第28話「理想摩擦」

 エマニが示した座標は、東京大田区の一角にある古ぼけたテナントビルだった。タイカは人通りのない路上に降り立つと、ビルを見上げた。

ところどころ明かりがついている部屋はあるが、座標だけではジークのいる部屋まで特定できない。そこでタイカは電話をかけた。

呼び出し音がずいぶん長い間鳴っていた。きっと発信元を逆探知で探っているのだろう。ようやく呼び出し音が終わると、ジークの自信に満ちた陽気な声が、タイカの聴覚に響き渡った。

「よう! そろそろ連絡してくると思ったよ。今どこにいるんだ?」

「ビルの前にいるよ」

「なに?」

「だから、君がいるビルの前にいるんだよ。向かい側の歩道に立ってる」

「オレの端末を特定したのか? 衛星回線まで経由して通信経路偽装してるんだぞ」

「確かに偽装されてたけど、地球上の回線はリアルタイムで監視してるから、明らかに関係ない信号は予め除外できるんだよ。それに、以前君とやり取りした時の経路もトレースしてるからね」

一瞬の無音状態を挟んで、ジークは弾けるように笑った。

「なるほど。さすが、俺が見込んだだけの事はあるな」

「部屋に行っていい?」

「念のために聞くが、まさか警察も一緒じゃないよな」

「もちろん。僕と警察が共謀してたとしても、君の情報収集能力なら筒抜けなんじゃない? あの銀座事件でもSWATの動きを把握してたくらいだからね」

ジークは笑って「するどいな」と言った。

「いいよ、上がってきな」


 通された部屋は殺風景な長方形で、道路側の一面に窓があるだけだった。当然バルコニーなどない。通路に共用のトイレと給湯室があり、隣のオフィスの扉には法律事務所の看板が掲げられていた。

「ここに住んでるの?」

 様々な機器や書籍に埋もれた雑然とした室内を見回しながら、タイカは言った。ジークは部屋の隅に置かれている古ぼけたソファに座った。

「まさか。ここは拠点の一つだ。そもそも俺には定住する家なんてないんだよ。必要ないからな。ま、強いて言うならこの国自体が俺の家とも言えるか」

 ジークはそう言って笑った。

タイカは棚に並ぶラックサーバーを見ていた。どれも通信装置のようで、長細い筐体の前面パネルには、いくつもの小さなLEDが点滅していた。

「これで何やってるの?」

「情報収集だよ」

「なんの情報?」

「オレが首を突っ込むべき案件のだよ。AIがオレの設定したパラメータに従って、めぼしい案件に関連する情報を片っ端から探してるんだ」

 パラメータという言葉を聞いた瞬間に、タイカはジークの方へ振り向いた。同時に、それまでジークに対して抱いていた漠然と警戒心が消し飛んで、パラメータの詳細に好奇心を掻き立てられた。まさに、その答えを求めてジークを訪ねたようなものなのだ。

「パラメータって、具体的にはどんなの?」

「どんなのって、こないだ見せただろう。ネットに散乱してる市民の声だよ。ユーザーがつぶやいた問題提起と、それに付随する第三者の意見や感想を集計してるんだ」

「でも、無造作に集めてるわけじゃないんでしょ」

「もちろん」

「例えばどんな項目?」

「まぁ、今のところ優先度を上げてるのは緊急性と社会的なインパクトかな」

「…、それだけ?」

 あまりにも少ない指標の数に、タイカは拍子抜けした気分になった。

「でも、緊急性とインパクトだけで、市民全員が賛同するわけじゃないんでしょ?」

 タイカが言うと、ジークは呆れ顔で「あたりまえだろ」と答えた。

「全員が同じ意見になる方が気持ち悪いぜ」

「じゃあ、どうやって最終的に介入する案件を決めるの?」

 タイカにそう問われ、ジークは少し考えた。

「そりゃやっぱり、俺の意思だろうな」

「意思?」

「あぁ。最初は案件に対するレスポンスの数で決めてたけど、その指標はあまり役にたたなかったんだよ。言ってみれば人気取りみたいなもんだろ。だいたい一般大衆って連中は、何か考えてそうで実は何も考えてないからな。その時の一瞬の気分でレス返すだけなんだよ。だから、俺も俺の信念に合致する案件を選ぶことにしたんだ」

 信念とはつまるところ、自分の選択が正しいと信じる原動力みたいなものだ。環境由来弱者に手を差し伸べることも信念であり、自分にしかできない能力を人の役に立てることも信念である。

(なるほど。この機器はジークにとってのエマニなんだ)

