ロスタイムの終わり

 文化祭も、もうすぐ終わる。というか、もう終わった人も多いだろう。今は後夜祭。さっきまでカラオケ大会が行われてて、今はグラウンドのど真ん中でキャンプファイヤーが焚かれている。これから、この周りでフォークダンスを踊るのだ。


 フォークダンスは、この学園において1,2を争う告白イベントだ。あちこちで異性に踊りを申し込む姿が見られた。で、それを見てるだけで緊張している我が親友も、さっきまで春風さんを踊りに誘うんだと息巻いてたわけだが。


 当然、踊りを断られることもあるわけである。他人のそういう場面を目撃するたび、大助の顔色は悪くなっていった。そして終いには、


「ねえ、また今度でもいいんじゃないかな。告白って、しようと思えばいつでもできるわけだし……」


 とか腑抜けたことを言い出した。


「おまえ、今日みたいにアホほど告白のお膳立てされた状況で告白できなくて、他のタイミングでも告白できるだなんて本気で思ってるのか?」

「うっ。それは確かに……」

「それに……」


 ぼくは、今じゃなきゃダメなんだよ。今じゃなきゃ、ぼくはもうお前が片思いを成就させる瞬間を、もう見られないんだよ。口に出すわけにもいかず、ぼくは心の中でそう叫んだ。


「大事なところで逃げたら、これからもずっと逃げるようになる。おまえが春風さんに言ったくせに、おまえが春風さんから逃げてどうすんだよ」

「そう……だね。そうだった」


 大助は大きく息を吐いて、気合を入れるように頬を叩いた。


「じゃあ、行ってくるよ」


 と言ったくせに、一向に動く気配がない。


「なんだ。まだビビってるのか?」

「いや、そうじゃないんだけど……。なんていうか」


 大助ははっきりしない言い方をして、頬を掻いた。


「佐藤くん。文化祭の出し物決めの時ぼくを推薦してくれてありがとう」


 いきなり真面目くさってそんなことを言うものだから背中がゾワッとむず痒くなった。


「なんだよいきなり……。まあ、背中を押すのは親友の役目ってやつだからな。気にするな」

「告白する前に、ちゃんと伝えてこうと思ってさ。あと君は、ぼくからすると優しく背中を押すっていうより、崖から叩き落とすって感じだったよ」


 大助はそう苦笑いした。


 おおげさなやつだ。せいぜいちょっと背中に火をつけられたくらいのもんだろうに。


「じゃあ、今度こそ行ってくる!」「どこ行こうとしてんのか知らないけど、渚なら今あっちでわたしのこと待ってるわよ」


 気合を込めた大助の声に、どこからともなく現れた七瀬が割り込んできた。


 七瀬が指差す先に、劇を見た人や、クラスメイトから度々声をかけれられながらキョロキョロと周りを見渡す春風さんを発見した。


「まったく、先に約束しとくとかあるでしょ。渚が他の人に誘われたらとか考えなかったわけ?」


 どうやら七瀬が気を回してくれたらしい。コミケの時、二人をくっつけるのに協力してくれというお願いは、まだ有効のようだ。


「あ、ありがとう七瀬さん。助かったよ。あ、そういえば、さっき小川さんが七瀬さんのこと探してたけど、ここにいるってグループチャットで教え」「余計なことしなくていいからさっさと行きなさい」

「う、うん。わかったよ」


 すごい剣幕で睨まれて、大助は手に構えていたスマホをポケットへと仕舞った。


 今の時間、特定の誰かを探すとなれば、理由は踊りを申し込むくらいなものだ。大方、七瀬はそれが恥ずかしくて小川さんから逃げているに違いない。


「じゃ、じゃあ行ってくるね」と手を振って、大助は春風さんの方へ駆けていった。なんだか締まらない感じの見送りになってしまったな。


 そんなふうに思っていると、七瀬は大助と入れ替わるようにして、ぼくの隣に腰掛けた。なぜ座るのか。


「あんたが邪魔しに行かないように監視してんのよ」


 顔に出ていたのか、ぼくの口に出さない疑問に七瀬はそう答えた。


「するわけないだろ」

「どうだか。ここからでも見えると思うから、おとなしく座ってなさい」


 七瀬の言う通り、ここからでも二人の姿は確認できた。


「小川さん、放置してていいのか?」

「雪、劇の影響か結構女の子から踊ってほしいって申し込まれてんのよ。でもあの子、わたしと話す時は素に戻っちゃうでしょ?」


 そういえばそうだった。


「つまり小川さんの素がバレないようにって配慮か」


 七瀬なりに気を遣えるんだなあと感心していると、「そうじゃないわよ」とぼくの予想はバッサリと否定された。


「あの子、クラスメイトとか、仲の良くなった子には自分がランドール様みたいにかっこよくなれるように頑張ってるとか全部話したみたいよ。劇の練習休んでたホントの理由とか。もう結構広まってるみたい。もう自分の素のこと、隠す気ないんだってさ」

