第17話「諸悪の根源」

 翌朝をシャトルで迎えたタイカは、ベッドの中で奇妙な清々しさを感じた。今日という日になんの憂いもないのだ。

 朝日に誘われるようにシャトルを出たタイカは、林の隙間から見える湖面のきらめきを目指して林を歩いた。山の葉はところどころで赤や黄色に色づき、風を受けて軽やかに揺れている。

 地球を去るまで後4年半だが、ここで自分のやりたい研究を続けるだけでも、十分意義のある時間を過ごせそうな気がしていた。タイカのテクノロジーを持ってすれば、生活に困ることはない。その気になればできることは無限にあるのだ。


 タイカは早速行動を開始した。

 シャトルを湖に隠した後、湖底から小島への通路形成作業を始めた。まず、作業内容と通路の設計図をプログラムしたナノロボットを分子複製装置で作成する。ナノロボットは予め保存されている分子配列情報に基づいて、素材となる高分子原料を合成して物質化する装置だ。 

 タイカが数十億個のナノロボットをエアロックすると、彼らは周囲のあらゆる物質を原料にしながら小島までの通路を形成していった。エアロックに新たな扉を作り、そこからシャトルと同じ素材の通路が湖底を伸びていく。

 通路はまっすぐ島の中央まで続いていくと、そこから地上を目指して垂直に上昇していき、地上に到達したところで通路の外壁を大木に偽装しながら更に上空を目指し、幾重もの枝を伸ばして葉を生い茂らせた。

 最後に出入り口を設ける。ナノマシンは幹の一部に自動ドアを形成し、タイカの皮膚を構成する素材と同じものでドアの外装を樹皮に偽装する。ドアはタイカが発する特殊な信号のみに反応し、開閉時のみ偽装を解いてドアが姿を現す仕組みとなっていた。

 通路完成までの間、タイカはシャトルの研究室に籠もって重力子制御の研究を始めた。部屋は研究用の機器で埋め尽くされ、駆動音やインジケータの光が賑やかに部屋を装飾している。タイカはこれらの機械に囲まれているだけで、充実した時間を過ごすことができるのだ。

 タイカはデスクの上に小型亜空間発生装置を置いて、その中で黒い霧が生まれたり消えたりする様子を眺めていた。

 思えば、エフェルにいた頃はずっとこの調子で研究を続けていたのだ。タイカは霧を見ながら、気づかぬうちに微笑んでいた。

 エアロックにナノマシンを放出してから半日が過ぎた頃、エマニが通路成作業の完了を報告した。

 タイカは早速エアロックに向かった。エアロックは電話ボックス程度の小部屋で、正面に乗降用のドアが一枚あるだけなのだが、今回の作業でエアロック自体が3次元エレベーターとして移動する。

 3次元エレベーターとは、上下方向のみではなく、前後左右にも移動できるエレベーターだ。

 タイカが音声コマンドで「地上」と命じると、エレベーターは弱い加速度とともに動き出した。エレベーターは湖底を伸びる通路の中をリニア駆動で疾走し、10秒ほどで地上の大木に到着した。

 外はすでに夕方で、朝見た太陽はすでに天空を半周して、空を赤く染めながら山の向こうに沈もうとしていた。

 タイカは湖岸に向かって歩き始めた。

 空を見上げると、生い茂る葉で薄暗くなっている木々の隙間から、真っ赤な空が滲んでいた。

 自分以外になんの気配も感じない。地球人から隔絶された世界。この小さな島がタイカにとってはエフェルだった。

(これでまた元の生活に戻れる)

