そう、それは例えるならチワワ

 痛む頭を押さえながらなんとか時計を確認すると、まだ六時だった。同じ時間に戻したということは、前回ぼくは二時間以上も頭痛でダウンしていたことになる。……やばすぎるだろ時空間移動。


「なあ、この頭痛と耳鳴り、過去に戻る度に経験しなきゃなんねーの?」

「だんだんと慣れていき、5,6回目からなにも感じなくなるというデータがあるから安心しろ」


 と閻魔ちゃんが答えた。


「むしろ怖えよ……」


 幸か不幸か、あと一回しかやり直せないぼくはその境地に達することはまずないのだが。



 今度は遅刻することもなく学校に登校し、昼休みとなった。


「おまえ、まだ声をかけないのか」


未だ大助に接触できてないぼくを見て、閻魔ちゃんが呆れたようにため息をついた。


「うるさい。友達だったからこそ、友達じゃないあいつにどう声をかけたらいいのかわからないんだよ」

「なら友達になったときのことでも思い出せばいいだろうに」


 閻魔ちゃんの珍しくまっとうな意見に、そういえば、なんで友達になったんだったかと思い返してみる。席が隣ということもあった。ふたりとも昼休みに一緒に飯を食べる友達もいなくて必然的に隣同士で一緒に食べるようになった。みたいなしょうもないことがきっかけだったと思う。つまりまったく参考にできない。


 つーかあいつ、さっきからポチポチポチポチと休憩時間や授業の合間、ずっとスマホをいじってる。そういえば、当時もよく暇があったらスマホいじってたなと思い出す。それもいっつも、ゲームをやってるって感じの手の動きじゃなくて……。ああ、ポチポチと一心不乱にスマホを操作する大助の姿に、ぼくは一つ思い当たることがあった。


「閻魔ちゃんさ、言ったじゃん。大助が好きな人に告白しなかったこと、ずっと後悔しつづけるって」

「なんだ?ようやく罪の意識でも芽生えたか?」

「いや、そのことについては別に」

「おまえ、仮にも親友だったのに薄情すぎないか」


 閻魔ちゃんが若干引いたような目を向けてきた。


 なにが薄情なものか。ちゃんと勇気を出さなかったあいつが悪い。だからぼくのせいじゃない。


「あいつ、他にもずっと後悔してることあるんだよ」

「ほう」

「ぼくも死ぬ直前くらいに知ったんだけどさ、あいつ小さい頃から小説家になりたかったんだってよ。そんで、自分の作品が映像化されるのが夢だったらしい」


 ぼくがそのことを知ったのも、久しぶりに飲みに行って、あいつがよっぱらっていたときのことだった。


 それまで小説を書いてるだなんて、親友であると自負しているぼくでさえ微塵も知らなかった。本人も誰にも言ったことがないって言ってたし。


「うむ、それは私も知ってるぞ」

「なんで知ってんだよ……。いや、ぼくが知ってるってことはおまえも知ってるのか」


 お酒の力もあるにはしろ、あいつが自分にだけ話してくれたことを別のやつにも知られているというのはなんだか釈然としない気分だった。


「それ以前に、担当になった人間の関係者の資料にも目を通してるのでな」


 つまり大助も頭の中を覗かれたということか。かわいそうに……。


「あいつ、小説は何作も書いてたらしいんだけど、自信がなくて、一度も日の当たる場所に出したことがなかったんだってよ」

「資料を読んだが、告白の判断を人に任せるところといい、まったくとんだ腑抜け者だな」

「それには同意だけど、おまえが言うとなんかむかつく」

「理不尽なことを言うやつだ……」

「閻魔大王様がムカつくという佐藤さんの気持ちは十二分に理解できますけどね」

「ふああ!」


 例のごとく、なんの前触れもなく青鬼さんが机の上に現れて、変な悲鳴をあげてしまう。クラス中の視線が一瞬こちらへ向いた。


「青鬼まさかお前また……」「閻魔大王様に報告しに言っていましたがなにか?」

「う、うむ……。そのな。わたしの行いを、ちょっとだけいい感じに伝えてほしいなって」

「虚偽の報告を促そうとした、と。これも報告しておきますね」


 君たち、上司と部下の上下関係逆転してやしないかい? 縮こまる閻魔ちゃんを見てぼくはそう思った。


「それで、なんの話をしていたんですか?」

「青鬼、おまえ、なんの話かもわからないのに、わたしのことをムカつくと言っていたこいつに共感していたのか……」


 閻魔ちゃんがしょんぼりとうなだれた。


「いや大助がさ、ちょっと前、つまり三十歳のころ一番最初に書いた小説を思い切って賞に応募したら、受賞したらしいんです。それで、もっと早く勇気を出して応募しとけばよかった、自分はもうこんなおっさんだって酒飲んでたときに泣いてまして」


 そういえばあの時、なんでぼくには勇気がないのか、勇気があればあのときだって……とか色々言ってたけど、あれは大助の想い人、春風渚さんへの告白のことだったのかもしれない。


「なるほど。ですがなぜ今そんな話を?」


青鬼さんは首をかしげた。


「いやあいつ、学生時代から暇があったらずっとスマホをポチポチと弄ってたんですよ。ほら今も。あれって、当時は何やってんのかわからなかったけど、小説を書いてたんじゃないかなって思って」

