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  • 興味深く読みました。
    ピケ8は、全くの初見でした(当方、新潟県在住です)。
    先程、マスヤのHPから入って、早速、20袋1ケースをポチッとしました。
    楽しみです!

    元々、こういった米菓系には疎かった私です。
    幼少の頃から、お菓子といえば、チョコレートやシュークリーム、ケーキなどの甘い系がお菓子だと思っていて、せんべいなんて、老人が食べるものだと思っていたふしがありました。スナック系だと、かっぱえびせん、サッポロポテトは割と口にしていた記憶がありますが。

    此の作にも登場する、我が県、亀田製菓のハッピーターンは、口に入れるスナック系の主力でした。
    ハマったのが、アルファベットチョコレートと同時に口に放り込んで一緒に咀嚼する、食べ方でした。
    最初に、ハッピーターン1つを口の中に放り込み、少し咀嚼したらアルファベットチョコレート1つを口に投入します。もう、口の中は、塩気と甘みの宝石箱状態になります。
    しかし、この食べ方だと、明らかに、ハッピーターンの方が無くなりますので、アルファベットチョコレートを2個投入して帳尻を合わすか、仕方なく、ハッピーターンの袋をもう一つ開けるか、になります。
    学生時代は、一晩に、何袋も開けて食べきるようなろくでもない生活を送っていました。

    最近では、チョコレートコーティングしたハッピーターンも期間限定かなんかで売られて食べたこともありますが、やはり、コーティングでは物足りないのです。あの、アルファベットチョコレートのごつごつした食感とハッピーターンのバリバリした食感、そして、同時に溶けていく過程がたまらんのです。

    だいぶ、長文で語ってしまいました。
    最近では、他人に馬鹿にされるのですが、ギンビスのアスパラガスクッキーを知り、だいぶハマりました。そして、その種類の中でも、バタートースト味が絶品でありまして、今回のピケ8との食べ比べを楽しもうと思っています。

    作者からの返信

     ピケ8買ったんですね。ハッピーターンをよく食べていたなら、少なくとも口に合わないということはないと思います。

     甘いものとしょっぱいものを同時に食べるのは、かつては邪道とみなされていましたが、近年になって一般的になりましたね。塩チョコや、せんべいにチョコをコーティングしたものが普通に売られるようになりました。

     アスパラガスクッキーは黒ごましか見たことないです。バター味に興味が出たので探してみましたが、売ってなかったです。ギンビスの商品紹介にも載っていないですね。
     現在生産していないのかもしれませんが、私の周囲だとチョココーティングしているものもほとんど売っていなかったので、販路が弱いだけなのかもしれません。
     ネットで調べてみると、2015年くらいには大阪で買って食べたというブログがあったりするんで、少なくとも何年か前までは西日本でも売ってはいたみたいです。
     ともかく、今のところ、私の周囲では手に入りそうにありません。

  • 楽しく読みました。
    田舎者故、ジョリーパスタという店を知りません。
    以下、ファミレスやコーヒー専門店の名前は知っていました。が、あまり馴染みがある方とは言えません。

    カフェではなく、チェーン店ではない「喫茶店」は好きな方です。
    もちろん、涼格さんが仰られているコスパや雰囲気、座り心地などは納得のいくところであります。
    では、なぜに、喫茶店かと申しますと、私の場合は、「郷愁」と「コーヒー(特に、焙煎の仕方)の味」の二つかな、って思っています。
    「郷愁」は、もう、40年来のお店というのがあって、料理は特別感がありますが、コーヒーはいたって普通の味なものの、40年間行っているという歴史が足を運ばせます。
    「コーヒーの味」は、深煎りを好む私にぴったりな店があって、普通よりも1.5~2倍くらいお高いのですが、一杯しか飲まないにもかかわらず、舌がその店に運ばせます。


    あ、別話ですが、涼格さんのお話を読んで、uniのクルトガを初めて知り、買って使っています。全然、芯が折れないので、だいぶ感動しています!ありがとうございました。

    作者からの返信

     私は個人経営の喫茶店にあまり馴染みがありませんので、今回の記事では触れていませんが、ファミレスや喫茶店のチェーン店がある中、あえて個人経営の喫茶店に行く理由は、確かにその2つだろうと思います。

     コーヒーの味に関しては、たいかいの喫茶店は大手から豆を仕入れているので、結局は似たり寄ったりですが、たまにコーヒーに命を賭けている店主がいて、豆や焙煎にめちゃくちゃこだわりまくっている場合があります。そういう店を見つけたなら、コーヒーのためだけに行く価値はあるでしょう。
     私が知っている喫茶店には、コーヒーに合うカレー、カレーに合うコーヒーを追求するという、よくわからないこだわりのある店があって、そこのコーヒーとカレーは確かにうまかったです。潰れてしまってもうないですが。

     郷愁に関しては、常連の場合は、そこに通うことで落ち着くから、という理由でしょうけど、私はそういう店を持ったことはありませんから、そういう感覚は理解できません。
     ただ、アウトサイダーの立場として、そうした店に立ち寄る感覚ならわかります。喫茶店は人間観察の場としては非常に興味深くて、それを目的にふらりと適当に入店してみることはたまにあります。その場合はコーヒーの味とかは全く関係ありません。店主や客が面白そうかどうかだけが基準になります。


     買ったというクルトガは、アドバンスの方ですよね? 芯折れ防止パイプの付いている。
     あれは実用性だけを考えれば、現在最高のシャーペンだと思います。まさしく完璧。何か特別こだわりがない限りは、アドバンスを使えば間違いありません。
     そのわりに知名度が低く、三菱も力を入れて宣伝してないのが意外なんですけどね。普通のクルトガは有名なのに、アドバンスを知らない人は結構多い。文具店でも目立たないところに置いてあるという。


  • 編集済

    そば焼酎 博多の華への応援コメント

    「博多の華」は呑んだことはありませんが、一時、芋焼酎にはまったことがあって、黒霧島の紙パックを愛飲していたことがありました。

    しかし、私史では、焼酎歴はほんのわずかであり、ほとんどが、ビールと日本酒で占められています。
    ビールは、一択、「サッポロクラシック」です。
    日本酒は、端麗辛口であればなんでも。夏は冷酒で、秋~冬は熱燗です。

    ですが、この半年余り、なんとビールも日本酒もまったく口せず、ひたすらに、スコッチウイスキーを吞んでいます。

    涼格さんの印象と違って、スコッチウイスキーは、お高いのはやはり旨し、です。
    金さえ出せば、美味しいスコッチをいただけるのを知って、お高いのを飲むのをやめました。お高いと言っても、私にすれば、ボトル5000円くらいのものです。万円するスコッチもゴロゴロしていますが、とても手が出せません。

    で、ここのところ、ずっとなのですが、1000円~2000円の価格帯で美味しいスコッチを探そう!キャンペーン中です。これは、本当に、当たり外れがあるので、注意が必要ですが、最近は、外れでさえ楽しめています。

    私がスコッチにハマった理由は、バニラの香りするスコッチが大好きになったからです。
    700mlのボトルが、5日間で空いてしまいますので、なるべく、安価なもので旨いスコッチに巡り合いたいと思っています。

    すっかり、自分のことばかり語ってしまいました。

    作者からの返信

     私も焼酎を飲んだのは久し振り……というか、酒自体をあんまり飲まないんですけどね。

     ビールはいろいろ飲み比べたことがありますが、どれでも大して変わらない気がしました。味や風味に違いがあるのはわかるんですけど、どれでなきゃいけないということもないような。
     冷えてないとまずくなるけど、ロックにすると薄くなりすぎるという、なかなか面倒くさい酒だと思いますね。常温かロックで飲める方が楽でいいです。

     ウィスキーは……ウィスキーとして飲むことはあまりないですが、梅酒はウィスキーをベースにして作られることもありますんで、そういう意味ではよく飲んでいるタイプの酒と言えるかもしれません。
     ウィスキーは熟成させるとコクが出ますが、同時に高くもなるので、値段と旨さが比例するというのはわかります。
     スコッチじゃないですが、サントリーの白州(年数なし)はうまかったですね。高くて買えませんが。


  •  こんにちは。今回も楽しく読ませていただきました。さて、福本伸行さんの漫画が流行り始めて久しいですが、幅広い年齢層に支持されていますね。ただ、私の感覚ですと、どちらかといえば男性受けがいいように思えます。稲中やジョジョは(コミックでは)女性受けも良かったらしいですが、その辺りは少し違いますね。

     自分は比較的安全な立ち位置にいながら、アウトローな世界を覗き見れる辺りが、高く評価されているのでしょうか。裏社会の人間の行動や思想を支持するつもりは毛頭ありませんが、私も福本漫画は大好きです。