「……それって大丈夫そうなのか?劇の練習を休んでた理由を正直に話すと、結構ヤバそうだけど。林さんの件とかあったしさ」


 実際は練習に参加できた日もあったわけだし。それを休んでいたというのがバレるのはどうなのだろう。と、ぼくは眉をひそめた。


「大丈夫なんじゃない?読モの仕事が入ってて練習に参加できない日が多かったってのは本当なわけだし。それにあの子、わたし達と特訓始める前から家で台本を覚える練習だけはちゃんとやってたじゃない。そのことはわたしからそれとなくみんなに伝えといたしね」


「ま、林さんとは今でも仲が良さそうだから。それってそういうことなんでしょ?」と付け加えて、七瀬は嬉しそうに頬を緩めた。


 ああ、なるほど。それは確かにそういうことなのだろう。さっきから七瀬がまるで心配なんてしてないみたいな軽い口調で話している理由がわかった。


「ん?じゃあ別におまえが小川さんと一緒に居ても別に問題ないんじゃないのか?」

「それはほら、雪に群がってきた女子たちが求めてるのは素のあの子じゃなくて、スカした方なわけでしょ?わたしのせいで素になったら申し訳ないじゃない。」


 スカしたは悪口だろ……。


「あと火の近くだと肌が乾燥するし。だから適当に撒いてきたってわけ」

「なるほどな……」


 ぼくはうんうんと頷いた。


「で、今までの一連の話は小川さんと踊るのが恥ずかしいゆえの言い訳ってことでよろしいか?」


 そう続けると、七瀬は「違うわよ!」と歯をむき出しにして吠えた。ぼくは血に飢えた獣が落ち着くまで、静かに時が過ぎるのを待つ。


 ようやく七瀬の威嚇が解かれたころ、グラウンドの方では大助と春風さんが会話を交わしていた。今日の劇のことでも話しているのだろうか。告白のタイミングを見計らいすぎて、失わなきゃいいが。


「なあ、告白、うまくいくと思うか?」

「今なら、成功するんじゃない?」


 まださっきの件を根に持っているのか、いかにも不機嫌そうな七瀬は、吐き捨てるようにそう答えた。


「そういえばおまえさ、コミケの時も春風さんが大助に脈アリみたいな反応してたけど、なんでなんだ?」

「……ま、いっか」


 七瀬はぼくの顔をじっとりと半目で眺めてそうつぶやいた。


「あの子って綺麗じゃない」

「まあ、たしかに」


 七瀬の友達びいきというわけでもなく、彼女を見た10人中10人、容姿が平均より良いと判定を下すことだろう。


「あの子さ、中学の時にも、今みたいに劇の主役に推薦されたことがあるの」


 なんとなくその光景は想像がついた。その頃には、もう女優になりたいという隠れみのを使っていたのだろうか。


「その時は、推薦したい人とその理由を、紙に書いて投票したの。ふざけた回答が出ないように、名前入りで。で、先生がそれを一枚ずつ名前と一緒に読み上げる感じだったのね」

「ふーん」

「その時、みんなが可愛いからとか、そういう理由で推薦する中で、西宮だけは、声が綺麗だからって書いてたんだって」

「声が綺麗、か。なるほどな……」

 そのセリフは、聴き覚えがあった。だからあの時春風さんは、「ちゃんと知ってるよ」なんて含みのある言い方をしたのかと腑に落ちた。


「声優を目指してたあの子は、唯一自分の声を褒めてくれた西宮をあっさり好きになっちゃったってわけ。本当単純よね」


 七瀬は呆れたように笑った。たしかに単純この上ない。でも、


「……人を好きになるきっかけなんて、案外その程度なんだろうな」


 大助の方も一目惚れって言っていたし、誰かを好きになるのに、劇的な瞬間なんて必要ないということだろう。


「ま、渚は隠し事とか引け目とか色々あったから、文化祭が始まる前だったら例え告白されても、うまくいってなかったんじゃない?けど、今は違う。だから成功するんじゃないって話」


 吐き捨てるように言った割には、結構考えた上での答えだったらしい。


 というか、七瀬の話が本当だとするのなら、あいつらは随分と前から両思いだったってことにならないか?そのくせして、今まで一体なにしてきたのだと、なんだかムカムカしてきた。なんてめんどくさいやつらなんだ。


