第19話「温度差」

 クライアントとの打ち合わせを終えたヤマワは、都心のオフィスビルから駅に向かって歩いていた。相変わらず人通りが多く、周囲は人々の話し声と車の走行音に満ちている。遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてくるが、これも普段と変わらない。いや、普段よりは少しばかり多いか。

(もしかしたら、タイカが街のどこかで活躍でもしてるのかな)

 文字通り飛び回ってるタイカを想像して、ヤマワは思わず吹き出した。

 悩んだり迷ったりすることがあっても、やはり彼の持つ力は人々の役にたつ。本人はその貴重さを完全に自覚できているわけではなさそうだが、それでも役に立てると思えばどこへでも飛んでいく。ほんの一瞬だが、ヤマワにはそんな彼が花の蜜を求めて飛び回る蜂に思えた。

「いやいや」

 ヤマワはあわてて無意味な連想を否定した。タイカが蜂だなんてとんでもない。

 彼が従っているのは習性ではなく義務感だ。というより、特殊能力を持つことに対する責任感だろう。その姿勢はスーパーヒーローとしてだけでなく、科学者としてのものでもある。時々その責任感が自分の存在意義と衝突して、時には責任感が勝って周囲に不要な影響を与えることを恐れ、時には存在意義が勝って暴走するが、それは彼の誠実さの副作用みたいなものだ。

 そして、今のタイカには自分がついている。一人の知恵では見えない道でも、2人で考えれば新たな光を生み出せるだろう。その光が別の道を見つけ出せるように。

 駅に向かいながらそんなことを考えていると、ジャケットの内ポケットから携帯端末の着信音が鳴り響いた。内ポケットから端末を取り出してディスプレイを確認すると、タイカの名が表示されていた。

「もしもし、どうしたの?」

「やぁ。今忙しい?」

「いや全然。打ち合わせが終わったんで、これから家に帰るところだよ」

「都心にいるの?」

「うん。今恵比寿」

「それは助かる。じゃあ悪いんだけどさ、渋谷の警察署まで来てくれないかな?」

「いいけど、どうしたの?」

「それがよくわからないんだけど、助けた警察官に逮捕されちゃったんだよ。公務執行妨害とかで」


 タイカが渋谷署の前に着陸すると、タクシーから降りた上司警察官が、タイカの両手に手錠をかけながら言った。

「まぁ、君がその気になったら、こんな手錠は簡単に破壊できるんだろうがね。しかし、犯人を置き去りにして我々の職務を妨げたわけだし、このまま開放したんじゃ上に申し開きがたたないもんでな。悪いけどしばらく付き合ってもらうよ」

「言いたいことはわかるけど、あのままだとみんな怪我してたよ」

「あぁ、わかってる。ただ、それでも職務は果たさなければならないんだよ。警察が危険から逃げてたら、治安なんて守れないだろう」

「でも、最低限身を守る努力はするでしょ」

「わかってる。もう言うな」

 上司警察官はタイカを取調室に連れて行った。彼は「ここで待っててくれ」と言い残すと、そのまま部屋を出ていった。

 タイカはその間に携帯回線を通じてヤマワと連絡をとった。

 ヤマワが来るまで間、タイカは暇を持て余した。殺風景な取調室を見回したり、反重力フィールドで目の前のデスクを持ち上げたり、マスクのオンとオフを切り替えたりして時間を潰した。膝の上に置かれた両手に視線を落とす。そこには銀色に輝く手錠があった。試しに両手に少し力を入れると、両方の手錠をつなぐ鎖がなんの抵抗も見せずに切れた。

