第29話「機械仕掛けの神」

 次の日の早朝、ジークのAIから提供された情報を元に、タイカは早速工場の調査に赴いた。上空から見下ろす工場の敷地には、低層階の建物がいくつかあり、各棟の屋根からは細長い鉄製の煙突が伸びていた。資料によれば化学工場らしいが、家庭用のケミカル商品のみで危険な原料を搬入した形跡もない。

「ここ?」

 タイカが尋ねると、ジークは携帯端末に表示されたタイカの視覚情報を眺めながら「そうだ」と答えた。

「住民の健康を害するようなものありそうか?」

「ちょっと待って」

 タイカは工場周辺の地上をスキャンしてみたが、結果に表示された分子はいずれも無害なものだった。

「特に何もないけどね」

「じゃあ、周辺住民は何が原因で健康被害受けてるんだ?」

「そりゃあ、やっぱり食べ物とかじゃない?」

「食べ物は昔からたいして変わってないだろう。なんで最近になって突然健康被害が出るんだよ。第一、被害が出始めたのは工場が操業を始めた後だぞ」

「まぁ、確かに変だね」

 タイカは自治体や国のシステムにハッキングをかけると、工場建設に関する情報を片っ端から取得した。その中には建築申請時の図面があった。

「エマニ。さっきのスキャン結果と、申請図面を比較してみて」

 エマニは網膜ディスプレイに2つの図面を並べると、図面を方眼上に細分化して各方眼の差異を調べた。数秒かけて念入りに調べたが、それでも差異はおろか意図不明な線1本も見つけることはできなかった。

 タイカは図面を見比べながらしばらく考え込んだが、ふと思い当たってゆっくり高度を下げていき、煙突の一つに取り付いて内部を手で拭い取った。

「エマニ。皮膚表面を分子解析して残留物質をリストアップ」

すると、こんどは小さいながらも差異が見られた。上空からスキャンでは引っかからなかった分子が少量ずつ見つかった。

リスト化されたのは数十種類の分子だが、エマニはその中で一つの名称を強調表示した。

「ペルフルオロイソブテン」

タイカは思わず「これだ」とつぶやいた。

「なんだそりゃ?」

「有機フッ素化合物の熱分解で生成される物質だよ。かなり毒性が強い」

 タイカは建物の屋上に舞い降りながら言った。

「第三者機関が見逃したのか? まさか検出したけど意図的に無視したとか?」

「意図的かどうかは断定できないけど、確かに今の地球の技術ではある程度の濃度がないと検出は難しいだろうね。第三者機関の報告書にも危険物質としてリストされてるけど、該当なしになってる」

「そもそも、なんでこんな危険物質を取り扱ってるんだ?」

「処理方法を変えたんじゃないかな。無害化するためにはかなり複雑な設備が必要だから」

「なるほど。平たく言えば設備をケチったわけか。会社の財務状況調べたら面白いそうだな」

ジークは皮肉交じりにそう言ったが、新たな疑問に気がついた。

「ちょっと待て。同じ汚染エリアにいるのに、なぜ大人には健康被害が出てないんだ?」

 物質の構造上、年齢差で症状に違いが出る可能性は極めて低い。その上でタイカの思考基準に照らし合わせると、症状が出た子供より、出ていないとする大人の方が不自然だった。

「ほんとに出てないの?」

「少なくとも記録はないぞ」

 タイカはしばらく考えると、エマニに命じて工場関係者と住民の通信履歴やGPSログを検索させた。すると、親会社の顧問を務める弁護士事務所の人間が、複数の住民を訪ねていることがわかった。更に訪問された住民の行動ログも確認したところ、東京の病院に数日滞在していたことも突き止めた。

