第2話「初闘」
気が付くと、タイカは瓦礫の中にうつ伏せで横たわっていた。顔を上げて周囲を見ると、空中に大量の埃が舞っていた。
自分の手を見た。ナノマシンと有機化合物でできた皮膚組織がすべて消失していて、艶のない黒く固い材質の骨格が顕になっている。指を動かして状態を確認すると、関節機構の隙間に入り込んだ小さな瓦礫や砂のせいで、それらがすりつぶされる音が聞こえた。
自分の顔に触れてみる。手と同じような材質の感触が、指先の触覚センサーから脳に伝わる。様々な形状をした黒いパーツの集合体が、パズルのように顔面を構成する様子がわかる。そこには生物を示す面影はなにもなく、ただ唯一両方の瞳だけが、無秩序に揺らめく真っ赤な光を放っていた。
タイカはハッとして身体を起こし、辺りを見回した。そこに散乱しているのは無機物の瓦礫ばかりで、エリーの存在を示す手がかりはどこにもなかった。
「エマニ」
タイカは脳内に埋め込まれたサポート・コンピューターの名を呼んだ。コンピューターは名を呼ばれることで、自分に対する命令だと認識できる。認識の合図として、短い応答音を男の聴覚に直接伝える。
「50メートル圏内にエリナ・パーカーのDNAパターンが確認できるか?」
「確認できません」
「100メートル圏内で再検索」
「確認できません」
タイカは瓦礫から離れようと、うつ伏せのまま手足を動かして這い始めた。彼の身体はマグマに晒されても耐えられる硬性を持つが、衝撃が強すぎたのか、各部のバランスに歪みが生じて、手足を思うように動かせない。
しかし、男は自分の身体の調整をする気など起こらなかった。今何が起きているのか、エリーはどこかにいるのか、それを突き止める方が先決だった。
「エマニ。周囲の空間を探索して、異変がないか確認しろ」
「上空から建物に向かって、空間の歪みが確認できます。歪みの内部では大気がイオン化しています。歪みは周回軌道まで達しています」
周回軌道という単語を耳にして、タイカの論理思考が活動を始める。「破壊」と「周回軌道」という二つの単語が結び付き、そこから得られた可能性は、自然現象ではなく人工的な要因だった。
「時間を逆算して、建物が破壊した頃上空にいた人工物を識別できるか?」
少しの間の後コンピューターが答えを見つけた。
「該当データが1件見つかりました」
「詳細を網膜ディスプレイに表示しろ」
コンピューターの応答音が鳴った直後、男の視界にCGのウィンドウが開いて人工物の設計図らしきデジタル資料が表示された。資料のヘッダー部分には真っ赤な文字で「TOP SECRET」と書かれている。画像と一緒に表示された文字データによると、その人工物はアメリカが極秘裏に建造した最新鋭のレーザー攻撃兵器だった。
その時、男はコンピューターの報告を思い出した。
DNAパターンが確認できず。
細胞よりも小さなDNAが確認できないということは、あの破壊エネルギーは、有機物を一つ残らず消し去ったということになる。
「エマニ。建物の周囲50メートルに有機化合物を確認できるか?」
「確認できません」
その報告を聞いた直後、這い続けるタイカの指先が小さな金属に触れる感触を得た。顔を見下ろして手元を見ると、そこにあったのはネックレスだった。細いシルバーのチェーンに、小さな十字架が付いている。十字架を裏返すとアルファベットが刻まれていた。
「To Elina」
それを見た瞬間、得体の知れない感覚がタイカを襲った。どこから湧き出る感覚なのかわからないが、湧き出る勢いは凄まじかった。
彼はゆっくり身体を起こした。片膝と両方の拳を地面につけた。
網膜ディスプレイに身体制御プログラムの設定画面を開くと、今まで不要な事故を防ぐためにかけていた身体各所のリミッターをすべて取り払った。この操作は音声コマンドに変換されることなく、言語野から直接コンピューターに伝達される。コマンドを受けたコンピューターは、設定画面のスイッチを次々と「OFF」にしていった。
そして最後に、地球での使用を禁じられているオーバー・テクノロジーのスイッチを「ON」にした。直後にアラート・ウィンドウが表示され、「地球での重力子制御装置使用は、中央科学技術省長官の権限により禁止されています」という警告ウィンドウが映し出されたが、タイカが自ら作成したコンピューター・ウィルスを起動すると、警告ウィンドウはノイズに包まれながら姿を消した。その上で再度「ON」に切り替え装置を起動した。
