第20話「環境由来弱者」
自分の進めていた科学実験が行き詰まった時、タイカは一度その実験方法を白紙に戻す。その上で着手当時の発想を再検証して、別の糸口を見つけ出すのだ。そうすることで正しい方向への軌道修正を理論的に行うことができた。行き詰まるということは前後の過程に必然性がなかったということだ。それは道に迷った時と似ていて、そのまま進んで正しい道に出る可能性に比べれば、戻る方に労力を費やした方が無難と考えていた。
だから、タイカは今回もそれに従った。スーパーヒーローとしての原点は、ヤマワに教えを請うた日だ。つまり、「犯罪に抗う力を持たない人々を助ける」という、ヤマワの助言に従うということだった。
その日、最初にエマニが拾った介入案件は、白昼の大阪市内で発生した通り魔事件だった。
犯人は自分で作った超硬質セラミックの防弾スーツを着込み、背中に火炎放射機を背負った理系大学の大学院生だった。彼は就職採用試験にことごとく失敗し、高学歴好成績であるにも関わらず就職先が決まらない現状に憤りを感じて、自分の能力を社会に認めさせるために強行に及んだ。
事件発生中の犯人に関する情報が、なぜそこまで詳細に知られているかと言うと、犯人自らが犯行声明をネットにあげていたからだ。彼は御堂筋の路肩に停めたワンボックスの荷台で、セラミックスーツを着込みながら演説を行った。その様子はそのままネットにライブ配信されており、視聴者は演説を終えて路上に飛び出していく犯人を目の当たりにして、あわてて警察に通報した次第だ。
上空から日本列島をパトロールしていたタイカは、たまたま関西エリアに差し掛かったところで事件発生を知った。
「なんだかこういう類の事件ばっかりに関わってるなぁ」
これまでタイカが介入した事件で、純粋に営利目的で法を犯した犯罪者は銀座事件の主犯くらいのものだ。それ以外はいずれも何かに対して不満を抱いた結果の暴発だった。彼らの行為は結局無駄に終わったわけなのに、それでも同種の犯罪が絶えない理由はなんなのか。社会や他人に対して不満があるのはわかるが、因果がまるで噛み合っていないのだ。
(市民に味方するっていっても、どの市民に味方すればいいんだろう)
市民の見極めに迷っているタイカには、不満を抱えた市民の行動原理が理解できなかった。不満ならきっと他の市民も抱えているだろう。しかし、行動に出る人間と行動に出ない人間がいて、行動に出た人間が選択する道は、概ね犯罪行為だった。そして、それはほぼ確実に何も成し遂げない。
タイカがそんなことを考えながら御堂筋の車道に降り立ったとき、すでに犯人は両手に備え付けた放射口から火炎を吐き出し、それを周囲に撒き散らしていた。
大阪屈指のビジネス街は騒然となり、人々は逃げ惑っていたが、幸い死傷者はまだ出ていなかった。
タイカの姿を認めた犯人は、一方の火炎をタイカに向けながら叫んだ。
「警察の犬が、何しに来やがった!」
「い、犬?」
予想もしなかった言葉を浴びせられ、タイカは怯んだ。
「偉そうな格好して調子に乗りやがって! 人助けしてるつもりだろうが、なんの解決にもなってねぇぞ! どうせおまえも自分に都合のいい人間にしか興味ねぇんだろう! 権力者や金持ちと対して違わねぇんだよ!」
タイカが犯人を制圧することは造作もない。背中に背負っているガソリンタンクは厄介だが、犯人ごとフォースフィールドで包んでしまえば、周囲に二次被害を出すことはない。むしろ問題なのは、フィールドの内部で犯人が焼死することだ。そうなれば前回の二の舞になってしまう。
おまけに、先手を打った犯人の言葉だ。現場には野次馬だけでなくメディアのカメラも遠巻きに犯人の様子を捉えている。今の犯人の言葉を聞けば、それに同調する人間も出てくるだろう。
タイカは周囲を見回した。野次馬たちの表情をズームで確認し、その心情を図る。女性たちは一様に不安そうな視線を犯人に送っているが、男たちの反応はバラバラだった。犯人に罵声を浴びせる者、声援を送る者、テイクアウトのコーヒーを片手に薄笑いを浮かべている男もいる。若いカップルは何か言い合って笑い、老婆は手を合わせて拝んでいる。老婆の口元が動く。それをエマニが分析した。
「もう止めてくれ。こんなんでは何も変わらん。悪くなる一方や」
タイカはその言葉を受けて、犯人の制圧を決心した。
理由はどうあれ、平安を乱す輩は放置するべきではない。これは、ヤマワが一貫して主張するヒーローの原点だ。
相変わらず両手の噴射口から火炎を撒き散らす犯人は、車道をゆうゆうと歩きながら南を目指した。路肩の街路樹が燃え、ビルの窓が熱で歪んでいる。