 タイカはそんな感想を抱いた。


 ジークはローテーブルに置かれていた加熱式煙草を手に取った。

「おまえが俺を訪ねてきた魂胆はわかってる。市民にどうやって取り入ったらいいか知りたいんだろう」

「取り入るっていうのはちょっと違うと思うけど…」

 タイカは辺りを見回してデスクに押し込まれていた椅子を見つけると、自分の方に引き出して座った。

「ただ、誰を助けたらいいのかわからなくて。一応考えながら色々工夫はしてるんだけど、どうもその都度どこかうまくいかなんだよね。誰かに手を貸せば、必ずそれを快く思わない人が出てくるんだ。それどころか、助けた本人が助けたことを気に入らないこともあったし。こないだなんて、僕はデモが暴動に発展するのを抑え込んだつもりだったんだけど、介入しなきゃいけないのは他にあったって言われて、一層わからなくなったんだよ。確かに結果論といえばそうなんだけど、どちらも介入対象は市民だったから、どう選択すればいいのかなと思ってさ」

 タイカが言うと、美味しそうに煙草を吸っていたジークは顔色を変え、タイカに視線を向けた。

「なんだって?」

「え?」

「おまえ、もしかしていつも100%を目指してるのか?」

「普通目指すでしょ、全力で最善を。しかも僕は他の人が持ってない能力を持ってるんだよ。僕は僕にしかできないことで、みんなの役に立ちたいんだ」

「実際役に立ってるだろう。俺は何度もおまえの活躍を見たぞ。最近じゃおまえも有名になってきたからな」

「もちろんそういう人もいるけど、本当に必要としてる人は誰かを、どうやって見極めればいいのかってことだよ」

「そんなの物理的に無理に決まってるだろう。おまえの都合に合わせて事件や事故が起こってるわけじゃないんだぞ。何か起きる度にじっくり選別する暇なんてないだろう」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「今まで通りでいいじゃねぇか。何が不満なんだ」

「正しい選択をしてるはずなのに、必ずどこかに綻びが出るんだよ。僕の能力は人々に等しく有益なはずなのに。だって、誰でも事故や事件に巻き込まれる可能性があるわけでしょ? その時でも、彼らは僕の助力が不要だって思ってるの? 自分たちだけで解決できるって? でも、実際できてないし、無情な犠牲者は後を絶たないわけでしょ。こないだのデモに介入した時だって、僕は彼らの役に立ったはずなのに、その一方で理不尽な事故に巻き込まれて人生を狂わされた人もいる。そりゃ全部の案件に介入できないってのはわかるけど、誰を助けて誰を見捨てるかなんて決められないよ」

タイカは一気にまくしたてる間、ジークは腕組みをしたまま黙って聞いていた。タイカが話終えても沈黙を保ったまましばらく考え込んでいたが、やがて何かに思い至ってタイカに視線を合わせた。

「つまり、別け隔てなく自分の能力で人助けしたいってことか?」

 ジークにそう言われ、タイカは頷いた。

「その志は立派だよ。さすがはスーパーヒーローってところだな。でもな、残念ながらすべての人間を分け隔てなく救うことはできないし、同じように全員の意見が一致することもありえないんだ。これは人間が未熟だからとか思慮が足りないとかいう問題じゃなく、純粋な数の原理なんだよ。それを前提にしないで理想を追求すると、必ず理想と現実の間に摩擦が生じることになる」

ジークの言葉がタイカに記憶に連想を生んだ。連想によって引き出されたのはヤマワの言葉だった。

「集団の意見が最初から完全一致することはないし、集団の構成員が増えれば増えるほど、一致する確率は少なくなる」

確かヤマワを初めて訪ねた時だ。銀行強盗への介入で、人質同士の乱闘に巻き込まれ、スーパーヒーローとして路頭に迷っていた頃で、今とまるっきり同じ状況だった。タイカは愕然とした。

ジークが続ける。

「その摩擦が増えれば増えるほど、現実に対する落胆も大きくなるんだ。で、その摩擦を増やしている原因は何かというと、おまえ自身なんだよ。おまえは自分で自分の首絞めてるんだ。もっと気楽に考えろよ。この世界じゃ、悪人の方が好き勝手に生きてんだぞ。なんで善人がクソ真面目に最善を目指さないといけないんだ」

 ジークはそこで言葉を終えたが、蘇ったヤマワの言葉によって奈落の底に突き落とされたタイカの耳には、ジークの言葉も意図も一切入ってこなかった。

(あの時と同じってことは、僕は同じ矛盾を抱えているということか。それはつまり、まるで進歩していないってことじゃないか)

 タイカはこれまで様々な科学実験を行ってきたが、たとえ実験自体は失敗に終わっても、次のステップに繋がる糸口は掴むことができた。しかし、ヒーロー活動で導き出される結果は、まるで物質と反物質のように常に表裏一体だった。どちらも確実に存在していて、かつ善悪の区別がない。それがタイカを混乱させるのだ。

 どこかに焦点を定めるでもなく、押し黙ったまま中空にぼんやりした視線を漂わせているタイカを見て、ジークは彼の深層心理に触れたような気がした。タイカは存在しない答えを求めて悪戦苦闘しているようだ。

