第18話「民衆」

 都内に戻ったタイカは、早速その日からヒーロー活動を再開した。

 エマニによって介入するべき事案が提示されると、食事中だろうが睡眠中だろうが、タイカは嫌な顔ひとつせずに出かけていった。

 ヤマワは本業を抱えている身なので、大抵は外出しているか自室に籠もって仕事をしていたが、時間の調整ができる時は極力タイカに同行したし、自宅にいるときは出かけるタイカを見送った。

 テレビやネットでタイカの活躍を見守っていたヤマワは、日を追って研ぎ澄まされていくタイカの手際に感心した。まるで制御ソフトを日々更新していくように、余計な動きが減っていくのだ。

 その最たるものが介入時間だ。

 タイカは当初の目的を達成したら、周囲の喝采など意に返さずに現場を去る。介入案件が事故の場合は、現場の状況を一瞬で把握すると、最短で救助する方法を見つけ出して迅速に実行する。火事で逃げ遅れた人も、交通事故で車に挟まれた人も、適切な手段と手順ですばやく救い出し、必要があれば自分で病院に運び入れたりもする。重力をうまく制御すれば、救急車よりも短時間に、かつ救助対象者の身体的負担を最小限にできた。警察も消防も、はては自衛隊のレスキューチームですら手の施しようがない事案には、必ずタイカの姿があった。

 タイカの活躍は刑事事件でも同様だった。特に犯罪者が武装している場合は、まさにタイカの独壇場と言って良い。警察は人質の安全を図るために、なるべく武力ではなく交渉や説得で事件を解決しようとするが、予断を許さない状況ではタイカが独自の判断で介入する。最初は一応警察の意向を確認するのだが、危険だと判断すれば、たとえ警察が作戦行動中であったとしても、タイカは迷わなかった。その結果、人質は当然のように救出され、犯人は警察に引き渡された。

 そうやって介入行動を完了した後、タイカは無表情なマスクに赤い瞳だけを光らせながら、上空に飛び去っていく。彼がする愛想といえば、せいぜい野次馬に手を振るくらいだ。それも派手にではなく、片手を掲げる程度に。

 その様子は大抵が映像として記録され、現場に居合わせた市民やテレビ・クルーによって世間に公開されるのだが、あるときタイカとヤマワが揃ってテレビを見ていると、インタビューを受けた子供の一人が、今にも泣き出しそうな表情で「エイリマンに挨拶したけど、答えてくれなかった」と言った。

「もう少し愛想よくしたほうがよくない?」

 ヤマワが言うと、タイカは不思議そうに「なぜ?」と応じた。

「地球人って得体の知れない物を怖がるからさ。愛嬌を見せることで、余計な警戒心を与えないようにできると思うよ」

「たとえば?」

「そうだねぇ。人間同士だったら笑顔が使えるんだけど、君はマスクしてるしね」

「その下は機械だし」

「皮膚組織のプログラム変えて、別の顔にすることってできないの?」

「それ前にやったことあるけど、上手くいかなかった」

「そうか。じゃあ後は声かな?」

「声?」

「そう。正確には会話だね。言葉を交わすことで君を知ってもらうんだ。ほら、こないだの銀座占拠事件の時も、SWATの人たちと話すうちに打ち解けたじゃん」

 タイカはしばらく考えて「なるほど」と言った。


 次の日からタイカは市民と言葉を交わすようになった。タイカから積極的に話しかけるわけではないが、救出対象者を安心させるために声をかけたり、野次馬からの声援に手を振りながら「ありがとう」とか「ご機嫌よう」などと応じた。

 時々質問されるようにもなったが、異星人であることや亜空間研究所で働いていたこと以外であれば、タイカは自分の能力や技術について答えるようになった。一度は重力制御技術を使って川の水を空中に持ち上げ、水滴で作る花火のようなパフォーマンスを行ったりもした。フォースフィールドに閉じ込められた数千の水玉が夕日に照らされ、虹色に輝きながら空を彩る光景に民衆は拍手喝采を送った。


 その後も順調にヒーロー活動は続いていたが、活動再開から1ヶ月が過ぎた頃、今まではタイカの活躍を純粋な感情で受け止めていた民衆に、ある種の欲望が芽生え始めた。

 それはタイカ本人に対する興味だ。タイカは何者でどんな力があり、何を考えてヒーロー活動を始めたのか。彼にはどれだけの力があり、何ができるのか。できないことはあるのか。そして、実際のところ彼は善なのか、それとも善を装っているだけで、いつか正体を表すのか。

