D・カーネギー『道は開ける』『人を動かす』

 家の掃除をしていたら、D・カーネギーの『道は開ける』と『人を動かす』を見つけた。私が買ったものではない。母親のもの。


 私の母親は自己啓発本をよく読んでいた。しかし、書かれていることを実践しようとしたことはなかった。私はなぜ実践しようとしないのか尋ねた。すると、こう言った。「周りの人があの本を読んで実践してくれたらいいのに」と。

 私はこのとき、いくら本を読んでも学ぶことのできない人間が実在することを知った。


 D・カーネギーの本は読んだことがなかったが、ざっと目を通したところ、書かれてあることはいろんな自己啓発本に書かれてあるものと大差なかった。

 ただし、『人を動かす』は1936年初版、『道は開ける』は1944年初版。つまり、自己啓発本の多くはカーネギーの著作の影響を受けている、ということである。内容が似通っていても不思議ではない。


 なお、ネットの情報では、『人を動かす』の初版を1937年しているものや、『道は開ける』の初版を1948年としているものがある。

 しかし、私の手元にある創元社のハードカバー本に記載された権利表記によると、36年、44年初版が正しいようである。

 この権利表記によると、『道は開ける』は44年から48年まで毎年改訂を行っていたようで、48年版が本人による最終改訂版らしい。これを初版と間違えたのではないかと思う。



『道は開ける』は、悩みを解決するための本。おおざっぱに言うと「余計な心配はするな」という内容になっている。過去のことや未来のことを心配するのは意味がない。そんな暇があったら今、自分に何ができるかを考えて手を動かせ、ということ。


 あとは、他者の批判や中傷をどうかわすかとか、疲労をどう回復するかなどへの言及もある。書かれてあることはほぼ当たり前のことで、だけど案外実践できていない人が多いことでもある。

 この本に書かれてあることは実践しやすいし、ほとんどは実践した方がいい内容だと思う。


 本にも書かれているが、「余計な心配はするな」というのは、過去や未来のことを全く考えるな、という意味ではない。過去から学び、未来に備えることは当然大事。過去のことを悔やんだり、未来を思い悩んだりすることは無駄だし無意味だ、ということである。

 たとえば、明日台風が来るとする。台風が来たらどうしようと心配するのは、精神を消耗するだけで何の役にも立たない。そうではなく、今できることをする。庭を片付けたり、雨戸を閉めたり、台風の来ない地域に逃げたり。やれることをやったら、そのことについてはもう悩まない。そういうこと。


 なお、この本に書かれてあることは、自分が幸せになるための原則。だから「他者を批判するな」とあるわけだが、損を承知で批判しなければならないこともある。自分の幸せだけを考えるなら誰も批判しない方が楽ではあるが、忠臣とは主君にあえて耳の痛い助言をするものなのである。


 ただ、なんでもかんでも正論を吐けばいいというものでもない。『三国志』において、曹操は優秀な参謀を多数抱えていたが、荀彧は曹操に「我が子房(前漢の高祖、劉邦の名参謀、張良のこと)」とまで言わしめて重用されていたのに、曹操が漢王朝をないがしろにしていることを批判したことで自殺に追い込まれたし、楊修は常に鼻につく正論を吐き続けたせいで処刑された。

 一方、程昱は、歯に衣着せぬ物言いをする男であったが、人を見る目があり、自分の主君がどこまでなら許し、どこからは腹を立てるかを見抜いていた。そのため重要な家臣として仕え続けたわけだが、自身の貢献度が高くなりすぎたことを察知するとあっさり引退した。

 曹操は荀彧を張良になぞらえたが、実際は程昱の方が張良に似ている。張良も劉邦の天下取りに多大な貢献をしながら、わずかな土地をもらっただけで引退してしまった。そして二人とも、息子の代になって再びその智恵を求められて復職するのである。

『三国志演義』では程昱は、徐庶の母親を人質に取ったりする非道な悪役として描かれることが多いが、実際は三国時代きっての名参謀だったと言っていい。


 なお、程昱は悪役として描かれる一方、変なところで見せ場も作られている。程昱は袁紹に止めを刺す際に十面埋伏の計を仕掛けるが、これは劉邦の大元帥、韓信が、項羽を垓下で葬ったときの計略のオマージュとなっている。項羽は『三国志』で言うところの呂布の賢い版。戦えば無敵なうえに、頭もいいから始末に負えない。つまり、伝説の大元帥が、当時無敵だった項羽を仕留めた際に用いた必殺技を繰り出す人物として描かれているわけである。もちろんこれはフィクション。