 それを手がかりに集められるだけの情報を集め、タイカとジークは一つの可能性、しかもかなり確率の高い可能性を導き出した。

「つまり、工場側は事態を隠密に解決するため、住民を抱き込んだということか。住民は被害者の上に共犯者なのか」

「子供は違うけどね。病院で治療を受けてるはずだけど、特に小さな子供は体質的に敏感だから、少ない量でも浴び続ければ影響が出るんだよ」

「で、事情を知らない子供が見るに見かねてネットに窮状を訴えたんだな。その親は工場から金を受け取ってるにも関わらず」

「そうなるね」

「いや~、久しぶりに悪質な案件だな。なぜこの国はいつも子供が二の次なんだ」

「でも、今は危険物質の排出なさそうだし、健康被害も収まってるみたいだから、工場としては改善対策施したんじゃない? もしかして不可抗力だったとか」

「試してみるか?」

「どうやって?」

「親会社が持ってる他の工場で、同じ物質が検出されないか調べるんだよ。ただし、既知の工場を調べるだけじゃ意味ないぜ。連中もここの一件で知恵がついただろうからな。どこか人里離れた場所に秘密の工場とかがあるかもしれないだろ」

 ここまで徹底的に疑ってかかるジークの言い分を、タイカは不思議な心境で聞いていた。これまで調べた事実だけを考えれば、故意か過失か判断はできないはずだ。

しかし、ジークは確信を持って故意を疑っている。その確信が何に基づくものなのか、タイカには理解できなかった。

(そういえば…)と、タイカは思った。

 そもそも、ジークが今の活動を始める動機はなんだったのか。思い返せばそれすら知らない自分に驚いた。そして、自分がなぜジークと行動を共にしているのかも。きっかけが子供の訴えだったとしても、別にタイカ一人で行動すればいいだけだ。それなのに、タイカは彼の言葉を待っている自分に気づいた。


 タイカはジークの提案に乗って他の施設を調べ始めた。ジークの言う通り、通常の情報からたどれる施設には、いずれも危険物質は検出されないか、されたとしてもごくわずかだった。

 しかし、関係者の個人的なやり取りを分析していく中で、いくつか該当しそうな施設を見つけた。タイカは直接現場に赴き、周囲をスキャンしてペルフルオロイソブテンを検出した。

ジークに報告すると、さも当然というように「だろ?」と答えた。

「欲深い奴ほど考えが単純だな」

「じゃあ、やっぱり工場壊すの?」

「あぁ。ただし今じゃない」

「どういうこと?」

「その時が来れば話すから、とりあえず通常通りヒーロー活動続けといてくれ」

 あいかわらず得体が知れない、とタイカは思った。いったい何を考えているのか。なにより不気味なのは、大抵ジークの予想通りに展開するということだ。あの銀座事件でも、タイカが介入しなければ彼の思惑は貫徹できたことだろう。

 その時、タイカはある結論に思い至った。

(もしかして、僕は彼の行動原理に興味を持っているのかも)

 ジークは単に猜疑心が強いわけではなく、該当者の心理を的確に予想できるのだ。人間を知っているからこそ、疑いが生まれる。いや、疑いというより可能性というべきか。それは、タイカが理解できずにいた人間そのものの行動原理に通じるのだ。


 ジークから実行のゴーサインが出たのは、それから十日ほど過ぎた頃だった。

 その日は晴天の日曜日で、平日より人の往来が多く、事件や事故が多発していた。そのため、タイカは忙しく飛び回っていたが、突然ジークから連絡が入り、「東京のMBMケミカル本社に向かってくれ」と指示を受けた。

「MBMケミカルって、例の…?」

「あぁ親会社だ」

「わかった。今の案件片付けたら向かうよ」

「いやだめだ。すぐ行ってくれ。大急ぎで」

「なんで?」

「おまえの出番だからだ」

 タイカが現場に到着してみると、新宿副都心の一角にあるビルを大勢の群衆が取り囲んでいた。ビルのエントランス前には拡声器を持った男を前面に人々の垣根ができており、彼らはビル側に背を向けて立つスーツを来た男に向かって怒号を浴びせていた。

 スーツ姿の男は髪に白いものが混ざった中年だが、背が高くがっしりした体躯の持ち主だった。まるで来客の相手でもするかのように余裕の微笑を浮かべながら応対していた。

「どうかみなさん冷静にお願いします。わが社のホームページ上でもご案内しております通り、環境保全には万全の体制で臨んでおり、それは自治体の各種調査でも確認されております。ネットで言われているような健康被害は公的に報告されておりませんし、法的根拠は一切ございません」

