第14話「行動原理」

 夢も見ないほど深く眠ったタイカは、白い眩しさとほのかな暖かさに刺激されて目を覚ました。身体を起こすと真っ青な空が、窓の外に広がっていた。

 パジャマ姿のままベッドから抜け出し、外の景色に誘われるように窓の前まで歩み出る。眼下にはどこまでも続く東京の街。小さく見える無数の人影と、首都高を走る多様な車たち。まるで街が脈動しているかのように、規則正しく行き交っている。

 壁にかかる時計を見ると、午前7時を少し回ったところだった。

 昨日の銀座占拠事件で自分の存在を世間に示したタイカだったが、本人には街を守ったという実感がまるでなかった。

「できることをしただけ」

 タイカの感想はそんなものだ。

 背後で部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 振り向いたタイカが「どうぞ」と応じると、軽やかな声で「お邪魔〜」と言いながら、ヤマワがドアを開けた。

「おはよう。眠れた?」

「まぁね。君は変わらず元気そうだね」

「それが僕の特殊能力だよ」

 ヤマワは腕組みをして誇らしげに言う。たった今ベッドから抜け出してきたタイカと違い、ヤマワの立ち姿はまるで出勤してきたサラリーマンのようにはつらつとしていた。好きな仕事ができて毎日楽しくて仕方ない。そんな活気に満ちた表情だった。

「あれ? どこかいくの?」

 ヤマワはすでに身なりを整え、スラックスに真っ白なワイシャツを着て、ネクタイまで締めていた。

「そうなんだよ。仕事の打ち合わせでね。」

 ヤマワは言いながら壁際のソファに腰を下ろす。

「君はどうするの? まだ部屋にいる?」

「いや、僕も一旦シャトルに帰るよ。あれがないと色々不便だからね。で、そのままこっちに持って来ようと思ってる」

「それはいいね。シャトルを置く場所はあるの?」

「そういえばないね」

「だったら僕が持ってる山に置きなよ。湖の真ん中に小さな島があるんだけど、そこだったら人はめったに来ないし、湖に隠してもいいし。奥多摩の方だけど、君の能力だったら隣町に行くようなもんだろう?」

「そうだと思うけど…、それより君は山まで持ってるの? 個人投資家ってそんなに儲かるの?」

「運が良かっただけだよ。閃いたアイデアを、たまたま誰もやってなかっただけさ」

「アイデアって?」

「君が介入する事件を選別してるのと同じさ。情報を収集して必要な時に必要な分だけ介入するんだ。まぁ、僕の場合はヒーローじゃなくてお金が介入するんだけどね」

「そうかもしれないけど、実際はそう簡単なものじゃないでしょう」

「いやいや、物事の仕組みなんて蓋を開ければ結構シンプルなものだよ。機械も人もプロセス自体は複雑なように見えるけど、そのプロセスを一枚ずつ剥がしていけば、影響を与えている動機や理由って思ったより種類が少ないんだ。それがわかっていれば、不必要に労力費やして考える必要もなくなるんだよ。数学だってそうだろ。複雑な連立方程式を解くより、1+1の方が簡単じゃない」

「まぁ、そりゃそうだけど、一枚ずつ剥がしていくのも簡単じゃないよ。まずどれが一枚か見極めないといけないし」

「確かにね」

 ヤマワがそう言ったと同時に、彼の携帯端末のアラートがなる。どうやらメールの着信だったようで、ヤマワは端末の画面を開いた。

「あ、僕もすぐ出られるよ」とタイカが言い、出かける準備を始めた。

 ヤマワはタイカが時々見せる察しの良さに微笑しながら、「それは助かる」と答えた。

「ところでさ、シャトル置いたら、またここに戻ってきていい?」

「もちろん。僕も色々伝えたいことあるしね」

「伝えたいこと?」

「ヒーローとしての心構えみたいなものだよ」

「あぁ、なるほど」

 二人が部屋を出ていく。


 高層マンションを一歩出ると、そこは間違いなく首都の街だった。喧騒と活気が満ち溢れ、人工的な音が自然のそれを凌駕している。タイカが半年暮らした国際亜空間研究所の敷地内とは別世界の騒々しさだ。

