第25話「騒乱の縮図」
ヤマワ家のベランダからリビングに入ったタイカは、ダイニングテーブルで仕事をしていたヤマワに向かって、挨拶も前置きもなく切り出した。
「あのさ、国が自国の利益を守るために戦争するのは認められるのに、どうして個人が自分の利益を守るために犯す犯罪はだめなの?」
両方とも生存し続ける権利を確保する目的として、領土や身体を護ることができる。しかし、国家は個人の集合体によって維持されている身分にも関わらず、自らを支える個人より集合体を優先し、自らの自衛権を行使することができる。ところが、国家に認められた国防や国益を個人が求めると、その個人は法律に違反した犯罪者として裁かれる。タイカがヤマワに解説してもらいたかったのは、その違いが生じる要因についてだった。
しかし、ヤマワはタイカの質問に対して、最初は唖然とし、次に当惑し、最後は半ば呆れたようにタイカを諭した。
ヤマワは国家の成り立ちが市民の選択の結果だというが、その裏で実際に身を守れない人がいる。力を持たない人々が、市民の総意であるはずの国家からも見捨てられているのだ。では、彼らは誰に救いを求めればよいのか。
そこまで思いが至った時、タイカの中で突然点と点がつながった。
(僕がいるじゃないか)
タイカには地球でのしがらみがない。労働も納税も家族を養う必要もない。国家権力にタイカを拘束する力はなく、当然法律で縛り付ける根拠もない。身体制御機構に活動限界はあるものの、タイカの体内で生み出されるエネルギーは無尽蔵だ。いってみれば、タイカは超大国にすら匹敵する資質を兼ね備えているのだ。
身を守る力を持たない市民のため。それが行動原理の基礎となるならば、市民も文句はないだろう。いずれ彼ら自身もその力が必要になる状況に巻き込まれるかもしれないのだ。
生まれついた境遇や現在の生活レベルに関係なく、その瞬間に身を守る術を持たない者、理不尽な行為に晒されている者、不公平が生んだ結果として不利益を被っている者。そういう人々のために、公平な力をもたらす存在。それがエイリマンだ。
タイカはヤマワへの挨拶もそこそこに、再び街に出ていった。まずはヒワにデモへの参加をチャットで伝えると、エマニと共に介入案件の抽出パラメータを調整し始めた。
その最中、ヒワからの返信を知らせる通知ウィンドウが開いた。
「ありがとう。場所や時間は調整でき次第連絡するね」
それからのタイカは、エマニが抽出した案件に片っ端から介入していった。ジェネレーターへのエネルギーチャージが必要な数時間以外、それこそ寝る間も惜しんで介入を繰り返した。事件や事故はもちろん、ネットで見つけた助けを求める声にも注意を払った。具体的には、警察が介入することができない案件を抽出した上で、自分に何ができるか考えるのだ。そして、解決できるアイデアを思い浮かんだら、迷うことなく介入した。
仕事もなく食べ物すら満足に買えない貧困の片親世帯のために、廃棄処分される予定の食品を小売店舗に提供してもらい、それをコンテナに詰め込むと、各地域の支援団体に届けた。
パワハラのために出社をためらっている人には、経営者の個人預金口座を改ざんして被害者の転職資金を提供し、ストーカーに怯える女性から助けを求められると、相手の男を拉致して2000メートルほどの高さまで舞い上がると、予め作っておいたナノサイズの発振器を男の手首に注入してから手を離し、地上スレスレの所で再び捕まえると、「今後一度でも彼女に近づいたら、次は地面まで落とす」と警告を与えた。
自分で介入のアイデアを思いつかない場合は、市民を装ってネットに投稿したりもした。「こういうことで困ってる人がいるんだけど、みんなならどうする?」と書き込めば、タイカが思いつかなかったような解決方法を返信する人間もいるのだ。
そんなやりとりも功を奏したのか、日曜日までの3日間でタイカの評判は好意的な伸びを見せた。介入した数に比例してメディアやネットでタイカの姿を見る機会も増えた。
タイカの評判は警察や地方政府の福祉から見捨てられた人々に安堵の念を抱かせた。たとえ自分に力がなくても、未来を覆う灰色の霧をタイカが振り払ってくれる。そんな安心感だった。
その一方で、タイカ自身も自らの介入数の多さに、人生の退路を絶たれた人々がいかに多いか思い知った。
日曜日になってもタイカの活動は盛況で、文字通り休む暇もないほどの出動回数を叩き出した。評判が評判を呼び、市民が自発的に助けを求めるようになっていた。
そのせいもあって、前夜にヒワから集合場所と時間の連絡を受けたものの、介入が長引いてしまって20分ほど遅刻してしまった。