 ちょっと変わったところでは、この本では不眠症対策についても言及されている。書かれてある内容は原則としては同じで、不眠症について悩まないことが一番とされる。あとは、たくさん運動すれば勝手に眠くなるし、眠れないならいっそ起きていて、その時間を有効活用した方がいいとある。

 これは私の考え方と同じ。私は眠くなるまで無理に寝ないから、寝る時間帯はめちゃくちゃである。ただ、普段寝ている時間帯にどうしても起きていないといけない場合は、とりあえず寝転んで目を閉じる。これは『ゴルゴ13』の「白龍昇り立つ」でゴルゴ13が言っていたことの実践。ゴルゴ13はこの回で「眠れなくても目を閉じれば体力は回復する」といったことを言っていた。


 あと、ちょっと面白かったのは、疲れたときは床に横たわれとあったこと。固い床はベッドよりもくつろぐのに適しているらしい。

 これは私の実感と合致している。私はもう長いこと床で寝ている。

 私は眠くなるまで活動すると書いたが、そうするとだいたい最後は床に倒れ込むようにして寝てしまう。そのうち布団に入って寝ることが少なくなってきたので、だったらもう布団とかベッドとかいらないだろと思い、部屋から撤去した。夏は何もなしで、冬は毛布をかけて寝る。

 堅い床の上で寝ると寝違えたりしないのかな、と思っていたが、むしろ、床で寝るようになってからの方が寝違えなくなった。

 枕もなし。以前は枕だけは使っていたが、そのうちない方がいいと感じるようになった。ただ、足には何かクッションがあった方がいい気はする。


 私は長いこと、人は布団やベッドの上で寝るべきだと思い込んでいた。しかし、その慣習には特に意味はなかったのである。人は眠くなればどんなところでも寝られる。そして、布団やベッドが最適な寝床とは限らない。むしろ、布団やベッドで寝なければならないという観念が、人を不眠症にするのではないかと思う。布団やベッドに入ると、寝なければならないという脅迫観念が芽生えてかえって寝られなくなるのである。


 なお、私は板間の床に断熱用のアルミシートとポリエチレン製のフロアマットを敷いている。板の間に直に寝ると床から体温を奪われるので、特に冬はよろしくない。床に寝る場合は、床と身体の間に断熱材は噛ませた方がいい。



『人を動かす』は、他者の説得法について書かれた本。こちらも内容はベーシックだが、それだけに実践しやすい内容になっている。

 ただ、こちらは自分だけの問題ではなく、他者が絡んでくるので、この本の内容を実践しても必ず成果があるとは限らない。


 おおざっぱには、相手を説得したいなら、相手の話をよく聞き、相手の立場になって考え、相手のことを肯定し、その上でどうすれば相手がこちらの思惑通りに動きたくなるかを考えることになる。


 これは、福本伸行『銀と金』で、銀二が言っていた籠絡の極意とほぼ同じ。


「人は皆……称賛を求めている。求めているが、たいていの人間はそれを充分に受けていない。(中略)オレは……そんな彼等の鬱積した気持ちを開いてやるんだ……!」

「オレは彼らに繰り返し繰り返し話すだろう……彼等のその実績、実力について(中略)認め、称賛する……」

「籠絡の決め手は、彼らがこう理解してほしいという『思い』のとおりに彼らを理解してやることだ。ころぶよ……オレはこのやり方で、もう百人以上……あらゆる階層の人間を落としてきた……」

(福本伸行『銀と金』第10巻 双葉社)


 そしてこれは奇しくも、私が中学生だかのときに道端で拾った『アクションピザッツ』で読んだ回なのである。


 ただ、この説得法は常に効くわけではない。一定の条件が整っている必要がある。世の中にはぶん殴ったり脅したりして言うことを聞かせるしかないこともあるし、説得が無理なこともある。きれいごとだけでは済まないこともある。

 褒めるのが逆効果になることもある。たいがいの人間は称賛を渇望しているが、渇望しているが故に、それを与えられることに警戒心を抱く人もいる。こんなに簡単に渇望するものをくれるのはおかしいと。

 なので、この本を読んで実践するだけで誰でもいつでも説得できると考えるべきではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る