応援コメント

D・カーネギー『道は開ける』『人を動かす』」への応援コメント


  •  こんにちは。私が就職活動していた頃(超氷河期)に、オリコンのブックランキングの上位を自己啓発本が占めていたのを覚えているので、本文を興味深く読ませて頂きました。その頃に流行っていた書名はあまり覚えていませんが、『七つの習慣』とか『脳内革命』とかが売れていたように記憶しています。私は不信の塊のような人間なので、こういった本は読まずに過ごしてしまいましたが、その後の人生のダメっぷりから判断しますと、一冊くらいなら読んでおけば良かったかなと、今では思うこともあります。

    「ギャンブルは止めた方がいい」「神なんて100%いないんだから、宗教なんて信じるな」「株やFX投資で億万長者になれる人なんて、宝くじ並みなんだから、投資にはのめり込まないように」「ガチャは法律で禁じろ」

     二十代の後半から三十代にかけて、(脳内では)こういった偏った主張を繰り返していました。知人などと話す際にも、こういった警句を冗談交じりに繰り出すことが多かったのですが、最近、ツイッターでとある方の主張を読みました。「自分から見れば、完全に間違っていると思える他人の行動があっても、その人がそれで幸福であると感じているのなら、余計な口を挟むべきではない」という感じの文章でした。もちろん、こちらは猜疑心の塊のような人間ですから、これに完全に同意したわけではないのですが、「なるほど」と思うところもありまして、それ以後は、たとえ、家族内の会話であっても、自分のつまらない主張を熱く語ることはなるべく控えるようになりました。もちろん、上の方の助言すらも、本当に正しいのかは誰にも分かりませんけどね。

    追記:銀と金は弟がコミックで集めていまして、彼の隙を見て愛読していました。ひとつ気になっていたのは、銀と別れた後の競馬の章で、賭けの相手が河野元外務大臣でしたっけ?(笑) あの賭けに勝って、みんなが集まってきて、「まだ、この仕事を続けるぜ」みたいなセリフで、その巻が終わっているのですが、この作品自体が、ここで完結というふうに捉えていいのですよね? 中途半端な結末なので、その辺がどうも分からず、大作が完結するときは大きく目立つ文字で『完』と記して欲しいなどと思ったものです。まあ、どんな終わり方でも、少年ジャンプの『幽霊小僧がやってきた』よりはマシですけど……。今後も応援しています。ではまた。

    作者からの返信

    『7つの習慣』については、新しく投稿した雑記で言及しています。
     私もあまのじゃくな性格なので、『7つの習慣』が流行していると知っていたら読まなかったかもしれません。
     ただ、高校から大学時代の私は、とりあえずくだらないと思ったものでも、まずは読んでから判断することを信条にしていました。なのでやはり読んだかもしれませんね。ただ、『脳内革命』は読んでいません。よく聞く書名だなとは思っていましたが、流行しているという認識がありませんでした。


     人に対して注意すべきかどうかについては、私は「注意したら言うことを聞くのか」と「仮に私の言うことを聞いたら本当にその人のためになるのか、あるいは私が望む結果を得られるのか」を基準に判断しています。

     ギャンブル中毒の人がいて、ギャンブルをやめさせることに何らかのメリットがあり、「ギャンブルをやめろ」と言ったらやめるのであれば、言った方がいいでしょう。
     しかし現実的に考えて、ギャンブル中毒の人に「やめろ」と言ったらやめるものでしょうか。普通はやめないでしょうし、うるさいことを言うこちらに対して敵対心を抱くでしょう。そうすればますます、こちらの言うことを聞かなくなります。目的が果たせないだけでなく、デメリットしかありません。
    「ギャンブルをやめろ」と言うことにメリットがあるとすれば、自分は正しいことを言っているという満足感に浸れる、ということです。私はそれが必ずしも悪いとは思いません。人には自分に酔いたいときがあるものです。論理的、客観的に見れば愚かしい行為ですが、人間は基本的に愚かな生き物だし、常に論理的に生きられるわけでもありません。しょうがないです。

     最近、高校生が電車でタバコを吸っている人に注意をして重傷を負わされる事件がありました。高校生は自分に正義があると思って注意したのでしょうけど、重要なのは行いの善悪や正邪ではなく、自分の注意の仕方で本当にその人を説得できるのか、であることを失念していたのだと思います。
     正しい行いをしている人ほど、自身の方法の正しさについて考慮するのを忘れがちです。あれは他人事ではない事件だったと思いますね。


    「本人が幸せだったら、明らかに間違っていることをしていても口を出すべきではない」かどうかは、責任や打算の問題だと思います。放っておくのと、口を出すの、それぞれのメリットとデメリットを天秤にかけて、どちらが得か、ということでしょう。
     相手が現状に幸せを感じているかどうかは、はっきり言えばどうでもいいことです。重要なのは、説得する必要があるかないか、説得できる見込みがあるかないか、ということ。相手が幸福かどうかは、説得の難度に影響するだけです。現状に満足し、幸せだと思っている人を説得するのは困難だ、というだけ。

