第21話「乖離」
警察官の視線とは裏腹に、タイカは晴れやかな気分で上空に舞い戻った。市民に味方するという行為が、ようやく目に見える形で体験できたような気がした。
「要は市民が不利益を被らないように手を貸せばいいんだ」
タイカは高空に浮遊したままエマニの介入探索プログラムを変更し始めた。網膜ディスプレイに介入案件選別用のアルゴリズムを表示し、大量のパラメータを変更しながら探索結果を検証した。そのアルゴリズムは介入案件の優先度を決めるもので、介入対象が事故であれ犯罪であれ、被害者の関連情報に環境由来弱者としての要素が認められた場合、優先対象者として扱うものだ。
エマニは案件を検知した瞬間に被害者の情報を収集できるだけ収集し、生活状態や経歴から社会的地位を判別し、被害者が単独で障害を克服できる力を持っていないと判断された場合は、犯罪や事故に限らず最優先で取り扱う。その中から緊急性の高い案件がリストの最上位にくる。
数時間の試行錯誤を繰り返し、ようやくタイカも納得できるリストが出来上がった。現在の最上位は進行中の不法滞在者一斉摘発で、逮捕状発行リストには未成年者も含まれていた。未成年者のほとんどが日本で生まれ、日本語しか話せない。しかも一様に貧困者だった。
タイカは網膜ディスプレイからリストを消すと、現場がある福岡市までの最短コースを検索した。
ところが、エマニが地図ウィンドウにコースを表示した直後、ヤマワから連絡が入った。
「どうしたの?」
タイカが応じると、いつもより覇気のない声がタイカの声に響いた。
「もしかして、一斉摘発を阻止しようとしてる?」
「え? なんでわかるの?」
「銀座占拠事件の時に、君が視界の映像を僕の端末に送ってくれてるでしょ」
「ずっと見てるの?」
「いや、たまたまだよ。でも見ててよかった。で、どうなの? 警察に対して介入しようとしてるの?」
「これは考えてないよ。また逮捕されちゃうからね。でも、このまま捕まったら強制送還されちゃうんでしょ?」
「そりゃまぁ、そういう決まりだからね」
「そうだけど、子どもたちにとっては送還される国の方が異国なんじゃないの?」
タイカの問いに、ヤマワは即答しなかった。
「ヤマワくん?」
「一度話し合ったほうがよさそうだね」
タイカにはヤマワの提案が唐突に思えて一瞬戸惑った。
「それじゃ、これが終わったら帰るよ」
「いや、それだと手遅れになる。逮捕されるだけじゃ済まないんだよ」
「でも、子どもたち捕まっちゃうよ。彼らには抵抗できるだけの力がないのに、日本にいられなくなったら困らない?」
「それは君も同じだよ。君だって地球にいる間は無為に過ごしたくないだろう。今でもアメリカに追われてるのに、これ以上追われる身になったらヒーローどころじゃなくなるよ。とにかく、詳しく話すから今すぐ帰ってきてくれ。頼む。君が最初に僕を訪ねてきた理由を思い出してくれ」
音声通話ではヤマワの表情をうかがい知ることはできないが、声の重さと言葉でも、彼の必死さは伝わった。このまま現場に行けば、その後にやってくる未来はタイカの望むものではない。そんな気さえしてきた。
「わかったよ」
「ありがとう」
タイカがマンションのベランダへ降り立つと同時に、窓が開いてヤマワが部屋から出てきた。
「おかえり」
微笑を浮かべたヤマワはタイカに向かってそう言うと、ベランダの手すり越しに眼下の街を見下ろした。
タイカが彼の横顔を見ると、微笑はすでに消えていた。
タイカもヤマワに並んで東京の街を見渡す。澄み切った青空と喧騒が、いつもと変わらず東京を包んでいた。
二人はしばらく黙っていた。タイカは時々ヤマワの様子を伺ったが、ヤマワは視線を街の景色に向けているものの、その視点はどこにも合っていないように思えた。
「ヤマワくん…」
我慢できずにタイカが口を開いた。
「ん? あっ…、ごめん。本気で考え込んでた」
ヤマワはそう言って苦笑した。
「どうしたの?」
「君に混乱させないように説明するには、どう話せばいいのかと思ってさ」
