トラベリング・エイリマン

藤田 夏生

第1話「初夜」

 海辺の家。午前零時の少し前。

 寝室の開け放たれた窓からは、南国特有の生暖かい風が入ってくる。カーテンが軽やかに踊る。波の音が近くに聞こえる。

 部屋の中央にはキング・サイズのベッドがあり、そこに若い男が腰掛けている。月明かりの淡い光に照らされて、暗闇の中に男の姿を浮かび上がる。

 腰にかけたタオルケット以外、彼は何も身につけていない。それほど大きな身体ではないが、まるで彫刻のような均整のとれた肉付きが、逆に作り物のような不自然さを匂わせる。歳は20代前半くらいか。耳にかかる真っ黒な髪が、風を受けて揺れている。

 男の視線は窓いっぱいに広がる太平洋へ向いている。その表情からは、何を考えているのかうかがい知れない。漠然と物思いにふけっているのかもしれないし、何も考えずただ景色に見とれているだけかもしれない。


 男の背中越しに細い手が伸びてきて、男の肩にそっと置かれる。

 その時初めて男が微笑む。

 手に続いて姿を現したのは、ブラウンの長い髪をもつ若い女の顔だ。彼女は自分の両腕を伸ばして男の腹に巻きつけると、肩の上に顔を乗せた。男の背後に見える彼女の身体も、細い首にかけられたネックレス以外に何かを着ている気配はない。

「眠れないの?」と女が英語で問う。

「いや。なんか、もったいないなぁと思って」

 男も英語で答える。

「何がもったいないの?」

 女の問いに、男は一瞬だけ考えて答える。

「一緒に過ごす夜に、睡眠で記憶をなくすこと」

 答えが気に入ったのか、女が楽しそうに笑う。

「あいかわらず妙な言い方するわね」

 女はタオルケットを羽織ると、「でも、明日からまた仕事だよ」

と言いながら、男の隣に並んで座った。

 男が彼女の動作を目で追う。

「そうだけど、実際には仕事なんかできないよ。核融合炉はまだ修理中だからね。でも、それは君も同じだと思うよ。融合炉が動かないと、研究に必要なエネルギーまかなえないからね」

「ところがね、私の場合は研究だけが仕事じゃないのよ。これでもアメリカ・チームの主任研究員だからね。今後の研究スケジュールを調整しなきゃいけないし、本国に報告書も提出しないといけないし。はっきりいって、研究より事務作業の方が大変なのよ」

「報告書って亜空間研究のでしょ? 行政府にそれ読んで理解できる人なんているの?」

「だから、そこを理解できるように書くんじゃない」

 女の答えに、男は「あ〜」と納得の声をあげた。

「そりゃ確かに、研究以上に大変だね」

「でしょ?」

 そう言って女が笑った。

 それにつられて男も笑った。


 笑った視線の先に、サイド・テーブルが置かれている。テーブルの上には明かりの消えた電気スタンドとデジタル表示の目覚まし時計が乗っていて、時計は2071年8月30日午前零時を示していた。

 男は「あっ・・・」とつぶやいた。

「どうしたの?」

 男は女に視線を戻す。

「僕が地球に来てから、今日でちょうど半年だ」

「そうなの?」と、女はさほど驚く様子も見せずに答えた。

 男は頷いた。

「正確には、後4時間くらいで地上に降り立つんだけど、日付でいえば今日だよ」

「そういえば、あなたの詳しい話ってまだ聞いてないもんね」

「そうだね。僕が異星人って君にバレてから、まだ1週間くらいしか経ってないもんね。その間ずっと忙しかったし」

「事故の後処理とかね」

「君に脅されて、土星まで連れて行かされたしね」

 男がおもしろそうにそう言うと、女はドスの効いた声色に変えて、

「世間にバラされたくなければ、私を土星に連れていけ」と言いながら、ナイフを手に持つ動作をした。

 男は笑いながら「そんな怖い言い方じゃなかったよ」と返した。

「僕が『黙っててくれたらお礼する』って言ったら、君は満面の笑みを浮かべて『土星が見たい!』って言ったんだよ」

 女はフフフと笑って、「だね」と言った。

「いいじゃない。私は土星が好きなのよ。子供の頃からずっとね」

「それはものすごくわかった」

 男がニヤッとした笑顔に、女は声をあげて笑った。

「楽しかったね」

 女が笑顔のままでそう言った。男も「うん」と頷いた。

「このままずっと地球にいれば?」

 すると、男の笑顔が少し弱まった。視線の定まらないうつむき加減で「そうだね・・・」とつぶやく。

「あれ? 乗り気じゃないの? もしかしてエフェル星にも彼女がいるとか?」

「いないよ。それどころか、向こうの連中に恋人ができたなんて言ったら、きっとみんなひっくり返ると思うよ」

「そうなの? 今まで付き合ったことないの?」

「ない」

「好きな人とかいなかったの?」

「いない」

 女は始めて心の底から驚いた表情をした。

「それはちょっと以外だわ。確かにちょっと無愛想で、時々頑固だけど、人を寄せ付けないタイプには見えないもの」

「そう言ってもらえてとても嬉しいけど、この場合他人は関係ないんだ」

「あなた自身の問題ってこと?」

「うん・・・」

 男は悲しげな微笑を浮かべていた。


 女はその表情に気づいて、とっさに「ごめん」と謝った。

「なんか余計なこと訊いた?」

 男は首をふり、「いいんだ」と言った。

「君には知っておいてほしいし、知る権利がある」

 男は立ち上がってクローゼットの中から普段使っているデイバッグを取り出した。

「最初に言っておくけど、意図して隠してたわけじゃないんだよ。何度も話そうとしたんだ、一応・・・」

 男はそう言いながらデイバッグを持って女の前に立つと、バッグの中からタブレット端末を取り出して、幾度か画面のタップした後でそれを女に渡した。

「異星人以上に驚くことなんてあるの?」

 タブレットを受け取りながら、女が言った。

「いいから、それに僕を写してみて」

「なにこれ?」

「まぁ、レントゲンみたいなものだよ」

 そう言って、男は女から数歩離れた。

 女は言われるままに両手でタブレットを持つと、背面のカメラを男の方に向けた。

 画面に写ったのは男の透視画像だが、本来そこにあるはずの人骨や内蔵が見当たらなかった。その変わりに見えたのは、体中に走るパーティング・ラインのような細い線と、機械の関節だった。