     チンチロ編ですと、カイジが地下に収容されて、初めて給料を貰うあたりが印象に残っています。彼は外出券を得たいわけですから、贅沢を必死に我慢するわけですが、その気持ちを打ち崩すべく、大槻班長が缶ビールを一本手渡すんですよね。それを「ぷっはー!」って飲み干すあたりが好きです。その様子を見ていた班長グループが、「あいつはバカですね」と評するわけですが、あれは欲に惹かれた誤りというよりは、人間の本性ですよね。私は血中濃度が高いので、内科医から甘いものを飲むことを禁じられています。この間、セブンにいくと、新製品のバナナオレというものが棚に出ていまして、「まあ、一本だけだし……」と、購入しました。しかし、これに完全にハマってしまい、その後、大して意識もしていないのに、毎日購入する羽目に……。タバコ、甘い物、アルコール、麻薬、何でもそうですが、やめている期間が長ければ長いほどに、それを口にしてしまったときの印象が強力になるのは、意志の弱さではなく、どうしようもないサガのような気もします……。むろん、自己弁護ですが。

     強制労働施設が黒字なのか? という問題に関しましては、私なりにやや異論があります。まあ、あの連中がかなりのアウトローであるということが前提の話になりますが。あの地下施設で働いている労働者の維持費や食糧費、また賃金などについては帝愛としては、別に赤字でも構わないのではないでしょうか。カイジの掘っている辺りは、何やら広大なテニスコートとかになるらしいですが、他にも様々な贅沢な施設が造られると仮定すべきでしょう。そうしますと、まあ、どう考えても違法建築物ですよね。そんなに広大な地下施設掘れる場所は関東にはありませんし。当然、付近の住民たちが騒音や治安を心配して警察や法曹界などに通報すれば、いくら帝愛組織が強くても、さすがにヤバいはずです。ですから、基本的にはあそこで働いている連中は、そのすべてが何かあればトカゲのしっぽ切りになりますよね。帝愛とは無関係であると。

     そうなりますと、普通のやり方であの地下で働く労働者を集めることがいかに困難か、ということが分かります。何しろ、少しでも、家族や親戚などと繋がりのある人、あるいは、前職との繋がりがある人を雇いますと、長期間の勾留の間に、家族や親戚、あるいは知人などが心配して警察に駆け込む恐れがあります。それが数十件も重なれば、さすがに警察も動くでしょう。ですから、あそこで働ける人材とは、多額の借金があること以外に、ひとり者であること、戸籍が不安定であること、家族や親戚との繋がりが一切ないこと、専門学校や精神科や歯医者や美容室などに長期間通ったことのない人、前職が正社員ではないこと、などの難しい条件が重なります。やや可笑しい表現になりますが、こういった人は福本漫画以外では結構貴重だと思うのです。まあ、言うなれば、『行方知れずになっても、誰も気がつかない人』という条件ですね。これだけの優良な存在なのですから、多少の赤字が出たとしても、とにかく大量に確保して、地下施設に放り込み、なるたけ早く完成させる方に持っていく方が良いのではないでしょうか。でも、逆にいえば、その無茶を通すからこそ、架空のストーリーとは面白いわけですよね。

     今でもカイジが大好きなので、くだらない想像を働かせてしまいました。お許しください。また、次の記事を期待しています。ではまた。

    作者からの返信

     実際のところはわかりませんが、福本漫画が女性向けではないだろうとは確かに思います。話の内容も登場人物も泥臭いですからね。

     あの缶ビールの差し入れがいいところは、135ml缶だということです。あんなちっこい缶、お供え物くらいでしか見かけない。あんなの飲むために買う人なんているんでしょうかね? 割高だし。そして、そのしょぼいビールを8ページかけて飲む。
     あのシーンがいいのは、セリフとして135ml缶だとは言ってないこと。だから結構多くの人が350ml缶と勘違いしたと思うのです。注意してないと見落とす。

     糖分も、カフェインやニコチン、アルコールなどと同じく依存性のある物質なので、一度嵌まるとなかなか抜け出せません。カフェインやニコチンとは違って、全く摂取しなくてもいいわけではないのが厄介なところ。

     帝愛にとって、地下労働施設が赤字でもいい、というのはそうだと思います。そもそもまともな方法で労働者を集められない現場ですからね。
     私もそう思ってはいたのですが、今回は私がどう思うかではなく、ただ、日給3500円で地下土木工事をさせることが、どの程度の人件費の節約になっているのかを計算してみた、ということです。

     本来、地下の掘削には高度な専門知識を持ったスタッフが必要で、あんな寄せ集めの素人だけでできる仕事なわけがありません。元々無理のある設定ではあるので、真面目に考えてもしょうがないのですが、その辺のことは無視して、単に日当1万円分の労働力を3500円で使った場合、どの程度の人件費節約効果があるかを計算したのがあれです。
     思っていたよりも利益が出てるんだなというのが私の印象でした。

     私は当初、債務者を安くコキ使って浮かせた人件費は、地下担当の黒服の人件費で相殺されるか、赤字になると思っていました。しかし、月1400万も浮かせているなら、黒服の給料を出してもまだ浮くでしょう。
     これは大雑把な計算ですが、それでも、帝愛のあくどさが再認識できる結果だったんじゃないかなと思います。


  •  こんばんは。私はけっこうな読書マニアで、主にミステリーを中心に色々なストーリー小説を読みます。歳とともにその沼も深まり、最近ではいわゆる古典と呼ばれる長編作品も手に取るようになりました。ドストエフスキーやバルザックにはじまり、プルーストやカフカにも挑戦しています。そういう中で、否応なく、ストーリー文学に影響を与えた哲学者や作家以外の文学者の名前も耳にするようになりました。ニーチェやサルトルやヴァレリーや、今回のロランバルトなど……。ただ、さすがに意味も理解できないのに本を購入しても、お金の浪費になりますし、本棚の肥やしにするだけでは虚しくなります。そういう時に、今回のような解説文があるとかなり助かります。これまで手が届かなかった難解な書に一歩でも近づいたような気になれるからです。

     プルーストがどうたらと前置きをしましたが、もちろん、あの難解で長大な作品を読破したわけではありませんし、する自信もまったくありません。そこで、初心者向きの薄い解説書を何冊か購入して、何とか読んだ気になり、あわよくば、本書に乗り出そうという企みです。作者の言いたいことが何となく分かれば……、くらいです。ユリシーズに関しても、柳瀬さんや結城さんの解説書を購入してみたのですが、こちらは解説書を読むための解説書が必要なようで、これ以上本棚がややこしくなることを恐れています。

     さて、私のくだらない主張を明確にするために、ひとつ笑えないデータを挙げさせて頂きます。

     2016年に、イギリス国民に対して行われた以下のアンケート、すなわち、ドストエフスキーの罪と罰を読んだことがあるかとの問いに対して、YESと答えたのは3%、読んでみたいと答えたのは、7%。トルストイの戦争と平和もほぼ同じ数字。同国の国民的作家であるはずのエリオットのミドルマーチに至っては、どちらの回答もわずか1%。

     何が言いたいのかと申しますと、話法やストーリー文学の母国であるはずの英国でさえ、文学への興味はこの程度なのです。アニメやSNS、YouTubeに支配された日本の現状が、さらに厳しいことは自明です。ただ、私はこういう文学離れの責任は、流行の推移や科学の進歩や知性の退化、あるいは、作家の技量の低下だけが原因ではないと思います。プルーストやロランバルトなどの作品が難しいのは当たり前です。おそらく、発売された当時でも、これらをきっちり読めたのは、相当な知識階級だけだったのでしょう。それから、数十年、あるいは、百年以上という月日が流れたのですから、これは読み手が解読できなくなったのは、ある程度、仕方がないとも思えるのです。つまり、作家と読み手の間に割って入る立場の仕事、翻訳者や解説者などの有能な文学者の存在が、より重要になってきたのではないかと思います。どんな名作も手に取る前に嫌厭されたのでは意味を成さないからです。距離を詰めてあげる人々の仕事の重要性が増したのだと思います。

     今までは到底取り組めまいと思っていたロランバルトの作品に半歩でも近づけた感動から、長々しい文を書いてしまいました。応援していますので、これからもよろしくお願いします。ではまた。失礼します。