タイカが現場にやってきた頃にはデモは始まっていて、全面規制された皇居前の内堀通りを、一万人ほどの市民が練り歩いていた。
ニュース報道によると、当初は日比谷公園から国会を目指す予定だったが、あまりの人数に一車線のみの交通規制では追いつかず、目的地を皇居外苑に変更したらしい。
デモ行進の上空にたどり着いたタイカは、参加者の多さに圧倒され、しばらくその様子を眺めていた。周辺の街は至って普通の営みを続けているが、内堀通りだけはまるで別世界だった。色とりどりの点が車道と沿道でうごめいていて、まるでひとつの生き物のようだった。
「そんなに大きな運動だったのか」
タイカは高度を下げながら、デモ隊の後方から彼らの頭上をかすめるように先頭を目指した。
彼らに近づいてみると、参加者が特定の人種に寄らないことがわかった。日本人だけではないのだ。それこそ世界の縮図がこの短い通りに出現したかのようだった。デモ隊だけを映像に収めれば、これがどこの国で起きている出来事なのかわからないだろう。
タイカは先頭に達すると彼らの前に舞い降りた。それまでシュプレヒコールを上げていた人たちは、タイカの姿を見て一瞬声を飲み込んだが、すぐにエイリマンだとわかり、更なる大音量で歓声をあげた。
中央には満足そうに微笑を浮かべるヒワがいた。
「遅かったじゃない」
「ごめん、最近なんか忙しくて」
タイカが申しわけなさそうに言うと、ヒワは笑って自分の隣へ招いた。
「一段落したの?」
再び歩みを進めながらヒワが言った。
「うん、今のところは」
「それはよかった。火急のときは遠慮しないでいいからね。本業の方優先してね」
「ありがとう。でも、これだけ人の目があったら、君に手出しするのも難しそうだね」
「アマチュアはね」
「ってことは、プロにも狙われてるの? スナイパーとか?」
タイカはいたずらっぽく言ったが、ヒワは図星を受けた様子もなく、「まぁ時々ね。今どきどこから撃っても射手の特定なんてできるのにね」と、狙撃されたことを日常の出来事のように白状した。
タイカもあやうく聞き逃すところだったが、「時々」の狙撃でも尋常ではないことに気づき、思わずヒワを凝視した。
「え? ほんと? ほんとにそんな暗殺まがいな被害も受けてるの? それも一回じゃなくて?」
「まだまだ半人前だけど、これでも一応革命家の端くれだから」
ヒワはそういって無邪気な微笑を浮かべた。
「端くれのわりには正面切って命狙われるんだね」
「この運動が実現すると、利益を損ねる人がいるんじゃない? 今まではただの与太話と思って相手にしてなかったけど、さすがに運動が世界規模で盛り上がってきたからね」
「そうなんだ」
「でも、そっちはまだましな方よ。武器持ってウロウロしてるなら、こっちとしても敵味方の区別付きやすいでしょ」
「分かりづらい人とかいるの?」
ヒワは沿道を指差した。デモ隊ほどではないものの、沿道にも多くの人が立ち並び、デモ隊を観察していた。その中にはプラカードを抱えて怒号を発している人たちもいる。カードには「お前たちに愛国心はないのか」と書かれていた。
「なにあれ?」
「主権国家廃絶反対派」
そう言われて沿道の人々を注意深く見ると、たしかに彼らの表情は硬い。明らかに怒気を帯びている人もいるし、嘲笑を浮かべる人もいる。プラカードを掲げている人はわかりやすいが、ただ突っ立っているだけや不愉快そうな表情を浮かべる人は、何を考えているのかわからない不気味さがあった。
上空では賛成派も反対派も同じようにうごめく点に見えたのだが、実際は真逆の存在だったようだ。
「でも、武器は隠し持つけど、彼らはむしろ自分の主張を見せたがってるでしょ。隠される方が見分けつかないと思うけど」
「ところがね、他の差別撤廃運動と違って、この運動の困ったところは、本人が意思表示しないかぎり、どちらの立場にたってるかわからないことなのよ。一見すれば同じ市民だけど、蓋を開ければ敵同士ってことがよくあるの。沿道の人たちだって、道ですれ違うだけだと同じ市民でしょ」
(あぁ、そういうことか)
沖縄の銀行強盗事件だ。
タイカはまっさきにその記憶を思い出した。
「それはやっかいだね」
「でしょ。だから、君の力が必要なのよ。人間同士だと総力戦になっちゃうけど、君のような強大な力があれば、どちらにも被害を与えずに制圧できるでしょ」
「制圧って、何を?」
「暴動」
「暴動? 起きる可能性あるの?」
「そうなの。ごめん、肝心なこと言ってなかったね。主権国家廃絶運動のデモをするときは、必ず市民同士の小競り合いが起きるのよ。未来志向の革新派市民と、愛国心旺盛な保守市民の間でね。ただ、いつもは個人同士の喧嘩程度だけど、今回のような大規模になると、下手すればその域を超えちゃうんじゃないかなぁと思って」