 タイカは一人きりの気軽さを噛みしめながら散策を続け、林を抜けて湖畔に出たところで、今まさにゴムボートを降りようとしているヤマワと目が合った。


「2日も連絡つかないし、気になって来てみたんだよ」

 ヤマワは岸辺にボートを引き上げながら言った。タイカが近づいていって手を貸す。

「帰る予定だったんだけど、ちょっと状況が変わってね」

「そうなの? どんなふうに」

「僕ヒーロー辞めるんだ」

 タイカが呟くように答える。ヤマワがその意味を理解するのに、数瞬の間が必要だった。

「は?」

 ボートを上げ終わったタイカは、ヤマワのリアクションに答えず「シャトルに来る?」と問いかけた。

 ヤマワは「もちろん」と応じる。

「それがここに来た一番の目的なんだけど、それより辞める理由を教えてよ」

「歩きながら話すよ」

 そう言って、タイカは島の奥へ歩き出した。ヤマワは小さく肩をすぼめると、タイカの後を追った。


 シャトルに向かうまでの間、タイカはこの数日に起こった出来事を話し始めた。エリーの死の真相と、自分の存在が地球人に与える悪影響。その罪悪感を乗り越えて見出した生命の普遍性と、それすら拠り所にできない地球人の境遇。エフェルではけして経験することなどなかった答えのない葛藤が、タイカの理解を超えてこの星に充満していた。

 シャトルのリビングに通されても、タイカの話は続いていた。

 ソファに腰を下ろしたヤマワは黙ってその話を聞いていた。

 大木に現れた自動ドアを見てからというもの、目にしてきた数々のテクノロジーに対する好奇心が湧き上がったが、ヤマワはタイカに質問を浴びせたい衝動を必死で堪えていた。

「そういうわけで、僕はもう地球人に介入しない方がいいと思ったんだ。地球人の進化を邪魔したくないし、なにより僕のせいで無用な悲劇を生み出したくないしね。エリーも言ってたよ。『確かにエフェルに比べれば地球は遅れてるかもしれないけど、それでもみんな歯を食いしばって頑張っていて、そういう人々の足跡が文明を進化させる』ってさ。僕が介入しなくても…、いや、それどころか僕が地球に来ていなくても、地球人は真っ当に進化していくんだよ」

 タイカがそう言うと、ヤマワは腕を組んで考え込んだ。

 その様子を見て、「変なこと言ってる?」とタイカが言った。

 ヤマワは「う〜ん」と唸った。

「でも、彼女を殺したのは君じゃなくてアメリカだろ?」

「そうだけど、原因を作ったのは僕だよ」

「いや、原因も君じゃないよ。人を助けるために最善を尽くすのはこの世の摂理だよ。地球人も異星人も関係ない。君は君の持てる力を最大限に発揮して彼女を守ったんだ。それを他人が咎めることなんてできないよ。それに、彼女を救ったことで喜ばない人はいないはずだ。彼女の友達も親も仕事の同僚だって、爆発事故の後で彼女が生きてたこと知ったら、みんな喜んだだろ?」

「政府の人以外はね」

「政府は人じゃない」

 ヤマワが間髪入れずに答えたので、タイカは自分の言い方が悪かったのかと思って言い直した。

「政府で働いてる人たちのことだよ」

 しかし、ヤマワは表情を変えることなく「わかってる」と答えた。

「でも、その人たちは彼女と個人的に繋がってるわけじゃないだろう。それどころか、彼らは君の彼女と個人的なつながりなんてないんだよ」

「それはそうだけど…」

 タイカはそう言ったものの、それ以上言葉を続けることができなかった。

「つまり、どういうこと?」

「君の星に主権国家はないの?」

「主権国家?」

「日本とかアメリカとか、特定の地域が独自の政府を持って、そこに所属する国民を統制する社会システムのこと」

「エフェルに政府は一つだけだよ」

「地球にはそれが何百ってあるんだよ。それらが日々自国の利益を守るためにしのぎを削ってるんだけど、問題なのは、国家の利益が個人の利益と相反する時なんだ。

 主権国家だって、昔は善意から生まれた社会システムだったはずなんだ。秩序を維持するためにはある程度の不自由は必要だけど、最初はその不自由も意味があった。生活の向上や安全を得るためにね。だけど、今では国家の利益が個人の利益を凌駕する。でも、国家の利益っていったって、それを享受できるのは一部の権力者だけなんだ。