「つーか、春風さんのプライバシーをそんなに赤裸々に話してもいいのかよ」


 ぼくがコミケで聞いたときははぐらかしたくせに。


「あんたが誰にも話さなければ問題ない」

「もしかして案外信頼されてたりする?」

「自分の腕っぷしと、あんたがチキン野郎ってところには信頼を置いてる」

「そんなことだろうと思ったよ」


 ぼくは一瞬でも信頼されてるかもと期待した自分の愚かさを呪った。


「……運命ってあんのかしらね」


 七瀬は話している春風と大助を眺めながら、ぽつりとそう呟いた。


「あるらしいぞ」


 運命というには、随分と効力の薄いもんみたいだけどさ。


「なによ。知ったような口ぶりして」


 七瀬は胡散臭いものをみるようなじっとりした目でぼくを睨んだ。


「……この前占い師が言ってた」

「そんなの信じるなんてバッカじゃないの?」


 適当にそうごまかすと、七瀬は心底馬鹿にするような顔でぼくを嘲った。


「ん?」


 大助たちの方に動きがあった。


「お、誘ってるぞって……」


 どうやら、踊りを申し込んだのは、春風さんの方のようだった。大助の方へ、うつむきながら手を差し出している。大助がロボットみたいにぎこちない動きで、その手をにぎる。そして、両者は顔を真っ赤にしながら、踊りの輪へと加わった。

 普通誘うのはおまえの方からだろ……。なんとも締まらないというか、大助らしいというか。


「あの二人、初々しすぎて見てるこっちが恥ずかしくなってくるわね」

「そうか?この前おまえと小川さんが名前で呼びあって、握手してた時もちょうどあんな感じだったけどな」

「あのときのことは忘れなさい」


 ぼくの指摘に、七瀬はすごい剣幕で胸元をつかんできた。キャンプファイヤーの火に負けないくらい顔が真っ赤だ。


「あのさ、七瀬」

「なによ」

「あのつるつるした頭なでてみてもいい?」


 七瀬の振りかぶった肘が、みぞおちへと突き刺さった。


「死ね」


 またまたこれ以上ないシンプルな罵倒である。


 まったく、余命あと数十分の人間になんて仕打ちをするんだ。地獄に落ちるぞ。


 ……頭のことをネタにしてみても、どうやら平気そうだった。トラウマやコンプレックスがそう簡単に消えるとは思わないが……こいつは本当に強いやつだ。


 ぼくが温かい視線を送ると、七瀬は「なによ、気持ちわる」と身をよじらせた。


「あ、七瀬さん!こんなところに居たんですね!」

「げっ」


 小川さんの声に、七瀬は潰れたカエルみたいな声を漏らした。


「雪、なんでここがわかったのよ」

「佐藤さんがチャットで教えてくれたんですよ。ここにいるって」

「あんたか!」


 七瀬の今にも殴りかかろうと振りかぶられた拳はしかし、小川さんに掴まれた。「ほらぼたんさん、踊りましょう!」


 そのまま手を引かれて、七瀬はキャンプファイヤーの方へと引っ張っられていった。


 七瀬はこちらを振り返りながら、しばらく恨みがましい視線を送ってきた。ぼくは肩をすくめ、できる最大限の相手をイラつかせることだけに特化した顔芸を披露してやった。それを見て七瀬が、小川さんに手を引かれながら暴れ狂った。



「……独りになってよかったのか?最後くらい、誰かと一緒に居たいものだろう?」


 閻魔ちゃんが姿を現して、ぽつんと残されたぼくにそう問いかけた。


「まあ、猫は死期を悟ると一人になるっていうじゃないか」

「佐藤さんはそんな可愛い生き物でもないですけどね」


 青鬼さん。死ぬ時は一人になるものってことの例えとして使ったんのだから、そこにツッコまなくたっていいじゃないか。


「……随分と長い、人生のロスタイムだったよ」


 すべてを終え、伸びをしながらしみじみとつぶやく。


 文化祭も成功して、ふたりもくっついて。もう後悔なんてありゃしない。ぼくはやりきったのだ!


 ……そう自分に言い聞かせるけど、なぜか生暖かいものが頬を伝っていく。


「……なるほど。一人になりたいわけだ。青鬼」「……はい」


 閻魔ちゃんが納得したようにそうつぶやいて、青鬼さんと共に姿を消した。


 きっと、消えただけでそこにいるのはわかっている。でももう堪えられなくなったぼくは、嗚咽を漏らしながら情けなく泣いた。


 後悔がないなんて嘘だ。本当はもっと。これからもずっと、このままみんなと一緒に生き続けたかった。カップルになった大助と春風さんの初々しいやり取りにちょっかいを入れたかった。クラスに溶けこんで、毒舌を披露する七瀬を見てみたかった。そんな七瀬といちゃいちゃする小川さんの百合ワールドも、全部全部、みんなの側でずっと見ていたかった。

 でも、もう終わりなのだ。そう思うとどうしても涙が次から次に溢れていく。


 しばらくの間、フォークダンスの陽気な曲をBGMにして、ぼくは泣き続けた。


 そして久々にあの耳鳴りと頭痛がぼくを襲って、長い人生のロスタイムに終わりを告げたのだった。

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