「ははぁ…。僕は君を危険から守るというよりは、市民の争いを止める役で呼ばれたの?」
「両方よ」
「なるほど。でも、今のところは整然としてると思うけど」
「まだね。問題は目的地よ」
と言いながら携帯端末を操作し始めると、ディスプレイに写った映像をタイカに見せた。広場のようなところが大勢の人で埋め尽くされているが、彼らの様子や手に持っているプラカードを見ると、どうやら反対勢力に属する人々らしい。彼らを取り囲むように制服警察官の姿も見える。
「これ全部反対派?」
「そう。賛成派はみんなデモに参加してるから」
「じゃあ、敵陣に向かって進んでるわけ?」
「ばかね、戦争じゃないのよ。市民集会って言ってよ。さしずめ、君はそこの衛視だね」
「衛視って中立じゃないといけないんじゃなかったっけ?」
「君はまだ自己主張してないから、中立ってことにしといていいんじゃない?」
と言い終わらない内に、「エイリマンの裏切り者!」という怒号が沿道から聞こえ、ヒワは苦笑した。
タイカは声のした方に向かって「僕は中立だよ」と言ったが、返ってきたのはブーイングだった。
ヒワがタイカの肩を叩いた。
「まぁ、こういう状況で理性が働くことなんてないし、気にしないで」と、自分を巻き込んだ張本人から言われ、タイカは肩をすぼめた。
(まぁいいや。暴動になったらどのみち介入することになるし)
相手が誰であろうが、自力で身の危険を取り除けない人を助ける。 暴発した市民が危険な存在と化し、他の市民がその被害を被る恐れが生じたときに介入する。もちろん、賛成派と反対派の区別はない。
(それどころか、警察官すら助ける)
タイカは自分の行動原理を言語化して再確認した。それは、銀行強盗事件から現在までの経験を経て獲得した、エイリマンを縛るたった一つの鎖だ。
賛成派デモ隊の士気はあいかわらず高く、時々沿道から沸き立つヤジにも屈することなく主権国家廃絶を声高に訴えている。
しかし、一方で日比谷公園の喧騒も勢いを増し、人数も時間を追うごとに増えているらしい。
タイカが周囲を見回わした時、沿道に立つ警察官の人数が増えたような印象を受けた。
やがて、警備責任者の中年警察官がデモの先頭に立つヒワ達主催者に歩み寄り、「この状態だと一触即発の事態を招きかねないので、中止か目的地を変更してはどうか」と言ってきた。
ヒワはそれに対して一切動じる素振りをみせず、警備責任者に「それはあまり得策とは言えないと思います」と答えた。
「なぜ?」と、警備責任者が不服そうに問うたが、ヒワは努めて冷静に答える。
「目的地を変更したも、反対派は新たな目的地に押し寄せるでしょう。中止したところでこれだけの人数が一様におとなしく解散するとも思えません。公園にさえたどり着けば私たちの目的は達成しますし、その後に何かイベントが控えているわけでもないので、デモ参加者も納得して解散するでしょう。幸いここにエイリマンもいることですし、みな彼の能力に逆らってまで騒ぎを起こすことはしないと思いますよ。どうせ拘束されるのがオチですからね」
ヒワはそう言われ、警備責任者は退散する他なかった。
だが、危険な状態であることには変わりない。いくらタイカがいるからと言って、これだけの大人数が理性的な行動をするという保証はない。ついさっきヒワ自身がそう言ったのだ。
タイカはヒワの横顔に視線を送った。彼女はまっすぐに前を見つめ、黙々と歩いている。その力強い眼光に迷いや憂いはかけらもなかった。
(まさか、彼女は騒動が起きることを狙っているのでは?)
根拠のない直感がタイカの脳裏をかすめるが、根拠がないだけに何もできない。タイカは落ち着かない気分のまま行進を続け、日比谷公園に到着した。
反対派に半包囲される中、ヒワは拡声器を使って更新終了の挨拶をすると、反対派の中から同じような拡声器の声が「非国民!」と叫んだ。
ヒワはそれには答えず、賛成派に向かって言った。
「まさにこの公園が我々の縮図です。公園内の賛成派と反対派の比率がそのまま世界の縮図になっています。我々が反対派を論破する必要はありません。ただ必要性を粛々と訴え続け、この賛成派の比率を増やすだけで世界は変わるのです」
賛成派からは拍手喝采が沸き起こり、反対派からは怒号とヤジが乱れ飛んだ。
こういう状況下では、たった一つの小さな火種が投げ込まれただけで一気に周囲へ燃え広がる。騒乱はそうやって始まるのだ。
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