「あっ…」

 取調室のドアが開き、タイカは慌てて両手をデスクの下に隠した。

 ドアから現れたのは上司警察官とヤマワだった。

 上司警察官はタイカの手錠を外そうとして、鎖が切れていることに気づいた。

「ごめん。ちょっと力を入れただけなんだ」

 タイカにそう言われ、上司警察官は苦笑した。

「気にするな」

 手錠を外しながら、彼はヤマワに向かって「じゃあ、手続きが終わったら声かけるよ」と言うと、部屋を出ていった。

「手続きって?」

 向かいに座るヤマワを目で追いながら、タイカが言った。

「保釈のだよ」

「あぁ、なるほど」

「ところで、もう人間の姿に戻ってもいいんじゃない?」

「警察に僕の素顔がバレるよ」

「バレても君の身元まではたどり着けないよ。亜空間研究所は国際機関だから日本の警察にアクセス権はないし、そもそも君には地球人としての身元も経歴もないしね」

「さすがヤマワくん。情報通だね」

 タイカが皮膚組織を入れ替えながら言った。

「そういう情報網あってこその投資業だからね。まぁ、それはともかく、いったい何があったの?」


 タイカが今夜の出来事を一通り説明し終わった頃、タイカの保釈手続きが完了した。上司警察官の話では一応書類送検されるようだが、たぶん不起訴になるだろうとのことだった。


 警察署から2人揃って街に出ると、辺りはすでに深夜だった。

 行き交う人の多さは昼間と大して変わらないが、タイカには彼らが自分を意図的に無視しているような錯覚を覚えた。先を歩くヤマワについて街の中に入り込んでも、その錯覚は消えなかった。

「どうしたの?」

 不安そうに辺りを見回すタイカに気づいて、ヤマワが尋ねた。

「なんていうか、警察署に入る前と違う街みたいだなぁと思って。誰もあの騒動を知らないんじゃないかな」

「そんなもんだよ、特に都会の人はね。自分が直接当事者にならないかぎり、自分に関係があることだとは思わないんだ。試しにエイリマンとして彼らの前に立ってみな。みんな目の色変えて寄ってくるから。まぁ、動機が健全かどうかはわからないけどね」

「どういうこと?」

「君を同志としてみるか、話の種としてみるかってことさ」

「ふ〜ん。そんなもんかな」

「そんなもんだよ」

 しばらく黙って歩いていたが、ふいにヤマワが口を開いた。

「君、こないだからやたらと市民を意識してるけど、もしかして、奥多摩で僕の言ったことが原因?」

「市民の望むヒーローになれってやつ?」

「そう」

「う〜ん。どうだろう。まぁ、彼らがどんなヒーロー像を望んでるのか、気にならないかといえば嘘になるけど」

「っていうより、もっと直接的な願望が芽生えたんじゃないの?」

「直接的ってどんな?」

「例えば直接ほめられたいとか…」

「ほ、褒められたい? 僕が?」

「目を気にするってことは、そういうことじゃない?」

「それは…、考えてもみなかった…」

 タイカはうつむきながら言った。

 ヤマワが少し慌てる。

「いや、例えばの話だよ。そんなに落ち込まないで。僕もちょっと言葉が足りなかったと思ってるんだ。市民が望むヒーローっていうのは、個人個人の状況に応じた希望であって、群集心理としての市民のことじゃないんだよ。例えば誰かが事件に巻き込まれて、その人が自力ではどうしようもないときに、『誰か助けて』という希望を叶えることだ」

「それはわかるけど、それと群集心理とどういう関係があるの?」

「今日君が見た市民は、個人個人でみれば確かに『持たざる者たち』かもしれないけど、その総意としての『市民』はけして弱者じゃないってことだよ」

「でも、あの場合は彼らの望みを叶えたと言うよりは、人質や警察官を無傷で脱出させたかっただけなんだけど」

「…本当に?」

「え? どういう意味?」

「いや…」

 タイカの怪訝な表情を見ると、心からそう思っての発言であることはわかる。しかし、実は無意識下で市民の望みを感じているのではないか。ヤマワにはそんな直感が脳裏をよぎった。

 その根拠が今回のタイカの行動だ。タイカの予測通り市民は犯人につられて警察や人質を無視した。タイカにはその確信があったからこそ、まず最初に浮かんだ脱出方法が犯人を生贄にすることだったのではないか。その効果を知らなければ、タイカは別の方法を探したはずだ。

 エマニによって収集された情報と、それを元にした可能性の統計を参考にすれば、こういう状況に置かれた市民が歴史上どのような行動をとったか、ある程度は理解できるだろう。今のところ、タイカはそれを明確に言語化できているわけではないようだが、直感で行動の選択肢を絞り込んでいる。今夜のような熟考ができない状況なら、まさに直感の独壇場だ。