 研究所は元空軍基地の施設を流用して建てられたため、芝生で埋め尽くされた広すぎる敷地に、研究棟や研究者用住居が点々としているだけだった。しかし、この街ではその比率が逆転し、植物は機能よりもデザインの一部としてそこにある印象だった。

 駅に向かうヤマワと途中で別れ、タイカはしばらく街をぶらついた。街頭テレビではニュース番組を放送していて、昨日の事件の映像が流れており、多くの通行人が足を止めて映像に見入っている。

 上空を飛んでくるトラック。エントランスから出てくるSWAT隊員たちの勇姿。泣きながら走り寄って抱き合う人質とその上司。最後はエイリマンとしてのタイカがアップで画面に映し出された。

「なにあれ?」と、若い男が隣の友人に問いかける。

「さぁね。でもまぁ二十一世紀もそろそろ終わろうかって時だ。あんなのも出てくるさ」

 別の場所では、疲れ切って表情を作ることもできないスーツ姿の中年男が、タイカにしか聞こえないような小さな声でつぶやいている。

「ヒーローだぁ? だったらオレんところに大金持ってこいよ。それも立派な人助けだろうが」

 そうかと思えば、母親の手を握ったまま、顔中で感動を表す少年がいる。

「ママ、すごいね! 僕もあんな風になりたいよ! それでママを守ってあげるね!」

 母親は少年に微笑みかけながら、「じゃあ、ママもお空飛んで亮ちゃんを迎えに行ってあげるね」と答え、親子の後ろでは老夫婦が少年の高揚に微笑みを浮かべている。

 タイカにはその光景が何を表すのかわかっていない。自分のできることをしているだけで、それが特別な行為だとは思っていない。まるで感情というものが欠如しているかのようなタイカの思考メカニズムは、単純だからこそ感情が入り込むスキがないのかもしれない。

 ただし、ヤマワに言わせると、そこがまさに諸刃の剣だった。

「もし自分のできることが悪影響を生むとしたら、それはタイカの存在意義を失うばかりか、存在そのものが凶器になるのではないか」

 そんなヤマワの気苦労も知らず、タイカは街の様子を観察しながら歩き続けた。この街が自分の肌に合うかどうか、確認するかのように。

 今のところ、この雑踏はタイカにとって心地よい。沖縄では国際機関の研究員というだけで地元民の注意を引く上、タイカが時々使用していた特殊能力により、「研究員の中に妙なヤツがいる」という噂が広がったため、タイカは人々の関心を集めていた。

 その点、この街の人々はエイリマンを知っていてもタイカのことは知らなかった。

 散策を切り上げたタイカは、たまたま見つけた人通りのない裏路地に入ると、リアクターを起動して超高速で飛翔した。急加速の影響で周囲に衝撃波が走るが、街の喧騒にかき消されて誰の注意も引かなかった。

 ヤマワを訪ねて以来、初めて東京を離れる。沖縄に戻るのもほぼ2週間ぶりのことだった。


 都心の上空を横切って東京湾へ抜け、そのまま浦賀水道を南下して相模灘に出る。三原山の上を通り、深緑色だった海の色がようやく青くなってきた頃、突然エマニの発するアラート音とともに網膜ディスプレイが開いた。

 ウィンドウには名古屋市内の一点で赤丸が点滅しており、そのすぐ下に警察の情報システムから取得した事件の概要が表示される。

 エマニは地球上の様々なネットワークにアクセスして情報の収集を続けている。

 警察の秘匿回線はもちろん、通常のインターネットを通じてやり取りされるデータも監視し、その中からタイカが介入するべき事案を取捨選択している。

 ただし、事件や災害が起きたからといって、そのすべてをタイカに通知するわけではない。エマニはまず事件の内容を確認し、これまでに収集した過去の事例から、その事件の経過を予測する。その上で地球人が独自に解決できるもの、タイカの行動原理である「絶対的弱者の救済」からはずれるもの、行動原理に該当している場合でも、時間的に間に合わないものを除外し、残ったものに対して通知を行う。それは必然的にタイカの特殊能力を必要とする事案であり、タイカが介入しなければ「不運な一例」として終わってしまう悲劇となる。