タイカは右手に重力子弾を作り出すと、それを男の頭目掛けて放った。男はバク転でもしたかのように飛び上がり、そのまま頭から地面に叩きつけられた。タンクと地面の激突で火花が舞い上がり、直後に漏れ出したガソリンに引火。男の周囲に張ったフォースフィールドで爆発は封じ込めたが、男は火球の中で爆風と炎にさらされた。タイカは急いでフィールド内部を減圧して炎を消し、その頃到着した消防車が放水を開始すると、タイカはフィールドを解除した。
路上に横たわる犯人に救急隊員が歩み寄り、脈と胸の動きを確認して犯人の生存を仲間に告げた。
野次馬たちから喝采が巻き起こった。自分があの爆風と炎を受けていたかもしれないという恐怖が、男を犯罪者と認める要因になったのだろう。それとも、できの良い映画を観た後の観客のような心境なのか。
鎮火した犯人に警察が群がる。脳震盪を起こして意識を失っている男のセラミックスーツを引き剥がすと、なんと男はスーツの下に耐火服を着込んでいた。しかし、それでも顔面の火傷と倒れた際の骨折で重症だった。
警察の様子から事件解決を悟ったタイカは、上空へ戻ろうとしたところで女性の声に呼び止められた。
振り向くとテレビカメラを従えた若い女性のインタビュアーが、恐る恐るタイカにマイクを向けた。
「あ、あの、エイリマンですよね。今のお気持ちは?」
「は?」
「ヒーローとしてのお気持ちですよ。良いことをした満足感とか、正義を成し遂げた優越感とか」
「いや、できることをしただけなので…」
「でも、市民は知りたがってますよ。あなたがいれば自分たちの生活がもっとよくなるのかどうか。こういう犯罪が起こるような現代にあなたが現れたことで、市民は藁をも掴む思いでいるんだと思いますが、あなたは彼らの思いをどう受け止めますか?」
「どう受け止めるといっても…」
押しの強いインタビュアーに思わず答えたタイカの正直な感想が、直後に日本を二分する論争を巻き起こした。
「こんな無意味な行動とらなければ、僕が関わることもないわけですし…」
しばらく唖然としていたインタビュアーは、すぐに自分の義務を思い出して口を開いた。
「無意味というと?」
「犯人の行動ですよ。犯人は犯罪者として自由を奪われるだけで、結局何も変わらないでしょ?」
「…で、でも、そこまで追い詰められたとはいえませんか?」
「誰に?」
「社会に」
「彼もその一員なのに?」
これが千年先を行くエフェル文明との差なのか。タイカは自分で言いながらそんな感想を噛み締めていた。
実際、犯人の行動は誰の得にもなっていない。この騒ぎで警察が交通規制を行ったため、市民は不自由な回り道を強いられた。犯人の主張は市民が日々感じていることで新鮮さは感じない。むしろ、市民は犯人に対して「おまえだけじゃないんだ」という反感を感じているほどだ。それは犯人が投稿した動画のコメントや、現場で受けている市民のインタビューを聞けばすぐに裏が取れる。行動に対する結果は誰でも予想できるほど無益なものなのに、犯人はそれ相応の労力を費やして行動を起こした。
タイカにとってはそれが不思議で仕方ないのだ。
タイカの返答にインタビュアーが返す言葉を失っている頃、タイカの聴覚にヤマワからの着信音が響いた。
「はい?」
「もうその辺で切り上げたほうがいいと思うよ。手遅れかもしれないけど」
「どういうこと?」
「いいから早くその場を離れて」
タイカは言われるままに上空へ飛翔した。
それから数時間後、タイカはヤマワの危惧を知ることとなった。ネット上にエイリマンを批判する投稿が急増したのだ。
タイカが抱いた素朴な疑問は、それが音声としてこの世に放たれた瞬間から、人々のフィルターを通して善意にも悪意にも姿を変えた。善意はなかなか形にならないが、悪意は凄まじい勢いで言語化される。その最も手近なはけ口がネットだった。
「エイリマンはやはり権力の犬だ」
「社会構造もわからないような奴が、スーパーヒーローとか聞いて呆れる」
当然ながら、現場で見ていた野次馬に批判者はいなかった。すくなくとも能動的にネットへ投稿したものはいなかった。自分が爆発に巻き込まれる恐怖を知らない人々だけが、タイカを批判する側に回っていた。
その一方で、タイカを擁護する声も多少はあった。「彼の疑問は間違ってない」とか「あんなの単なる犯人の逆恨みだろ」などだが、それらは意識して探さなければ批判に埋もれてしまうほど少数だった。
市民を助けたつもりなのに、再び市民から批判されるのだ。タイカはいよいよわからなくなってきた。自分が守らなければならない「市民」とは、いったい何者なのか。
しかし、エマニはタイカの都合など考えない。自ら張り巡らせた情報のアンテナに舞い込む事案を休むことなく取捨選択し、介入通知をタイカに届ける。タイカは考えをまとめることもできずないまま、行き当たりばったりで現場に向かった。
そんなタイカを待っていたのか、次の介入は文字通り市民対市民の構図がもたらした小競り合いだった。関東のとある市で、その首長を決める市長選が行われていたが、選挙運動中に候補の支援者同士が演説を行っていた市街地で乱闘を始めたのだ。