「いよいよ重症だな、こりゃ」

本来であればそのことに気づくのも人生の一つなのだろうが、今回に限ってはそんな悠長が事は言っていられない。

ジークには計画があり、その成功率を上げるためにタイカを自陣に引き入れたのに、タイカの迷いが解消されなければ、計画遂行に不可欠であるはずのタイカ自身が、計画を阻害する危険因子になってしまう。

ジークの計画を成功させるためには、どうしてもジークと同じ正義を共有することが必須条件だった。

(こうなったらショック療法だ)

 ジークはソファから立ち上がって壁際の棚の上に置かれていたタブレット端末を手に取ると、画面を操作し始めた。

 しばらくして操作を終えたジークが、タブレットをタイカに差し出した。

「なにこれ?」

「おまえの最初の仕事だ」

 訝りながらもタイカはタブレットを受け取り、表示されている項目を読み始めた。

 案件のタイトルは「環境汚染を繰り返す化学工場をなんとかしてほしい」というものだった。SNSに投稿されたもので、まだ子供のような文体が次のように訴えていた。

「近くにある工場は何か強い匂いがするものをまわりにまきちらしています。妹はそのせいで病気になりました。友達も何人も具合が悪くなっています。でも、パパは『あの工場がなくなると仕事がなくなって、町の人は生活できなくなる』と言っています。『じゃあ引っ越せばいいじゃない』と僕が言うと、『家を買ったばかりだから無理』と言います。僕は妹や友達が元気になるなら、このお家なんかいりません。誰かどうか助けてください」

 ページをスクロールすると、その下にジークのAIがネットの反応を集計した結果が掲載されていた。それによれば、この投稿とそこから派生する関連情報は80%以上が投稿者に同情しており、残りは否定的もしくは必要悪というものだった。

「初仕事って、具体的には何するの?」

「決まってるだろ。この工場をぶっ壊すんだよ」

「壊していいの?」

「壊す以外に、この子供や妹や友達を助ける術があるのか?」

 タイカは少し考えて、「無害化すればいいんじゃない? 原因が特定できれば何かしら方法はあると思うけど」

「できるのか?」

「一応僕も科学者だからね」

「いや、そういう意味じゃなく、この工場を無害化できたとして、他にも似たような案件がきた時、おまえはかたっぱしから対策講じることができるのかってことだ。一度始めたら途中でやめられねぇぞ。それどころか、対策講じるので手一杯で、他の事件や事故に介入する暇もなくなるぞ」

「…」

 タイカは返す言葉もなく押し黙ってしまった。

「工場の破壊は抑止なんだよ。おまえが工場を破壊することで、悪巧みしてる奴らは『こんどは自分が標的になるかもしれない』と思わせることができるんだ」

「それはそうだけど…、でも、この子の父親が言ってる通り工場がなくなったら、収入を絶たれて路頭に迷う人も出てくるでしょう。僕が介入することで被害を受ける人が生まれると、ヒーローの意味なくない?」

「おまえなぁ、銀座で俺の活動を妨害しといてよく言うな。あそこで手に入れた臓器は、発展途上国の子供たちに移植されるはずだったんだぞ」

「えっ?」

 タイカは全く考えが及んでいなかった話を持ち出されてうろたえたが、ジークはそんなタイカの心情を知ってか知らずか、ダメ押しをするように話を続けた。

「金持ち連中の予備臓器だったものを、俺や俺の協力者が恵まれない子供のために使うはずだったんだ。あのとき、おまえはそこまで考えて俺たちを止める決断をしたのか?」

「だ、だって、あれは犯罪行為じゃないか。武装して人質まで取ってただろう?」

「それをいうならこの工場だって犯罪だろう。現に子供たちが健康被害受けてるんだぞ。それを大人や自治体は企業が落とす金に目がくらんで見て見ぬ振りしてるんだ。たとえ法律に触れてなくても実態は立派な殺人じゃねぇか」

 タイカは言葉に詰まった。ジークの提案は秩序維持の観点からみても明らかに度を越したものだが、事態を告発した子供にとっては、妹や友人を想う心から発した善意であり正義だ。そして、ジークの言う通り、ヒーロー活動の影響は諸刃の剣であるならば、より確実な結果に重きを置いてもかまわないのではないか。

工場を破壊することで悪影響が出ないわけではない。しかし、少なくとも被害を受けている子供は救われる。そして、相手が営利企業であるならば、無駄なリスクを追うことを控えるだろう。なぜなら、タイカによって確実に破壊されると知ることになるからだ。

 そのとき、タイカの脳に刻まれたもう一つの光景が、鮮やかに蘇った。それは、最初の戦いで宇宙ステーションを破壊した時、タイカの目の前を漂っていく一体の屍だった。

 しばらく考えた末、タイカは顔を上げてジークの目を直視すると、「わかったよ」とつぶやいた。

「子供を助けよう」

ジークは再び微笑を浮かべた。

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