地球に来て以来、この装置を起動したのはこれで二度目だ。
一度目は核融合炉の爆発からエリーを守るために。
二度目は彼女の仇を討つために。
タイカは装置のパワーが臨界に達したのを確認すると、一気にエネルギーを開放して上空へ飛翔した。それまで舞っていた砂埃を周囲に押しやり、新たな埃を舞い上がらせた。
標的となる人工衛星はすでに沖縄上空を通り過ぎ、西太平洋上を進んでいた。タイカは上昇する先をその衛星に定め、一直線に宇宙空間を目指した。そのスピードは地球上のあらゆる物体さえ太刀打ちできない、驚異的なものだった。その証拠に、大気との摩擦熱でタイカの身体が炎に包まれた。
電離層を超え熱圏に入ると、目標の衛星が視認できた。円筒形の先端を地上に向け、なにごともなかったかのように周回軌道を流れていく。
衛星の外周に取り付けられた小さなカメラが、タイカの方を向いたような気がしたが、彼はそれを無視して地上と衛星の間に割って入った。
衛星に向かって仁王立ちになり、両手を衛星の方へ突き出す。
手の平を向かい合わせて小さな空間を作ると、やがてその空間の中央に極小の黒い点が出現した。
それは時を追うにしたがって周囲の光まで取り込みながら成長を始め、不気味な闇の砲弾となる。
タイカはその黒い球体を特殊なエネルギー・フィールドで包んでから、球体をつなぎとめていた重力フィールドを反転させ、衛星めがけて砲弾を撃ち出した。
重力子の砲弾に衝突された衛星は、砲弾の中心にある重力の井戸に吸い込まれ、砕けながら押しつぶされていく。
タイカが両手を下した頃にはすでに衛星としての形はなく、粉々に砕かれた末に一つの鉄の塊と化していた。
「エマニ。他に似たような衛星はないか?」
「現在周回軌道上には、同一のネットワーク網で通信している人工物が3基あります。そのうちの1基は有人です」
「網膜ディスプレイに現在位置を表示しろ」
エマニはタイカの網膜にコンピューターウィンドウを表示し、そこに地球の俯瞰図を投影した。3基の人工衛星はそれぞれ東太平洋、大西洋、インド洋の上空にいて、各自は光点として俯瞰図に映し出され、点滅しながらゆっくりと移動していた。
そこへ、エマニから追加の情報がもたらされる。
「有人衛星内部に高熱反応」
エマニに報告と同時に、俯瞰図上にある3点のうち、インド洋のものが赤色に変わった。タイカのいる場所から1万キロ以上離れたの位置だが、タイカはその方角に視線を向け、視覚機能を最大望遠で目標を捉えた。若干ぼやけてはいるが、地平線に隠れるギリギリのところに、太陽光を浴びて輝くドーナツ型の人工物を視認した。
「エマニ。有人衛星を最終目標として、東廻りで3基を結ぶコースを設定してくれ」
数秒後、俯瞰図上の光点がそれぞれ直線で結ばれた。
「コース設定完了」
「コア・ジェネレーターの臨界強度を最大に設定」
「臨界強度設定完了。強度維持可能時間は12分です」
ジェネレーターのパワーが再び臨界点に達すると、タイカは弾けるように飛び去った。
まずは東太平洋のレーザー兵器を補足し、その横を通り過ぎながら重力子弾を打ち込んだ。
2基目のレーザー兵器が重力の井戸に捕まって粉々に砕け散った頃、タイカは大西洋上空に達していた。
3基目のレーザー兵器に同様の攻撃をしかけ、兵器が破壊される様子を見ることなく、最後にして最大の目標に突き進んでいった。
「ミサイル探知。こちらに向かってきます」
エマニの報告も、タイカは意に返さない。すでに自身の周囲に重力フィールドを張っている。このフィールドに対して実体を伴う攻撃は意味がない。ミサイルが突っ込んでくればフィールドに弾き返され、ミサイルは着弾したと勘違いして爆発する。
ミサイルのすぐ後には、煮えたぎった金属イオンの塊が一線のビームとなって襲ってきたが、それも重力フィールドに接触した途端、小さな光のシャワーのように四方八方へ飛び散っていった。
コア・ジェネレーターを最大強度で稼働し始めて、7分が経過した頃、タイカは有人衛星の前に立ちふさがった。
ドーナツ部分が居住区画なのだろう。人工重力を発生させるため、ゆっくりと回転している。
タイカがたどり着くと同時に、居住区画の外壁からいくつもの小さな物体が地上に向かって射出された。エマニによると物体の内部には人間の生命反応が確認された。たぶん打出ポッドだろう。だが、衛星本体からの攻撃はその間も続いている。まるで恐怖に駆られた人間が照準すら定めずに乱れ撃っているようだった。
彼らの慌てぶりが、攻撃している側よりされている側の方を、理不尽な存在だと言っているようだ。
(自分から仕掛けておいて、今更何を怖がってやがる)
タイカは次々に繰り出されるミサイルやレーザーを避けようともせず、真っ赤な眼光を有人衛星に向けた。
タイカはレーザー兵器に対する攻撃と同様に、両手を有人衛星に向けた。伸ばした手の先に生み出された重力子の砲弾は、ゆっくりと周囲の光子を飲み込んでいき、最後は完全な闇となって有人衛星に撃ち込まれた。
有人衛星は一点に向かって押しつぶされ、やがて止まった。何百万もの破片となって、タイカの前を流れていく。
タイカはようやく我に返った。地上で感じた狂気は消え、いつもの機械的な冷静さが戻ってきた。
後に残ったのは、ほんの数十分前まで続いていた過去から、完全に切り離された現在だった。
呆然と瓦礫を見つめるタイカの前を、人間の屍体が1体ゆっくりと流れていった。よく見ると、それは軍服を着た中年の男だった。
もしこの軍人がステーションの司令官ならば、彼の命令がすべての発端ということになる。正体を知らなかったとはいえ、この軍人が自分を見くびった結果であり、文字通り自業自得だ。
人間の行動理念というのは、どうやら理屈より思い込みが優先するらしい。自分のやっていることがどんなに非道であっても、それが当人の正義に適っていれば躊躇なく実行できる。正義がいかに相対的で、感情に基づくものであっても。
だが、感情的に暴発したタイカ自身の行動もまた、致命的な問題を生んでいた。地球人を殺し、主権国家の財産を破壊した以上、それまで続けてきた生活に何食わぬ顔で戻ることはできなかった。
衛星群を破壊した犯人探しが始まり、監視網が強化される中、たとえ正体を隠したとしても、すべてを騙し通せるわけではない。
タイカ自身の詳細な経歴を調べれば、それが偽造されたものであることは容易に露見するだろう。
ならば、任務を放棄してエフェル星に帰るか?
いや、きっとそれもできない。この宙域に恒星間定期船がやってくるのは早くても一年後だ。自分で船を作るにしても、本星へ帰るだけの本格的な航宙艦を、たったひとりで、しかも建造設備のない地球で作り上げることは不可能だった。
なにより、タイカが地球に派遣された目的は、地球の亜空間研究を監視するためだ。地球人が誤った手法で亜空間を用いれば、太陽系だけでなくその周辺にある恒星系にも影響が及ぶ。
タイカも科学者である以上、監視任務自体の重要性は十分理解していた。それを放棄して結果的に地球が過ちを犯せば、「居場所がなくなったんで帰ってきました」では済まされない。
タイカの行動理念が「才能を用いることで人の役にたってこその存在意義」である以上、知識があるのにそれを役立てないのは、自身の生き方にも反する。何もせずに最悪の事態を招いたとすれば、それこそ銀河系全体の災厄につながるのだ。
任務が正式に完了するまで、地球時間であと五年。
姿を消したまま任務を継続でき、なおかつ任務完了までの長い時間を乗り切るために、今の自分ができることは何だろう。
しばらく考えたが、いいアイデアは何も浮かんでこなかった。
タイカは自分の足元を見下ろした。地形を見ただけでは、自分が今どこの上空にいるのかわからない。しかし、他にいく場所もない。
タイカは目を閉じ空間に身を預けた。
最大強度で稼働させていたコア・ジェネレーターはオーバーロード寸前で、大気圏突入をコントロールする余裕はない。
タイカは水の流れに身をまかせるかのように体の力を抜くと、重力フィールドに少しだけエネルギーを注入してブレーキをかけた。
すると、今まで吊り合っていた速度と重力のバランスが崩れ、タイカの体は地球の丸みにそって徐々に高度を下げ始めた。計算すれば落ちる先の予想はつくが、今はその作業すらわずらわしい。
すべてのコントロールから切り離され、タイカは自分の身体を地球の重力に委ねた。
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