 人々の興味は次第に膨らんでいき、やがて人間の空想力が理屈や論理を凌駕していく。民衆の中から広がった噂は次のようなものだった。

 タイカは宇宙人で不老不死の力を持っている。いや、彼はアンドロイドで秘密の国家施設から脱走してきた。いやいや、彼は超能力を身に着けた普通の人間である、等々。

 民衆はタイカの正体を知ろうと、その一挙手一投足に注目した。

 立ち振舞が注目されると、どうしても民衆の気に入らない行動が目につくことになる。犯罪に巻き込まれた富裕層を救助した時や、犯罪に走った生活困窮者の逮捕に協力した時などは、それまではタイカに対して賛辞を送ってきた民衆から、少数ながら批判をする者が出始めた。

 テレビの街頭インタビューでは「エイリマンは助ける相手を間違えてる」と言われ、元警察官僚のコメンテーターには「結局は彼の自己満足。なぜなら、すべての弱者を救済できるわけではない。実際犯罪率は減っていない。つまり焼け石に水で、全く意味がない」といった具合だ。

 ネットの意見は更に過激で支離滅裂だった。「タイカは富裕層と契約していて、彼らを優先的に助けている」というものから、タイカを征服者と断じる者までいた。

「今のうちに市民を取り込み、いずれはその力で国を乗っ取ろうとしている。そもそも独裁者はそういう手法で権力を得てきた。例外はない」

 更に恐ろしいことは、これらの極端な意見に同調する人々が存在したことだ。

 人間は自分が望む情報のみを記憶に留め、そこから自分の思いつきで道筋を組み立てる。そこに理詰めはなく、手近にあった結論を継ぎ接ぎにしただけだ。入った情報と出てくる結果が想像を絶する時は、大抵そういう手順を踏んでいるものだ。


 そんな出来事が無視できない回数に及んでくると、今度はタイカの方が混乱し始めた。タイカ自身は意識していないようだが、ヤマワには彼の微細なゆらぎが感じ取れた。

 ある通り魔事件が発生した時、ヤマワは自宅で仕事をしながら、タイカが視神経を通じて中継する映像をコンピュータ端末の隅に置いて見ていた時のことだ。すでに被害者が数名出ていて、犯人が逃走中のような危険な状況にもかかわらず、タイカはしばらく動きを止めた。

 最初は犯人を探しているのかと思ったが、タイカの視野の動きは探索しているようには見えなかった。彼の視点は地上の一点に集中して、しかもピントが合っていない。

「どうしたの?」とヤマワが尋ねると、タイカは「犯人がどんな人間か調べてる」と答えた。街中の防犯カメラから犯人の画像を取得し、それを元に犯人の身元を特定しようとしているらしかった。

「それより犯人の現在地を探した方がよくない?」

 ヤマワが言うと、タイカは我に返ったように「あぁ、そうだね」と言った。

 その時点ではタイカの心情に思い至らなかったが、数日後に民衆の反応をテレビで見ているとき、ヤマワは突然閃いた。タイカは犯人を捕らえる理由を求めていたのだ。民衆も納得できる理由を、犯人を特定することで得ようとしていた。

 ヤマワはすぐにタイカの部屋へ行き、眠っているタイカを起こした。今度いつ出動するかわからないのに、今の心情のままタイカを送り出すことはできなかった。すでに被害者が出ている状況で犯人の逮捕を躊躇したとなると、民衆はその事を種にさらなる妄想を繰り広げるに違いない。その結果タイカは一層混乱を深め、ヒーローとしての指針が揺らいでしまうだろう。

ヤマワが犯人調査の理由を尋ねると、タイカはヤマワが予想した通りの答えをした。

「捕まえても平気かどうか知りたくて」

 ヤマワはタイカの動機に理解を示しつつも、介入の基準を再確認するよう求めた。

「活動の動機を決めたの覚えてる? 助ける相手はどんな人かってやつ」

 タイカは少しだけ考えてから答えた。

「悪事や災難に対して抵抗する術を持たない人」

「そうそう。民衆の反応が気になるのもわかるけど、犯人がどんな人間であっても、やはり武装してたら脅威だよ。警察が対処できるならまだしも、対処できない場合は君しか被害者を助けることはできないんだ」