「警察と消防に緊急出動要請が入りました。名古屋市内の高層ビルで大規模火災が発生しており、火災発生階より上に八十人ほどが閉じ込められているとのことです。警察・消防は即応していますが、無線内容の解析では、救助に必要な人員と機材が不足している模様です」

 エマニの報告が終わると、タイカはすぐさま名古屋へ進路を変更して速度を上げた。

 

 当該ビルの上空にたどりついたタイカは、現状を観察することすらなくそのままの勢いで火災が発生している階に飛び込んだ。

 窓を突き破った炎が外壁を這い、上階へ登ろうともがいている。フロアの内部も一面火の海で、壁や床は今にも崩れ落ちそうなほど赤くただれていた。非常階段のドアは熱で溶け落ち、炎はそこから更に上を目指して昇っている。このままではいずれは上の階も炎上するだろう。

 救助自体はたいして手間のかかるものではなかった。確かに八十人を個別で救出していたのではキリがないが、彼らの退路さえ確保できれば、後は彼らが自力で降りていける。要は火を消せばよいのだ。

 タイカはフロア全体にフォース・フィールドを張り、外部と完全に隔離してからフィールド内の気圧を上げた。その上で屋外に向かう面に小さな穴を一箇所開けると、気圧差によってフロア内の空気が炎を道連れに勢いよく排出される。その様子を観ていた野次馬の一人は、後にテレビの取材に対して興奮気味にこう語った。

「いきなりだったから、その場にいた人たちはみんな飛び上がるほどびっくりしたよ。フロアの奥で大きな龍が口から火炎を吹き出しているみたいだった」

 鎮火を確認したタイカがフィールドを解除すると、どす黒い煙が壊れた窓からビルを包むように立ち上る。路上の見物人たちから拍手が沸き起こる。最初は呆然と事の成り行きを見守っていた彼らも、空から突然現れた黒づくめの男が、昨日テレビで報じられた「エイリマン」であると気づいたのだ。

 タイカは焼け落ちた瓦礫を非常階段から排除すると、上階へ行って人々にその旨を伝えた。人々はけが人に手を貸しながら階段を降りていく。タイカも足にやけどを負った若い女性を抱きかかえ、下階へ降りていった。


 ビルの表玄関からタイカ達が出てくると、人々は歓声を上げて彼らを迎えた。待機していた救急隊員が、毛布やストレッチャーを手にけが人へ歩み寄る。心配そうな表情を浮かべた制服姿の若いOLは、友人たちの姿を見つけるなり、名前を叫びながら走り寄る。老若男女入り乱れて無事を喜び合った。

 その後方、エントランスを出たところで彼らを見守っていたタイカだったが、シャトルに戻るという本来の目的を思い出し、飛翔するために上空を見上げた。急いでいるわけではなかったので、低出力でふわっという感じに浮き上がったタイカは、透明なエレベーターにでも乗っているかのように、緩やかな加速で空へ昇っていった。

 その時、人々の歓声が再び沸き起こった。

 タイカが下を見下ろすと、人々の視線がすべて自分に集中しているのがわかった。拍手している者や手を振っている者。表し方はそれぞれだが、彼らは一様にタイカを讃えていた。タイカは軽く手を振って答えてから、飛翔のスピードを増した。


 タイカはその後も3回ほど事故や事件に介入した。

 3回のうち2回は人命救助(名神高速の多重衝突と瀬戸内海の船舶衝突炎上事故)だったが、最後の1回は福岡市内で発生した無差別殺人犯の逮捕協力だった。

 中年の男が車で繁華街を暴走して通行人を轢いた後、一般道で警察車両とカーチェイスを始めた。

 白昼の犯行だったので、このままでは街にいる市民を巻き込む可能性が高いと判断したタイカは、上空から犯人の車両を補足すると、走行中にもかかわらず犯人の眼の前に着地した。車はそのままタイカに突っ込んで大破。タイカは車の勢いにも姿勢を崩すことなく、反動はすべて車内にいた犯人が担うこととなった。

 まるで弾丸のようにフロントガラスを突き破って車外に放り出されると、犯人は十メートルほど転がってから気絶した。

 着地から犯人気絶まで5秒足らずの出来事で、居合わせた人々はもちろん、追跡していた警察官まで呆然とタイカを眺めており、無言のまま飛翔していくタイカを目で追った。


 夕方近くに琉球海溝へたどり着いたタイカは、シャトルのコクピットに座って景色のない窓を眺めながら、迷うでもなく考えるでもなく、しかし次に取るべき行動がみつからない、そんな奇妙な心理状態にあった。少なくとも、このまま東京に帰る気にはならなかった。