 つまり、諸悪の根源は権力なんだよ。もっといえば、権力を持つものと持たないものが生み出す貧富の差だ。富める人は努力以上の富を得ることができるけど、貧しい人はどんなに努力しても富を得ることができない。その差が歴然としていて、貧しい人はどうあがいてもそれを覆せない。

 君は地球人だって自力で進化できるっていうけど、進化の道を誤った結果、自滅する可能性だってあるだろ。でも、悪意を是正できなったために一つの生命体が消えるなんて、情けない話だと思わないか? 宇宙を構成する要素に善意や正義が無関係なら、生命体は自らの知恵でそれを正さなければならないんだ」

 ヤマワはまくしたてるように話した。タイカにヒーロー活動を続けさせたいヤマワだったが、社会正義のためというよりは、タイカのヒーロー活動をもっと見ていたいという、個人的な欲求によるものだとの自覚があり、ヤマワは心の中で苦笑した。

 しかし、市民がタイカを必要としていることも、また事実だ。

「君、あの主犯の人と同じこと言ってるね」

 タイカが真面目な顔で言われ、ヤマワは実際に苦笑した。

「まぁ、彼の動機は確かに真実だと思うよ。問題は手段の方だけどね。ただ、市民は手段にこだわってる余裕がないんだよ。だって、そういう力に頼るしか、前途を明るくする術を思いつかないんだもん。それほど権力の力は強大なんだよ。そこへ君が現れた。テロではなく能力で権力と戦える存在としてね。きっと、市民たちは藁をも掴む思いで、君を頼りにしてるんじゃないかな」

 ヤマワは最後にそう言って口を閉じた。しばらく考え込んでいたタイカが、やがて口を開いた。

「市民が望むようなヒーローになれってこと? それで第2のエリーが生み出されたとしても?」

「第2のエリーは君がいてもいなくても生み出される。そういう理不尽の中に市民たちはいるんだよ」

 最後の一言はタイカにとって衝撃だった。エリーのような境遇に陥ることは、たとえタイカが介入しなくても起こり得る。そして、人々はそれに抗う力を持たない。

 確かに力を持たない弱者はいる。それを覆すためには、想像以上の時間と犠牲が必要となる。エリーが言ってた「痛い思いをして手術を受ける人」だ。病気になるのは本人のせいじゃないが、生きるためには痛みに耐えなければならない。

 沈黙の後、タイカはヤマワに向かって「わかった」と答えた。

「やってみる」

 ヤマワは笑顔を浮かべた。


 その後は、ヤマワから凄まじい数の質問が飛んできた。タイカにシャトルを案内させながら、操縦方法やワープの仕組みから、短時間でシャトルと島を結ぶ通路を作った方法。無から実体を生み出す分子複製機の仕組みなど、まるで物心ついた子供のように、ヤマワは思いつくまま尋ね続けた。

 タイカは懇切丁寧に技術の内容を説明したが、当然ヤマワに科学的な理屈は理解できない。しかし、未知なるものに触れた興奮が、理解する喜びを凌駕していた。ヤマワはシャトル中を歩き回って、最後は地上のドアとなっている大木の説明を聞いた。

「なるほど、光学的に大木として見せてるんじゃなくて、分子配列を変更して本物の樹皮に変えてるんだ」

 ヤマワは大木に手を触れながら言った。

「そういうこと」

「すごい」

「満足した?」

「したした。満足どころか感動してるよ」

「それはよかった」

「じゃあ、そろそろ家に帰ろうか」

「そうだね」

 二人は湖畔でゴムボートに乗り込むと、左右のオールを分担して漕ぎ出した。

 ヤマワの自宅についたのは日付が変わった深夜だった。奥多摩から都心に戻るまでの間、タイカはヤマワの車から出動しては、犯罪や事故から一般市民を救い出した。人々はその都度歓声と拍手で答え、その様子はテレビやネットを乱れ飛んだ。

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