    作者からの返信

     3%というと少なく感じますけど、イギリスの人口6500万人の3%というと200万人近いことになります。200万というと意外と読まれているような気もする。

     近代以降の哲学や文学の論文が読みにくいのは、論戦のために書かれているからです。自説を披露するだけなら大して字数は必要ないし、難しく書く必要もないのですが、誰かを言い負かそうとしているから無駄な文章が増える。迷惑な話です。
     こうした論文を読むときは、当時その著者がどこの陣営で、誰と論争していたかを知っているとわかりやすくなります。そしてそれを知っていると「ああ、ここはあいつへの悪口を書いているだけの部分だから読まなくていいか」とわかるようになってきます。
     もちろん、階級的な問題もあります。偉そうに見せかけるために難しく書こうとしている。

     小説が読みにくいのはまた別の理由で、近代小説は「新しい」ことを宿命付けられているからです。
     近代小説は従来の文芸とは異なるものとして定義されました。従来のルールに従わないことがルールなのです。複雑で読みにくい小説ほど評価されます。

     また、近代の小説には、哲学者や文学者への批判から生じたものも多いです。『失われた時を求めて』も、作者の人生から作品を論じる批評法に対する批判から生まれた作品ですし、『ユリシーズ』は専門家達が延々と自分の作品について議論するように謎を仕掛けています。
     単なる一般読者向けではなく、専門家への挑戦を含んだ作品であるために、複雑で読みにくい作品になっているわけです。

     つまり、18世紀以降の文章が読みにくく感じるのは、もともと読みにくく書かれているから当然なのです。また、日本の文学者や翻訳者にも、読みにくいほうが高尚だという観念があったから、わざと読みにくい翻訳をしたり、難しく解説をしていました。

     今ではさすがに、哲学や文学ごときでお高く留まってもしょうがないと気付き始めたのか、わかりやすい翻訳が解説が書かれるようになってきているので、その点は多少マシになりつつありますね。
     ただ、どんなに翻訳や解説が改善されても、『ユリシーズ』が読みにくいのは変わらないと思いますが。


  •  こんにちは。私が就職活動していた頃(超氷河期)に、オリコンのブックランキングの上位を自己啓発本が占めていたのを覚えているので、本文を興味深く読ませて頂きました。その頃に流行っていた書名はあまり覚えていませんが、『七つの習慣』とか『脳内革命』とかが売れていたように記憶しています。私は不信の塊のような人間なので、こういった本は読まずに過ごしてしまいましたが、その後の人生のダメっぷりから判断しますと、一冊くらいなら読んでおけば良かったかなと、今では思うこともあります。

    「ギャンブルは止めた方がいい」「神なんて100%いないんだから、宗教なんて信じるな」「株やFX投資で億万長者になれる人なんて、宝くじ並みなんだから、投資にはのめり込まないように」「ガチャは法律で禁じろ」

     二十代の後半から三十代にかけて、(脳内では)こういった偏った主張を繰り返していました。知人などと話す際にも、こういった警句を冗談交じりに繰り出すことが多かったのですが、最近、ツイッターでとある方の主張を読みました。「自分から見れば、完全に間違っていると思える他人の行動があっても、その人がそれで幸福であると感じているのなら、余計な口を挟むべきではない」という感じの文章でした。もちろん、こちらは猜疑心の塊のような人間ですから、これに完全に同意したわけではないのですが、「なるほど」と思うところもありまして、それ以後は、たとえ、家族内の会話であっても、自分のつまらない主張を熱く語ることはなるべく控えるようになりました。もちろん、上の方の助言すらも、本当に正しいのかは誰にも分かりませんけどね。

    追記:銀と金は弟がコミックで集めていまして、彼の隙を見て愛読していました。ひとつ気になっていたのは、銀と別れた後の競馬の章で、賭けの相手が河野元外務大臣でしたっけ?(笑) あの賭けに勝って、みんなが集まってきて、「まだ、この仕事を続けるぜ」みたいなセリフで、その巻が終わっているのですが、この作品自体が、ここで完結というふうに捉えていいのですよね? 中途半端な結末なので、その辺がどうも分からず、大作が完結するときは大きく目立つ文字で『完』と記して欲しいなどと思ったものです。まあ、どんな終わり方でも、少年ジャンプの『幽霊小僧がやってきた』よりはマシですけど……。今後も応援しています。ではまた。

    作者からの返信

    『7つの習慣』については、新しく投稿した雑記で言及しています。
     私もあまのじゃくな性格なので、『7つの習慣』が流行していると知っていたら読まなかったかもしれません。
     ただ、高校から大学時代の私は、とりあえずくだらないと思ったものでも、まずは読んでから判断することを信条にしていました。なのでやはり読んだかもしれませんね。ただ、『脳内革命』は読んでいません。よく聞く書名だなとは思っていましたが、流行しているという認識がありませんでした。


     人に対して注意すべきかどうかについては、私は「注意したら言うことを聞くのか」と「仮に私の言うことを聞いたら本当にその人のためになるのか、あるいは私が望む結果を得られるのか」を基準に判断しています。

     ギャンブル中毒の人がいて、ギャンブルをやめさせることに何らかのメリットがあり、「ギャンブルをやめろ」と言ったらやめるのであれば、言った方がいいでしょう。
     しかし現実的に考えて、ギャンブル中毒の人に「やめろ」と言ったらやめるものでしょうか。普通はやめないでしょうし、うるさいことを言うこちらに対して敵対心を抱くでしょう。そうすればますます、こちらの言うことを聞かなくなります。目的が果たせないだけでなく、デメリットしかありません。
    「ギャンブルをやめろ」と言うことにメリットがあるとすれば、自分は正しいことを言っているという満足感に浸れる、ということです。私はそれが必ずしも悪いとは思いません。人には自分に酔いたいときがあるものです。論理的、客観的に見れば愚かしい行為ですが、人間は基本的に愚かな生き物だし、常に論理的に生きられるわけでもありません。しょうがないです。

     最近、高校生が電車でタバコを吸っている人に注意をして重傷を負わされる事件がありました。高校生は自分に正義があると思って注意したのでしょうけど、重要なのは行いの善悪や正邪ではなく、自分の注意の仕方で本当にその人を説得できるのか、であることを失念していたのだと思います。
     正しい行いをしている人ほど、自身の方法の正しさについて考慮するのを忘れがちです。あれは他人事ではない事件だったと思いますね。


    「本人が幸せだったら、明らかに間違っていることをしていても口を出すべきではない」かどうかは、責任や打算の問題だと思います。放っておくのと、口を出すの、それぞれのメリットとデメリットを天秤にかけて、どちらが得か、ということでしょう。
     相手が現状に幸せを感じているかどうかは、はっきり言えばどうでもいいことです。重要なのは、説得する必要があるかないか、説得できる見込みがあるかないか、ということ。相手が幸福かどうかは、説得の難度に影響するだけです。現状に満足し、幸せだと思っている人を説得するのは困難だ、というだけ。

     これは以前の雑記でも触れた、柳沢きみおの『大市民』の一幕ですが、主人公の山形は、宿屋の主人から一人娘の真子が都会暮らしをする際に面倒をみてくれと頼まれ、引き受けました。
     その後、真子は失恋したのをきっかけに新興宗教に入信してしまうのですが、山形は真子を説得しようとしませんでした。その理由が要するに、「本人が幸せだったら、間違ったことをしていても口を出すべきではない」ということです。
     私はこの説には到底賛成できません。その人を説得すべきかどうかは、本人が現状を幸せに思っているかどうかなどとは何の関係もありません。自分が救うべき人、救いたい人がいて、実際に救える力があるなら、相手がどう思っていようが、どう思われようが救うべきです。救わないのであれば、はっきり言えばいい。「私には彼女を救う力がない」もしくは「私は彼女がどうなろうが知ったことではない」と。「本人が幸せだったらそれでいい」というのは、自分の判断の責任を相手に押しつけるための方便です。

     一方で、よく知らない人が新興宗教に入信したとして、それをやめさせるべきか、ということなら、別に放っておいてもいいんじゃない? と思います。やめさせたいと思い、実際にやめさせる方法を持っているならやってもいいけど、やるかやらないかは自由でしょう。

     つまり、口を出すかどうかは、自分の気持ちや責任、実力、メリットとデメリットの兼ね合いです。相手の幸福感は問題じゃない。


    『銀と金』は、あれで終わっています。私も「あ? 本当にこれで終わり?」と思って、12巻や第二章や新章や外伝が本当にないのか何度も確認しました。森田がいなくなっても充分面白かったから、あそこで終わるのは残念でした。どう見ても小沢一郎な人や、どう見ても河野洋平な人が出てくるのも面白かったですし。
     裏が取れた話ではないですが、あの漫画は一応休載という形にして、いずれ機があれば再開できるような形にしたかったらしいですね。しかし、再開することはないまま今に至っています。
     この話の真偽は不明ですが、『賭博覇王伝 零』も休載のまま10年ほど再開していませんから、ありえる話だと思います。