「そうだけど、そうすると市民が…」

「非難する?」

「…、うん」

「君は今まで他人の視線なんか気にしなかったのに、急にどうしたの?」

「だって、彼らのためのエイリマンなのに、彼らの望むことしなかったら、また僕は空回りしちゃうよ」

「そうだけど、だったら尚更彼らを助けることに迷わなくてもいいんじゃない? 君が手を貸した人は、少なくともその時自力で問題を解決できなかったわけだし」

 ヤマワにそう言われて一応は納得したタイカだったが、部屋を出ていく時にヤマワが見たタイカは、まだ完全に自分の中で決着がついていないような表情だった。


 タイカへの注目度はほとんどエンターテイメントの様相を呈していた。現場には野次馬が溢れかえり、テレビはどのチャンネルも日に一度はタイカを取り上げ、ネット上では24時間途絶えることなくタイカに関する話題が飛び交った。

 フィクションだろうが現実だろうが、刺激的であれば構わない。それどころか、タイカが善でも悪でも関係ない。アクション映画をみているような爽快感と、謎に包まれたタイカ本人の存在が、良くも悪くも民衆の興味を引いた。民衆にとっては当事者としてタイカに手を差し伸べられない限り、どこまでいっても他人事なのだ。

 タイカは出動時と帰宅時のテンションが真逆になることが多くなった。いつものタイカらしい事務的な様子で出動したかと思えば、帰ってきた時は明らかに元気がなく、ヤマワの問いかけにも散漫な答え方をした。翌日も気が重そうに出ていったと思えば、今度は嬉しそうに民衆とのやり取りをタイカの方から話し出す。

 やり取りと言っても大したものではなく、単に褒められたとか感謝されたとか、要は前向きな言葉をかけられただけだったが、今のタイカにとってはそれすら貴重な原動力になっていた。

 

 ある日の夜、都心の街角でタクシーの乗客による人質籠城事件が発生した。

 事件の発覚は人質となった女性のSNSが発端だった。彼女は犯人の連れで、酔っ払って車内で悪態をつき始めた犯人の様子を動画で撮影し、それをSNSにコメント付きで投稿した。

「国家公務員の息子が薬と酒でラリって絡まれてんだけど、どうしたらいい?」

 コメントに対する返信の中に「運転手に頼んで交番に寄ってもらえ」というものがあり、彼女はそれに従ったが、交番の前に到着してから男が「行き先が違う」と暴れだした。ところが、あろうことか彼女はそれをスマートフォンで実況し始めたのだ。運転手が交番に駆け込み警察官を連れて出てくると、逆上した犯人が持っていたナイフで女性を人質にとり籠城を始めた。

 刺激を求める民衆は彼女の投稿を電光石火で拡散させ、中継によって特定された事件現場に押し寄せた。

 タイカが到着した頃には、車道にまではみ出す野次馬で現場は溢れかえっていた。

 タクシーの周囲を警察が取り囲み、更にその外側を野次馬たちが詰め寄り、交番の警察官は少ない人数で犯人の説得と野次馬の警備を強いられていた。

 警察と野次馬の間に舞い降りたタイカは、周囲の大歓声に適当に答えると、警備中の若い警察官に声をかけた。

「手伝いにきたけど、どんな様子?」

 タイカを見て一瞬唖然とした警察官だったが、すぐに我に返って「ちょっと待って」と言うと、上司の警察官に走り寄った。

 上司は犯人を説得中の警察官の後ろで、腕組みをしてその様子を伺っていたが、部下から報告を受けるとタイカの方へ歩いてきた。

「あぁ、君か。金田から話を聞いたよ」

「金田?」

「SWATの隊長だよ。銀座占拠事件の時、君と共闘したんだろう?」

「あぁ…、あの人のこと知ってるんだね。じゃあ話が早い」

「いや、今君の助けは必要ない」

「その金田って人も、最初はそう言ってたけどね」

「言いたいことはわかる。だが、あの時と違って今回は普通の犯罪だ」

「でも、僕だったら誰も危険を侵さずに解決できるよ」

「犯人はナイフを人質の首に押し付けてる。この状況でなんとかするってことは、犯人を負傷させて動きを封じるってことだろう」

「それはまぁ、そうだけど…」

「君が力で犯人を制圧したとしても、今度はもっと強力な武器で対抗する人間が出てくるかもしれない。それどころか、君が手出しできなくなるような手段を考え出すヤツが出てくるかもしれない。それでは事件を解決できても犯罪を抑止したことにはならないんだ。君も悪化していく犯罪すべてに対処できるわけじゃないだろう」