「説明って、何を?」
「君の姿勢についてだよ。ヒーローとしての」
「姿勢?」
「つまり、君が助けようとしている人たちについてだね」
「もしかして、僕は間違った相手に手を貸そうとしてる?」
「いやいや、そういうわけじゃなくて…」
ヤマワは腕を組んで「う〜ん…」と唸った。
「弱者には味方するべきだけど、無条件というわけにはいかないんだよ。人間ってまだまだ客観視のできる人が少ないから、出来事に対する意見に偏りがでるんだ。だから、人によっては弱者にみえても、実は自業自得という場合もある。人の置かれた状況はそれぞれだけど、君が助ける人について、その都度人生を紐解くわけにはいかないだろう」
「それは確かにそうだけど、実際の判断は僕やエマニであって、助ける人の心情は関係ないと思うけど」
「でも、君は市民の意向を考慮に入れてるだろう。彼らもいつ助けられる側に回るかわからないよ」
そこを指摘されては、タイカとしても反論できない。確かに市民の反応は気になる。彼らのためになろうとしているのに、彼らから敵視されるのは心地の良いものではない。
ヤマワは続けた。
「エフェル人がどうかは知らないけど、地球人は未だに確証バイアスから逃れられない人が多いんだよ。そういう人に限って自分の矛盾に気づかないから、自分を否定されると憤慨するんだ。君が守ろうとしている市民の中に、わざわざ敵を作ることもないだろう」
上空を進みながら、タイカはヤマワの声に耳を傾けていた。
バイアスとはつまるところ無意識下で行われる脳内情報検閲だ。見たいものだけに意識が向き、自らの矛盾に気づかない。
しかし、理由は果たしてそれだけか?
「言いたいことはわかるけど、そういう知識を彼らは知らないんじゃない?」
「知識?」
「人間という生き物にはこういう特性があるから、こういうところに注意しましょう…とか。こういう現象は錯覚ですとか、言ってみれば人間の取扱説明書みたいなものだね。そういうのがないと、脳の判断がすべて自分の意思に基づいてると思っちゃうんじゃない?」
「そりゃまぁ、知らなきゃ意識のしようはないからね」
「誰も教えてあげないの?」
「専門分野でもないかぎり、学校では習わないね」
「それってさ、警察が交通違反取り締まるのに、その交通規則を教えないのと同じじゃない?」
「…」
「前から不思議だったんだけど、地球人ってさ、特に地球の将来を決める権力者の人たちだけど、彼らはほんとに文明を進化させようって意思があるの?」
「…」
「僕にはとてもそうは思えない。あの火炎放射器抱えた犯人だって、暴発したのは環境によるんじゃない?」
「でも、困窮の中から這い上がる人もいるよ」
「それも結局は環境が良かったんだよ。それこそ主観による思い込みだと思うけど、困窮者がみな同じ環境で育つとは限らないんじゃないかな。環境によっては未来に希望なんか持てなくなるでと思うんだけど」
「それって、もしかして犯人の気持ちがわかるってこと?」
「理解はできないけど、理由の想像はつくよ。自力ではどうしようもない状況に陥ったら、視点を変えてもできることを探そうとすると思うよ」
「視点を変える?」
「つまり、障壁を取り払うってことだよ。それまでは法を侵さないことが前提だったけど、そういう縛りがなくなればできることが見つかるわけでしょ」
「でも、法を逸脱したら国家権力から敵視されるよ」
「国家権力が弱者の敵なら、ヒーローはその権力とも戦わないといけないんじゃない?」
「いや、権力と秩序は別物だよ」
「でも、秩序を維持するのは国家でしょ」
「そんなことはないよ。国家じゃなくても、人間が複数集まれば秩序は必要なんだ」
「じゃあ、その秩序は誰が決めるの?」
「みんなが話あって決めるんだよ」
「話がまとまらなかったら?」
「多数決」
「多数のほうが間違ってたら?」
「…」