     今の福本は『銀と金』のようなテイストの漫画を描ける人ではなくなっていますから、むしろもう再開しないで欲しいですね。それに、今となっては実在する政治家のそっくりさんを地獄に突き落とす漫画は描けないでしょう。

  • >固い床はベッドよりもくつろぐのに適しているらしい。

    なかなか、目から鱗、でした。
    そして、涼格さんも実践しておられるのがびっくり。

    >むしろ、布団やベッドで寝なければならないという観念が、人を不眠症にする…
    というお考えも一理ありますね。

    私は、硬いところで寝てしまうと、体のあちこちに痛みを感じるので向いていないかもしれません。
    おかげさまで、寝つきも目覚めもいい方です。
    しかも、枕はずっと高枕だったんですが、どうも、頚椎症発症の原因になったかもしれないので、やむなく、低めの枕に無理やり変えて慣れたところです。
    高枕は、圧を感じられて、それが、ストレッチ効果を生んでいたと思っているんですけどね。

    それにしても、1930年代や40年代の啓発本、だなんてすごいですね!
    古いからと言って馬鹿にできない情報がありそうです。

    作者からの返信

     この本は自己啓発本のはしりと言われ、この本の内容の多くは現代の自己啓発本でも書かれています。
     しかし、固い床で寝る方がリラックスできるなんて書いてある自己啓発本は読んだことがないです。なかなかユニーク。なぜ他の自己啓発本はここに触れないのでしょう。馬鹿馬鹿しいと思ったのか。しかし、どうやって疲れを癒やすかは、確かに重要なことだと思います。

     私が床で寝るようになったのは、書いてある通り、力尽きて布団に入る前に寝てしまうことが多かったからでもありますが、背骨の矯正のために床で寝る方法があるらしいと聞いたこともあります。私はよく寝違えていて、もっといい布団を買うべきなのかと思っていたのですが、床なら金をかけずに試せるし、一度やってもいいなと思ったのが始まりでした。そうしたら案外うまくいきました。

     ここで重要なのは、固い床に寝ろ、ということではなくて、人間にとって布団やベッドが一番の寝床だという固定観念から解放されることだと思います。最も快適に寝られる環境は人それぞれで、布団やベッドだけが唯一の選択肢ではない、ということ。常識に囚われずにいろいろ試してみると、よりよい方法が見つかるかもしれません。もちろん、布団で寝るのが合っている人は布団でいいんです。

     私は枕なしでは寝られないと思い込んでいたので、床に枕なしで寝るのは最初は違和感があったのですが、続けていると慣れてくるもので、今では何の不都合もありません。

  • トースターと食パンへの応援コメント

    今話も、興味深く読みました。
    我が家は、地元のスーパーが作っている名もないパンにバターを塗ってから、どうってことのない普通のトースターで焼いて食べています。
    でも、涼格さんのこの話を読むと、もう少しこだわることで美味しさが増すんだろう、という気持ちにはなれます。

    ちなみに、私は、マーガリンじゃなくて、バターが好きなので、トースターで餅を焼いて、それにバターを挟み込んで食べるのが好きです。餅とバターは相性が良いと思っています。

    あ、パンの耳好きな涼格さん、耳だけを焼く、ということで、パッと思いついたのですが、白地の部分だけ、アルミホイルを巻いて焼くと… やっぱり、絵が浮かんできませんでした(^-^;

    作者からの返信

     パンにジャムやバターを塗ってからトースターで焼くのは、実は推奨されていない行為だったりします。発火の危険があるのだとか。トースターの説明書をよく読むと「やるな」と書いています。

     私が理解するところでは、ヒーターにジャムやバターが付着すると発火するから危ない、ということなのだと思います。
     バターをパンに塗って焼くと、溶けたバターがパンを貫通して滴ることがあります。それがヒーターに垂れたら確かに発火するでしょう。なので、網でなくトレイで焼くか、下にホイルを敷くべきだとは思います。
     しかし、上にホイルを被せる必要はあるんでしょうかね? 焼いていてジャムやバターが跳ねるわけでもないですし。バターやジャムがダメなら、ピザトーストもダメなのでしょうか? この辺はよくわかりません。
     少なくとも、私が使っていて発火したことはないです。

     餅にバターはやったことがないですが、餅は米ですし、米をバターで炒めるのはうまいので、相性は良さそうな気がします。
     その組み合わせならあんこも欲しいですね。あんバター餅。間違いなくうまい。
     ……そんなパンがあったような気もしますね。あんパンの中にバターと餅が入っているやつ。

     耳だけ焼く、というのは、耳だけ落として別に焼く、というのを考えていました。耳は耳で、白いのは白いので別々に食べる。耳が付いた状態で耳だけ焼こうとすると、白いところにだけホイルを敷くことになりそうですね。確かに変な構図です。

  • 冷蔵ピザへの応援コメント

    大いに笑えました~ 面白かった~

    苦労した涼格さんには悪いけれど、これだけ実験を重ねて、仮設や予想通りにならなかった、という結果に、ホッとした、というか、面白いものだな、って思いました。
    また、たかが、冷凍ピザとはいえども、機種関係なく美味しさが変わらなかったり、機種によって美味しさが増す、というマジックがあったりすることに感銘を受けました。

    作者からの返信

     なんでこんなに予想通りにならないんでしょうね。

     ただ、思い返してみると、イタリア料理店でも、本当に香ばしいピザを提供してくる店はごく限られていたように思います。ピザを真においしく作り、焼くこと自体が難しいのかもしれません。
     イタリアでは、ピザの製法は厳格に決まっていると聞いたことがあります。第二次世界大戦でイタリアは、戦地でおいしいピザを焼くためにわざわざ石窯を作ったとかいう話も。

     むしろ、たかだか家庭用のオーブンで本格的な風味を出せてしまうデルソーレのピザが飛び抜けてよく出来ているだけなのかもしれません。

  • 柳沢きみお『大市民』への応援コメント

    我が県出身、柳沢みきおであります。
    「大市民」は読んだことがありませんが、柳沢氏のエッセイ風みたいなので、気まぐれ的な物も含めて面白そうだな、って思いました。
    柳沢氏の描く、キャラでは、悪玉キャラの本当に悪そうな顔と、恍惚の顔が印象的であります。

    作者からの返信

     柳沢きみおの作品は、実はちゃんと通して読んでいるのは『大市民』シリーズだけなんです。
     いくつか飛び飛びで読んだことはあるのですが、単行本を揃えてまで読みたいと思ったのは『大市民』だけでした。
     これは私が恋愛ものをあまり好まないからかもしれません。男女関係にまつわる人間ドラマを描いている作品が多いですからね。
     私は彼の作品なら、恋愛ものやエロネタ漫画よりは、クラシックカーにまつわる人間ドラマを描いている『大市民』の番外編の方がずっとデキがいいと思います。

     例外は『朱に赤』。あの救いようのないドス暗さには惹かれるものがあり、あれは読んでみたいと思っていたのですが、単行本が見つからないうちにすっかり忘れていました。

  • クレープと飛び入り挑戦者への応援コメント

    ローソンの牛乳が半額、からよくぞ、此処まで!
    文字だけですがとてもおいしそうに出来上がりましたね。
    お好み風の後に、フルーツクレープを食べるのは、確かにヘビーそうだけど。
    しかも、お好み風に牛乳を使っていないのであれば、まだ残っていますね!
    ゴロゴロしながら使い道を考えて、また、美味しいモノを作ってください。
    私なら、安易にホットケーキを作ってしまいそうですが、粉もの連チャンになっちまいますね。今、私が食べたいのがホットケーキ、っていうだけでした(笑)
    なら、シチューなんてどうでしょう!

    作者からの返信

     そうなんですよね。お好み風のアレには牛乳を使わなかったから、消費には何も貢献していません。牛乳はあと半分残ってます。
     1週間分の献立はすでに決まっていて材料も揃えてあるので、シチューを作る余地はありません。ホットケーキは……いや、当分粉ものはいいです。

     まあたぶん、そのまま飲むか、ホットミルクにするか、カフェラテにするかになると思います。
     バナナが少し残ったので、バナナセーキを作る手はあるか。牛乳、たまご、バナナをミキサーで混ぜるだけ。

  • 年末年始の牛乳への応援コメント

    ふふふ… 実際は、文体よりはもう少し落ち着いた所作でカフェラテを作ったんだろうと思うけど、涼格さんの探求心とチャレンジ精神が勢いのある文体にして、読んでいて面白かったです。

    >謀ったな孔明!