     これは以前の雑記でも触れた、柳沢きみおの『大市民』の一幕ですが、主人公の山形は、宿屋の主人から一人娘の真子が都会暮らしをする際に面倒をみてくれと頼まれ、引き受けました。
     その後、真子は失恋したのをきっかけに新興宗教に入信してしまうのですが、山形は真子を説得しようとしませんでした。その理由が要するに、「本人が幸せだったら、間違ったことをしていても口を出すべきではない」ということです。
     私はこの説には到底賛成できません。その人を説得すべきかどうかは、本人が現状を幸せに思っているかどうかなどとは何の関係もありません。自分が救うべき人、救いたい人がいて、実際に救える力があるなら、相手がどう思っていようが、どう思われようが救うべきです。救わないのであれば、はっきり言えばいい。「私には彼女を救う力がない」もしくは「私は彼女がどうなろうが知ったことではない」と。「本人が幸せだったらそれでいい」というのは、自分の判断の責任を相手に押しつけるための方便です。

     一方で、よく知らない人が新興宗教に入信したとして、それをやめさせるべきか、ということなら、別に放っておいてもいいんじゃない? と思います。やめさせたいと思い、実際にやめさせる方法を持っているならやってもいいけど、やるかやらないかは自由でしょう。

     つまり、口を出すかどうかは、自分の気持ちや責任、実力、メリットとデメリットの兼ね合いです。相手の幸福感は問題じゃない。


    『銀と金』は、あれで終わっています。私も「あ? 本当にこれで終わり?」と思って、12巻や第二章や新章や外伝が本当にないのか何度も確認しました。森田がいなくなっても充分面白かったから、あそこで終わるのは残念でした。どう見ても小沢一郎な人や、どう見ても河野洋平な人が出てくるのも面白かったですし。
     裏が取れた話ではないですが、あの漫画は一応休載という形にして、いずれ機があれば再開できるような形にしたかったらしいですね。しかし、再開することはないまま今に至っています。
     この話の真偽は不明ですが、『賭博覇王伝 零』も休載のまま10年ほど再開していませんから、ありえる話だと思います。

     今の福本は『銀と金』のようなテイストの漫画を描ける人ではなくなっていますから、むしろもう再開しないで欲しいですね。それに、今となっては実在する政治家のそっくりさんを地獄に突き落とす漫画は描けないでしょう。

  • >固い床はベッドよりもくつろぐのに適しているらしい。

    なかなか、目から鱗、でした。
    そして、涼格さんも実践しておられるのがびっくり。

    >むしろ、布団やベッドで寝なければならないという観念が、人を不眠症にする…
    というお考えも一理ありますね。

    私は、硬いところで寝てしまうと、体のあちこちに痛みを感じるので向いていないかもしれません。
    おかげさまで、寝つきも目覚めもいい方です。
    しかも、枕はずっと高枕だったんですが、どうも、頚椎症発症の原因になったかもしれないので、やむなく、低めの枕に無理やり変えて慣れたところです。
    高枕は、圧を感じられて、それが、ストレッチ効果を生んでいたと思っているんですけどね。

    それにしても、1930年代や40年代の啓発本、だなんてすごいですね!
    古いからと言って馬鹿にできない情報がありそうです。

    作者からの返信

     この本は自己啓発本のはしりと言われ、この本の内容の多くは現代の自己啓発本でも書かれています。
     しかし、固い床で寝る方がリラックスできるなんて書いてある自己啓発本は読んだことがないです。なかなかユニーク。なぜ他の自己啓発本はここに触れないのでしょう。馬鹿馬鹿しいと思ったのか。しかし、どうやって疲れを癒やすかは、確かに重要なことだと思います。

     私が床で寝るようになったのは、書いてある通り、力尽きて布団に入る前に寝てしまうことが多かったからでもありますが、背骨の矯正のために床で寝る方法があるらしいと聞いたこともあります。私はよく寝違えていて、もっといい布団を買うべきなのかと思っていたのですが、床なら金をかけずに試せるし、一度やってもいいなと思ったのが始まりでした。そうしたら案外うまくいきました。

     ここで重要なのは、固い床に寝ろ、ということではなくて、人間にとって布団やベッドが一番の寝床だという固定観念から解放されることだと思います。最も快適に寝られる環境は人それぞれで、布団やベッドだけが唯一の選択肢ではない、ということ。常識に囚われずにいろいろ試してみると、よりよい方法が見つかるかもしれません。もちろん、布団で寝るのが合っている人は布団でいいんです。

     私は枕なしでは寝られないと思い込んでいたので、床に枕なしで寝るのは最初は違和感があったのですが、続けていると慣れてくるもので、今では何の不都合もありません。