一方の候補は67歳の現職市長。
他方は44歳の当選経験のない新人で、立候補直前まで市役所で働いていた人事係長だ。彼は四期に渡る長期政権で生み出された排他的な人治政治を間近で見てきたため、自らの正義から脅迫を受けるような心情にかられ立候補した男で、それに共鳴した若い支持者たちが彼の元に集まっていた。つまり、この争いは現職対新人であると同時に権力対市民であり、更には前世代と新世代の対立でもあった。
とはいっても、乱闘そのものは候補者の預かり知らないところで、些細な行き違いから始まった。それはあくまで個人間の誤解によるものだったが、それが集団同士の争いに発展したとき、正義の視点が真っ二つに割れた。お互いがお互いを加害者だと罵り、根拠のない悲壮感が増大する。まさに、火のないところに煙が充満する非科学的な人間の心理だ。
警察も出動していたが、集まっていた支持者が多すぎて、所轄の警官だけでは対応できなかった。現場の指揮官は全市に向けて応援を要請するより早く、まるで核分裂の連鎖反応のように乱闘が人々の間を伝搬していった。
タイカが現場に降り立ったとき、事態の把握に手間取った。交通整理以上の有効な対策をうてないでいる警察官と同様、タイカも上空から眺めるだけで、事態をどう収集すべきか考えあぐねていた。当事者たちの怒号と、それを歩道橋から見下ろしている野次馬たちのやじ。そして、通行を邪魔された運転手たちがかき鳴らすクラクション。それらすべてが市民なのだ。
しばらくすると、市内のパトカーがサイレンを鳴らして殺到した。パトカーから飛び出してきた警察官たちは、私服も制服も入り乱れて乱闘している市民を外側から引き剥がしにかかった。それでも冷静さを取り戻せない市民を目の当たりにして、現場の警察官が市警本部に報告する。
「騒ぎが収まる様子なし」
すると、しばしの無音状態を打ち破って市警本部から指令が響く。
「公務執行妨害であることを警告した後、それでも騒ぎが収まらない場合は催涙ガスで事態の沈静化を図るように」
「しかし、この中には市長もいますが」
「市長の退避は確認した」
「…。了解」
そのやり取りを聞いていたタイカは、真相の一端を垣間見たような気がした。市民が無謀な行動をとるのは、解決のためではなく意思表示なのだ。彼らは声を奪われた人々なのだ。市民の中には、声を持つものと持たないものがいる。そして、持たないものは行動で意思を伝えるしかないのだ。
義務的でなんの説得力ももたない警告の後、周囲にいた警察官たちが数発の催涙ガスを騒ぎの中心に向かって打ち出した。
タイカは急降下すると地上すれすれで九十度ターンを行い、乱闘中の市民の直上をかすめながら催涙弾を弾き飛ばした。
騒ぎの上を通り過ぎた後、反対側に止まっていたパトカーをクッションにして急停止する。その衝撃でパトカーのドアが粉砕し、元の場所から十数メートル弾き飛ばされた。タイカはそれに目もくれず、伸ばした右手の平から低出力の反重力子弾を打ち込んだ。フォースフィールドに包まれた微細な黒い点が騒ぎの中心で開放され、周囲の市民を弾き飛ばす。重症を追うほどの圧力ではないにしても、弾き飛ばされた市民たちは地面にしたたか打ち付けられ、手足にかすり傷くらい負っただろう。しかし、彼らが冷静さを取り戻すには必要な刺激だった。
タイカが市民に向かって叫ぶ。
「市長はすでに避難した! 警察官は本部からあなた方を逮捕する命令を受けている! このまま乱闘を続けることは、市長を有利にするだけだ! それでも騒ぎを続けるのか!」
タイカはわざと自分の声にフィルターをかけた。いつもの地声ではなく重低音を響かせた太く低い声に変え、可能な限りフルボリュームで拡声した。
今まで聞いたこともない圧力のある声に、人々は動きをとめてタイカに視線を向ける。
パトカーのラジオに回線をつないだタイカは、先ほどの警察無線をフルボリュームで流した後、市民に再び呼びかけた。
「自ら敵を利する行為はやめろ」
騒ぎは収まった。タイカの暴露により市民の逮捕に踏み切れない警察官は、現場の交通整理しかできなかった。彼らは帰路につく市民たちを誘導しながら、冷気を帯びた視線をタイカに向けていた。
視線の意味はタイカにもわかる。彼らは「余計なことしやがって」と思っているのだろう。だが、そんな視線など意に返す必要も感じないほど、重要な視点を獲得した。
「市民なら誰でもいいわけじゃないんだ。僕が味方しなければならないのは、声を持たない人々。権力に抵抗する術を持たず、抵抗するための知恵を獲得する機会にも恵まれない人々だ。弱者は弱者でも、身体由来の弱者ではなく、環境由来の弱者だ」
タイカはそんなことを考えながら上空に舞い上がった。
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