 最後まで言い終わらない内に、デモ隊の最前列で拡声器を手にした男が叫ぶ。

「デタラメ言うな! 実際に健康被害は起きてるじゃねぇか!」

「いえ、そのような事実は確認されていません」

「それはおまえらがあの手この手でもみ消したからだろうが!」

 一生かかっても歩み寄ることはない口論が続く中、周囲のヤジも激しさが増し、狂乱の一歩手前まで近づきつつあった。

 複数台のパトカーや警察官がデモ隊を取り囲むように周囲を固めているが、それ以上の措置を取れずにたたずんでいるだけだった。

 タイカもどのように介入すればよいか検討もつかず、デモ隊とスーツ男の問答を見守っていたが、スーツ男の発言が介入のきっかけをもたらした。

「ネットの情報はどこから出たのかわからない不確定のものです。フェイクニュースということも十分考えられますので、今一度皆様には冷静にお考えいただくようお願いします」

 力を持たない一般市民の生き血をすする拝金主義者。地球に来て初めて触れた貨幣経済の暗部が、まさに目に前にいる。それも涼しい顔をして。

 念のためジークに先日のデータをネットに流したか確認すると、ジークは「すべて包み隠さず」と答えた。

タイカは急降下してスーツ男の前に降り立つと、彼の登場に虚を突かれたスーツ男に向かって言った。

「あれはフェイクニュースじゃないよ」

 思わぬ人物からの発言を受けて、スーツ男は一瞬動揺した。

「なんですか?」

「フェイクニュースじゃなくて、ちゃんと裏が取れてる情報だよ。だって、僕が見つけたんだ」

 タイカがそう言った瞬間、スーツ男から余裕の微笑が消え、さっきまでの軽快な発言とは裏腹に押し黙ったままタイカを睨みつけた。

 拡声器を持ったデモ男がタイカに向かって言った。

「じゃあ、検出結果の数値もあんたが?」

「そうだよ。僕のスキャナーは分子が一つでもあれば見つけられるんだ。今は危険物質を放出していなくても、その痕跡は完全に消せないんだよ」

 それを聞いた瞬間、デモ隊のヤジは怒号に変わった。周囲で散発していた個人の声が、今は同時発生した音の壁となってスーツ男を襲った。その圧力は動揺していたスーツ男を数歩後ろに下がらせた。

 タイカはそれを見て後悔をする羽目になった。

(まずい、事態を悪化させたかも)

 暴動に発展したら目も当てられないが、収束させる方法を思いつかず困っていると、デモ隊の中から必死にタイカを呼ぶ声が耳に入った。

「エイリマン!」

 最初は怒号にかき消されて聞き取れなかったが、2度目は男がタイカに近づいてきたためタイカの耳に届いた。タイカが声の主を振り返ると、若い男と目があった。彼は真剣な形相でデモ隊の間をすり抜けながらタイカの方へ歩み寄った。

「頼みがある」

 タイカの眼の前まで来た男は言った。

「あんただったら、あんな工場くらい簡単に破壊できるだろ。情けない話だが、俺たちにはこうやって徒党を組んで騒ぐ以外に、自分の権利を守る手段がないんだ」

 タイカは唖然とした。まさかここまで見事にジークの思惑が現実化するとは。

「工場がなくなれば、少なくとも健康被害が減るんだろう?」

「まぁ、そうだね」

「あんたが何者なのかは知らないが、少なくともあんたがこれまで多くの人を助けてきたことはみんな知ってる。悪の手先じゃないこともわかってる。その上で聞くが、これだけじゃ、助ける理由にならないか?」