「ああ、なるほど。まあ私たちはあなたが知らないことを教えることはできないことになってますから、答えることはできませんけど」

「別にいいですよ。自分で確かめるんで」


 ぼくは立ち上がって、大助の後ろへと歩いていく。大助はスマホの画面を食い入るように見ていて、ぼくに気づく気配はないようだ。手元を覗く。そこにはぼくの予想通り、大助の入力とともにどんどん増えていく文章の山があった。


「これって小説書いてんの?」

「えっ!?」


 ぼくが声をかけると、大助は慌てた様子でスマホの画面を暗くして、バッとこっちを振り向いた。


「いや、えっと、こ、これは違くて」


 額から汗を吹き出して、見事なまでの慌てっぷりだった。きっと今、頭の中ではぼくにどう言い訳するかでいっぱいのことだろう。


「今書いてるってことは、それは完結してないんだろ?他にもなんか書いてんの?」

「ちょ、ちょっとこっち来て!」


 大助は声を上擦らせながらぼくの腕を掴むと、教室の外へと連れていく。そのまま隣の棟、化学室前のトイレに入って、ようやく手がほどかれた。


「随分遠くまで連れてくるんだな」

「特別棟のトイレはほ、ほとんど誰も使わないから」

「そういう内緒話の定番は屋上だと思ってた」

「うちの屋上は花壇があって、ベンチもある快適なところだから、人気スポットじゃないか。僕らみたいのは近づけやしないよ」


 ぼくのなにげない疑問に、大助がそう答えた。そうなのか。卒業まで一度も行った記憶がないから知らなかったな。


「ぶふ。おまえ、さらっとぼく「ら」みたいのって一括にされてるじゃないか。まあ間違ってないがな!」


 前触れ無く空中に現れた閻魔ちゃんが、小馬鹿にするようにぼくを指差してゲラゲラと笑った。目尻に涙を浮かべるほどの大爆笑だった。


「ほっとけ!」

「うわ、どうしたの急に叫んで」


 思わず叫んでしまい、大声に驚いた大助がビクッとはねた。


 なにが、なにか伝えたいことがあるときだけ姿を現すだ。どうでもいいことを言うためだけに現れやがって。アドバイスをしろアドバイスを!


「ほ、ホットケーキが食べたいなーって唐突に思ってさ」

「べ、弁当持ってくればよかったね。貴重な昼休みだったのに、急に連れ出しちゃってごめん」


 自分の口から咄嗟に出てきたそれはないだろって言い訳にも驚いたが、それに納得する大助にも驚きである。


「いや、ぼくがおまえのスマホを後ろから覗いちゃったのが原因なんだろ?偶然とはいえ、悪かったな」

「こいつ、白々しく偶然などと言っているがどう思う青鬼よ」

「アレはあきらかに故意でしたね。よくもまあこう堂々と嘘をつけるものです。心が傷まないのでしょうか」


 今君ら鬼二人にチクチクされて絶賛心が痛んでるよ。これで満足か。


「そ、それでね。さっき見たと思うんだけど、ぼく実は小説書いてるんだ。でも、そのことを他の人に知られたくないっていうか……その、わかるでしょ?」


 わかるでしょ?と言われても正直まったくわからない。


「そういうの、バカにするような人もいるからさ。藤堂くんとか、佐々木くんとか、長瀬さんとか。あんまりそういうの好きじゃないみたいだし」

「そんなこと気にしなくても、おまえはすでにクラスで結構浮いてる方だと思うけどな」


 ぼくがそう指摘すると大助は「うっ」と顔を歪めた。


「まあその通りではあるけど、君って結構ひどいことを平然と言うんだね……。と、とにかく知られないようにしたいんだって!」

「安心しろ。そもそも漏らすような親密な仲のやつは一人もいないから」

「そうなんだ。ぼくと一緒だね!」


 大助は嬉しそうににっこりと笑った。こんなに嬉しくない共感もそうそう無いだろう。


「なんだか犬みたいなやつだな」「チワワっぽいですね」


 それを見た鬼たちが失礼な感想をつぶやく。まあ、言いたいことはわからなくもない。


「たださ、その代わりって言ったらなんだけど、ぼくの方もお願いがあるんだ。別に嫌なら断ってもいいし、断ったら秘密をバラすってわけでもないんだけど……」

「な、なに?」


 ぼくがそう切り出すと大助は笑顔から一転して、怯えた表情で体をプルプルと震えさせた。脅迫ではなく、願いと言っているのに失礼なやつだ。


「たしかにチワワっぽいな」「やっぱりチワワですよ」


 外野は気が散るので黙っていてほしい。願わくば消えてほしい。


「おまえの書いた小説、ぼくに読ませてくれよ」

「む,ムリムリムリムリ、ムリだよ!ぼくが書いた作品をひ、人に見せるだなんてそんな。とにかく絶対読ませないからね!」


 ぼくの提案に、大助は両手のひらをこちらに向けて完全拒絶の姿勢を取った。がしかし、ぼくの熱意ある説得という名のゴリ押しの結果、ものの数分で彼は首を縦に振ることとなった。昔から押しに弱かったからな。ちょろいもんである。


 ぼくはその後、放課後に大助の家で小説を読ませてもらう約束を取り付けたのだった。

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