 シャトルそのものがタイカの記憶を刺激し、沖縄で過ごした日々をとめどなく思い出させる。その記憶はタイカにある好奇心が芽生えさせた。

 その好奇心とは、沖縄における、つまり未知に放り出されるまでの自分の足あとの、現在の姿だった。

 人は誰しも、時々過去を振り返って現在地を確認する作業が必要なのかもしれない。過去の出来事を消化し、現在地に違和感がないことを検証する。その積み重ねが時間を前に進める原動力になっているかもしれない。自分の時間軸をたどることで、身体が有する全感覚で認識している時空連続体が、まぎれもない現実であることを確認するのだ。

 タイカにとってはエフェル星から地球に来たこと自体が冒険だが、それはあくまで任務であり、ある程度は想定できた活動内容だ。しかし、そのレールから外れた現在は全くの未知だ。レールどころか道すらない。タイカの置かれた状況は目まぐるしく変わり、その中でも自分なりに考えて決断し、今のところはその選択に違和感を感じていなかった。

 一時的に未来が途絶え、新たな道が見つかるまでの不安。道が見つかってからもけして安定したわけではなく、何度も壁に突き当たりながら、不思議とその都度新しい道標が現れた。

 タイカは事実のみを素材として、まるでチェスや将棋のように素材同士をつなぎ合わせることで、次の手を想定する。その思考過程に哲学や宗教観が影響を及ぼすことがない。ただし、科学者らしい純粋な好奇心は持ち合わせているので、その事実の起因となる「人々がとった行動の理由」には興味を示す。


 タイカは過去を振り返ることが自分の好奇心を満たすかどうか、しばらく思考を巡らせた。国際亜空間研究所に寄ってみるべきか。自宅だった建物跡の様子を見るべきか。自分がいなくなって、それまで暮らしていた街や人はどうかわったのか。タイカは行動によって引き起こされる可能性を洗い出し、段階的にその可否と必然性を探っていった。

 最終的に出した結論は「一部を除いて必要なし」だった。

 現在必要な情報はすでに揃っている。亜空間監視はタイカが研究所のシステムに紛れ込ませたスパイ・ウェアが正常に機能しており、そのログから現時点で危険性を示す研究は行われていなかった。

 自宅跡地も今更行って意味があるとは思えなかった。建物は破壊されて瓦礫しか残っていない。それ以外に何かあったとしても、エリーは確実にいないのだ。

 しかし、一つだけどうしても行きたいところがあった。それは研究所の居住区にあるエリーが住んでいた部屋だ。

 なぜ行きたいのかはわからない。タイカに自覚できるだけの明確な理由はなかったし、自分の行動が及ぼす影響を考慮しても、メリットよりデメリットの方が多い。

「メリット?」

 エリーの部屋へ行くメリットはなんだろう。間違いなくそこにエリーはいない。エリーのいない場所に行って、何をしようというのか。エリーの写真や着ていた服でも欲しいのか。日本人は故人の持ち物を記念にもらう習慣があると、日本の研究者から聴いたことがある。しかし、映像はタイカ視点の録画映像があるし、持ち物は彼女が最後まで身につけていたペンダントがある。

 結局最後まで明確な理由を見いだせないまま、タイカは夜まで琉球海溝の深海にいたが、どうしても理屈通りの納得をすることができなかった。理屈ではなく、ただ単純にエリーが恋しいだけなのかもしれない。エリーの匂いに触れたいだけなのかもしれない。あれから二週間経っていて、エリーの部屋がそのまま残っている保証もなかったが、無駄だからという理由で素直に受け入れられない。

 タイカはそんな心情にある自分を理解できないのか、シャトルのエンジンを入れたり消したり、コクピットを出たり入ったり、落ち着きのない行動をとっていたが、やがて諦めたようにコクピットのシートに身体を預けると、網膜ディスプレイを開いてヤマワに少し遅くなる旨のテキスト・メールを送り、国際亜空間研究所へ向かった。

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