応援コメント

『2001年宇宙の旅』」への応援コメント

  •  この映画は昨年一度だけ見たのですが、はっきり言って意味が分かりませんでした。なぜ、冒頭にあれだけ長々と猿を登場させなきゃならんのか、とか、AIの突然の反逆とか、そのときの不気味なカメラワークですとか、ラストシーンとかですね。でも、このコラムを読んで少しは腑に落ちました。ただの宇宙での殺人事件ではなく、それを芸術的に表現して見せたかったわけですね。キューブリック監督の作品は演出が独特なので見ていて気分が悪くなる場面が多いです。あまり一般受けさせたくないのかもしれませんね。猿が人間に進化して得たものは暴力だけだったと表現したかったのかなあ。これからもがんばってください。ではまた。

    作者からの返信

     あの映画をわかりにくくしているのは、人類の未来に対して楽観的なクラークと、悲観的なキューブリックが共同執筆しているためなんですよね。暴力的なシーンだけ観れば実にキューブリックらしい作品なんですけど、その間に人類の明るい未来を描くクラークのシーンが入るから変なことになっている。

     クラークはやりたいことをやり、キューブリックもやりたいことをやり、その矛盾を擦り合わせることなくそのまま提示したのがあの作品で、あれを理解しようとすれば、クラークのシーンとキューブリックのシーンを分けて考えたほうがいいです。

     基本的にあの作品が評価された理由は、主にクラークが監修した部分です。見事な宇宙ステーションや宇宙船内のシーン。
     キューブリックはクラークの作品に暴力を持ち込んで台無しにしたとも言えますが、キューブリックの狂気がなければあの映画は退屈極まりなかったでしょう。冒頭のシーンはかなり退屈ですが、クラークだけだったら延々あんな感じの映画になっていたはず。そのうえ善良な宇宙人が人類を善良に導く筋書きだったら本当につまらなかったでしょう。
     キューブリックがクラークの世界に暴力や狂気を持ち込んだからこそ、あの映画は観られたものになっているのも事実なのです。そもそもあの映画で一番言及されるのはHAL9000の狂気ですしね。

  • 興味深く読みました。
    進化=暴力による攻撃、という見方は気が付きませんでした。
    モノリスにまんまと操られた進化、と考えると、なんだか腑に落ちる気もします。

    投げられた骨→宇宙船、という有名なシーンは、それそのもののアイディアを映画に残したかったのかな、と思っています。

    隊員がポッドに衝突されて、宇宙空間に音もなく放り出されるシーンは思い出すだけで身震いします。
    音がしないからこそ怖い、んですよね。
    ボーマンの呼吸音と、HALの途切れ途切れの言葉の掛け合いも息が詰まりそうになります。

    作者からの返信

     人間の進化が暴力の進化だった、というメッセージ性は、キューブリック監督の作品を多く観ていると想像が付きます。『博士の異常な愛情』を制作した直後の作品でしたし、後には『フルメタルジャケット』なんかも制作していますからね。

     ただ、『2001年宇宙の旅』は、表面的にはキューブリックっぽくない、知的で穏やかな作品にも見えるので、見落とされがちでもあります。そのせいでHALだけが悪者と捉える人も多いんですよね。

     本当かどうかは知りませんが、骨の次に映される宇宙船は核弾頭を積んでいる設定で、脚本にはそれを説明するナレーションがあったらしいです。あの映画にナレーションは不要ですから、削ったの正解でしょう。おかげでわかりにくい映画になったわけですが。


     後半のHALと隊員達の殺し合いは、キューブリック監督が制作した映画の中でも最も残虐で恐ろしいシーンだと思います。彼は静かな恐怖を描くのが得意ですが、宇宙空間という舞台はその才能を活かすのに最適だったのでしょう。ホラー映画や戦争映画よりもSF映画を作った方が怖かった、というのが彼らしくてひねくれているところです。