に閉じていたジェネレーターのステータス・ウィンドウが、アラーム音と共に再び開いた。その後を追うようにエマニの報告が内耳に響く。

「このままフォース・フィールドを維持した場合、あと30秒でセーフモードに入ります。フォース・フィールドを解除しますか?」

 タイカは辺りを見回して、雨風の勢いからまだ自力での帰港は難しいと判断した。

「いや、今の出力で維持する」

「20秒以内に安全姿勢をとってください」

 続いて、エマニが20秒前のカウントダウンを始めた。

 セーフモードに入ると強制的に身体制御への接続が切れるので、カウントダウンが終わるまでに安全姿勢を取る必要がある。でないと、外部の人はタイカが突然倒れたと思うだろう。


 タイカが唐突に寝そべったので、男は「どうした!」と慌てながら駆け寄ってきた。

 タイカは船の上で休ませてもらうよう男に頼んだ。男は病気なのかと尋ねてきたが、タイカはそれを否定して「病気じゃないし少し休めば問題ないから」と、男に向かって言葉を選びながら説明した。

 本来なら身体の周囲にフォース・フィールドを張って身体に害を受けないよう安全を確保するのだが、今はすでに船の周囲に張ってしまっていた。タイカは男の顔を見ながら思った。

(この男は誠実そうだ。信用しても良いだろう)

 男はタイカの要請を微笑と共に受け入れた上で、礼の言葉を口にした。

「今のうちに言っておくが、あんたのおかげで運が向いてきたよ。ありがとう」

 男が微笑を浮かべて言った。穏やかで落ち着いているが、心の底から湧き上がる喜びを抑えきれずに顔が緩む。そんな微笑だ。

 だがタイカは違った。男に感謝の言葉を言われてから、明らかに表情が変わった。パーティング・ラインだらけの顔でも、各部の動きで表情は作れる。タイカが動かしたのは、怪訝と不可解が入り混じった無表情に細めた目だ。

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