    絶妙なタイミングと、絶妙なセリフでした(笑)

    作者からの返信

     いや……実は、ニュース番組にハメられてローソンにのこのこ出向いたあたりから、実際に結構、無駄にテンション高めでした。あんなに見事に騙されるとはね! まあ、今日ならちゃんと半額で飲めるはず。私は行きませんが。
     フォームミルクを瓶で作ろうと思ったのも、ノリと勢いとやけっぱちでやってみただけです。まさか本当にできると思いませんでした。エスプレッソマシンで作るようなきめ細かさはないですが、自家製としては何も問題ないです。偶然ですがいいことを知りました。

  • ミャンマーの民族問題への応援コメント

    最後の問い。私は、偉そうにすることに関しては人種関係なし、だと思っています。
    しかし、アジア諸国では、遠方の国のなんちゃらに関しては「世界の警察」に任したよ、って感じがします。

    同意する、援助する、支援する、義勇軍を送る… または、その逆は、同胞心や敵対心ではなく、経済的利害の理由によるものだろうと思います。

    日本のニュース報道では、どちらかというと「スーチー=被害者」イメージで報道していて、「スーチー=ロヒンギャ認めず」イメージで報道していないような気がしています。
    そのロヒンギャを何故に毛嫌いするのか、という報道もなされていないので、スーチーの真意はわからずじまいです。

    作者からの返信

     アジア諸国の対外政策は打算的なのでわかりやすいんです。利益になることはするし、ならないことはしない。欧米諸国ももちろん打算はありますが、それだけでなく「人道的」理由で他国に干渉しようとします。自分達の価値観を押しつけようとするのですね。

     価値観の押しつけ自体はどこの国もやっていて、日本も例外ではありません。琉球やアイヌ民族、韓国などでやっていますね。
     ただ、欧米の「それ」はそうした素朴なものではなくて、もっと狂信的なもののように感じます。ローマ教皇が世界中を訪問して融和を訴えることは悪いことではないと思いますし、大筋では正しいことだと思いますが、その根底には、白人社会が優等であり、劣等民族を教導する義務があると考える高慢さがあるのかもしれません。
     ああした振る舞いは文化的・あるいはキリスト教的なものなのか、それとも、もしアジア人が世界を征服したとすれば、同じように教導するのか、どうなんでしょうね。
     ただ、モンゴルが世界を制したときの振る舞いから考えると、やはりどちらかというと放任主義的な統治になるような気がします。

     ロヒンギャ問題を日本の報道機関が報道しないのは、報道すると外交問題に発展しかねないからです。「ロヒンギャ」という言葉を使うだけでもミャンマーとの関係を悪化させかねません。それは、「ロヒンギャ」という民族があることを認めてしまえば、彼らに正当性があることを認めることになるからです。ミャンマーの立場としては、あくまで彼らは不法滞在者であり、ミャンマーに住む民族のひとつではありません。
     日本はミャンマー寄りなのであまり報じないですが、スーチーがロヒンギャ問題に消極的なことは世界的には周知の事実で、ノーベル平和賞にふさわしい人物ではないとして取り消すように訴える活動もあります。

     スーチーがロヒンギャを嫌う理由は、家の庭に知らない人が棲み着いている状態を考えるとわかりやすいと思います。誰だって自分の家の庭に関係ない人がうろついていたら嫌ですよね。ミャンマーにとってロヒンギャはまさしくこれ。国際社会は「かわいそうだからそこに住むのを認めてやれば?」と簡単に言うけれども、なんで言葉も宗教も異なる、勝手に棲み着いた不法滞在者を受け入れなきゃならんのよ、と思うのもわからなくはないでしょう。仏教徒ですらロヒンギャを嫌っています。日本の仏教のイメージからすると信じられないことですが。

  • 涼格さん、ウェンディーズ・ファーストキッチン特集ありがとうございました。
    読んでいて、最早、パテやパンの特徴や違いはいいから、口に放り込みたい衝動にかられました(笑)
    私は新潟県民ですので、最短でも越後山脈を越えて関東に行かねば食べれません。
    ましてや、コロナ禍ですので、食するのはだいぶ先になろうかと思います。

    昨夜、用を足しに新潟駅に行ったのですが、小腹空きに耐えかねてモスバーガーに入ってフィッシュバーガーを食べました。
    ザっと、メニュー表を見て「う~ん、やっぱ、お高いなあ」と印象付けられました。
    ホットコーヒーも250円でしたが、味も薄い印象で、二杯目から100円らしかったのですがやめておきました。

    作者からの返信

     テレビのグルメ番組でもそうですけど、行けない店を紹介されると切なくなりますよね。ファーストキッチンは関西でもあまり見かけないですが、北陸、東北、北海道には、現在はほぼないんですね。
     ウェンディーズとくっついたことで人気が出れば店舗数も増えるでしょうけど、同時期にバーガーキングも出店地域を増やしており、直接対決の様相になっております。ウェンディーズ・ファーストキッチンは、モスやマクドナルドとはあまり競合しないと思うんですが、バーガーキングとは客の取り合いになるでしょう。

     モスが高く感じるのは、マクドナルドと比較してしまうからなんですよね。マクドナルドも期間限定メニューのセットとか頼むとモスと大差なくなるんですけど、工夫すれば300円くらいで1食いけますからね。
     ただ、ファーストキッチンやサブウェイ、ケンタッキーフライドチキンなどと比べたら同等の価格帯ですし、喫茶店で軽食を食べるのと比べたら安いという考え方もあります。

     コーヒーは……そういえばモスでブラックコーヒーを飲んだことがないですね。たいがいのモスでは黙っていても水をくれるので、水を飲んでいることが多いです。オニポテセットを頼む場合は追加料金を払ってカフェラテかシェイクにしてました。


  •  大手の新聞の流す情報については、学生の頃からある程度の不信感を持っていました。実家では朝日新聞や毎日新聞をとっていましたが、どちらも日本を代表する大企業(トヨタ・ソニー・キヤノンetc)の広告を見開きにて大々的に出しているからです。こういう状況ですと、これらの企業が政府に対して税制に関する不当な圧力をかけたり、あるいは、到底報道できないような不祥事を起こしてしまったときなどに、果たして正当な報道ができるのでしょうか? 私が新聞社の社主なら、おそらく、それはできません。年間十数億円以上のお得意様の批判記事など、常識で判断すれば書けるはずはないからです。末端の記者がどんなに意気込んでも、デスクなど管理者の一存で屈服させられてしまう世界だと思います。ですから、読者の激減で、利益の多くを広告収入に頼るしかない大手新聞の情報については常に半信半疑でした。

     ZOZOの設立者である前澤氏が、数年前からTwitterにおいて、希望するフォロワーに対して、派手にお金をばら撒いていることが報道されています。まあ、あんな形で配る側も貰おうとする側の心理もよく分からないので、さして興味はないのですが、彼はその際に、「自分にもっと発言力が欲しい」という趣旨のコメントをしています。これがどのような意図を持ったコメントなのかが、いまいち分かりかねています。数千億円の資産を持つ日本有数の大富豪が意見を発すれば、(一般的に考えれば)すでに十分な発言力を有しているのでは、と感じたからです。英国風に『お金より名誉』ということなのかもしれませんが、真意は計りかねます。

     スポーツ観戦が趣味なので、スポーツ新聞のサイトをよく閲覧しているのですが、何らかの外交問題やコロナ関係、あるいは政治的な重要問題が発生したときに、ホリエ○ン氏や2ch創設者のひろ○き氏などが、耳を疑うようなコメントを出したりすると、必ずそれを拾って記事にしやがるんですよね。スポーツ新聞のサイトに真っ当なデータや情報を求めてくる人に対して、そのような趣旨の発言を記事にして紹介すること自体、何らかの不正な意図を感じてしまいます。見出しを見ただけで気分が悪くなり、まったく必要性を感じないからです。彼らはある問題が提起されると、必ず極端な逆張りをして、世間の注目を集めたがっているようにさえ感じられます。大手新聞が右と左でプロレスごっこをしているのは分かりやすい例えです。そうだとすると、(世間的には)有力なコメンテーターといわれている彼らの逆張りは、1970年代のプロレス中継終了間際の場外乱闘といったところでしょうか。

    「おおっと、タイガー・ジェット・シンが、またサーベル(エセネタ)を取り出した! それはいけない! ルール違反です!」
     

    作者からの返信

     新聞がスポンサーにとって不都合なことを書けない事情は絶対にあります。
     ただ、それは、新聞というメディアの仕組み上、どうしても生じる欠陥ですから、私はそこまで問題視していませんでした。本当は良くないけど、どうしようもない問題だと割り切るしかありません。
     それに、トヨタの広告が載っていたらトヨタを強く批判できないだろうことは一目瞭然なので、それほど脅威ではありません。赤旗が日本共産党にとって都合の悪いことを書くはずがなく、読売新聞が巨人の悪口を書かないことと同じ。自明のことだから対処もできる。