 そう言われて、タイカは返す言葉を見つけることができなかった。

「人質が危なそうな時は手を借りるかもしれんが、今はこっちに任せてくれ」

 銀座占拠事件のときとは違い、今回の犯人は警察の抵抗を蹴散らしてでも目的を達成しようとする、いわゆる計画的な作戦行動ではない。いってみれば警察官が日常的に対処してきた事案で、説得という経験から言えば、タイカより彼らの方が圧倒的にベテランだった。

「了解」

 タイカが言うと、上司警察官は微笑を浮かべてタイカの肩をたたき、現場に戻った。


 タイカは警備中の若い警察官と並んで説得の行方を見守っていたが、数分も立たないうちに野次馬の方がしびれを切らし始めた。しかも、その苛立ちは犯人に対してではなくタイカに向けられた。野次馬たちはタイカが派手に犯人を拘束すると思っていたようで、動こうとしないタイカを非難し始めた。

 警備の警察官が騒がないように促すが、集団陶酔に入りかけた群衆は自制が効かなくなっている。

 見かねた上司警察官が静かにするよう声を張り上げたが、犯人が役人の息子であることを知っている彼らは、タイカだけに留まらず警察官も非難の対象にし始めた。

「おまえら裏で結託してるだろう!」

「そいつが役人の息子だから、穏便に済まそうとかなんとか考えてるんじゃないのか!」

 そういったことを口々に詰め寄りながら、包囲の輪を少しずつ狭めてきた。このまま彼らを放置すれば、自分たちで犯人に制裁を加えかねない勢いだった。

 あわてた警察官たちは説得担当一人を除いて、全員が身体を張って野次馬たちの前進を抑え込むが、たった数人では野次馬の圧力に耐えきれず、じりじりとタクシーの方へ押されていった。

 説得担当の警察官と言い合っていた犯人も、周囲の異様な騒ぎに気づいて一層興奮し始めた。泣き叫ぶ人質の首筋にはうっすらと血が滲んでいる。傷は浅いが、それは幸運とはいえなかった。これは犯人が意図してつけた傷ではなく、犯人の恐怖心と興奮による無意識の凶行なのだ。つまり、人質にとっても警察官にとっても、もはやその身の安全が冒されるまで一刻の猶予もなかった。

 それからのタイカはAIのような迅速さと迷いのなさを示した。

 騒ぎに気を取られた犯人が、ナイフを人質の首筋から浮かしているのに気づいたタイカは、タクシーの後部座席に走り寄ると、窓ガラスを突き破って犯人の腕を強引に人質から引き剥がした。割れて飛び散ったウィンドウの破片が犯人と人質に降りかかったが、そんなことにかまっている余裕はない。タイカはその勢いで犯人を車外に引きずり出し、路上に放り出した。

「彼女を!」

 今まで呆然とタイカの行動を見ていた説得担当の警察官は、タイカにそう言われタクシーに乗り込むと、持っていたハンカチを彼女の首筋に押し当てた。

 野次馬たちが犯人に群がる。タイカは警察官の携帯無線にハッキングをかけると、「全員タクシーに乗り込んで! 乗れない人は車の屋根に!」と呼びかけた。野次馬の波に飲まれた警察官たちは、イヤホンから流れた声の主に気を向ける余裕もなく、必死でタクシーに乗り込んできた。

「落ちないように気をつけて! 車外の人は僕につかまって!」

 タイカは屋根の上に立つと、車内に入れない警察官を引き上げながら言った。

 車内では上司警察官が何か叫んでいる。どうやら犯人を確保しろというようなことらしいが、野次馬のうねりに巻き込まれることが危険なのは明白だった。タイカは警察官が次の行動を取れないよう、可能なかぎり高速でタクシーを上昇させた。

 野次馬たちは誰一人飛び去るタクシーを気にすることもなく、まるで水が満ちていくように、路上に空いた長方形の空間を侵食していった。

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