ヤマワはそれ以上説得する術を持たなかった。タイカの言い分にも一理ある。確かに多数が常に正しいとはいえない。支援者同士の小競り合いも、結果的には現職市長の職権乱用とそれに逆らえない市警上層部が原因で、そのを市民が自力で察知することはできなかった。タイカは市民のそういう無力な部分に加勢し、結果的に権力者が一般市民を利用する道を断ち切った。
しかし、問題はそこなのか。
ヤマワは必死で元凶を探したが、すぐに見つけられなかった。
心の底の方で「違う!」という叫びが聞こえるが、それだけでは説得力がない。しかし、タイカが極端な方向へ向かっているのも感じている。ヤマワにはそれをタイカに伝えることができず、哀しさともどかしさが募っていくばかりだった。
タイカはヤマワの心痛に気が回ることもなく、不思議そうにヤマワを見つめていた。彼にとってはヤマワとの会話も研究中の自問自答も同じなのだ。疑問があるから問う。答えが明確になるまで論理的な隙間を埋める。それだけのことだった。ヤマワが感じているタイカに対する責任は、タイカの想像の及ぶところではなかった。
「今日はこれからどうするの?」
平静を装って話題を変えたヤマワは、それでもタイカと視線を交わすことができなかった。
「う〜ん、特に何も考えてないけど、シャトルに帰って研究の続きでもしようかな」
「そうか…。また話せる?」
「もちろん」
ヤマワはタイカに向かってかすかに微笑むと、部屋へ戻るために窓を明けた。しかし、部屋に足を踏み入れる前に、立ち止まってタイカの方を振り向いた。
「一見理屈が通っているように思えても、それがすべて正義の側に理論とは限らないよ。同じ出来事でも、それまでの経験で捉え方が異なる場合だってあるだろう? 人間の主観はそれほど曖昧なものなんだ。だから人類は、そういう曖昧さを排除するために法律という仕組みを編み出した。君の行動もそれと同じで、誰が見ても公平だと思われるような介入の仕方をしてほしいんだ」
「うん。わかった」
タイカは屈託なく素直に応じた。ヤマワにはそれがせめてもの救いになったのか、今度はしっかりとした微笑を浮かべた。
「じゃあ、がんばってね」
「ありがとう」
そう言って、ヤマワは部屋の中に姿を消した。
窓に街の風景が写り込んでいたため、タイカは部屋の中をうかがい知ることはできなかった。視覚を可視光線以外に合わせればヤマワの様子を捉えることができたかもしれないが、タイカはそこに思いが至ることもなく、リアクターを起動してベランダから飛び立っていった。
タイカは翌日も同じように環境由来弱者を優先的に助けた。犯罪被害者は当然のこととしても、事故で複数の重傷者が出た場合でも、タイカが手を差し伸べたのは「持たざる者」の方だった。
それは自然に一般市民の称賛を得たが、優先に扱われなかった人々の怨嗟も招いた。その怨嗟は一般市民から見れば贅沢者のやっかみに映る。
「エイリマンの助けがなくたって、自力でなんとでもなるだろう。高度な医療を惜しげもなく受けられるし、金を盗まれたって生活が滞ることはない。でも、こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際で毎日を暮らしてるんだ。あんたらのように、人生を楽しむ傍らで自衛する余裕なんてないんだよ」
すると、「持つ者」は同じような反応を見せる。
「そういう状況に落とし込まれたのは、おまえたちの努力が足らないだけだろう。今の御時世少し先を見通すのに必要な情報なら腐るほどあったんだよ。俺たちはその情報を元に計画を立て、おまえたちが遊び呆けてる間も、俺たちはその目標を目指して死にものぐるいで勉強したし働いてきたんだよ。今の地位はその結果だ。努力の結晶なんだよ。それを批判するあんたらのほうが、ないものねだりしてひがんでるだけじゃないか」
そんなやり取りが実社会でもネット上でも、延々と繰り広げられている。
夢を持てない者たちと、自らの望む自由を謳歌できる者たち。
その溝が広がることはあっても埋まることはないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます