第5話「チェックリスト」

 港町を離れて人気のない場所を見つけると、タイカは再び反重力リアクターを起動して成層圏まで飛翔した。

 日没直前の空には、大気層が地上にまとわりつくようにオレンジ色に輝いている。タイカはしばらく宙に浮いたまま、その景色に見とれていた。何度も目にした地球の夕日だが、眼の前に広がるどこまでも透明な大気層が、明るい未来を象徴しているようだった。

 これから進むことになる道は、すべてその未来の作るために行うものだ。透明で明白で、自分に残されたたった一つの道。それがスーパーヒーローとして活動することだった。

 決意も新たに、タイカはシャトルが待つ琉球海溝を目指した。


 反重力フィールドのおかげで空気抵抗を受けずに高速移動するタイカは、まるでソファに寝転がっているかのような姿勢で両手を頭の後ろに組み、網膜ディスプレイに開いたウィンドウでネット検索を始めた。スーパーヒーローに関する情報を片っ端から閲覧してその特徴を把握した後は、別のウィンドウを開いてチェックリストの作成に取り掛かる。

 チェックリストのタイトルは「スーパーヒーローに必要な特殊能力」で、最初に「空を飛べる」と「地球の兵器を防ぐ」という項目を音声で入力し、その両者にチェックを入れた。

 次に「驚異的な腕力をもつ」と入力すると、その能力を確認する方法について考え始めた。

 さすがに街中で衆人環視のもとに特殊能力を試して歩くわけにもいかない。人気のないところにあって、しかも尋常ではない質量の構造物が必要だった。

 タイカは心当たりを思いついて、陸地から離れた場所に沈んでいる船をネットで探した。

 ここから一番近い船は5年前に八丈島沖で沈没した大型タンカーだった。沈没してから日が浅いため、船体は完全な状態で痛みも少ないはずだ。

 八丈島沖に差し掛かったタイカは、眼球に仕込まれたセンサーで海底をスキャンして船体を発見すると、そのままの勢いで盛大な水しぶきを上げながら海の中へ突入した。そのスピードは海中でも衰えることを知らず、タイカが海底に着地すると、まるで爆発したかのように周囲の砂が舞い上がった。

 ゆっくりと直立したタイカの目の前に、不気味なほど巨大な船体があった。暗い水の中で船体にまとわりついた海藻が、動物のように揺らいでいる。

 船は海面に浮かんでいた状態のまま着底したため、船の下にはタイカが入り込む隙間がなかった。タイカはどうやって船体を持ち上げるか腕組みをして考え込んだが、すぐにアイデアを思い浮かんで向かい合わせた両手の平に反重力フィールドを発生させた。

 両腕を広げてフィールドを操作し、泡のように表面積を広げながら船体を包む。フィールドのエネルギーを少しずつ強めていくと船体を引き上げる力が生まれ、海底と船体の間にはタイカが入り込めそうなスペースが出来上がった。

 タイカはその下に潜り込んで両手で船体をささえ、その後でエマニに命じて反重力フィールドへのエネルギー供給を停止する。

 その瞬間、にぶい衝撃がタイカの両手にのしかかって足首まで海底の砂に沈み込んだが、タイカは押しつぶされることなく船体を支えた。

 身体制御のステータスウィンドウが、暗い海中に浮かび上がる。各関節の負荷状況、関節機構に投入されるエネルギー量、左右の腕の出力バランスなど、今の姿勢を維持するために必要な情報が逐次更新されていく。

 浮力があるとはいえ、これほどの質量を腕二本で支えられれば特殊能力と言ってよいだろう。タイカは肘を曲げて両腕を縮めたかと思うと、その腕を勢い良く上方に伸ばした。その反動で船体が少しだけ浮かび上がる。タイカはその隙に船底から抜け出した。

 彼の背後で海底の砂を大量に巻き上げながら沈没船が着底する中、タイカは第三項にもチェックをつけた。


 上昇して海上に出つつ、次の項目に「複数の敵の同時攻撃を回避できる」と入力した。

 眼下には八丈島が見えているが、その隣に無人島がある。島をスキャンして人がいないことを確認すると、タイカはその島の山頂に降り立った。

 そこに転がっている複数の岩をフォース・フィールドに閉じ込めると、フィールド内に反重力ビームを注入して空中に浮かび上がらせる。それを自分から100メートルほど離してフォース・フィールドを解除すると、フィールドによって押さえつけられていた反重力エネルギーが開放され、フィールド内の岩がタイカに向かって弾き飛ばされる仕掛けだ。

 タイカはそうやって浮かび上がらせた岩の塊を上空にいくつも配置した。すべての塊の配置が終わってから、それらすべてのフォース・フィールドを一斉に解除すると、予想通り砲弾と化した岩の大群が四方八方からタイカに襲いかかった。

 しかし、タイカのセンサーは高速で飛んでくるすべての岩を瞬時に感知して照準ロックし、更にエマニがレーダーで把握した岩の配置を網膜ディスプレイに表示する。エマニのデータと連動した身体制御プログラムは、タイカの神経回路が自覚するより早く回避行動をとると、飛びかかってくる岩の群れをことごとく避けた。直線的な軌道を描いていた岩たちは、やがて勢いを失って島の向こう側の海上に落ちた。

 すべての岩を避けきった後、タイカは上空で腕組みをして首をひねった。その表情はいかにも納得がいかないといった感じで、眉間にシワを寄せている。

「いくら高速と言っても、直線運動する物体を避けたって意味ないよなぁ。やっぱり無秩序に動くものを相手してみないと、実戦で役に立つかどうかはわからないか」

 実戦。まさにそれ。あたりまえのことだが、実戦経験は実戦でしか得られない。

「実戦かぁ。どうせならこのまま街に行ってみるか。うまくできなかったとしても、僕が怪我することはないだろうし」

 タイカは網膜ディスプレイを複数開く。ひとつは黒地に白い線で描かれた日本地図。もうひとつは日本国内の都道府県別犯罪発生率一覧だ。一覧の最上位には「大阪府」とあり、同時に地図上の大阪府部分が黄色に点滅する。

 現在時刻はすでに午後7時を回っていた。夜の街が一層賑やかになる時間帯だった。タイカは反重力リアクターの出力を上げて高高度まで上昇すると、まっすぐ大阪に向かって飛び去った。


 21世紀の中頃から急速な国際化が進み、東京と肩を並べるほどの多国籍都市となった大阪。在住者の割合が日本人と外国人が拮抗していくに比例して、犯罪発生率も上昇していった。

 タイカが市内に舞い降りた頃は街のあちこちで夜の顔が姿を現し、日中とは違う喧騒に包まれている。人々の発する声には理性がなく、騒音を騒音で打ち消すかのような負のスパイラルが始まっていた。

 タイカは大通りを歩きながら周囲を見回し、怪しい路地を見つけたら吸い込まれるように歩く方向を変えた。

 一時間近く路地をさまよっていると、突然女性の悲鳴が聞こえた。かなり若い声で言語は日本語。必死に何かを訴えている。

「怖い。助けて。家に帰りたい」

 そんな言葉が繰り返しタイカの耳に聞こえた。タイカは声のする方を頼りにその主を探し始めた。

 とあるビルの前まで来ると、声のする方向が変わった。声はどうやらビルの上から聞こえてくる。タイカは視覚を赤外線スキャンに切り替えた。

 ビルの内部には各階に人らしき熱反応があるが、そのシルエットを見る限り、一番あやしいのは5階部分に見える2人だった。

 部屋の中央にあるソファには、男が背もたれに寄りかかって横柄に座っている。窓側の隅に子供のような小柄なシルエットが壁にもたれて座り込んでいる。

 素顔(といってもこちらの方が作り物だが)のままで特殊能力を発揮するのは都合が悪いと思ったタイカは、再び皮膚組織を格納して黒光りするパーティング・ラインの顔を晒すと、ジェネレーターを起動してゆっくり浮かび上がった。


 5階部分の一番端にある窓にとりつき、窓を少しだけ開けてカーテンをめくってみた。ソファに座る男の後頭部が見えた。

「逃げても行くとこないよ。家に帰ろうと思えば海を超えないといけないからね」

 ソファの男が部屋の角に向かって喋っていた。中年のアジア人だ。日本語を流暢に喋っているので、たぶん日本人だろう。男の視線の先にいるはずの子供は、角度的にタイカからは見えなかった。

「そんなに怖がることないから。新しいお父さんはたくさんお金もってる人だよ。ご両親にはお金が入り、君は贅沢な暮らしができるんだ。これ以上にいい話はないと思うけどねぇ」

 タイカは少しだけ顔を突っ込んで覗き込んだ。ぎりぎり見えたのは、壁際で小さくなって怯えている少女だった。児童というほどではないが、その幼さから未成年であることは間違いない。

「まぁいいや。とりあえずこっちにおいで。そろそろクライアントが来る頃だから、行儀良いとこ見せないとね」

 男が言うが、少女は動かない。いや、動けない。恐怖で萎縮している。

 男は小さなため息をついて立ち上がると、壁際まで歩いて行ってすすり泣く少女の腕を掴むと、乱暴に引っ張ってソファに戻ろうとした。その一連の動作の途中に、窓から顔を出すタイカの姿を捉えた。

「だ、誰だおまえは! そこで何をしている!」

 男は瞬間的に狂気を帯びた表情を浮かべ、野太い声でタイカに叫んだ。しかし、タイカの黒光りする機械の顔を見て、男は更に驚愕した。

「なんだその顔は…。いや、ちょっと待て。窓の外に立てるところなんかないぞ。おまえどうやって…」

「それは説明すると長くなるからやめとくよ」

 タイカはそう言いながら窓枠を乗り越えて部屋に入った。

「ここで何やってるのかわからないけど、少なくとも子供の教育ってわけじゃなさそうだね。もしかして、ニュースでよく聞く『人買い』ってやつ?」

 タイカに「人買い」と言われた男の動作は早かった。左手で少女の腕を掴んだまま、右手を背中にまわして自動拳銃を抜き出すと、なんの予告もなくタイカに向かって全弾発射した。サイレンサーなどついていない拳銃なので、銃声が部屋中に響き渡る。その音に驚いて少女が泣き叫ぶが、男は音を気にする様子もなかった。きっと、この辺りは男の縄張りなのだろう。もしかしすると、銃声を聞いて男の仲間たちがやってくるかもしれない。