     問題は、自民党は読売新聞のスポンサーではない、ということ。なのに読売は自民党にすり寄り、安倍は国会で読売新聞の宣伝をするのです。これは気持ち悪い。
     これは佞臣がやることです。甘い汁を吸うために、皇帝のご機嫌取りをして好かれようとする連中と全く同じ。私が皇帝ならそんなキモい奴は叩き斬ってやりますが、安倍は見え見えのご機嫌取りに乗せられていい気になっていたのだから本当に愚かだと思います。都合の良いことばかり言う奴が一番危険だということになぜ気付かない。
     まさかこの21世紀に、後漢末期の宦官による腐敗政治の再現を拝めるとは思いませんでした。笑ってしまいますが笑い事じゃないです。ほんと。


     前澤氏のお金配りについては知らなかったのでざっと調べましたが、正直よくわからんですね。なにがしか打算があるかもしれないですが、単に変な人なだけにも思える。堀江貴文やひろゆきのように、ご意見番みたいになってきたら鬱陶しいですが、現状ではただ変なだけで、さして害はないように思います。
     ただ、お金を配ると注目が集まるわけですから、宣伝になります。広告費として考えれば配ったお金は高額でもないでしょう。そういう計算はしているとは思います。起業家が何の意味もなくお金を使うとは思えない。


     ネットのゴミ情報垂れ流し問題は本当にどうにかして欲しいです。文房具について知りたいだけなのに、その過程で誰が何を言ったとかのしょうもない情報を知らされるのは本当に不愉快だし迷惑です。誰が何を言うのも勝手だけど、それをいちいち報せるなよと。

  • まったくもって、涼格さんの今作の内容に同意いたします。

    >にわか知識を得て偉くなった気分になるくらいなら、無知でいる方が遙かにマシである。

    言い得て妙なのですが、その一方で、「情弱」という言葉が脅迫してくるのと対峙しなければいけません。
    最早、公害並みの情報過多でありますから、何をもって「情弱」とするのかは、他人が決めるのではなく自分で決めればよい、と思っています。
    むしろ、情弱上等、でもよいのかもしれません。

    「世の中=お金」の公式は、頷きたくないながら、鉄板でありましょう。
    せめて、自分と自分の身の回りでは首を横に振っていたいものです。

    作者からの返信

     ここでいう情弱とは侮蔑語のほうだと思いますが、こういう言葉を使ってくる人の言うことは真に受けないのが得策ですね。攻撃的な言葉を多用する人は、守勢に回ると不利になる自覚があります。攻撃されたくないから攻撃するのです。つまり、その人の言っていることには何か欠陥がある、ということ。

     情報弱者という意味で言うなら、情報を知っているかいないかはさして重要ではないと思います。必要になればその都度知ればいいだけ。知りたければたいがいの情報は手に入る時代ですから。
     それよりは、情報を理解したり、評価したり、処理する能力の方が重要でしょう。あとは、どこでどう調べれば欲しい情報が手に入るかを知っていること。どの情報源ならどの程度の質のどんな情報が手に入るかさえ知っていれば、たとえ今、頭が空っぽでも、すぐに必要な知識を取り寄せることができます。

     シャーロック・ホームズは地動説を知らなかったらしく、それでワトソンを驚かせていますが、ホームズはそれで恥じるでもなく「余計なことを知ってしまったから忘れるようにしなきゃ」と言っています。これはホームズのエキセントリックな性格を描写するための一幕ですが、理に適った考え方だとも思います。必要ない情報は知らなくても問題ないし、それを恥じる必要もない。ロンドンの土を見分けたり、タバコの吸い殻から銘柄を判別できる方がホームズの仕事にとってはずっと役立つわけです。
     もっとも、地動説の知識は、犯罪捜査に役立つこともあるような気もしますがね。具体的には思いつきませんが。


  • 編集済

    近況ノートの画像見ました!お見事!
    スマートな手ぎ際なのではんだごてなんかのご苦労が見れませんが素晴らしいです!
    私の家にあるダイソンは、ハンディタイプの充電式でありますが、他社の掃除機との違いすらよくわかってません。
    ただ、昔から期待して止まないのは、音が極力静かな上で吸引力のある掃除機、であります。

    作者からの返信

     カクヨムの作品に画像を掲載可能なら、もう少し詳細な画像を何点か載せたかったのですけど。説明するより画像で見た方が早い案件でしたし。
     この修理らしき行為に必要とされるはんだ付けは、初めての人でもできるくらい簡単なものなので、見るべきところはないです。電池で豆球を光らせるのと同レベル。必要なのは勇気だけ。

     ダイソンが出たての頃は、ダイソンの吸引力は確かに群を抜いていましたが、今となってはダイソンにこだわる必要はなくなりましたね。私は2017年式のシャープの充電式も使っていますが、性能としてはこれで充分です。
     静音性については、かつてのダイソンはうるさいと評判で、実際、2007年式のDC22はうるさいですが、新しいモデルになるにつれ改善されていってます。よりうるさくないのが欲しいなら新しいモデルを使うべきですが、そう簡単に壊れもしないので、なかなか買い換える機会がないんですよね。

  • 月見バーガーのソースへの応援コメント

     こんにちは。勢いにのって読んでいたのですが、中段の『わりといい線行っているような気がする』以降に味に関する表現がないので、「結局、美味しかったの? 不味かったの(追いつかなかったの)? どっち?」のような、もやもや感が残りました。『結局、シャアとアムロはどっちが正しいの?』と似て、答えの存在しない決着であったのかもしれませんが。

     この記事とはあまり関連はないかもしれませんが、日本人は本当にマックが好きですよね。アメリカ人のハンバーガー好きもよく語られますが、あれは他に食べるものがないから、のような気がします。寿司、おにぎり、蕎麦、うどん、天ぷら(ラーメン?)といった完璧な国民食を持つ国でここまで他国籍企業のチェーン店が支持されるのは不思議に思います。私も好きだったのですが、中年になると高カロリーが怖くて、通えなくなりました。

     思えば、数年に一度くらいのスパンで、必ずマクドナルドの経営危機がニュースになっているような感覚があるのですが(店舗の大幅な縮小など)、その度に、不死鳥のごとく蘇っているわけです。まあ、その立て直し様子がドキュメンタリーになっていたりもしますが……。あの苦境って、民放での穴埋め番組作りのための社員プロデュースによる、やらせなのかな……? 駄文失礼しました。

    作者からの返信

     アムロとシャアのどっちが正しかったかはわかりませんけど、地球にアクシズを落とすのは余計なお世話だとは思います。重力に魂を縛られている連中もたいがいですが、重力から解き放たれたおつむで考えた結果がアクシズ落としなのだとしたら、何も進歩してねえじゃんと思いますね。

     味に関する感想は、前後の文脈で推測できるので省略しました。
     月見バーガーのソースをコピーできたわけではないですが、食パンにスクランブルエッグを添える際のソースとして使うには合っていると思います。ただ、ソースの味がそこそこ濃いので、スクランブルエッグ自体には味付けしない方がいいと思います。試作の際にたまごを2個使って、下味を付けなかったのはそのため。この辺は好みですが。

     日本人がマクドナルドを利用する理由は、どこにでもあって、手軽で安いからでしょう。最近のマクドナルドは中途半端に高級志向になっていますが、ハンバーガーは110円、コーヒーは100円。安くさっと何か食べたい場合や、安い喫茶店代わりに利用するには便利です。あと、このご時世では24時間営業で持ち帰りしやすいのがかなり大きなアドバンテージになっています。

     あと、日本人は、飽きっぽい国民性なのだと思います。毎日同じ昼飯を食いたがらない人が多い。昨日は蕎麦だったから今日は麺類は避けようとなどと考える。だから、多様な食べ物が必要なのでしょう。バーガーもそのひとつに過ぎないわけです。
     これがアメリカだと、毎日同じ昼飯でも気にしない人が多いらしいです。だいたいはサンドイッチ系の何か(手で持って食べられるファーストフードのバーガーもこの系統に含まれる)で、だいたい毎日同じものを頼む。そしてそれはアメリカ人特有の気質ではなく、結構多くの国がそうらしい。日本人にはにわかには信じられないことですが。