「いや、そんなことはないよ。住民の子供たちも助けを求めてたからね」

 タイカがそういうと、男の表情が少しだけ明るくなった。

「じゃあ…」

「うん。これからちょっと行ってくるよ」

 男はタイカの両肩に手を置くと、頭を垂れて礼を言った。


 最初の標的はすべての発端となって1つ目の工場だ。目的地まで全速で飛ばすと、タイカは工場の直上でホバリングした。

 タイカを驚かせたのは、すでに工場周辺を人々が取り囲んでいたことだ。彼らはタイカを見上げながら歓声を上げていた。

 彼らを見下ろしていると、ジークの楽しげな独り言が聞こえた。

「壮観だな」

 まさかタイカの意思表明を受けて集まったわけではないだろう。こんな短時間に不可能な話だ。ということは、彼らの行動は予め決まっていたということだ。つまりこれは計画された同時多発デモなのだ。

「君は計画のこと知ってたの?」

「もちろん」

「もしかして促した?」

「それはない。俺は情報を流しただけだ」

「じゃあ、彼らが自発的に?」

「そうだ。いわゆる一斉蜂起ってやつだな」

 これで、ジークがすぐに工場を破壊しなかった謎が解けた。彼は市民が自主的に動く猶予が必要だったのだ。つまり、タイカがこれからやろうとしていることは、ジークやタイカの独断専行ではなく、市民の同意を得た正式な介入ということになる。

 そう感じたタイカの心境にも変化が生じた。ジークと再会した時から感じていた微細な罪悪感や迷いが消え、清々しささえ感じた。

 敷地内に人がいないか確認したが、敷地内に生命反応は確認できなかった。日曜日の上ニュースの影響で全国的な注目を浴びた以上、通常通りの操業はできなかったのだろう。

 破壊対象の建物は一棟のみだが、危険物質を取り扱う姿勢は地下にあった。それらも含めて破壊できるエネルギーの重力子弾を撃ち込めば、デモ隊にも被害を及ぼす危険があった。そこで、タイカはまず工場の建物を囲むようにフォースフィールドを張った。

 しかし、その様子を見ていたジークからダメだしが出た。

「そこじゃなくて、ちゃんと下に降りろ」

「なんで?」

「下の連中におまえとの一体感を感じさせるためだ」

 タイカは言われた通り人々の前へ舞い降りた。すると、先程の歓声は更に音量を増し、人々は羨望の眼差しをタイカへ向けた。

 彼らの期待を背中に受け、今まで以上に彼らの存在を意識しながら、いつもより少し大げさな動作で両腕を広げると、タイカは手のひらに重力子弾を発生させた。

 光を吸い込むほどの高重力の塊が、フォースフィールドと同じ周波数に調整され、加速しながら回転する。その速度が臨界を超え、もはや回転している様子すら目で追えなくなった時、二対の小さな黒い霧がタイカの手から解き放たれた。

 重力子弾は一直線に工場を目指し、同調するフォースフィールドを貫通すると、その運動エネルギーで壁を爆砕しながら建物の中へ消えていった。

 数秒後、地響きに似た轟音が地面を揺らしながら沸き起こると、デモ隊の眼の前で建物が内側へ沈み込むように崩れ落ち、後には地面に空いた巨大な穴が、粉塵を拭き上げながら姿を現した。

 あまりに現実離れした様子に人々は息を飲んだが、次の瞬間割れんばかりの大歓声がこだました。

 タイカは再度スキャンを行い工場跡地から危険物質の流出がないことを確認すると、フォースフィールドを解除した。

 人々がタイカを取り囲んで口々に感謝の言葉をかけている。

 タイカは彼らに答えながら、ゆっくり上昇した。

 眼下に目をやると、幼い子供がタイカに向かって一生懸命手を降っていた。十分に高度を取ったタイカは、その子供に手を振り返してから、次の場所へ飛び去った。

 危険物質を一分子でも検出した施設は全国に4箇所。タイカは一時間も経たずにそれらすべてを葬り去り、施設周辺に陣取っていたデモ隊から熱烈な大歓声を受けた。

 最後の施設を破壊して帰路についた時、タイカはちょっとした達成感を感じていた。ここまで多くの人に、しかも全面的に讃えられたのは初めてのことだ。

 ようやく彼らの仲間入りができた。そんな心境だった。

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