「う〜ん、なんと言ったらいいか…。もしかしたら、君は無意識のうちに市民の意向を優先したんじゃないかな。もしくは利用したとか」

「意向ってどんな?」

「報復」


 翌日、タイカは昼間に起き出してダイニングテーブルに座っていた。

 ヤマワはすでに外出しており、タイカは一人で窓の外に広がる東京の街を見ていた。

 しかし、頭の中では何度も同じ単語が駆け抜ける。

 報復。報復。報復…。

 一夜明けても、その言葉はタイカの頭から離れなかった。

 ヤマワは何かを諭すためにその単語を使ったわけではないのだろう。ただ素直に市民の状態を表したにすぎない。

 報復の意味するところはタイカにもわかる。報復とは与えた行為に対する報いだ。ただし、この場合はネガティブな意味での報いであろう。市民の報復とは復讐と同義なのだ。

 たしかに報復は原始的な心理だ。そこに論理的な損得はない。それどころか、報復した方もなんらかのリスクを受ける可能性が高い。つまり、報復は自分も傷つくということだ。

 問題なのは、タイカ自身にまったくその意志がなかったことだった。少なくとも意識下では、犯人を市民に委ねたのは、警察官と人質を危険から守るための行動だった。そして、あの時の「危険」とはまさに市民だった。

 あの巨大で感情的なうねりに巻き込まれたら、タイカの取る対抗手段が原因で市民になんらかの危害が及んだだろう。タクシーを包んだフォース・フィールドは、人間を弾き飛ばすだけの力がある。

 しかも、犯人はナイフを人質の首に突きつけていた。タイカが一瞬のすきを見逃さなかったから人質から引き離すことができたものの、犯人がナイフを離したのは偶然の出来事で、他に選択肢はなかった。

 …と思ったのもつかの間、タイカは今になって別の手段を思いついてしまった。

(犯人が群衆に気を取られたとき、手を掴むかわりに重力子弾で犯人の脳に衝撃を与えれば、犯人を気絶されられたかも)

「う〜ん…」

 タイカは腕を組んで唸った。

(思いついたからって、今さらどうにもできないしなぁ…)

 そういえば、あの犯人はその後どうしたのだろう。気になってネットを検索すると、次のような見出しを見つけた。

「タクシー立て籠もり犯が搬送先の病院で死亡」

 市民から袋叩きにされた犯人は、意識不明のまま病院に担ぎ込まれたが、回復することなく今から二時間ほど前に心停止した。警察は当時の防犯カメラから暴行に加わった市民を探しているが、あまりに対象者が多いため特定が難航している。

 ニュースは犯人の個人情報も報道していた。犯人は元々激しやすい性格だったようで、ニュース専門サイトが調査したかぎりでも、彼を被疑者とする暴行や障害の被害届が複数件提出されていた。

 どこまで本当かわからないが、犯人の父親もキャリア官僚という地位を利用して横暴な振る舞いを繰り返していたようで、民間や部下からだけでなく、同僚のキャリア組からも陰ながら不評を買っていた。

 テレビが街角で行き交う人々にインタビューをしているが、そのすべてが犯人を非難するもので、同情の余地なしと断じていた。

 タイカはいよいよわからなくなった。那覇の銀行強盗事件で遭遇したような板挟みに、再び追い込まれている。しかも、ヤマワとの出会いはその板挟みを解消するためだったはずなのに、今度はヤマワと市民の間で、正義に対する温度差が生じていた。

 ヤマワは自力で身を守れない弱者の救済だけに注力すればよいという。それが結果的に市民のためになるということだ。

 しかし、市民はもっと広範囲な弱者に見られたがっているように思う。それは国家権力や経済力に対する弱さだ。那覇の銀行では弱者であるはずの人質が犯人を擁護した。街中で「ヒーローなら金をもってこい」という愚痴も聞いた。そして、ビルの屋上で助けた女性は、「大丈夫じゃない」と言って死んでいった。

 犯罪や事故に対しては、少なくとも警察や消防や自衛軍がいる。しかし、国家権力や経済格差に抵抗できる力は、たぶん自分にしかない。

 タイカは途方にくれた。

 ヤマワと市民。いったい自分は、どちらの方を向いていればよいのだろう。

 その問いは一日中続き、翌日になっても答えは見つからなかった。

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