     マクドナルドの経営危機は、確かに言われてみると定期的に報じられる気がしますね。一番ヤバかったのは、カウンターにメニューを置かないようにしたり、1分だかで提供できなかったらタダとか、わけのわからないことをやっていた時で、あの頃はあまりに酷すぎて、何年もマクドナルドに行かなかったです。ドライブスルー利用時にふと店内を見ると、制限時間が刻まれているモニターが設置されていて「うわぁ……」と思ったのを覚えています。今はもちろんありません。


  • 編集済

    月見バーガーのソースへの応援コメント

    読みながらニヤニヤ。
    面白かったです。
    涼格さんの、探求心のなせる業ですね~

    私は、月見バーガーや、なんとかマフィンのファンでもありませんが、ハンバーガーといえば、学生の頃に好きだったのがウェンディーズのハンバーガーだったな、と思い出した次第です。
    いいえ、特別な理由はありません。トマトが挟まっているハンバーガーが好きなだけです。
    モスバーガーも、そうなのですが、あれは、ソースが特殊過ぎて他のハンバーガーと対比してはならない別物だと思っています。

    あと、ファーストキッチンのベーコンエッグバーガーも好きでした。
    学生当時、コピーライターに憧れていた友達が専門学校に通っていたのですが、ファーストキッチンのベーコンエッグバーガーでCMを作るお題を出されて、一緒に台本を考えたことが思い出されて懐かしいです。

    現在、田舎暮らし故に、両社のお店は無く、大好きだったハンバーガーが存在するのか不明ですが、涼格さんのこのお話を読んだら無性に食べたくなりました。



    追記です。
    涼格さん、丁寧なご返信、ありがとうございました!
    両店が形を変えながらも存続していることにひとまず安堵しました。
    しかし、ゆくゆくはベーコンエッグバーガーがなくなってしまう、とのことに一抹寂しさを感じます。
    検索して、どこぞの他県に行く機会があったら、無くならないうちに食べておきたい!と思っております。
    >車で40分 なら、私みたいな田舎住まいだとすぐお隣感覚です(笑)

    作者からの返信

     ファーストキッチンのベーコンエッグバーガーについては、下書きの段階では触れていたのですが、冗長になったのでカットしました。
     たまごを使ったバーガーを出している店は意外と少なくて、私の知る限り、有名なチェーン店でレギュラー販売しているのはマクドナルドとファーストキッチンだけです。限定販売ではたまにあって、特に近年は毎年ケンタッキーフライドチキンが月見チキンサンドを販売しますが。

     かつてマクドナルドではエッグマックマフィンを昼でも販売していたのですが、それが朝限定になったとき、その悲しみを埋めてくれたのがファーストキッチンでした。
     ただ、ファーストキッチンは、バーガー類よりもフレーバーポテトやフロートが魅力的で、私は「たまごバーガーを食うぞ!」と決意してファーストキッチンに行っては、ポテトとフロートだけ買っていました。
     それも、だいぶ前に近所の店が閉店して以来、食べてないです。

     ウェンディーズは、昔は車で片道40分ほど行ったところに1店舗だけあったのですが、ここもポテト目当てでたまに行っていました。
     確か、一度日本から撤退したと聞きましたが、調べてみたらいつの間にか、ウェンディーズとファーストキッチンがくっついていて「ウェンディーズ・ファーストキッチン」になっていたようです。そして順次、ファーストキッチンの店がウェンディーズ・ファーストキッチンになるのだとか。

     ウェンディーズのメニューが再び食べられるようになるのは嬉しいですが、それに伴い、ファーストキッチンのバーガー類は販売終了するようです。ベーコンエッグバーガーはなくなってしまうのですね。
     メニューを見ると、バーガーとサイドはウェンディーズで、ポテトとフロートはファーストキッチンのもののよう。

     先にも言ったように、ファーストキッチンはバーガー類が弱くてポテトとフロートに強みがあったと思うので、この判断は適切だと思いますが、がっかりする人もいるでしょうね。
     あと、このコラボにより、私が好きだったウェンディーズのポテトがなくなってしまうのは個人的に少々痛い。でもまあ、いままで長いことウェンディーズ自体がなかったのだから、それよりはマシと言えるか。
     調べてみると、車で40分くらいのところにウェンディーズ・ファーストキッチンがあるようなので、機会があったら行ってみたいです。……また40分か。

     ウェンディーズについて調べた際に、ついでにサブウェイの現状も知ってしまいました。ウェンディーズもサブウェイも、直近では日本ではサントリーが権利を持っていたのですが、現在、サントリーは両方とも手放しており、その影響でサブウェイの日本店舗は激減したようです。

  • ブラックコーヒーへの応援コメント

    興味深く読みました。

    まず、言っておかなければならないのですが、私が喫煙者だということです。
    涼格さんには申し訳ないことです。
    当然のことながら、場所や時間やシチュエーションを問わずスパスパ吸うわけですが、コーヒーを飲みながらの一服や、食後の一服はことさらに煙草が美味しいので、涼格さんにとって迷惑な者になってしまうわけです。

    私は中学生の頃からインスタントコーヒー(ネスカフェやゴールドブレンド)に砂糖とミルクを入れて飲んでいましたが、あまりに飲み過ぎて胃を壊して内科医に止められたことがあったくらいでした。
    ブラックで飲むようになったのは大学生の頃からでした。
    最初は、背伸びをしていたのかもしれませんが、すぐにそれが普通になりました。ただ、インスタントコーヒーでは、涼格さんが仰る通りにそーとー美味しくありませんでしたが、それが香料のせいだとは思っていませんでした。
    しかし、所持金の少ない大学生がどーのこーの言えないのでネスカフェの大きい瓶を買ってきて、一日に何杯も飲んでいましたし、それとともに煙草の本数も増えました。

    レギュラーコーヒーに関しては、ほぼ、涼格さんと同じ感想です。
    私の好みは、深煎り、濃い目、苦み好きなので、もっぱらエスプレッソ系となります。ストレートコーヒーで言うとマンデリンになりますでしょうか。
    でも、最近では、モカの香りが好きで飲むようになりました。

    鮨屋の「納豆と味噌は使わない」話は初耳でしたが、いかんせん、最初に戻って、煙草がお嫌いな涼格さんみたいな方に申し訳なかったな…と思う次第です。
    コーヒーと共に吸う煙草がなぜ旨いのか、食後の煙草がなぜ旨いのか、などについてはコメント差し控えておこうと思います。

    作者からの返信

     タバコにまつわる事情は、昔と今とではだいぶ変わっています。今は禁煙の店の方が多くなっているので、タバコを迷惑に感じることはなくなりました。むしろ喫煙者の方が「食後の一服がうまいのに」などと嘆いていますね。

     タバコに限らず、昔は周囲に迷惑をかけることが許容されていました。走り屋が夜な夜な高速や峠で改造車を走らせたり、子供が空き地で野球をやって近所の窓ガラスを割ったりといった行為が許容されていて、それに文句を言う人の方が「頭が固い」などと言われていたわけです。
     一方で現代では、周囲に迷惑をかけることが極端に嫌われます。電車の中でケータイで通話するなと注意され、公園で子供が遊んでいると騒音公害と言われ、喫茶店でノートパソコンを使うと打鍵音がうるさいとクレームが付きます。ぺんてるのサイトによると、ボールペンの筆記音が「音ハラ」だと思っている人もいるとか。本当かいな。
     どっちの世の中がいいのかは正直わかりません。

     私は他者のことにはなるべく干渉しないことにしています。私の知り合いや友達には喫煙者がいますが、彼らに「吸うな」と言ったことはありません。ただ、私がタバコが嫌いなことは隠しません。それだけのことです。

     コーヒーもタバコと同じく嗜好品に過ぎず、常習性もあるので、本当なら飲まない方がいいんだよなと思っています。禁煙の喫茶店ができたせいでカフェイン依存症になったんだから、良かったのか悪かったのかわかりません。
     世の中にタバコの煙が充満していたおかげで、私は喫茶店にもゲームセンターにも居酒屋にもパチンコにも近寄れなかったわけですから、実はタバコのおかげで健康的な生活が送れていたのではないかと思ったりもします。

     モカは最近になって台頭してきましたよね。酸化して渋くなっただけのコーヒーが世の中から駆逐されたおかげで、コーヒーの酸味が評価されるようになったからだと思います。


  • 編集済

    いか焼きへの応援コメント

    興味深く読みました。
    料理の試作を、ロケット打ち上げを喩えてお書きになっているのがおかしくて、ついつい納得してしまいました。
    ハリウッド映画で観た記憶がありますが、宇宙空間への有人飛行の前に、アメリカはチンパンジーをロケットに乗せたシーンがあったような(笑)