 タイカの思考はその結論にたどり着き、あまり時間がないことを悟った。まずは少女の安全を確保しなければならない。

 男はといえば、目の前で起こっていることが理解できない様子で、呆然とタイカを見ていた。十発以上弾丸を浴びても、弾丸はすべてタイカの骨格に跳ね返され、タイカには微塵のダメージもない。

 タイカが唐突に「あっ」と呟いた。

 男は訝って「なんだ?」と応じる。

「よく考えたら、同時攻撃だろうがなんだろうが、僕が避ける必要ないんだった」

 エフェルのテクノロジーで作られたタイカの骨格は強靭で、地球文明の物理攻撃では破壊することなど不可能だろう。タイカ自身が跳ね飛ばされるような大出力のエネルギーを加える攻撃、たとえば核爆発や巡航ミサイル攻撃などでも、フォース・フィールドを張っておけばフィールド内にその破壊的なエネルギーが入ってくることはない。せいぜい空間衝撃波が伝わるくらいだが、これもフィールドによって弱められるので考慮する必要はなかった。

「チェックリスト書き換えなくちゃ」と、タイカが独り言をつぶやく。

 一方、目の前の男にそういった事情が理解できるはずもなく、1人で納得しているタイカを見て不気味さが増したようだった。

「何言ってる。なんなんだ、おまえは」

「だから、説明すると長くなるんだって。それよりどうするの? このまま引き下がる?」

 タイカにそう言われ、男は高らかに笑った。その声には明らかな嘲笑の響きがある。

「なんだ、スーパーヒーロー気取りか。じゃあ、オレがこういうことやってもなんとかできるんだろうな」

 そう言うと、自動拳銃を少女の頭頂部に銃口をつけた。その感触に驚いて少女が泣きわめく。

 そこへ部屋のドアが開いて、5人の男達がなだれ込んできた。口々に「社長!」や「大丈夫ですか!」と叫びながら、手にはそれぞれ自動拳銃を持っている。

 タイカに気づいた彼らは口々に「あ、おまえ誰だ!」とか「どこから入った!」とか口走るが、タイカの姿を認識して社長と同様に言葉を失った。

 社長は部下に向かって「相手が誰かは気にするな。まずは倒すことだ」と声をかけると、男達は一斉にタイカに向かって銃口を向ける。その騒ぎに少女は更にわめき始めた。


 そこで、タイカは二度目の閃きを得る。

 こういう状況で人質を救出するためには、複数の敵を避けるのではなく、複数の敵を同時に攻撃することの方が重要らしい。

「なるほど」

 タイカはスーパーヒーローの真髄に触れた気がして内心で感動しつつ、銃を持つ男達の手首に視線を向けた。左右の眼球から放たれる赤外線レーザーの交点がエマニによって照準ロックされ、ターゲットとして認識される。骨の分子構造にロックされた後では、いくら手首を動かしてもターゲットが狂うことはない。それを順番に繰り返し、すべての男たちの手首をロックした。

 その間2秒弱。次に両腕を左右に広げると、両方の掌から連続して重力子弾が打ちだした。一度に一つの重力子弾しか撃てないが、その間隔が早すぎて肉眼では一度に複数撃ったようにしか見えない。

 タイカの掌が一瞬黒い靄に包まれたかとおもった瞬間、銃を構える男たちは手首に激痛を感じて持っていた銃を落とした。低密度の重力子とはいえ、人間の骨を折るには十分すぎるエネルギーだ。

 何が起こったかわからない恐怖と痛みで、へたり込んだ男たちの顔は苦悶に満ちていた。

「うん。十分使えるな」

 納得したタイカは、思い出したように少女の方へ視線を向けた。彼女はまだ床の上に座り込んで、呆然とタイカを見つめていた。タイカは彼女に手を差し伸べた。

「ビルの外まで連れて行ってあげるよ」

 ところが、少女の表情から恐怖の色は更に強さを増した。黒い機械の顔が喋りかけてくるのだ。彼女の横で痛みに苦しみ男達と同様、得体の知れない相手に恐怖を感じないはずはない。彼女は逃げようとするが、腰が抜けてしまったようで這いつくばるのが精一杯のようだった。

「あっ、そうだよね。ごめんね、ちょっと待ってね」

 タイカはあわてて彼女を抱きかかえると、侵入した窓から飛び降りて地面に着地した後、反重力リアクターを停止して顔の皮膚組織を再生した。

「ほら。元に戻ったよ。こわがらなくて大丈夫だから」

 タイカは親近感を与えるために少女に向かって微笑むと、彼女はそのまま気を失った。

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