 女は息を飲んだ。

「僕はサイボーグなんだ。子供の頃の事故で身体の大部分が放射線に侵されて、脳以外を機械で補わなければ死んでたんだ。でも子供だったから、サイボーグ化は僕の意志じゃない。まわりの大人が決めたことだ。だから、こうなったのが正しかったのか間違っていたのか、僕自身は今でも答えが見つかってないんだ」

 女の視線はタブレット画面から男の方へ移っていたが、未だに言葉を失ったままで、微動だにしなかった。

「だから、昔から人とは違うものを求めてた。生身とは違う機械の身体でも、生きる理由があるのかどうか・・・」

 女はただじっと男を見ていた。頭の中では色々な思考が入り乱れてるのだろう。喜怒哀楽のない、かといって無表情でもない。自分の思考を一枚ずつ剥がしていき、その内側にある純粋な気持ちを見つけ出すような、そんな真剣さがこもった表情だった。

「ごめん。気持ち悪いよね。機械と寝ちゃったわけだし」

 男は苦笑をしたが、女はそれには答えず、立ち上がって男の前に立つと、両腕を拡げて男の身体を抱きしめた。

「タイカ」

 女は語りかけるように、自分の存在が現実にそこにあることを示すかのように、男の名を呼んだ。

「まだ昨日のことなのに忘れたの? あなたがいなければ、あの核融合炉の爆発事故で私は死んでたんだよ。

 でも、たとえあなたがいたとしても、あなたが異星人じゃなければ、たとえ異星人でもサイボーグじゃなくて、あなたが開発した重力バリヤーがなければ、爆発の衝撃波でやっぱり私は死んでた。

 ちょっとだけ無愛想で、言動も突飛なところはあるけど、自分にできることを他人に請われた時、あなたが嫌な顔ひとつせずにやってあげる姿を、私は何度も見てきた。あなたのその姿勢が、他の妙なところをあなたの個性として受け入れられるほど、あなたの存在をみんな必要としてるんだと思う。

 そういう今のあなたが、過去の出来事をすべて経験した先にある集大成であるなら、あなたの葛藤は絶対無駄じゃないと思うし、私はそんなあなたのすべてが愛おしい」

 女はそこで言葉を切ると、抱きしめる力を強めた。

「だから、私にはわかる。あなたにしかできないことが、きっとある。あなた自身も納得できるような、そんな生き方がきっとある。もしかしたら、今だってすでにその一部かもしれないよ」


 男は呆然と彼女に抱きしめられていた。彼の脳裏には彼女も含めた過去の思い出が、瞬間の絵となって何枚も通り過ぎ、彼女にかける言葉を思いつく暇もない。

「エリー・・・」

 男は彼女の名前を口にするのが精一杯で、再び言葉を失った。だから腕を動かした。掛ける言葉がないなら、行動で示してしまえ。決意というより衝動に近かったが、とにかく男は改めて強く彼女を抱きしめた。サイボーグの身体になってからというもの、長いあいだそのコントロールに苦労してきたのだ。そのおかげで、今では力の強弱で愛情を表現することもできる。

 彼女の身体は暖かかった。数値としてではなく、実感として。

「ありがとう」と男が言った。

「うん」という彼女の声が、背中から聞こえた。

 男はしばらく彼女の髪に顔を埋めていたが、ふと顔を上げると再びサイド・テーブルの時計が視界に入った。

 寝室の電気を消したのが一時間ほど前。20分くらいで寝るのをやめ、一人で海を眺めていた頃までは、男にとって昨日と変わらぬ時間の延長だった。

 ところが、彼女も起き出して二人で話し始めてからは、時間経過の質が変わり、それまでは自分と他人をはっきり分けていた時間軸が、いつのまにか二人で共有するようになっていた。男は今ほど他人を身近に感じたことはなかった。

(あぁ、これが理由なんだ)

 男はようやく納得がいった。自分からしてみれば、技術も倫理も遅れているこの星に、自分が親しみを感じている理由。それは「理屈」の外にあるエネルギーだ。

 言葉でなんというのかはわからない。でも、少なくとも彼女に対しては強く感じる。そして、その感覚が男の気持ちも穏やかにする。

「そういえばさっきの質問だけど、たった今、僕はエフェル星に帰る気がなくなったよ」

 女はクスッと笑って「分かった」と言った。

 

 だが、二人が共有する時間軸は、一閃の凶暴なエネルギーによって突然終わりを告げる。

 何の前触れもなく家が崩れ落ちた。上空から何か巨大な力をたたきつけたような、崩壊というよりは破裂に近かった。

 力の速度が速すぎて、異星のテクノロジーをもってすら、その現象を感知できたのは家が崩れ始めるコンマ数秒前だった。

 衝撃波によって吹き飛ばされた男の上に、凶器と化した瓦礫の大群が降り注いだ。

 男はこの後知ることになる。彼を穏やかにする感覚には、対をなすものがあることを。

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