    卵が記事にマーブル状になった生地、というだけで、なんだかおいしそうな絵面です。片栗粉での試作も気になるところであります。
    醤油考でも、納得させられました。うちは、地元の醤油屋さんが作っている出汁醤油を昔から使っていますが見事に一升買いしています。まあ、家族使いなので香味は大丈夫のような気がします。
    確かに、香りがしないしょっぱいだけの醤油なんて嫌ですが、私が一人暮らししていた頃は、もしかして、そんなのにも気が付くことなく平気で香味のしない醤油を使っていたのかもしれないなあ、と遠い目になりました。

    ぜひ、イカを入れた美味な完成品ができますよう。

    作者からの返信

     確かに、ロケットにチンパンジーを乗せたことはあったはずです。ソ連は犬を乗せて帰還させなかったけど、アメリカはチンパンジーを乗せてちゃんと帰還させたから人道的(?)だ、みたいなことを宣伝してたような。
     宇宙から帰ってきたチンパンジーが笑っているように見えたから「宇宙飛行を楽しんだらしい」と人間は解釈したものの、実はあれは恐怖の表情だったのだ、という話を聞いたことがあります。

     いか焼きなんかジャンクな食べ物のレシピなんてないだろうと勝手に思い込んでいたのですが、今の時代、なんでも調べれば出てくるもんだろうと思い直し、後で調べてみました。すると、やはりレシピがあって、それによると片栗粉を小さじ1入れるとなっていました。
     なので、片栗粉を入れれば出店で売っているものに近いものになるんじゃないかと思います。山芋をすりおろすより簡単ですしね。

     醤油は香りが命だというのは、ごく最近知りました。今までは家に置いてある醤油をただ使っていたのですが、家では「安いから」という理由でお徳用サイズを買っていたのですね。なので料理をするときも、醤油と塩なんて大して違いが無くないか? と思っていました。

     長いこと家に居座っていた、すっかり酸化して香りも何も無くなっていた醤油がようやくなくなり、新しい醤油を買って初めて開封して使ったとき、私はいままで醤油を食べたことがなかったのだと悟りました。家で使っていた物は醤油と呼べるモノじゃなかったのです。
     それ以来、調味料を買うときは、できるだけ小さいものにしています。

     出汁入りの醤油の場合は、そこまで鮮度を気にしなくても良くなるかもしれません。出汁が入ることで醤油の主張がまろやかになりますし。あと、煮物などに入れる場合は、結局香りなんか飛んでしまうから、あまり関係ないですね。

     今回作ったいか焼きはそのうち実戦投入しますが、家でいかはそこまで喜ばれないので、入れる具材は変えるかもしれません。わりと何を入れても合いそうですしね。

  •  この小説は二年ほど前に短編が好きなことと、設定が面白そうという二つの理由から、最初の一巻だけ購入しました。メインの登場人物が謎ときに挑むも、結局は執事に全て解かれてしまう、というところに興味を惹かれました。今回、涼格さんの紹介を読ませて頂き、また、続きに手をつけてみようかと思った次第です。

     私の記憶違いでなければ良いのですが、一巻の冒頭に作者の言葉として、「推理小説のトリックについては、そのほとんどをアガサ・クリスティー氏が先んじて書いてしまっている」というような文言があって、にやりとしたのを覚えています。

     ただ、ミステリーの謎解き自体は少し淡白で味が薄い気がしました。私は探偵小説というと、血みどろの、少なくとも三人以上の被害者、密室、密告した人間は必ず殺される、などの凄惨なものを求めてしまいます(まあ、初心者考えなのでしょう)。カーが好きなんですが、あれは少しやりすぎな気もします。

     アシモフはほとんど全てのジャンルの書籍をものしたことで有名ですが、私は彼の真価はSFであり、『われはロボット』が代表作ですが、これは読んでいくと、SFでありながらミステリーなんですよね。市長をその動きから、ロボットではないかと疑っていく作品などは不気味さを通り越して笑いました。

     読者のひとりとして、この続きも楽しみに待っております。お身体に気をつけてがんばってください。

    作者からの返信

     このシリーズを純粋にミステリーとして楽しもうとすると、確かに薄味だと思います。レストランでの雑談の中で謎を解くという設定自体に限界がありますしね。
     似たような設定の短編シリーズだと、バロネス・オルツィの『隅の老人』の方が、本格ミステリー好きには合うかもしれません。

     ただ、ある程度数を読むと、各キャラクターの個性がわかってきて、彼らの雑談だけでも楽しめるようになってきますし、アシモフの幅広い知識を活用したうんちくや文学論の集まりとして読む価値もあると思います。第一巻だけだとたぶん、ヘンリーとその他大勢くらいにしか思えないはず。

     アシモフの真価がSFにあるのは、そうだと思います。第一巻だとSFものがないですが、第二巻の「地球が沈んで明けの明星が輝く」の、月面で見た地球の満ち欠けや昇り沈みの解説や、「終局的犯罪」の「当時において天才的といえるほど高度な数学を駆使した小惑星の力学とは何か」を考察するくだり、第三巻「かえりみすれば」の日蝕の撮影に関する議論など、SFものになるとディティールが細かくなり、読み応えのあるものになります。

     第一巻のはしがきに「推理小説のトリックをアガサ・クリスティが~」といった言及は、確かにあります。実際、アガサ・クリスティはかなり多彩な手法で推理小説を書いてますよね。

  • ペルパネプを検索して見てみましたが、スタイリッシュ且つ書き味がよさそうですね。
    私は、文房具には、からっきし詳しくないのですが、仕事で使っているノートは、ノーブルノートA4 100SHEETS 5mm方眼です。
    もう、かれこれ15年くらい使っています。
    仕事上、プリントされたA4のコピー紙が使用されているので、大事なプリントを年間を通して見返せるよう、ノーブルノートに糊付けしています。
    1年間でぎりぎり1冊使いますが、どのページを開いてもきちんと開ききるところと、普通のボールペンでの書き味が良いので、こればかりです。
    ただ、表紙の色がオレンジ色しかないのが少し残念であります。

    作者からの返信

     ペルパネプは、私にとっては夢のノートでした。まさかここまで理想通りのものが販売される日が来るとは思いませんでした。
     ただ、A5のノーブルノートが同じ900円+税で100枚ということを考えると、60枚綴りのペルパネプは結構な高級ノートです。

     表紙の色を選びたくて、A4のプリントを貼り付けて使うのであれば、カ.クリエという選択肢があります。カ.クリエシリーズはA4サイズのプリントが3つ折り、2つ折りできれいに収まるサイズで作られたノートで、表紙の色のバリエーションが多いのが特徴です。
     プリントを折りたくないのであればダメですし、40枚なので、ちょうど1年で1冊というわけにはいかなくなるでしょうけど。あと、売っているところがほとんどなくて、ほぼ通販で買うしかないのも欠点。

     まあ、ノーブルノートは表紙以外にはほとんど欠点がないので、長年使っているなら、なかなか乗り換えたくはならないとは思いますが。

  • 『2001年宇宙の旅』への応援コメント

    興味深く読みました。
    進化=暴力による攻撃、という見方は気が付きませんでした。
    モノリスにまんまと操られた進化、と考えると、なんだか腑に落ちる気もします。

    投げられた骨→宇宙船、という有名なシーンは、それそのもののアイディアを映画に残したかったのかな、と思っています。

    隊員がポッドに衝突されて、宇宙空間に音もなく放り出されるシーンは思い出すだけで身震いします。
    音がしないからこそ怖い、んですよね。
    ボーマンの呼吸音と、HALの途切れ途切れの言葉の掛け合いも息が詰まりそうになります。

    作者からの返信

     人間の進化が暴力の進化だった、というメッセージ性は、キューブリック監督の作品を多く観ていると想像が付きます。『博士の異常な愛情』を制作した直後の作品でしたし、後には『フルメタルジャケット』なんかも制作していますからね。

     ただ、『2001年宇宙の旅』は、表面的にはキューブリックっぽくない、知的で穏やかな作品にも見えるので、見落とされがちでもあります。そのせいでHALだけが悪者と捉える人も多いんですよね。

     本当かどうかは知りませんが、骨の次に映される宇宙船は核弾頭を積んでいる設定で、脚本にはそれを説明するナレーションがあったらしいです。あの映画にナレーションは不要ですから、削ったの正解でしょう。おかげでわかりにくい映画になったわけですが。


     後半のHALと隊員達の殺し合いは、キューブリック監督が制作した映画の中でも最も残虐で恐ろしいシーンだと思います。彼は静かな恐怖を描くのが得意ですが、宇宙空間という舞台はその才能を活かすのに最適だったのでしょう。ホラー映画や戦争映画よりもSF映画を作った方が怖かった、というのが彼らしくてひねくれているところです。